第六章 〜揺れる大地〜
エヴァは〝生命の樹〟の意思である。故に〝生命の樹〟から離れることは叶わず、地上の事象は根伝いに察知するしかない。
遠見や千里眼のような便利な権能が備わっていれば良かったのだが、〝生命の樹〟の付属品でしかないエヴァは〝生命の樹〟を利用するしかない。
最近は──エヴァにとっての『最近』であって常人のそれと同等ではないのだが──頻繁に訪ねてくる王様がいるから眠っている時間よりも起きている時間の方が長くなっており、必然的に地上の様子を窺う時間も増えている。
だからだろう、エヴァの感知能力は以前よりも飛躍的に上昇していた。先日語った『イーヴィス内で分からないことは無い』という言葉は比喩でも誇張でもなく、純然たる事実となっている。
何時から生まれ生じたのかは覚えていないが、それなりに長い年月を経た身でありながらも成長する余地があったことにはエヴァ自身相当に驚いた。
──故に、この異常に気づいたのはある意味では王様の手柄ということになるのだろう。
「……ん?」
〝生命の樹〟に背中を預けるようにして上の建物を覗き見していたエヴァは首を捻った。
遠方から近づいてくる気配がある。王様からは何も聞いていない。予定が変わったのか?もしくは想定外の事態か?
「んー……」
しばし悩む。最近、上では惚れた腫れたと面白い見世物をやっている。目を離しているうちに進展があっては面白くない。だからといって、この気配を無視することは正しく論外である。あれはある意味、以前の想定外よりも危険な代物だ。今の王様は替えのきかない貴重品。無くしてしまえばエヴァ自身の存在意義に関わる。
「しかたないなぁ」
真上に向いていた意識を根を伝って迫ってくる気配の方へと移動させる。目線を動かし、眇めるように、エヴァは気配を見る。
馬、人、荷車、中に二人。外のは女神様の子。中のは水の気配と知らない気配。それと貪欲な黒い気配。中の会話を聞くために荷車の中まで意識を伸ばす。その瞬間、
──────。
「うわっ」
巨大な口が開くような気配に急いで意識を引き戻す。
「……あの悪食……」
やはり間違いない。あれは槍だ。相当今の主人を気に入っているのだろう。荷車に意識を差し込んだ途端、間髪入れずに同胞であるはずのエヴァの意識を喰いに来た。そのような番犬じみた行動が出来たとは驚きである。
「どうしようかなー」
番犬が付いている以上覗き見は出来ない。しかし、中身が見えなくても位置を測ることはできる。あれらは確実にこちらを目指している。
「聞いてた話と違うしー、あいつ攻撃的だしー、嫌いだしー。想定外の事態ってことでー、いいよねー」
目を閉じて集中する。根の全てに意識を行き渡らせる。あとは気合いを入れるだけだ。
「本当はねー、やりたくないんだよー。でも仕方ないよねー。他に方法がないんだからさー。たまには体を動かしたいとか思ってるわけじゃないんだからねー。うんうん、仕方なーい仕方なーい。よし、じゃあ……いっくよ────」
──エヴァが誰に聞かせるでもなく言い訳を並べて行動を起こす少し前。
アールマンは本城下層部にある研究施設にてミンス卿と相対していた。
着席した二人の間の卓には、黒い長方形の箱が二つ並べられている。縦一尺程(約三十糎)、横と奥行が半尺(約十五糎)程度の箱は上部と下部に複数の穴が空けられており、中間部には空洞が作られていて箱の横に蓋らしい板が置かれている。
「このミンス・アルケーは有言実行の男。成し遂げましたとも、期限通りに!」
諸手を挙げて叫ぶミンス卿。睡眠を取っていないのか、目の下の隈は隅を塗ったように色濃い。
「魔力の消費効率はとことんまで突き詰め、陛下のご要望通り平均的な成人魔族一人分の魔力総量があれば四刻(約二時間)程の遠話が可能!当然魔石を用いた貯蔵燃料による魔力供給も可能となっています!無論、十全に機能を発揮させるのであれば相応に加工した魔法石の使用が大前提ではありますがね!更に、以前は魔法石そのものに音声の伝達機能を持たせていたために一方通行のやりとりのみな上に音声の質も粗悪極まりない物でしたが、術式に手を加え、入れ物自体にも術式を施すことにより上部にて受信を、下部にて発信と機能を分けた事により音声の分析効率の上昇を可能に致しましたその結果!例えば送信者と受信者が同時に音声を送ったとしても混ざり合うことなく、まさしく対話を可能としたのです!いや実はこの部分が一番手間取りまして、しかし研究資料の中に埋もれていた記録の中にこの形状に似た装置の姿絵を見つけまして。その絵姿を参考に機構を作成し術式を組み込んだところ上手い具合に動作しまして。あの絵姿、絵師はシロとなっておりましたがもしや噂に聞く我が後輩でありましょうか。であるならば早々に話を伺いたいところですな!何らかの知識を持って描いたのかそれとも単なる思いつきであったのか気になるところ!前者であるならばその知識は何処から得たのか後者であればどのようにしてその発想に至ったのか!ああ気になって気になって俄然興味がばぁ」
「やかましい」
研究者相手だからと長々とした説明は我慢して聞いていたが、脱線した上に個人的な興味に話が移ったことで限界が来た。思わず試作品を掴んでミンス卿の顔面目掛けて投げつけてしまったのだ。壊れていなければいいのだが。
「失礼、少々気が昂ってしまいました。いや、睡眠の重要さがよく分かる。己の理性がゆるゆるのがばがばになっているのが自覚出来ますな。それはそれとしてこの遠話機ですが」
アールマンの手がまた試作品に伸びたことで言の葉を急旋回させる。
「市井の民が気軽に扱えるように、というのは現状無理ですな。理由は二つ。一つは高価であること。説明した通り、これは入れ物と魔法石を連動させるように術式を組んでいる。並の術者では真似すら出来ますまい。この箱も錬成術で作り上げた特注品。二、三対ならばともかく、桁を増やすと一期分の予算を使い切ることと同義であると思って頂きたい」
「そこまでか……」
「何事にも対価というものは存在するんですよ。減らすことは増やすことよりも難しい」
首を振るミンス卿に溜息を吐く。今は要望の品が出来上がったことに満足しておくべきか。
「まあいい。二つ目は?」
「国防の為ですよ。こいつは便利すぎる。数を用意すると良からぬ使い方をする連中が必ず現れる。悪事に政治的利用、使い方なんていくらでもある。他国に渡っても面倒だ。これ一対あるだけで情報伝達の速度が変わる。斥候に持たせたなら相手の位置、数、装備、色んなものが馬よりも早く、その場でありのままに伝えられる。戦争が変わる。どんな手を使ってでも手に入れようと動く国も現れる。そうなれば泥沼だ。勝つための手段を手に入れる為の戦争が始まる。火の着いた薪に特大の火薬玉を放り込むようなものだ。大陸全土が吹き飛ぶような大戦になりますよ。現時点での増産はイーヴィスの寿命を縮めかねない。普及は急がず慎重に動くことをお勧めしますよ、俺は」
そう言ってミンス卿は自分の顔を直撃した遠話機を拾い上げ、中部に空いた空洞に魔法石を収めて蓋をした。
「それはそれとして、ですよ陛下。見ての通り、遠話機は形にしました。ハイビスへの同行、認めていただけますよね?」
「……使いものになるかどうかを試してからだ。国を跨いでも使えなければ意味が無い」
「審査が厳しいですなぁ。しかし陛下、それでは約束を破ることになりかねませんか?俺は遠話石をより扱いやすい遠話機に改良した上で、こうして実物も用意したんです。要求には十二分に応えられたと思うんですが?」
「実用性の保証されないものを使えるとは言わん。お前の合流を認めるのはイーヴィスとハイビス間の遠話に成功した後だ」
「ふふふ、陛下も我儘ですなぁ。まあよいでしょう、そこまでの長距離間での遠話を試行したことがないのも事実。ああ使う意味の薄いものをあえて使う必要は無いという意見も納得出来ますし、ここは折れましょう。非常に残念ですがね」
肩を竦めて遠話機を卓に置く。残念と言いながらも口角が上がっているところを見る限り、これも予想していた流れなのだろう。
舌打ちしたい気持ちを抑え、アールマンは魔法石を収められた遠話機を手に取って観察する。
持った感触はそう悪くない。箱は固いが重くはなく、角を丸く削られているので持ちやすい。稀代の錬成術師という肩書きは伊達ではない。
「あるのはこれ一対だけか?」
「材料は確保してあるのでもう一対は作れますよ。ですが、もう少し術式を調整したいのでそちらはお待ち願いたい。……伝達方式に指向性を持たせることが出来れば一対という限定的枠組みを取り外せると思うのですよ。例えば現状では一番と二番でしかやり取りは出来ませんが一番と三番二番と四番というように遠話相手を選択出来るようになれば」
「その発想は興味深いが後にしろ」
更に思考の海に潜りそうな気配を感じて中断させる。興味があるのは嘘ではないが今必要な話ではない。
「お前は本城で待機だ。ハイビスからの遠話で応対できる者が必要だ」
「謹慎は解かれる、という理解でよろしいですか?」
「構わん。ただし、研究に必要のない権限は凍結したままだ。上層階への侵入及び人事、軍事、政治への介入は禁じる」
「ええ了解しておりますとも。敬愛する陛下の御為、このミンス・アルケーは遠話石の完成に尽力すること──」
胸に手を当て、ミンス卿が大仰に礼をしようと口上を述べる最中。
本城が揺れた。
いや、正確には本城どころではない。本城周辺の大地が振動──地震を起こした。
「これは──」
「失礼!」
呆然とするアールマンを庇うように、ミンス卿がアールマンを押し倒す。
イーヴィスでの地震は相当に珍しい。特に本城付近は地震が観測されたという記録もなく、それ故に建物の多くは耐震を無視した造りになっている。振動を分散させる機能がない為、建物内部の棚や物に振動が軽減されないまま伝わって転倒することがあり危険なのだ。
「陛下、今暫くこの体勢のままでご勘弁願いたい。余震があるやもしれませぬ。御身に傷の一つでも付こうものなら世界の大損失となりましょう」
「……いらん心配だ。しかし、ここが揺れるだと……?」
有り得ないことだと、アールマンは額に手を当てる。イーヴィスには〝生命の樹〟がある。あれがある限り、地面の揺れはその根に阻まれて地表に現れることはほぼ無い。本城で地震観測の例がないのは〝生命の樹〟の本体があり、根も太く数が多いからだ。
だというのに、この本城が揺れた。
可能性は二つ。何らかの要因──例えば爆発等による衝撃──によって建物が揺れた場合。この場合だと人災の可能性が高い。もう一つは〝生命の樹〟に何らかの異常が発生した場合。これは言うまでもなく緊急事態である。
どちらにせよ、ここで固まっている訳にはいかない。
「ミンス、急ぎファルンらと合流しろ。各部の点検、本城及び周辺地域の被害状況把握に務めるよう伝えろ」
「陛下を」
「行く所がある。遠話機を持っていくから、何かあれば連絡しろ。分かったな」
返事を待たず、アールマンはミンス卿の下から這い出て魔石の入った遠話機を掴み、足早に謁見の間へと向かった。
謁見の間を素通りして転移の間を横切り、壁に掛けてある燭台を手に取って通路を奥へと進んでいく。守護者の検問を受け、地下へ。
「エヴァ、出てこい!」
〝生命の樹〟のある空洞に着くや否や、声を張り上げて大樹の意志の名を呼んだ。
「エヴァ!」
呼び続けながら大樹の麓まで歩み寄ると、寝転がったまま手を振るエヴァの姿があった。
「いらっしゃーい。待ってたよー」
「待っていたということは、あの地震はお前の仕業か。一体なんのつもりだ」
「怒らないでよー。仕方なかったんだよー」
駄々っ子のように両手両足を暴れさせながら弁明するエヴァに嘆息し、地面から浮き出た根へと腰を下ろす。
「それで、なにがあった」
問うとエヴァは動きを止めて手足を大の字に広げた。
「槍が来てるんだよー。あれはアールマンが呼んだの?」
「……なんだと?」
エヴァのいう槍というのは神槍のことだろう。これは同類である御物を物であると認識していながらも意思ある生物のように扱う。
「神槍は持たせた者と一緒にハイビスに置いてきた。呼び寄せた覚えもない。確かなのか?」
「確か確かー。槍自体を見たわけじゃないけど、あんな性悪な気配他にいないしー。他には馬と女神様の子供とよく分からないものと水の気配もあったよー」
「……ちっ」
見誤った。よく分からないものというのは恐らくシロだろう。あの少年はこの世界のものでは無い。エヴァにとっても未知の存在だ。それよりも、水の気配が一緒ということはルリが同行している可能性が高い。
「リィンの予感が当たったか」
アールマンはルリは安定した地位を確立するために地盤作りに執心すると踏んでいた。それには信頼と実績が必要だ。功績を積むためにも、今はハイビスの陣地から動く事は無いと予想していたのだが。
「何を読み間違えた……?あいつの優先順位は一に保身があるはずだ。安全を保証されていて担保も取られている状態で動くとは思えない。いや、それよりもシロだ。あれにも弱みはある。そのためにこちらに付いていたはずだ。約定を違えるような性質は無いと思っていたが、何をもって懐柔された?それに目的が読めない。何の為にイーヴィスに来た。わざわざこちらへ向かってくる理由はなんだ。本城の制圧……いや、現実的では無いな。兵力の大半をハイビスに置いているとはいえ防衛力は保っている。まさか神槍で〝勇者〟を真似る気か?いや、あいつらはそこまで愚かではない。あれは聖剣だったから出来たことだ。神槍自体にそこまでの性能はない」
「剣は優等生だからねー」
「煩い」
相槌なのか茶化しなのか分からないことを言うエヴァを一蹴して問う。
「気配は三人で間違いないんだな?馬車か?」
「そうだよー。馬の後ろに一人とー、荷車の中に二人ー」
「一人は御者か」
恐らく馬車はこちらで調達したものだろう。御者も一緒に雇ったものと考えられる。ということは、動いているのはルリとシロの二人だけである可能性が高い。ハイビスで地盤を固めるよりも優先しなければならない事情があると考えると、この早さにも得心が行く。シロに関しては、ルリに騙されて同行させられている可能性、ルリの事情に共感して同行している可能性、何らかの思惑があって自分の意思で同行している可能性等、絞り切れない。厄介だと思われるのは、三つ目だろう。あれには曲げられる意思と文字通り死んでも曲げない意思がある。アールマンのハイビスで待機しろとの命令を無視したということは、後者である可能性が高い。
「……ふー」
深く息を吐く。
「どのくらいで着く」
訊ねると、エヴァは首を傾げて中空を指さした。
「さあー。今の位置は──」
現在地を聞いて、大体の到着時間を計算する。
「こちらの出立予定時刻に近いな。これも予定の内か……?」
「どうするー?眼なら使えるけどー?」
先日確認した一対の玉を差し出してくる。あまり頼りたくは無いが、万一の備えは必要か。
「……仕方あるまい。片割れは置いていく。お前も備えておけ」
「あーい」
玉の一つを胸元に収め、アールマンは空洞を後にする。
自分も備えなければならない。




