四話 第一章 ~魔王様は気苦労が耐えない~
イーヴィスによる侵攻、国長である獣の王リア・コニーの死、彼が抱えていた兵の出奔などにより、現在ハイビス国内の情勢は混沌としていた。
イーヴィスに押さえられる前に要衝を奪ってしまおうと不穏な動きを見せている部族や、リアの仲介によって下火になっていた火種が再燃し、部族間で小競り合いを起こしているという案件も多発している。しかし、リアが率いる軍勢に勝利したことでアールマンに恭順の意を示した部族が間に入ることもあり、未だ大規模な戦闘行為にまで及んではいない。
そういった住民関係の問題とは別に、他国の者でも草原を行来しやすい様に街道の整備や、長期間の滞在に向けた施設建造などにも人手を回さなくてはならず、自国から連れてきた兵だけでは明らかに人材が不足していた。何よりもハイビスには資材がない。
セペレ山脈では降雪が本格化しており、山越えは困難を極める。陸路は閉ざされたに等しい。今はウルク湖を経由して物資を運搬しているが、人や木材、石材もとなると流石に手間が掛かる。それに、気にかかる情報も入っている。
ウルク湖で従来の生態系にない奇妙な生物の目撃証言が届き始めたのだ。恐らく、瘴気に当てられた水棲生物が魔物化したのだろう。今のウルク湖は従来よりも危険性が上がっていると言える。
戦いの心構えの出来ている兵士ならばまだしも、武器を扱ったこともないような民間人を乗せて運航するわけにもいかず、早急に手を打つ必要がある。
「陛下、イスカに出向いていた使者が戻って来ました」
報せを運んできた部下の声に、魔王アールマン・ハイトンは思考の海から意識を引き揚げる。そして赤毛の将軍に視線を向けた。
「そうか」
「…………」
「どうした?通していいぞ」
「いえ、それが……」
最近は公私共に表情豊かになったと噂のリィン・ツァンバは、瞳に憂慮の色を浮かべて言い淀んだ。
「……まさかとは思うが、体、もしくは首だけが帰ってきた、とかか?」
浮かびうる返答としては最悪の内容を口に出す。しかしリィンは首を振って否と答えた。
「使者は無事です。しかし、陛下に会わせる顔がないと消沈しておりまして……」
「なるほど」
それでも報告をするのが使者を任せられた者の務めだとは思うが、相手はイスカだ。余程の仕打ちを受けたのだろう。
「その者には『ご苦労』と言っておいてくれ。──で、代わりに報告は受けたんだろう?内容は」
「は。返答として寄越されたという書簡がこちらです」
「ん」
手渡された紙を広げて読む。
──彼らは既に我が国の民である。そちらにて如何なる罪状があろうと、こちらには一切の関わりがない。返還には応じかねる。
「まあ、ほぼ予想通りの内容だな」
アールマンがイスカに向けた要望は、イスカに逃げ込んだ獣人族の引き渡しだ。特にルキ・コニーは国長殺しの罪人として強く要求していた。だがその返事は今見た通り、まさにとりつく島もないといった感じだった。
「彼らを引き渡してしまっては、イスカと彼らの間で交わされた取引が表沙汰になってしまいますからね。しかし……」
理解は出来るが、だからといってこのような返答は無礼だろうとリィンは眉を歪める。使者をぞんざいに扱ったり、裸の書簡を返したりと、誠意ある対応とは到底思えない。
「まあいいさ。イスカの民として扱うなら殺しはしないだろう。当面の間イスカに関しては、監視の目を置いておくだけでいい。今は別の問題がある」
と、アールマンが溜め息を吐いた。
「一応訊くが、ルリたちはまだ戻っていないのか?」
「……はい」
「何をやってるんだ、あいつらは……」
過日イーヴィス陣営に加わったルリ・マードは今、シロを連れて散策に出ている。今まで土の上を歩く機会が殆どなかったから、と外へ出ていったらしい。アールマンがそれを知ったのは、彼女らが出発してから三刻が経過した頃であった。
「もうじき半日になりますね。迎えを出しますか?」
「やめておけ。どの方角に向かったのかもはっきりしないんだ。今はそんなことに労力を費やしたくはない」
「せめて、アルク様方が残っていてくだされば良かったのですが……」
グランの大公アルク・アンブル率いるグランの兵たちは、セペレ山脈が雪に閉ざされる前に故国に引き上げてしまった。エンピスから出向いていたシアン・ルーティスも同様である。
援軍という務めを果たした上での帰還なので文句を言うのは筋違いなのだが、手が足りていない現状を鑑みると愚痴の一つも溢したくなる。
「ルリが連れてきた兵は使えないのか?」
「平均並みであるとは思います。しかし、やはり他国から来た新顔ですから、こちらの軍に馴染むのにも時間がかかるかと」
「能力云々以前に扱いづらい、か」
「はい」
異種交配の国家であるイーヴィスは、純血こそを善しとする他の国からは差別的に見られることが多い。中立を謳っていたアロットでもそれは大きく変わらないはずだ。表立った抵抗感こそ無いものの、やりにくさのようなものは感じているのだろう。
「ふむ。ラビの様子はどうだ」
唯一の肉親であるリアが命を落としたラビには、与えた天幕での休養を命じてある。だが実際には、出入口に見張りを立てるなど軟禁に近い扱いになっていた。
もし彼女が曾祖父の敵を討ちに逸ってイスカへ行こうものなら、それが切っ掛けとなってイスカとイーヴィスの戦争に発展しかねない。未だハイビスを掌握仕切っていない現段階で、イスカと事を構えるのは避けなければならないのだ。彼女の精神状態が安定したと判断出来るまでは、少なくとも集落から出す訳にはいかない。
「特に変わりはありません。ですが、今日はシロがいないので、暇を持て余しているようですね」
「教師役が板についてきたみたいだな」
「元々、面倒見は悪くありませんからね。それに、気も紛れるようです」
「なるほど。……例の話、いけると思うか?」
アールマンの問いに、リィンは顎に手を当てて思案する。
「……まだ無理でしょうね。もう少し時間が必要だと思います。ラビにも、その他の者たちにも」
「そうか」
何をどうしようにも、時間を置かなくてはならないのではどうしようもない。時を早送りするような術は神ですら持ち合わせていないのだから。
結局、ルリとシロが帰ってきたのは、夜の帳が下りた頃だった。
「とりあえず、言い訳を聞こうか」
不機嫌さを隠そうともせず、アールマンは呼び出したルリを詰問する。ルリはのほほんとした微笑みを浮かべて言葉を返した。
「だって楽しかったんやもの。シロ君も面白い子やったし、つい時が経つのも忘れてしもうたんよ」
そう言いながら微笑むルリに溜め息を吐く。ふと、ルリの口調に違和感を覚えた。
「お前、そんな喋り方だったか?」
指摘されたルリは一瞬、はっと目を丸くした後で紅潮し始めた頬に手を当てた。
「あ、あら、これはお耳汚しを。はしたないですわね」
詳しく聞くと、あの喋り方は彼女の母親の出身地にて使われていた方言らしい。ルリは元は庶子であり、母と共に過ごす時間が長かったために、その方言が移ったのだと言う。
「構わん。話しやすい喋り方で話せばいい。お前は今でもアロットの王なのだから、無礼でもあるまいよ」
「……陛下、人たらしって言われたことありません?」
「ないな。いきなりどうした?」
訊ねるアールマンに、ルリは困ったように眉尻を下げながら苦笑した。
「なら、私が初めての人やね。陛下は人たらしやな」
「………………」
口調を方言混じりのものに戻し、ルリが笑う。アールマンは不可解だと言うように片眉を持ち上げたが、深く追求はせずに話の筋を戻した。
「……呑気に構えるのも程々にしておけよ。ハイビスの世情は未だ定まらず混乱しているんだ。お前たちはアロットから離反した身だ。混乱に乗じて刺客に命を狙われる危険だってあるんだぞ」
「そんなの今更やないの。束の間の自由、楽しんだってええやないですか」
悪びれる様子もないルリに嘆息する。それを見たルリは不服そうに口を尖らせた。
「陛下は短気やね。私かて、考え無しに歩き回ってた訳やないんよ?」
「……と言うと?」
「この辺りの竜脈を調べてたんよ」
アールマンの顔付きが変わる。
「何か分かったのか」
「正確には否やね。この辺の竜脈は間違いなく正常。他所から無理矢理魔力を引き込んでいる様子もあらへんかった。ここを拠点に動いとったリア・コニーはエンピスの件とは直接的な関係はないやろうね」
「リアの目を盗んで暗躍していた輩がいる、と?」
「さあ、そこまでは。知っていて黙認していた可能性もあるし、一概にそうやとは言えんよ」
確かにその通りだ。
「ふむ。……しかし妙だな。エンピスの竜脈の流れがハイビスに向いているのは間違いない。俺はリアが主導していてハイビスの竜脈を強化し、獣人族全体の戦力を底上げしようとしていたのだと考えていた」
使者を向けた時のリアの好戦的な対応も、そう考えれば納得出来た。だがこの周囲の竜脈に異常が無いとなると、アールマンの予想が外れていたことになる。
「獣人族の王が関わっていなかったとなると、ハイビスとして動いていたわけではなかったのか?もっと小規模……だが、獣人族で他国の龍脈に干渉できるほどの魔術師が在野にいるはずが……」
新たな疑問を口に出した後、アールマンは顎に手を当てて黙考し、同じく考え込んでいる様子のルリに問いかけた。
「ハイビスを横断し、アロットに流れている、ということはないのか?」
「まさか」
その問いに返されたルリの反応は驚愕の類いではなく、呆れを含んだ声だった。
「それやったら私が気付かん訳がないって」
「お前は城から出ることを制限されていたのだろう?〝砂漠の国〟やハイビスとの国境までは分からないだろう」
「それはそうやね。そもそも他国に喧嘩を売るような、大それたことが出来る奴が居るかどうかは別として、やけど」
「可能性があるだけでも十分に疑う余地はある。その辺りも調査隊に知らせておいた方が良さそうだな」
この問題は、出来れば春までには解決したい。時間が掛かりすぎれば、イーヴィスの負担も増す一方なのだ。長引けば、今は黙っている貴族や民衆が良からぬ動きを企てても可笑しくない。
頭を掻きながら、アールマンはルリを一瞥する。
「それにしても、意外な特技だな。個人で竜脈の探査が可能な者など、イーヴィスでも殆どいないぞ」
かく言うアールマンも、探査や調査といった技能は持ち合わせていない。魔術を創作し、扱う能力は高くても、そういった補助的な能力は低いのだ。身近で一番探査系の能力が高いのは実はラビなのだが、彼女のそれは獣人族由来の感覚に頼る所が大きく、竜脈のように見えず触れずの存在に対する感度はアールマンと大して変わりがない。
ルリのように単身で竜脈を調査出来るような人材は、非常に稀なのだ。
「たぶん、長いこと『赤潮の錫』に触っているからやろうね」
そう言ってルリは、常に所持している赤色の錫杖を見つめた。
「これは魔力の流れを操るものやから、使いよると自然にそういう感覚が研ぎ澄まされるんよね」
「なるほどな」
頷きながら、アールマンは『赤色の錫』とルリを見る。
正味な話、アールマンはルリ個人の能力に期待などしていなかった。彼が欲しかったのは、エンピスの〝勇者〟が持っていた聖剣やハイビスで見つけた神槍と同じ、〝名も無き神〟の御物である『赤潮の錫』である。
ルリのことはその付属品程度にしか思っていなかったのだが、これは望外の拾い物かもしれない。扱いにくい部分も大いにあるが。
無意識に口角を持ち上げるアールマンに、ルリは微笑を浮かべて見つめ返した。
翌日、アールマンは浮上している人材不足と航路の安全問題を解決するため、リィンとシロ、そしてルリと共に準備に取り掛かることにした。
かねてより集落の近くにて建設を進めていた建物の前に机を置き、その上に魔法陣を描いた紙を広げる。
「これはイーヴィスの本城にある転移陣を、扱いやすいように改良したものだ。これをこの建物の中に用意する」
「改良?まさか、魔岩が無くとも転移が可能になったのですか?」
集まった者たちの中で唯一、転移陣を利用したことがあるリィンが目を丸くする。転移魔術は一般的な魔術とは魔力消費の桁が違い、魔岩のような大容量の魔力貯蔵庫の補佐がなければ扱えないと聞いている。
もし魔岩が必要無いほどに軽量化が進んだというのなら、徒歩や馬に成り代わる新たな移動手段として民間にも広められるだろう。
「いや。確かに必要魔力は減少したが、それでも馬鹿にならない魔力を消費する。例えば個人で起動しようとすれば、魔法陣に魔力を吸い付くされて木乃伊になる方が早いだろう」
「そうですか」
期待が外れ、リィンは僅かに肩を落とした。が、すぐに気を取り直して質問を続ける。
「では、何故ここに?新たな魔岩が採掘されたという話は聞いていませんが」
魔岩、魔石の類いはグランで採掘、採石される。リィンの耳にまで届いていない以上、秘密裏にアールマンが入手している可能性は低い。
「ルリ」
リィンの質問には答えず、アールマンは東国の女王の名を呼んだ。ルリは頷くと、赤色の錫杖を皆に見せるように軽く持ち上げた。
「これはアロットに伝わる御物で、名を『赤潮の錫』いいます。その権能は、魔力の飽和化。分かりやすく言えば、この錫杖が勝手に魔力をかき集めてくれるから魔力不足に悩まされることはなくなるってことやね」
石突きを土の上に置くと、錫杖の頭に付いた鐶が揺れて涼しげな音を立てた。
「それを魔岩?の代わりにするってこと?」
唯一魔術に馴染みのないシロが訊ねると、ルリは首を横に振った。
「ちゃうよ。『赤潮の錫』には裏技があってな。この錫を使って魔法陣を敷くと、そこに魔力の溜まり場が生まれて、魔法陣が残っとる限りは効果が持続するんよ」
「?」
「分かりやすく言えばな、魔力の溜め池を作るんよ。魔法陣が起動すれば、その溜め池から魔力が消費されるから、術者に負担が掛からへんってわけ」
首を傾げたシロに説明を加えると、少年は「ふーん」と理解出来たのか出来ていないのかよく分からない反応を返した。その様子を見たルリも、愉しそうに「ふふっ」と微笑みを浮かべた。
「つまり、その『赤潮の錫』を使って転移陣を敷くということですか?」
なにやら和んでしまった空気の中、話を進めてもらおうとリィンがアールマンに訊ねる。
「そうだ。まず手分けして下地を用意する。それが済んだら、ルリに特異点を生成してもらう。今回の仕事はそれで終わりだ」
無論、それで完成というわけではない。転移陣は対となるものがなければ、活用法のないただの図面でしかない。あと一つ、同じものを用意して初めて完成となる。
「分かりました。……しかし、よく御物を持ち出せましたね」
幾分かの疑念を織り混ぜた視線をルリに向けると、当人は口元に手を当てて笑った。
「アロットでは〝『赤潮の錫』は王族しか触れてはならない〟いう仕来りがあってな。私が持っとる限り、連中には手出し出来んかってんよ。まあ、兵士には私が戦死したら回収するよう言い含めとったらしいけど」
「そうですか」
返された答えに、リィンは頷いて目を澄ます。
主からは政権強奪の動きがあり、身の危険を感じて助けを求めてきたと聞かされたが、それにしては随分と余裕があるように思える。
腹の内を窺わせないルリは、リィンにとって警戒の対象になっている。
注視されているルリは、そんなリィンにシロへ向けたものと同質の微笑を浮かべて見せた。
二人の様子を横目に眺めつつ、アールマンは実直過ぎる部下と腹の黒さを滲ませる盟友に小さく溜め息を吐いた。




