第二章 ~愚昧卿~
本格的な冬に入って静けさの増したイーヴィスの大地を、一台の馬車が悠々と進んでいく。警備の姿は少数なれど、精鋭揃いであることは彼らの持つ独特の雰囲気によって察せられる。
少数精鋭によって守護された客車の中、窓辺に肘を突いて流れ行く風景を眺めているアールマンに向かってリィンが口を開いた。
「本当によかったのでしょうか」
「なにが?」
唐突な問い掛けにアールマンが顔を向けると、リィンはアールマンの脇に立て掛けられた赤色の錫杖に視線を移した。
「ルリ様のことです。常から肌身離さず持ち歩いていた〝赤潮の錫〟を陛下に預けてまでハイビスに残ったことと、代わりにシロを残すように願い出たこと。何らかの企みがあるのではないかと」
「つまり、リィンはルリを疑っているわけだ」
口元に小さく笑みを見せながら言うと、リィンは表情を崩さずに頷いた。
「信用に足る根拠が無い、というのが一番ですが。どうも彼女からは謀略の気配がします。煙の無い所から煙を立たせ、煙幕の奥で火薬を仕込み、煙が晴れたら笑顔で現れるような」
「それ、前に読んでた小説の引用?」
「茶化さないでください」
非難するような視線を向けるリィンに、否定はしないのかと苦笑する。
謀略とは縁遠い正直者の幼馴染みに、アールマンは「そうだな」と頬杖を突いた。
「まあ、今は放っておいていい。ルリがそういう人種なら、まずは足場を固めることに執心するだろう。軍部筆頭の将軍に疑われているような状況で事を起こす真似はしないさ。これはその為の担保だろう」
アールマンが脇の錫杖を撫でる。
「シロのことは妙に気に入っているようだったからな。手元に置いておきたいんだろう。愛玩動物としてか、能力を認めているからかまでは知らないが。まあ問題はないさ。姉の件がある以上、シロは敵対行動はとらない」
しかし、物事の裏を横から覗き見て策を練るのが謀略家という生き物である。
リィンには気休めに言葉を並べたものの、正直なところ、アールマンもルリの心根は計りかねていた。収穫祭の時は儚げなお姫様のような印象だったが、いざ再会してみると一筋縄ではいかない策士めいた表情を窺わせていた。命を狙われている環境で生き抜いてきた実績は伊達ではないということか。
そのあとは特に会話を挟むこともなく、二人を乗せた馬車は車輪と蹄鉄が土を噛む音のみを鳴り響かせながら、街道をひた走っていった。
今回の目的地はイーヴィス本城。
戦勝を祝う凱旋ではなく、馬車を降りて国民に顔を見せることもない。
用事を済ませればまたハイビスに蜻蛉返りするような、静かな帰還である。
城下町を素通りし、城門をくぐってようやく馬車から降りたアールマンとリィンはファルン卿に出迎えられた。
「陛下、お帰りなさいませ。御無事で何よりです。将軍も戦勝おめでとうございます」
御辞儀と共に祝辞を延べたファルン卿の姿に、アールマンはようやく帰ってきたという実感を抱いた。
「ファルンも留守居番ご苦労だったな。城に変わりはないか?」
「はい、……と言いたいところですが、一つお耳に入れなくてはならないことが」
「なんだ」
深刻そうな腹心の部下の様子に、誰かの身に不幸でもあったのかと眉を潜める。
「ミンス・アルケーが登城しています」
「──────」
ファルン卿の口から発せられた名前に、アールマンは硬直した。隣で聞いていたリィンも、彼女にしては珍しく目を見開いて動揺を露にしている。
「……どういうことだ?」
無機質を装った声色に、ファルン卿は平静を保ちつつ答える。
「陛下と将軍が不在の最中、本城に何かあっては一大事と」
「そうじゃない」
説明を半ばで遮り、アールマンはファルン卿の胸ぐらを掴んだ。
「どうして彼奴を城に入れた!」
珍しく激情を露にする主に、ファルン卿はそれでも冷静に己の判断を語る。
「無闇に追い返したところで、あの者が大人しく領地に帰るとは思えません。我々の意図せぬところで下手に動き回られるよりは、手元に置いて監視しておいた方が得策です」
「彼奴は!俺を閉じ込め、父上と母上を見殺しにした男だぞ!」
「元は近衛隊の分隊長を務めた実力者です。万が一にも、不興を買い、他国に流すような真似は出来ません。ここから先は特に人材を欲する局面です。いかな因縁があろうとも、使える者を遊ばせておくことは愚策と考えます」
「………………」
動じないファルン卿の声に、アールマンも彼の胸ぐらから手を離し、ようやく激情を引っ込める。
王と大臣の応酬に気を揉んでいたリィンも小さく息を吐く。
「お前の考えは分かった。だが、もう一つ答えろ。……お前、最初からそのつもりだったな?」
先代魔王崩御の際、アールマンはミンスを処刑もしくは国外追放にするつもりだった。それを諌め、軍席を剥奪した上で領地での無期限謹慎という裁量に落ち着かせたのはファルン卿だ。
いずれ幕下に戻す腹積もりであったならば、あの時の弁護にも得心がいく。
その問いに対し、ファルン卿は是と答えた。
「時期が来れば進言するつもりでした」
「俺の不興を買うと分かっていても、か?」
「陛下ならば、その利を解していただけると信じておりました故」
眼差しは未だ鋭いアールマンに、ファルン卿はこれも真正面から受け返した。
僅かな沈黙。
雲行きの怪しい展開に、リィンが口を挟むべきか迷っていると、アールマンがこれ見よがしに溜め息を吐いて舌打ちした。
「使うかどうかは直接話して決める。それでいいな?」
最大限と言っていい譲歩にファルン卿も頷く。
人材に関する話を詰めに来て、私情で有用な人物を見過ごしては本末転倒だ。良くも悪くも、この件に関してはファルン卿に機運が味方した。
「ミンスは何処にいる」
「陛下御到着の先触れが届いてから、ずっと謁見の間に」
「そうか」
腰を折って礼をするファルン卿を一瞥し、アールマンは城内へと歩いていく。後を追うリィンの足音が遠くなると、ファルン卿は姿勢を戻して眼鏡の位置を直した。
「角が取れたとは言っても、未だ断面は鋭いまま、か。姫様方だけでは足りないかも知れんな。なにかもう一手……」
そう言って、ファルン卿も城の中へと入っていった。
──ミンス・アルケーに関して、リィンが知っていることはそう多くない。
リィンも近衛隊に属してはいたが、実質的な役割はアールマンの護衛と補佐であったため、挨拶以上の接触は数えるほどしか無かったからだ。
元近衛隊分隊長。稀代の錬成術師。イーヴィス西部に居を構える貴族。主を守るために戦うこと無く逃げ出した〝愚昧卿〟。
彼の盛衰は、旅芸人の催しや吟遊詩人の詩になるほど起伏に富む。ミンス本人がどう思っているかは知るよしもないが、民衆からは是非を問わず様々な意味で良く知られた人物である。
しかしリィンには、アールマンが激情を抱くような、民衆が茶化すような男であったようには思えない。
あの日、同じようにミンスに閉じ込められたというのに、リィンはどうにも強い感情を持ち合わせられずにいた。
アールマンが謁見の間への扉を開く。
広間の真ん中に、新緑の若木が立っていた。
一瞬立ち尽くすリィンだが、すぐに認識を改めた。あれは人だ。
床面すれすれにまで伸びた鮮やかな新緑の髪を、ふくらはぎの辺りで適当に結んであるだけで、その下方から外套の裾と足が伸びている。
二人が更に歩み寄ると、自らの髪に隠れるほどの細身が振り向いた。
「おお、陛下!お久し振りでございますなぁ!」
満面に喜色を表して抱き着こうとする細身に対し、アールマンは足を振り上げ靴底で足蹴にする。
「久しぶりだな〝愚昧卿〟。お前に登城を許した覚えも無ければ謹慎を解いた覚えも無いんだが、どうしてここにいる」
「謹慎など、国家の一大事の前にはあって無きが如しですよ。それに、俺の貴族位は剥奪されてませんし。登城自体は制限されていませんし。なんの問題も無いのですよ」
そう答えつつ、腹につっかえ棒のように足を押し付けられてもなお腕を伸ばそうとする細身に、アールマンは舌打ちしてリィンの名を呼んだ。主の声に、リィンもようやく制止に動く。
「ミンス卿。それ以上無礼を働くようなら、伸ばした腕二本とも斬り落とさねばなりませんが」
「相変わらずの忠臣振りだね、お嬢。少しくらいはしゃいだっていいだろうに」
「貴殿のそれは戯れを越えて不敬です。謹慎の間に節度を忘れましたか?」
「言葉遣いに気を使ってることは評価の対象にはならないわけね。……はいはい、離れますよっと」
リィンが剣柄に手を置くと、アールマンに向けた両腕を引っ込めて後ろに下がった。
「まったくまったく。白兎なら両手を挙げて賛同してくれるだろうに。……と、そういえば白兎は何処にいるんです?噂の後輩君らしき姿も無し。まさか陛下とお嬢だけってことはないでしょう」
「そのまさかだが?」
片眉を持ち上げ、翠色の瞳をあちこちに向けながら首を傾げるミンス卿に事実を告げると、彼は一瞬真顔になった後、愛想笑いを浮かべてリィンを見た。
「…………いやいや、御冗談を」
「兵は多少連れてきましたが、側近と言えるのは私だけですね」
愛想笑いが引きつる。
「いやいや、いやいやいや。いやいやいやいや……」
誤作動を起こした絡繰のように首を振りながら何回も「いや」と繰り返し、やがて俯いて動きを止めた。かと思えば、勢いよく頭を上げて天を仰ぐように両手を広げて、
「有り得ない!」
と叫んだ。
「一人!お嬢たった一人!それだけで陛下の御身を守護しようと?あり得ない!」
「いえ、ですから兵も連れて」
「凡百が幾人束なろうと無意味無駄無価値!一騎当千の強者を陛下の御側に配してこそ、真の安全を計れるというものだろう!やはり俺も待つだけではなく、叱責されようとも単身ハイビスへと赴くべきであった!ああ、決断の遅れたこの身のなんと恨めしきことか!」
リィンの選んだ少数精鋭を凡百呼ばわりし、ミンス卿は項垂れるように膝を折った。
「もしお前がハイビスに来ていたら、盾だけ持たせて最前線に立たせたがな」
見下すアールマンの慈悲のない言葉に、リィンは思わず苦笑いを浮かべた。本当にそうなっていたとしたら、果たして自分に止められただろうか。
リィンが頭の中でアールマンへの説得を試みていると、アールマンが足を伸ばして膝立ちしているミンス卿の顔を踏みつけた。
「ふぶ」
「ふざけた話はいい。お前の去就についての話をしようか」
ミンス卿が無抵抗なのをいいことに、グリグリと靴底を押し付ける。
「ファルンはお前を使えと言っている。だが、俺はお前を一生領地に封じておきたいと思っている」
「ふはっ、陛下は大事なものは箱の中にしまっておきたいということですかね」
「顔も見たくないと言っているんだ」
いったい何をどう捉えたうえでの発言なのか。
「俺はお前を使いたくない。だが情勢が現状維持を許さない。使わないままお前を捨て置けば、今後災いの種となることもありうる。──〝愚昧卿〟、お前は自分の秤に何を乗せる?」
遠回しに『利点が無ければ殺す』と言われたミンス卿は、「ふは」と困ったように笑った。
「いや、我ながらまったく信用がありませんな」
「そんなものは蟻の爪先ほども無い」
「……仕方ありませんな。本当は取引抜きでお渡ししたかったんですがね」
アールマンが足を退ける様子がないので、ミンス卿はそのままの姿勢で外套の内側をまさぐった。
「屋敷に籠りながらも、私は陛下に関わる情報を集めていたんですよ。陛下が腐心しておられる研究のことも例外なく」
そう言いつつ懐から取り出したのは、一冊の手帳。
「趣味に費やす時間は腐るほどあったもので。……これは錬成術の資料の一部です。遠話石完成の助けになるかと」
「………………」
差し出された手帳を取り、全ての頁に目を通していく。アールマンの興味を引けたことを確信したミンス卿は、更に言葉を紡ぐ。
「私を陛下の御側に置いてくださるならば、私の研究資料と記録の全てをお渡ししましょう」
「──はっ」
笑った。
「はっはははははははは!」
手帳を両手で挟むように閉じ、拝むように背中を曲げて哄笑した。
「己の誇りたる研究成果を対価に差し出す、か。なるほど、確かに魅力的だ。思わず頷いてしまいそうなほどにな」
「まだ足りない、と?」
「実績を挙げろ。そうすれば使ってやる」
そう言いつつミンス卿の顔から足を下ろし、片手で手帳を振る。
「俺はこれから一週間、雑務をこなすために城に滞在する。再びハイビスに行くまでに、これを形にしてみせろ。出来れば同行を許可する。出来なければ、復帰だけは認めるが国を出ることは許さない」
「………………」
提示された追加条件に、ミンス卿は瞑目して黙りこむ。十を数えるほどの沈黙の後、口を開いた。
「城の研究施設の使用を許していただけるならば」
「構わん、好きに使え。ただし、動員できる人員は制限させてもらう。他にも急ぐ案件があるからな」
「わかりました。では早速詰めるとしましょうか。……急いで領内から器材も運ばせないと。ああ、ようやく忙しくなる」
頬に喜色を滲ませて立ち上がる。その際、髪が揺れて一瞬だけ隠れていた耳が見えた。
常人よりも細長いそれは、何物よりも明らかに彼の出自を表す。
ミンス・アルケー。彼の生涯は民草の間でも語られるほど激動に満ちている。




