第五章 〜乙女たちの事情〜
イーヴィス王城一階の会議室。この日はアールマンの一時帰国に合わせて定例報告会が開かれていた。
今回話し合われているのは、ウルク湖の汚染状況と変異した生物への対処、エンピスの土壌改善の進捗、そして今回の出兵で得た情報の整理と今後の方針の検討だ。
まず一つ目のウルク湖に関しては対応を決定するには調査が不十分という事で、調査隊の派遣と一般人のウルク湖への接近禁止令が出されることで意見が一致した。二つ目のエンピスに関しては、根本的な問題が解決していないものの、一部地域では作物の育成に期待できる環境は整ったと見て、春からの試験運用──芋など比較的容易に育つ物の育成──を始めることになった。これはエンピスと歩調を合わせての共同事業である。
そして三つ目の議題であるが──これが中々に紛糾していた。
「──ですから!陛下御自らが出向かずとも良いではありませぬか!御身に何かあっては困るのですぞ!」
「何度言えば分かる!俺が現地にいる方が指揮が執りやすい!今は出来るだけ手間を省くべき時だ!俺がハイビスに行った方が圧倒的軽やかに事は進む!」
「信頼のおける者を向かわせれば済む話です!ツァンバ将軍ならば陛下のご意志をよく汲み取れましょう!」
「リィンに腹芸が務まると本気で思っているのか!あいつの実直さを侮るなよ!あいつは俺が白い物を黒だと言えば『いえ、あれは白です』と平然と言うやつだ!」
「ファルン卿でもプーシ卿でも、外交に心得のある者を同伴させれば解決する話です!あまり我儘を仰いますな!」
「なにが我儘だ!その二人は内政の要でもある!そう易々と中央から動かせるか!それ以下の人材などそれこそ却下だ!」
「それを言うなら、貴方様は国家の要なのですぞ!陛下こそ本城から動かれるべきではありません!」
「だから、俺が行った方が──ええい、何度目だ!」
「何度でも申し上げ続けますとも!今回ばかりは我ら一同、折れるつもりは御座いませんぞ!どうしても行かれるというのであれば、我らを納得させられるような説得材料をご用意くださいませ!」
「なにを持ってこようが納得する気などないだろうが!まずなにを用意すれば納得するのかを言ってみろ!」
「それでは言わせて頂きます!どうか、お世継ぎを!後継となる御子を成されたならば、どうぞご自由になさってくださいませ!」
「はぁ!?」
このようにアールマンが家臣団に追い詰められている頃。
喧喧囂囂たる会議室から遠く離れた上層階の一室で、リィンがセリスとユウリにぴたりと挟まれて汗をかいていた。
本来ならリィンもアールマンに付いて定例会議に出席する予定だった。しかし直前で二人から誘いがあり、二択を迫られた末にこちらを選んでしまった。会議室の惨状を知り得ようもないリィンは、あちらを選んでいればよかったと内心で後悔していた。
ここは王族、もしくはその許可を得た者にのみ使用が認められている浴場である。
浴槽に湯は張られておらず、代わりに高さ三尺(およそ九十糎)胴回り二尺(およそ六十糎)程の筒が置かれており、その中には焼き石が詰められていて白い蒸気を放っている。
「ふへぇ……」
気の抜けた声を出したのはセリスだ。三人は一糸纏わずに、筒前に置かれた長椅子にリィンを挟むように腰掛けていた。
「あの……」
「もっといる?」
「そうではなく……」
薬湯の入った桶に手を伸ばしたユウリを制止し、疑問を口にする。
「これはなんなのでしょうか」
「蒸し風呂ですよ?」
「それは分かるのですが。そうではなく、これはなんの集まりなのでしょうか」
連れてこられたものの、なにをするでもなく蒸し風呂で肩を寄せあっている。リィンはこの状況の意図が読み取れずにいた。
「裸の付き合いですよー。お腹を見せあってお話しするんですよー」
「……微妙に間違えてますね」
お腹を見せあうのではなく腹を割って話をするのが正解だ。
「それで、何を話すつもりなんですか?なんというか、とてものんびりとしておられますけど」
「んー、なんというかー。乙女同盟の緊急会議とでも言いますかー」
「乙女……同盟?」
初めて聞く言葉に首を傾げるリィン。
「聞いた話によるとですねー。魔王さんのところにまた女の子が増えたらしいじゃないですかー。どうなのかなーって」
「どう、と言いますと?」
乙女同盟なるものも気にはなるが、まずはセリスの話を促す。増えた女の子とはおそらくルリのことだろう。こんなのでもセリスは王族であるのだし、他国の王族が陣営に加わることで思うところがあるのかもしれない。
「別に乙女同盟としては人数が増えるのはいいと思うんですよねー。でも私たちが勝手に仲間意識持っちゃうのも違うかなーってー」
「はあ」
「どうなんですかー?乙女同盟の中ではリィンしかその子のこと知らないんですよー」
「どう、と言われましても」
リィンは乙女同盟というもの加入した覚えがない。なにを聞きたいのか判然としないが、とりあえず私見での人となりを答えた方がいいのだろう。
「青い髪が印象的で綺麗な方ですね。歳はセリス様より上だと思います。私も会話をする機会は多くなかったのですが、知恵の回る方だと思います。性格はおっとりとしているように思えますが、正直判りかねます」
「……うーん、そうじゃなくてー」
リィンの報告に唸りつつ、額の汗を手で払う。
「その子、魔王さんのこと好きだと思いますか?」
「……は?」
硬直するリィン。
「好きなのなら乙女同盟の仲間として仲良くやっていきたいですけど、そうじゃないなら仲良くするにも方向性が変わってくると言いますかー。家族と友人の違いとでも言いますかー」
「え、あの、ちょっと待ってください。乙女同盟って、つまり、そういう集まりなんですか?」
「そうですよ?」
慌てるリィンとは対称的に落ち着いた様子でセリスが答える。
「いえ、あの、私は、その、陛下のことは、主として敬愛してはいますけども、そのですね、あの、れ、恋愛としてのす、好き……、という事では……」
「……リィン、好きなら好きって素直に言っちゃった方がいいですよ?」
「いえ、ですから」
「私は魔王さんのこと好きですよ。言っておきますけど、恋愛とかそういう意味ですからね」
「ゆーりもー」
「………………」
またも硬直するリィン。溶けていそうな声を出しているユウリは常から態度で表していたからさておくとして、セリスも前々からそれらしいことを言ってはいたものの、こうして直接その言葉を聞いたのは初めてだった。
『好き』と、いざ聞くとその衝撃は大きかった。
「うーん、リィンも認めちゃった方がいいですよ。好きな人が他の知らない誰かのものになっちゃうなんて嫌じゃないですか」
「しかし、わたしは家臣で」
「きーきーまーせーんー」
言の葉を遮るようにリィンの口に手を当てる。
「だってもしかしもいらないんです。リィンはあの人を愛しているのかどうなのか、それだけでいいんです」
穏やかな声色に反して、その目は見た事がないくらい真剣だった。
「家臣だとか、忠誠だとか、そういうのはいいんです。口実を作らないでください。言い訳をしないでください。意地を張らないでください。女の子のリィンは、あの人が好きなんじゃないんですか?」
「わ、たし、は」
目が泳ぐ。鎧を剥がされた心が言の葉を紡ぐことを拒絶する。
──十数年。背の高い花の下で出会ったあの時から、リィンの胸には一つの想いが確かにあった。
「わたし、は」
しかし、どうしてもその言葉を口にすることが出来ない。鎧を纏う時間が長すぎた。言えなかった時間、言わなかった時間、言うことを諦めた時間がリィンを臆病にする。
「私は」
それでも、この口はその言葉を吐こうと足掻き続ける。偽ることを許さない瞳がじっと私を見つめている。
「あの方を」
唇が震える。空気を求めて水面から顔を出す魚の心地だ。息苦しくて堪らない。
「あ……」
──沈んでいく。溺れて、水の底へ。
「あれ、リィン?おーい」
「………………」
「あら、のぼせちゃいましたか」
崩れ落ちかけたリィンの体をセリスが支える。
「やりすぎ」
「ごめんなさい」
ユウリに叱られて頭を下げる。
「でも焦れったいじゃないですか。素直じゃないんですもん」
「ん」
同意を示すように頷くユウリと一緒に、リィンを担いで熱気に満ちた浴室から出る。備えておいた水と手拭いで体を拭いてリィンを横に寝かせる。
「でも」
団扇を用意しながらユウリが言う。
「セリスも同じ」
「なにがですか?」
「素直じゃない」
「そうですか?」
「そう」
「そうなんですかねぇ」
ゆったりとした長衣を着付けしながら首を捻る。
「実は私もよく分からないんですよね。好きっていう気持ち、どう表現したらいいのかなって。そういうの、教えてもらったこと無かったですから」
セリスは籠の鳥であった時間が長すぎた。本を読んだり人から話を聞いたり学習してはいるものの、経験の乏しい彼女が歳相応の精神を身に付けるには時間が足りていない。
「セリスも、がんばる」
「あはは、ユウリちゃんが乙女同盟で一番の恋愛巧者ですね」
「ん」
──〝雑種の国〟と呼ばれるほど一人一人の個体差が大きいイーヴィスにも、差別というものはある。それは血筋であったり、持っている能力に由来するものであったりと様々な要因がある。
私──リィン・ツァンバも、そういった差別を受けてきた一人だった。
人間族そのものの容姿。優秀な魔族である父を持つにも関わらず、魔術の素質の無い劣性遺伝。鮮血のような髪の色。
どれか一つだけならば『個体差』の一言で済まされる要素も、複数集まれば明らかに劣っているものとして扱われるようになる。内気がちだった性格も災いしたのだろう。
もちろん、父の目に止まるような表立った差別ではなかった。しかし、その目が届かないところであれば、人の口は容易く開く。陰日向問わず、幼い私は様々な雑言を吐かれ続けた。それこそ、いちいち覚えていられないくらいに。
彼と出会ったのは、夏の暑い昼下がり、王城近くの花壇の傍だった。
背の高い花の影で涼むように座っていた私に、城勤めの者だろう数人が立ち話をする体を装いながら私の悪口を叩き始めたのだ。そこに、黒い髪をした男の子が通りがかった。
『そういうの、すきじゃない』
彼の放ったその一言だけで、私を悪し様に罵っていた者たちは顔色を変えた。あの時の私は知らなかったが、彼らはその子供が当時の魔王の一人息子だと知っていたのだろう。顔を覚えられては大変とばかりに、暑い暑いと天を仰ぎながら散り散りに立ち去っていった。
『ぼくはすきだよ、あかいいろ。きれいだよね』
それが自分に向けられた言葉だと理解できずに呆然としていると、誰かに呼ばれたのかその子は振り向いて返事をした後、私に手を振って走り去った。
たったそれだけの邂逅。
しばらくして父が引き合わせてくれた時には、あなたは覚えていなかった。
それでも、確かにその一時はあったのだ。
両親以外の人が、初めて好きだと言ってくれた。子供の何気ない一言だったのだろうけど、その一言に救われた者がいたのだ。
──認めよう。私の胸には彼を慕う想いがある。偽り切れない感情が根付いている。全身を焦がしそうな火種が心の奥で燃え上がる瞬間を待ちわびている。
陛下。アールマン。アル。
あなたが好きです。
あなたのことが大好きです。
愛しています。
この想いが届かなくてもいい。傍にいさせてください。それだけでいいんです。
好きです。好きです。大好きです。
愛してる。
「………………」
リィンの眠っている寝台から、音を立てないようにゆっくりと離れる。
聞いてはいけないものを聞いてしまった。
よりにもよって、自分が見舞いに来ている時にその言葉を紡ぐとは。
「すぅ……」
深く息を吸う。動悸が激しい。柄にもなく精神を乱しているらしい。
扉の近くに座り込む。この状態で外に出るわけには行かない。何かあったのかと勘ぐられてしまう。
「………………」
リィンの様子に変化は無い。本当に、ただの寝言だったのだろう。
「…………はぁ」
壁に背を預けて頭に拳を当てる。
動揺が収まらない。こんなことは初めてだ。
「すぅ…………はぁ…………」
何度目かの深呼吸。ようやく気持ちが落ち着いてきた。
そろりと立ち上がる。できるだけ音を立てないように扉を開け、そして閉める。
「来るべきじゃなかった」
城内に用意されているリィンの私室から出て荒く髪を掻き上げながら、アールマンは独りごちる。
無茶苦茶を言い出した家臣団をどうにか押し返して終えた会議の後、セリス達からリィンがのぼせて寝込んだと聞いたのが二刻前のこと。最低限の事務処理を終わらせて見舞いに来たのが丁度四半刻前だ。せめて半刻遅く来ていればと思うが、時を戻すような奇跡は何処にも存在しない。
リィンの寝言。無意識の告白。
その想いに気付いていなかったとは言わない。誰よりも長く一緒にいた幼馴染なのだ。この国が昔から変わらずに平穏であり続けたなら、そういう未来もあっただろう。
しかし。
そう、しかし、だ。
そのような未来は訪れない。この身は既に目的に向かって動き始めてしまった。多くを騙し犠牲にした今、止まる訳にはいかない。
──寝言であったことを幸いと思うべきか。
アールマンが平静でありさえすれば、関係は変わらずにいられるだろう。
「……大丈夫だ。何ヶ月もやったこと。その応用だ。大丈夫」
「リィンは大丈夫そうでした?」
抑えたはずの精神が再び騒ぎ出す。声の主──セリスはアールマンの動揺など見えていないかのように近付いてくる。水差しと茶器の乗った盆を持っている。侍女に頼めばいいだろうに、自分で運んできたのか。
「……ああ。よく寝ているようだ。疲れもあったんだろう」
話を合わせ、アールマンはセリスに背を向ける。
「まだ仕事がある。リィンのことは任せた」
「はい、任されました。乙女同盟の仲間としてしっかりと看病しますね」
「……乙女同盟?」
すぐに立ち去ろうと思っていたのに、妙な単語に思わず足を止めてしまった。アールマンの疑問にセリスはにこっと笑って、
「まだ魔王さんには内緒です」
とリィンの眠る部屋へと入っていってしまった。
気になることは多いが、留まることの方が危険だろうと、アールマンは自室を目指してその場を立ち去った。
部屋の中では、腰ほどの収納棚の上に盆を置いたセリスが、リィンの髪を撫でながら声をかけていた。
「魔王さんがあんなにびっくりするなんて、リィンは何を言っちゃったんですか?」
その問い掛けに答える声はなく、規則的な寝息が流れるだけだった。




