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第七章 〜誰が為に問う〜

イーヴィス史を省みても例を見ない地震の発生により、アールマンのハイビス再出立は数日先延ばしとなった。地震の影響の調査を終えなければ安心して遠征出来ないとアールマンが提案したことである。

「出張から戻ってみれば、思いもよらない珍事でしたな」

書類もなく整頓された机の前で小柄な老羊が髭を撫でる。

アールマンが帰国して本城に入ったあと、入れ替わるようにプーシ卿はしばらく行えていなかった国内の視察に赴いていた。予定通りアールマンの再出立の日に戻ってきたのだが、地震の影響で再出立が延期になったと聞いて視察の報告がてら雑談をしに訪れたのだ。

「今のところ大きな被害が出ていない事が幸いだな。報告によると一部の建物や道路に(ひび)や損傷が見られるが、その程度だ。人的被害は無いに等しい」

「まず揺れるであろうことを想定しておりませんからな。いやしかし、不謹慎ながらも本城に不在であったことが悔やまれますな。この老いぼれ、生まれてこの方地面が揺れるという現象に立ち会ったことがありませぬ故」

「他所から来た者でもない限り、大多数の魔族が初体験だろうな。イーヴィスで地震が起こること自体が酷く稀だ」

その要因と原因に心当たりがある事を微塵も表に出さず、アールマンは剣帯を腰に提げる。それを見たプーシ卿が片眉を上げた。

「陛下が帯剣なさるとは珍しいですな」

「調査の為に兵が出払っているからな。錬兵場で好き勝手出来る良い機会だ」

口角を上げてみせる青年にプーシ卿は苦笑する。

「どうか程々になさいますよう。戻ってきた兵士がまず先に整地を命じられるのは可哀想ですからな」

「さて、どうなるかな。──ああ、錬兵場に人を寄せないように手配しておいてくれ」

「仕方ありませぬな。すぐに手配しておきましょう」

「頼んだ」

そう言って、礼をするプーシ卿を部屋に残してアールマンは錬兵場に向かった。


「さて、どうするかな」

錬兵場に着いたアールマンは身体を解しつつ呟く。

人払いは済ませた。奥の手も用意してある。向こうの思惑がなんであろうと、大抵の事には対応可能……のはずだが、戦闘に発展した場合の仕込みは万全とは言い難い。

以前から本城には至る所に対侵入者用の仕掛けを施してあり、それは錬兵場にも存在しているが、最大敵である〝勇者〟を想定したものであって神槍を相手取ることを考慮に入れていない。新しく用意した急拵えの備えが何処まで通用するか。

「杞憂であることを祈りたいが……ん?」

こちらに向かってくる人物がある。しかし、待っている者たちではない。

「リィン。なんでここにいる」

「プーシ卿に陛下がこちらに居ると伺いました。鍛錬であればお付き合い致します」

「……人払いをした意味が無いな」

小さく呟く。

リィンがいて困るということは無いが、奥の手を出さざるを得なくなった場合、それを目の当たりにする者が増えるのは都合が悪い。

「あの、いけなかったでしょうか……?」

アールマンもあまり見た事のない不安そうに揺れる瞳に、心の奥で蓋をしたものが脈打った。これは、よろしくない。

「いや、構わない。だが、少し待て。まだ準備が済んでいない」

「はい」

心なし上機嫌に頷くリィン。

あの寝言を聞いてしまった日、目覚めてからのリィンは少しだけ表情が豊かになった。悪いことでは無い。むしろ固さが取れたことは喜ばしいとすら思う。しかし同時に不安を覚えるのも確かだ。彼女が歩みを進める分、自分は追い込まれていく。

「ままならないものだな」

「なにがです?」

「色々と。……あれも、そのうちの一つだ」

深く息を吐く。待ち人来たれり。一礼して去っていく侍女の背と黒槍を携えこちらに歩み寄ってくる白衣の少年の姿がそこにあった。

「シロ?何故ここに?」

不可解を露わにするようにリィンが眉を顰める。本来ならばハイビスにいるはずの少年がイーヴィスに姿を見せたとなれば不審に思うのも当然だろう。

彼の来訪を知っていたアールマンも、また別の疑問を抱いていた。

「ルリはどうした。一緒にいたはずだが」

「……やっぱり知ってたんだ。迎えがあったからそんな気はしてたけど」

「秘密の情報網があってな。お前達はたまたま引っ掛かっただけだ」

「ふぅん」

詳細にはさほど興味が無いのか気の無い返事を返す。そんなおざなりな姿にリィンが苛立った声を上げる。

「どういう状況か私には察しも付きませんが、シロ、無礼が過ぎますよ。まず陛下の質問に答えなさい。ルリ様は何処にいるのです」

「知らない。厠にでも行ってるんじゃない?」

「そんな誤魔化しを」

「リィン、抑えろ」

問い詰めようと前に出るリィンを押し留める。

「知っていて誤魔化しているとしても、本当に知らないのだとしても、問い詰めたくらいで意見が変わるようじゃ奴じゃない。問答するだけ時間の無駄だ」

「……その通りですね」

不承不承ながらも同意を示す。代わりにとアールマンへ疑問をぶつける。

「しかし、何故シロがここにいるのですか?私は何も聞いていないのですが」

「それは俺も聞きたいところだ。俺が知っているのは、こいつらが本城に向かって来ているらしいという事だけだったからな。そういう事だから説明してもらえるか?お前達は何をしに来た。目的はなんだ」

そう水を向けられたシロは小さく息を吐いて、黒槍の石突で地面を叩いた。

「僕には嫌いな人種がいる。嘘吐きと悪人だ」

「お前に限らず大抵の者が嫌うだろうな、それは」

「あんたはどうだ。良い奴か?それとも悪い奴か?」

「……それがわざわざハイビスから急行してまで聞きたい事なのか?」

やれやれと嘆息してみせるが、内心ではどう返答したものかと思考をめぐらせていた。シロの問いかけはアールマンにとって、最も答え難い類のものだった。

良い奴とは答えられない。それは有り得ないとアールマン本人が自覚してしまっている。ならば悪い奴と答えるか。あの前振りを聞いてそう答えるのは自殺行為に他ならない。ならばどう答えるか。

「人は単純に善悪で測れるものでは無いだろう。自信を持って『自分は善人です』なんて言える奴こそ異常だ」

中道。それがアールマンの選んだ答えだ。それに対してシロは、

「ふうん、そっか」

と、吐く息を大きくした。纏う気配にも鋭さが増す。

「あんたがそういう答え方をした時は、『答えられない』ことが答えらしい」

「……ルリの入れ知恵か」

舌打ちしたい気持ちをどうにか堪える。一か八か悪人と答えるべきだったか。

アールマンは黙したが、リィンは黙っていられなかった。

「大人しく聞いていれば失礼千万な物言いを。一度仕えると決めたならば主がどのような人物であろうと、命尽きるまで付き従うのが忠義というものでしょう。主を試すような行いをするなど、言語道断です」

「それはあんたの理屈だ。僕に忠節なんてものは無い」

リィンの窘める言葉も一蹴し、シロはアールマンに不可解を突きつける。

「僕にはあんたの考えている事が分からない。分からないから質問したとしても、都合の悪い質問は今みたいに誤魔化される。あんたはそういうやつだ」

「随分と極端だな。必ずしもそうとは限らないだろうに」

「なら訊く。正直に、答えろ」

これが本題だと、言外に匂わせつつシロは問いを口にする。

「あんたはどうして、神の御物とかいう代物を集めている」

その問いに、アールマンは一瞬だけリィンの様子を横目で窺う。腰の剣に手を寄せてシロの動きを警戒しているようではあっても、今の質問に特別な関心は寄せていない様子だった。信頼の表れとも取れるその所作にほんの少しだけ安堵する。

「あんた、この槍を見た時に言っていたな、『ここにあったのか』って。あれは探し物を見つけたから出た言葉だったんじゃないのか?」

「あれはリアが神槍を所持していなかったからだな。住処にも無かったから不思議に思っていた。それが解消されて出た言葉だ」

この言葉に嘘はない。リアの義息がそれらしい武具を持ち出したという情報も無く、疑問を抱いていたのは事実だ。

「……嘘を吐いてる感じはしない」

「本当の事だからな」

少しだけシロの気配が揺らいだ。どうやら、この少年の持ち合わせていた手札はこれきりだったらしい。

心中で安堵の息を吐きつつ、アールマンが会話を締めようと口を開く──が。

「あかんよ陛下。そない煙に巻く言い方したら、純朴なシロ君は誤魔化されてしまうやないの」

背後から聞こえたルリの声に、その口を閉じざるをえなかった。

咄嗟に振り返ると、リィンの背中に掌を当て、空いた手を口元に当てて微笑んでいるルリの姿がそこにあった。幻惑の魔術にでも当てられているのか、リィンの目は虚ろで立ったまま気絶している風でもある。

「いつの間に……」

錬兵場の入口はシロの向こう側だ。常に視界に入っているのだから見逃すはずがない。更に、この場にはアールマンが手ずから索敵の結界を張ってある。隠形の魔術を使ったとしても、それに引っかかるはず──と、そこで気付いた。

結界が消えている。

「まさか、さっきの石突で……!」

「あんたが教えてくれたことだ。『神槍は魔術を壊す』」

神の御物──神槍。その権能はシロが語った通り、触れた魔術を喰らい破壊する魔術殺し。その対象は完全に無差別、つまり所持者も含まれており、神槍に触れているだけで魔術が使えなくなるという呪いじみた権能である。

アールマンも失念していた訳では無い。むしろ対策を練っていたくらいだ。故に結界に関しても錬兵場の入口に合わせて結界の口も開けてあったのだ。直接結界に触れた訳でもないのに破壊されるなど誰が思おうか。

エヴァからの情報では、神槍の効果範囲は所有者を布一枚で覆う程度と、とても狭い。触れていない物を破壊することは不可能なはず。考えられるとすれば、神槍が喰らったのは結界の基盤──敷いてある術式そのもの。神槍は魔術(結果)だけではなく術式(仕掛け)にまで干渉するのか。

今回は見誤ってばかりだ。

神槍は魔術に対する防性に特化し過ぎたものと考えていたが、術式をも破壊するとなるともはや防性とは言い難い。そもそも、エヴァは神槍の権能を『喰らう』と表現していたはずだ。その言葉の意味、積極性を甘く見ていた。相手は神の権能を宿した御物。もっと深く考察しておくべきだった。

アールマンが歯噛みする間に、ルリはリィンの背を押して歩かせつつシロへと歩み寄っていった。

「ええかな、シロ君。さっきの陛下は確かに本当の事を話してらしたみたいやけど、シロ君の質問からは少しだけずれた答え方をしとったんよ。神槍を見つけた時の所感は話しよった通りなんやろうけど、肝心の『御物集め』に関しては何の言及もしてへんかった。それに一瞬だけ将軍の顔色を窺いよったやろ?この子には聞かれると都合の悪い話があると見るべきやろね」

歩きながらシロの見逃しを丁寧に解説してみせる。アロットでは暗殺を避けるために上手く立ち回っていたと聞いていたが、ほんの一瞬の視線の動きまで見切られるほど観察力に優れた目を持っているとは思っていなかった。彼女を自由にさせていたのは失策だったのかもしれない。

「だったら、今なら答えられるか?赤毛のは寝てるんだから」

「どうやろね。それは陛下の御心次第やね」

不味い。この状況は極めて不味い。

ルリとシロの思わぬ相性の良さに加え、神槍の想定外の挙動、なによりリィンが人質に取られていることがよろしくない。アールマンの用意した手札ではこの状況を打破することは極めて難しい。今は時間を稼いで好転する機を見出すしかない。

「お前達の質問に答える前に、俺からも聞きたいことがある」

「質問したのはこっちが先。答えるのもこっちが先」

「重要度が異なる。こちらが先だ」

「…………」

数秒の間の後、シロはルリへと視線を向ける。先程やり込められかけた手前、独断は避けることにしたらしい。

「聞いてあげてもええと思うよ。内容も予想がつくし、それを聞かんと陛下も答える気になれんのやろうし」

「わかった」

頷いてアールマンに向き直って黙り込む。言え、ということだろうか。

「じゃあ質問だ。お前達はどうしてそんなことが聞きたい。ハイビスの陣営を抜け出して、叛意有りと断定されてもおかしくない状況に陥ってでも問いたいという、その理由はなんだ」

「必要だから」

即答。

「僕は赤毛のみたいに惰性で従うつもりは無い。義理だけで従うにはあんたは怪しすぎる。あんたにそうあるべき理由があるなら、それを聞いた上でどうするか決める」

ああ、この少年はそうだろう。一見自我が薄いように見えてその実、誰よりも己というものに拘っている。だから誰に何かを吹き込まれたとしても、シロが最も重要視するのは自身の価値観だ。最初の質問もそれに則っている。この少年は勧善懲悪を判断の基準にしている節がある。だからこそ、先ずそこを確かめずにはいられなかったのだろう。

問題となるのはアールマンが本当に訊きたいもう一人の方、ルリの真意である。

「お前はどうなんだ。何を思ってシロを利用している」

「利用なんて人聞きの悪いこと言わんといてな。私はただ単に思ったことを言うただけやし。……でも、そうやね。こうなればええな、とは思ったんは否定せんよ」

「……それは何故だ」

核心を問う言葉に、ルリはリィンの陰に隠れるように体をずらした。

「陛下は、ご両親を亡くされた時、どう思いました?」

思いもよらない話題にアールマンは困惑する。一体何の関係があるのかと。

「身近な人が命奪われて、悲しなりました?それとも怒らはりました?まさか喜びはせんよね。そういう人やないんは分かってます。ああ、別に答えんで構わへんよ。単なる前置きやから」

隠された表情を読み取ることは出来ない。しかし、微かに揺れる声音から感じられるものはあった。

怯えである。

「私はね、怖かった。……知ってます?アロットのお城ではよく人が死ぬんよ」

最初は母親だった。数年前、母一人娘一人で平穏に暮らしていたところ、父親を名乗る王族に城へ招き入れられた。その数日後のことである。朝起きると、夜中に母親が中庭で首を括って死んだと聞かされた。死に顔を見ることは許されなかった。

「次は姪に当たる子が死んだ。池に落ちて溺れたんやて。水の扱いに長けた水棲族やのに、そんな事あるんかて首を傾げた。その次は叔母に当たる人が、その次は従姉妹に当たる人が事故で死んだ。その頃には流石に気付いたわ。権力争いに巻き込まれたんやなって」

主に動いていたのは父親を名乗った王族であることはすぐに分かった。ルリの母親が死んだのはルリを自分の手駒として扱いやすくするためだった。

アロットは女系王族である。男性王族の立場は弱く、代々王位に着くのも女性だった。当代の女王は病に臥せっていて先は長くないと診断を受けていた。父親はどうしても権力が欲しかったのだろう、彼はルリを女王に据えて自分が実権を掌握することを目論んでいたのだ。

しかし、その目論見も志半ばで頓挫する。

ある食卓でのことである。食事中、突然父親が苦しみ出した。眼を血走らせ、胸を掻きむしり、卓から落ちた皿や料理の上を転げ回りながら、口から血泡を吹いて絶命した。他の男性王族による毒殺だと判明したのは、その男性王族が不審な死を遂げた後になってのことだった。それからは紛れもなく地獄の様な日々だった。残った女性王族はルリを含んでほんの数人。

「私は嫌や。死にたくない。血反吐撒き散らしながら死ぬんは嫌や。風邪を引いた小さい子がお薬や言うて毒を飲まされた事もあった。あんなん嫌や。いつ死ぬか分からんところで怯えて暮らすんは嫌や。私は生きたい。生きていたい。死にたくない」

いつからかリィンの背にしがみつく様にして、死にたくないと言葉を吐き出した。

さしものアールマンも言葉を失う。確かに伝え聞く限り、ここ十年の間でアロットの王族は短命に終わる者が多い。まさかその内情が権力闘争に端を発するものだったとは。

「出来るんやったら昔みたいに平穏に暮らしていたい。それが無理なんも分かっとる。せやから、私は陛下の真意が知りたい。知って、納得して、安心したい。何も分からんと、怖いまま、怯えて暮らすんはもう嫌や」

どうしてルリがここまでの強行手段を取るのか、ようやく得心がいった。ルリはとうの昔から追い詰められていたのだ。アロットで張り巡らされた権謀術数の糸を避け続ける生活を強いられていたところを、その状況から解放されたことで抑えが効かなくなってしまった。

なるほど、イーヴィスに身を寄せる以上、安心を得るには国主であるアールマンの腹の内を知ることが最も重要である。

ルリの優先順位は保身が第一であるというアールマンの見立ては間違ってはいなかった。見誤っていたのはその根底にある本能に根付いた感情であった。

「理解は示そう。だが、ハイビスで待つことは出来なかったのか。安全を保証できる程度の備えは残してあったはずだ」

「本音を聞き出すんやったら不意打ちやないと意味が無い。私は気を張らずに生きていたいんよ」


「ならば人質を取るべきじゃあない」


完全なる第三者の声がした。

即座にシロが駆けて声の発せられたと思しき場所へと神槍を突き抜く。

「残念、正解はこちら」

ルリの身体が大きく跳ねる。

滲み出るように、〝愚昧卿〟──ミンス・アルケーが姿を現した。

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