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第四章 ~暗中飛躍~

アールマンが一時帰国して十日。

敗戦により一時的にイーヴィスの支配下に置かれたハイビスは、イーヴィス外交官による各部族長との折衝、兵士たちの地道な警邏等による治安維持活動、人手を募っての技術移入などにより、ある程度は嫌悪感を取り除くことに成功し、ひとまずの落ち着きを見せている。元が多部族国家という国主に拘らない国民性も関係性向上の一助となっているのかもしれない。

国長であるリア・コニーが直にまとめていた集落でも、日頃イーヴィスの兵と身近にあるためかようやく魔族に対する警戒心が薄れてきたように思える。

「──ふっ」

鋭い吐息と共に、丸太造りの木人目掛けて棒状の得物を振るう。微かに揺らいだ木人の背後に回り込んでもう一撃。次は左側に、その次はまた背後、右、正面と、止まる事なく白い影が舞う。

魔王と将軍が不在となるこの時を狙って動き出すであろう不穏分子に備えてシロは予備戦力としての居残りを命じられたのだが、その炙り出された反抗戦力は予想よりも規模が小さく、彼が出撃するまでもなく鎮圧されてしまった。

降ってわいた暇を潰す、というわけではないが、雇い主から与えられた武器の扱いに慣れるため、コニーの集落から少し離れた場所に柵を張っただけの仮設鍛練場で木偶を相手に鍛練を続けている。

少年が振るっているのは石突きから穂先まで、まるで墨汁で塗り染められたかのような漆黒の槍。身に纏う白衣と相まって、その黒さがより際立っている。

魔王はこれを神槍と呼んでいたが、どちらかと言えば魔槍ではないだろうかとシロは思う。見た目も怪しいがとにかく重い。この槍にまつわる話を聞いた後だと、余計に魔槍ではないかという感想が正しいのではと思えてくる。

曰く、これは〝名も無き神〟が獣人族に授けた皮肉の品である。

なんでも〝名も無き神〟は獣人族が好みでは無かったらしく、眠りにつく前に『使えるものなら使ってみろ』とばかりに呪い染みた特性を持つこの槍を押し付けたらしい。

神の癖に器の小さな話ではあるが、当の神様が『統治が上手くいかなかった』というような理由で居なくなった仕様もない存在であるそうなわけだし、もしかすると事実なのかもしれない。……まあ、それを語ったのが真顔で冗談を言える類いの人物だから、話自体が全くの嘘っぱちということも有り得るのだが。

「別にどっちでもいいけど」

少年の呟きと共に、黒槍の一閃が木人の胴を薙ぐ。

その一撃で耐久性に限界が来たのか、幾度も刻まれ続けてもなお懸命に地に立ち続けていた木人は、己の仕事に満足するように仰向けに倒れていった。──ちなみに、こうして消耗した木人は適度に切り分けられ、薪となってその日の内に天寿を全うすることになっている。

仕事人としての役割を果たした木人に背を向け、シロは身の丈ほどもある黒槍の穂先を下に向けて脇に挟むように持ち、鍛練場を後にする。

ここだけの話、シロは先の戦いで借りは返したと思っている。

熊と虎が奇跡的な配合を成し遂げたような怪物と闘って引き分け、結果的に勝利に大きく貢献した。

それでも魔王に従い、命令を聞いているのは単に、あちら側がシロの要求を満たすのを待っているだけに過ぎない。それまでは現状維持を続けるつもりである。

シロの目標は獣の王ではなかったという。結局本命の正体は分からず、贖罪を求める黒い炎は今も心の内で何かを燃やし続けている。

「ん?」

ふと、集落の入口にこちらに向かって大きく腕を振る人影が目に映った。

シロよりは背が高くリィンよりは低いという、いかにも女性といった輪郭線。淡い青色の髪は遠浅の海を彷彿とさせる。

その存在に気付いたにも関わらず急ごうという素振りを見せないシロに業を煮やしたのか、ルリは腕を降ろして自ら駆け寄ってくる。

「おいでって言いよるのに、なんで来おへんのよ」

「向かってたけど?」

「んー。うん、まあ、そうやね。それでこそシロ君やね」

あまり誉めてなさそうなことを言いながら、何故か頭を撫でてきた。どうにも、この女の思考回路は自分には測りかねる。

「……なにか用?」

「散歩。付き合ってくれへん?」

ルリは安全上の理由で、一人での外出を禁じられている。連れていく護衛は手の空いている者が担当することになっているのだが、ルリは何を気に入ったのか好んでシロを同行者として連れ歩いていた。

先約があると拒否すれば潔く諦めてくれるのだが、上司が不在のシロは基本的に暇人であり、たまに授業と称して構ってくれるラビとも今日は遊ぶ予定がない。

「別にいいけど」

断る理由がないという消極的な承諾だったが、ルリはお構い無しに「ほな、いこっか」とシロの手を引いて歩いていく。

冬も盛りの草原は風を遮るものが無いため、遮断系の魔術や毛皮を持たない者は上着を着込むか外套を羽織っていないとすぐに凍えてしまう。

獣人族であっても外出する者の少ないこの時期は、草原を少し歩くだけで喧騒は遠ざかり、耳朶を打つ風音か枯れ草がさざめく乾いた音くらいしか聴こえなくなった。

「今日もええ風が吹いとるね」

「うん」

肌を凍てつかせる空風も吹いておらず、薄い雲からほんのり注ぎ込む日射しが心地好い。その辺りの草むらに寝そべって大地の息吹に身を委ねたいところだが、時には霜が降りる地面での午睡は遠回りな自殺行為に他ならない。

シロが『この外套はどれほど断熱効果があるのだろうか』と半ば真剣に考え始めたところで、先を歩いていたルリが口を開いた。

「そろそろええかな」

「なにが?」

「ないしょのお話」

首を傾げるシロに振り向き、ルリはにこりと微笑む。

「前から聞こう思っててんけど、シロ君は何者なん?」

「…………人間」

しばし間を置き、少年なりに無難と思われる答えを告げた。誤魔化すにしてもあまりに残念が過ぎる回答だが、彼を責めることなかれ。

これに関してはシロよりも『自分の出自は出来るだけ流布しないように』と言い含めておいたものの、いざ問われればどう答えるかをしかと教えておかなかったアールマンに責任がある。

根は利発な少年が出したとは思えぬ間の抜けた回答にきょとんとしたルリだったが、その裏にある過失を察して思わず吹き出した。

「ふ、ふふ、く。そうやね、人間やね。うん、間違えてないわ。ふふっ」

どうにか笑い声を抑え込む。少し予定とは異なったが、彼については隠すべき事情があるらしいことだけを収穫としようと、ルリは掌に力を込めた。錫杖を手放した拳は軽く落ち着かないが、今は必要な喪失だと切り替える。

「ならええよ。気にはなっとったけど、聞きたいこととはまた違うしね」

「聞きたいこと?」

多少はやらかした自覚があるらしく、次は失敗するまいと緊張した面持ちでシロが返す。

「アールマン陛下のこと。シロ君はどう思てるん?」

「なんでいきなり魔王?」

「ほら、そうやって『魔王』呼ばわりしてるやろ?主従関係上手くやってるんか、心配してるんよ」

なるほど、と頷くシロ。

「構わないって言われたからそうしてるんだけど、変なの?」

「まあ、普通ではないね」

どっちもな、と心の中で付け足すルリ。

「そういうわけやから、本当のところ陛下をどう思ってるのか教えてくれへん?誰にも言わんから、な」

深追いは禁物、断られればそれまでとシロの様子を窺っていると、少年は少し考えたあとで、

「んー、変なやつ。あんたと同じ、何考えてるのかわからない人種」

と答えた。

何気に目の前にいるルリもろとも変人扱いしている上に、言葉に悪意や皮肉といった感情が籠っていない辺り、この少年は質が悪い。

だが、何日もシロを観察してきたルリにとっては怒るようなことでも驚くようなことでもない。思ったことを口にするのが少年の個性だし、ルリにもそうだろうという自覚はある。

「まあ、間違えてはないんやろな」

ルリは自分の目的の為に思考し行動しているし、アールマンも似た者同士だろうと踏んでいる。違うところといえば同類ではあっても同種ではなく、ルリの目的は内に向いているのに対してアールマンの目的は外に向いているらしいことだろうか。

しかしそれらは些細なことであり、わざわざ訂正するようなことでもない。

「でも、そういうの、わからないで済ましといてええんかな」

「なにが?」

「もっと考えてみた方がええんちゃうかなってこと」

疑問符を浮かべるシロに、ルリはようやく本題に入る。

「主人が何のために国を攻めてるのか、自分が何のために戦わされてるのか、知らされてないんやろ」

「それは別に、知らなくてもいい」

「どうして?」

「興味がないし、意味もない」

自分とは関係が無いと少年は言う。

これまさしく思考の放棄。怠惰の極みのような台詞だが、それで『はいそうですか』と引き下がるわけもない。とはいえ、しばらく接してきたおかげでシロの琴線はある程度把握出来ている。

敵意は持たず、悪意も含まず、ルリはじっくりと少年に言葉を紡いでいく。

「そうは言い切れんと思うけどな。少し考えれば、あの人が何か企んでるやろうことはすぐ分かることやし」

「ふうん」

まあ、この程度では釣れないか。

しかし焦りは禁物。怪しまれればそこで終わり。下手を打てばその瞬間、堰を切られた水流のように淀みなく、彼が携える正体不明の魔槍に穿たれる。いかに親しみがあろうとも、少年の無機質な判断能力は野獣の単純思考をも上回る。

「グランは昔からああやから別としよう。エンピスもまあ、前国王の暴走とかかなり怪しいけど頷けない事情ではない。でもハイビスは違うよね。ここはちゃんと『攻め落とした』国やし」

シロが首を捻る。理解が追い付いていないといった感じ。

「普通やったら、攻め落とされた国は国として扱われなくなる。代官が派遣されて、本国の延長線上として認識されるようになる。言うたら搾取する為の畑扱いやな。物流も本国を中心に動かされるし、徴兵や税収の制度やって本国に都合のええように変えられる。でも、ここではそういった当たり前の作業を進めてる様子がない」

外交官の仕事が折衝というのも妙な話なのだ。

戦勝国である以上、要求はイーヴィス側から一方的に出されるものであり、ハイビス側に拒否権など与えられていない。無論国民感情を意識した多少の配慮はあって然るべきだが、基本的に勝者はこうせよと命令し、敗者はそれを受け入れるか拒否して新たな代表とすげ替えられるのみだ。交渉だの調停だのと、政治家を名乗るものならば疑問の先に不審が口から飛び出す奇天烈展開。

イーヴィスの行為は勝者には得るものが少なく、敗者の方が利の多い不可思議な行いだ。算盤が正常に機能していないとしか思えない。

挙げていけばきりがない不合理を突きつけられた少年は、

「変だけど無いわけじゃないんだろ」

と、知らぬ顔。

「…………」

ああ、とルリは心中で手を打った。

この少年は独自の基準のみで生きている。政治云々以前に、世俗に感心がない。

仙人のような無心の極致。もしくは死人のような無私の醜態。

魔王がルリの側に彼を残したのは、少年の忠誠を信用してのことではなかった。もっと単純な、そもそも揺らぐようなものがないと知っていたからこそだったのだ。

どのような未開地で育てばこのような人間が出来上がるのか、俄然興味が湧いてくる。

「悪いことをしてる訳でもないんだし、いいんじゃない?」

ルリの沈黙を是と取ったのか、シロはそう付け加えた。

わざわざ口にすることもない補足。

少年としては落としどころを作ったつもりだったのだろうが、その失言をルリが逃すはずもない。

「……もし、悪いことを考えてるとしたら、どうするん?」

恐らく、それがこの少年の数少ない判断基準。故国にて研かれた己の勘を信じ、ルリはその穴を攻める。

「あの人には何か目的があるんは確かよ。そうでないと、御物を集めたりなんかせんからね」

「御物ってこれだよね。そういえば『見つけた』とか言ってたけど、集めて何かあるのか?」

シロが訝しげに黒槍を見る。

その反応にルリも得心がいった。妙な魔力を秘めた槍だと思っていたら、正に曰く付きの品だったとは。

「さあ、その辺りはなんとも。でも、真っ当な企みではないんちゃうかなぁ」

「なんでわかるの?」

「こそこそと蒐集してるから。私を保護する条件やて、『赤潮の錫』をアロットから持ち出すことやったしね。御物には神様の力が宿っとるっていう話やし、それ相応の権能も備えとる。普通やったら他国にくれてやったりなんかせんよ」

条件に関しては他言無用の取り引きなのだが、シロに秘密の共有を強制するために使わせてもらう。

「後ろ暗いところが無いんやったら、堂々と目的を公表して集めたらええ。でもその槍のことは私も知らんかった。これは露見してもええとは思っとっても、積極的に話を広めるつもりはないってことを表しとる。もしかすると、エンピスとグランのも回収済みなんかもしれんね。……ほんま、なんの為なんやろうね?」

「…………」

先までとは明らかに違う、考えるような素振りに、釣れたことを確信する。

植え付けられた疑惑の種は、放っておいても芽を出して際限なく大きく育つ。いかに無関心といえども、一度入り込んだ不審の芽が消えることはない。

言葉とは毒のようなものだ。思考という壁の奥にまで溶け込めば、次第に侵され病んでいく。

しかし、この少年が疑心暗鬼に心を囚われて汚れてしまうのは面白くない。扱いやすくはなるのだろうが、ルリ的には流れる風のような自然体の少年の方が好みなのだ。成長であるならば好ましく見ていられるが、毒による変異は望むところではない。

「まあ、本人を問い詰めれば早いんやろうけどね」

だから、少年が動きやすくなるように毒気を薄める言葉を贈った。

その翌日、集落からシロとルリの姿が消えた。

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