─大樹の下で─
エヴァの本体である〝生命の樹〟の権能は『豊穣』である。豊穣とはつまり生命力であり、繁殖、成長、回復など、生きとし生けるもの全ての根幹たる力である。〝生命の樹〟は自分の支配域──根の届く範囲にその『豊穣』の恩恵をもたらす。故に庇護下であるイーヴィスの地は全体的に肥沃であり、森林も豊かである。
その中心部であるこの地下空間は地上とは比べ物にならない『豊穣』の力に満ちており、この場においてエヴァは絶対的な支配者となる。エヴァが癒したいものを癒し、そうでない者は〝番兵〟が排除する。極端な話、命さえ保っているならば五体を失っていようとも超常的な回復力を以て癒すことすら可能なのだ。不死を与えるに等しい力を前に、手向かい続けられる者は存在すまい。
更に、この場所では魔力の操作にも制限がかかる。この空間が『豊穣』の力で満たされ続ける限り、魔術師は只人と変わりなく、たとえ御物であっても十全にその権能を発揮出来ない。エヴァが任意で拘束を解かない限り、神の御物も壊れにくいだけの道具へと成り下がる。
この場所では、エヴァの敵となり得るものは存在しない。
──その筈なのだ。
ぎぎぃと不協和音を奏でながら、〝番兵〟が腕を振るう。今の〝番兵〟は常の球体ではなく、普段は格納している蛇腹の手脚を伸ばした戦闘態勢になっている。
しなりながら横薙ぎに振るわれた腕を人間の子供が跳んで避ける。宙に浮いた体を射抜くように、〝番兵〟が赤い半球から光線を放出する。子供は黒槍を振って光線を弾き着地した。
先程と同じだ。
不意打ちであったにもかかわらず、あの子供は〝番兵〟の光線を迷わずに弾いた。
神槍の権能は確実に封じてある。今のあれは重く頑丈なだけの槍だ。それを只人がこうも容易く振るうこと自体がエヴァには信じられない。
エヴァは子供を『豊穣』の対象に加えていない。あの子供はアールマンに負わされた手傷をそのままに、〝番兵〟の攻撃を凌いでいるのだ。ただ鍛えただけと言うには逸脱している。
「どうして動ける。エヴァは見てた。腕も、足も、満足に動かせるわけがない」
「あんたもどうでもいい事が気になるんだな」
縦横無尽に襲い来る蛇腹を掻い潜り、〝番兵〟の懐に入り込んで神槍を突き上げる。神槍は前傾になった〝番兵〟の球体じみた表面を火花を散らしながら滑り、その頂点──頭部にあたる三角屋根の半球を打ち抜いた。
「動くから動かす。それだけの事だろう」
それが有り得ないというのに。
たしかに動かせはするだろう。しかし、まともな生物であるなら怪我をすれば動きは鈍る。体が治癒を呼びかける。それが生存本能というものだ。それを苦もなく動かそうというなら、もはや真っ当とは言い難い。
「〝番兵〟!」
『豊穣』の力を〝番兵〟に振り分ける。〝番兵〟は正確には生物ではないが、生きた金属と呼ばれるもので構成されている。生きてさえいるならば効率こそ落ちるものの『豊穣』の効能は発揮される。未だ背後の銀繭で微睡んでいるであろうアールマンへの回復力は落ちるが、それでも優先順位を変更せざるを得なくなった。
──あれはきっと、良くないものだ。
「剣!」
エヴァが呼び掛けると〝生命の樹〟の枝葉から一本の剣がエヴァの前に落ちた。この空間に保管されていた三つ目の御物、聖剣である。
「〝番兵〟だけじゃ足りない!力を貸して!」
更に〝番兵〟を破壊しようと槍を振るう子供を横目に聖剣を拾い上げるが、その直後、エヴァの表情が強ばった。
「……嫌だって、どういうこと」
エヴァは御物の声を聞く。元は同じ女神から分たれた存在であり、その意思が表質化しているか否かの違いだけで、どの御物にも意思は存在する。
そのいわば同胞である聖剣が言ったのだ。断る、と。
「どうして!魔力の枯渇したお前を『豊穣』の力で回復してやったのはエヴァなんだよ!?」
恩はあるが義理は無い、挙句の果てにはあの少年になら手を貸しても良いとエヴァの要請を拒否する聖剣に、癇癪を起こしたエヴァは聖剣を地面に叩き付けて足蹴にした。
「この、恩知らず!」
荒く息を吐く。寒気が収まらない。
幾重にわたって突き削られた〝番兵〟の脚が自壊するように折れて崩れた。体勢を崩した〝番兵〟の残った脚を黒槍が抉り転倒させる。いかに『豊穣』の力に溢れた空間とはいえ、大きな損傷を復元させるには時間が掛かる。
それでも愚直に〝番兵〟は侵入者を排除しようと残った両腕を地に突き、修復の進んだ三角頭を子供に向け──熱を蓄えた紅点を神槍が穿った。放射しきれずに行き場を無くした熱が三角屋根の内部で暴発する。
頭部に火炎を纏う〝番兵〟を目の当たりにして、こんなことは有り得ないとエヴァは無意識に一歩後退った。
〝番兵〟はこの大陸が最も混沌としていた時代に造られた、現代の魔術師ですら再現できない最優の絡繰兵だ。エヴァの支配力が無くとも魔術の影響を受けず、蛇腹の手脚は巨人族にも勝る強力を備えている。生きた金属を素材とする為に鋼のような硬性こそないものの、並の刀剣では貫通出来ない程の柔性を有する。
本領を発揮した聖剣持ちも撃退し得る〝番兵〟を只人の子供が槍一本で圧倒するなど、夢物語にも程がある。
「化け物……」
そうとしか言い様がない。少なくとも、あんな生物をエヴァは知らない。
「背中から葉っぱを生やしたやつに言われたくない」
そう言ってエヴァに歩み寄ってくる子供の腕は火炎の煽りを受けたのか、火傷で火膨れを起こしている。それでも痛苦の表情すら見せず、神槍を手放さない怪物に、エヴァは恐慌を起こした。
「やだ!来るな!あっち行け!〝番兵〟!〝番兵〟!」
呼ばれた〝番兵〟は一瞬身動ぎするが、頭部が炎上している影響かそれ以上の反応は見せることなく停止した。
「あんたは僕を殺したいんだったよな。ならあんたも僕の敵だ。あんたがなんなのか知らないけど、さすがにあの丸いのと違って刺せば死ぬよな」
「やだ!やだ!」
あくまでも〝生命の樹〟の端末であるエヴァが、例え神槍であっても貫かれて死ぬようなことは有り得ない。しかし、絶対の信頼を寄せていた〝番兵〟を目の前で沈黙させられて、『もしかしたら』と思ってしまった。
子供のように駄々をこねるエヴァに神槍が突き付けられる。
「煩い」
黒く染まった切っ先が迫る。
「いや──」
「ああ、悪いがそこまでだ」
エヴァの体が後ろから腰を引かれ、地面から伸びた緑色の蔓が黒槍を捕えて持ち主の全身も覆うように縛りつけた。
「……動けない」
「ようやく止まったか。まったく、お前と神槍の相性は最悪だな」
エヴァが見上げると、銀糸の残滓を髪に残したアールマンの顔がそこにあった。
「あーるまんー。あいつが、あいつがー」
「……あれがあんな状態になるとは。やはり規格外だな」
頭部が燻りをあげる〝番兵〟から視線をシロに移し、アールマンはエヴァから手を離す。
「エヴァ、シロを治せ」
「はぁ!?」
「む?」
信じられないと声を上げるエヴァに、シロの首を傾げる声が続く。
「やだよ!あいつ治したらまた襲ってくる!」
「ここなら神槍の影響を気にせずに魔術が使えるし、拘束も解かない。まずはあいつの認識を変える必要がある。治せ」
「む、むむー」
不承不承の感情を隠しもせずに、言われた通りに『豊穣』の癒しをシロに分け与える。
「……なんだ、これ」
「治療魔術、の親戚だと思っておけばいい。それよりも、だ」
自分の体に起きた変化に疑問を抱くシロに適当なことを言い、アールマンは腕を組んで息を吐いた。
「お前の負けだ、シロ」
「…………」
負けと言われ、シロは目を丸くして首を傾げたあと辺りを見回し、体を動かそうと足掻いてみて、簀巻きのような状態から抜け出せないと分かるとアールマンを見返した。
「この身が負けたのか?」
「お前は身動きができない。神槍も権能を封じられている。俺はいつでも手を下すことが出来る」
「……負けた。この身が」
シロが呆然と独り言つ。
「正直、俺はお前がここに来ても生きていられるとは思っていなかった。竜玉の転移は竜人族程の頑強さが無いと反動が強くてな。俺と同じように気を失っているところをあれに処理されると思っていた。本当に最後の手段だったんでな」
「あいつ起きてたんだよー。化け物だよー。危ないよー」
本心を語るアールマンの背中に隠れるように、調子を取り戻しつつあるエヴァがシロを指差して止めを刺せと訴える。
そんなエヴァの言を黙殺し、アールマンは続ける。
「ここは王族の中でも魔王しか知らず、立ち入ることも許されない秘中の秘とも言える場所だ。後ろの大樹がイーヴィスの保有する御物、この小煩いのがその化身で名をエヴァという。市井では知恵と豊穣をもたらすと伝えられているが、その内実は大樹が国中に豊穣をばら撒き、エヴァが自分の持っている知識を魔王に与えている。俺もエヴァから様々なことを教わった」
「……そんな大事を僕に話して、どういうつもり?」
「上の続きだ」
「?」
首を傾げるシロに、アールマンが口角を曲げてみせる。
「俺の目的を教えてやろう」




