番外編 ~馴染む男~
「隊長殿、ちょっといいですか?」
セペレ山脈の麓、陣城を構築中のイーヴィス軍はその地にて夜営の仕度を進めていた。
軍議の後、リィンは自身の天幕に戻って陣城に残す守備兵やその指揮官に関する雑務を粗方処理し、炊事係から貰ってきた湯で紅茶を淹れていた。
そこへ訪ねてきたのは、宣戦布告の使者という大任を果たして合流したラビだった。
「どうかしましたか?」
彼女にも紅茶を淹れて差し出すと、ラビはそれを受け取りながら口を開いた。
「あの、人間族の将軍なんですが……」
「シアン殿が、なにか?」
「えーとですね……」
歯切れの悪いラビに紅茶を飲みながら気長に待っていると、振り絞るように本題を口にした。
「……馴染み過ぎてませんか?」
「はい?」
意味が分からずに首を傾げると、ラビは堰を切ったように喋りだした。
「だってあの人従軍して二十日も経ってないんですよ。それなのにうちの兵士に『私の妻の煮物は絶品なんですよ』なんて、のろけ話してたんですよ。普通、人間族一人が魔族に囲まれてたら、もう少し警戒したり疎外感を感じたりするでしょう」
「ああ、なるほど」
得心がいったとリィンが頷く。
同じ軍に所属し、同じ釜から食事を得ていると連帯感というものが生まれやすい。戦時には背を預け合う者同士、その方が生存率も上がる。
しかし、種族が違えばその壁を破るにも時間がかかる。今でこそそれなりに軟化しているが、人間族と魔族は戦争にまで発展するほどの敵対関係にあったのだ。軍人同士であるなら尚更、互いに警戒し合うのが当然と言える。
「私の知る限りでは、シアン殿は最初から溶け込んでいるように思えましたが」
彼の謹厳実直な人柄はイーヴィス軍内でも評判は良く、諍い等の問題が起きたという話も聞いていない。実力を示す機会があったわけでもなく、シアンはその人となりだけで兵からの信頼を得ているらしい。
「あの人、本当はエンピスの工作員か何かなんじゃないですか?いつの間にか有望そうなのが何人も居なくなってた、なんてことにならないですよね?」
まさか、有り得ない、と一笑に付すことは出来る。しかしリィンはそうせず、紅茶を一口含んで嚥下するまでに間を置いてから口を開いた。
「考え過ぎですよ」
その可能性が頭に無い訳ではない。しかし将軍という立場上、ただ『仲良くしている』だけでは疑念を露にすることも出来ないのだ。
置いた間こそが回答であると悟ったラビは、一先ずこの問題は保留にすることにして天幕を出ていった。
それから一刻程経過した頃、リィンの天幕に来訪者が現れた。
「リィン殿、少しよろしいでしょうか」
先程話題に上ったシアン本人である。
「どうぞ」
ラビを出迎えた時と同様、紅茶を差し出したリィンに礼を述べた後、シアンは悩み事を打ち明けた。
「……私はなにか、ラビ殿から不興を買うような事をやらかしたのでしょうか」
「と、言いますと?」
「先刻、親しくなった兵士と雑談を交えていたところ、通りかかったラビ殿に凄い形相で睨まれてしまいまして……」
深刻そうに話すシアンに、リィンは内心で大きく嘆息した。以前エンピスに出向いた時から成長していない。もう少し、包み隠すということは出来ないのだろうか。
「ふむ、そうですね……」
考える素振りを見せつつ、シアンの表情を流し見る。腹に一物隠し持っている、という雰囲気は見受けられない。本当に悩んでいるといった感じだ。
少しだけ、リィンは探りを入れてみることにした。
「疑問なのですが、どうしてラビに気を配るのです?放置しておいても、特に差し障り無いと思いますが」
リィンの問いに、シアンは若干の照れを顔に出しながら答える。
「リィン殿も存じている通り、私には幼い娘が居まして。成長すればラビ殿のように可憐な子になるのかと思うと、嫌われたままというのは心苦しいのです」
確かに、シアンには娘がいる。エンピスに出向いた際何度か彼の家に招かれたのだが、その度に遊びをせがまれた記憶がある。
夫人は穏やかな人柄であり、果たしてラビのようになるかは甚だ疑問だが、シアンの表情や雰囲気に偽りの色は認められない。
「なるほど」
まあ、リィンを欺けるほどの腹芸が出来るようなら、あの義父から『政治に向いていない』とまで言われないだろうし、一応は信を置いてもいいのかもしれない。
とはいえ、二人の問題は当人に解決させるのが一番である。
「あの子は警戒心が強いですからね。慣れれば自然に接することが出来るようになりますよ」
ラビの警戒の理由は隠しながら、リィンはそう助言したのだった。
その日の夕食時。
「ラビ殿、甘味を差し上げましょうか」
「いりませんよ」
どうやら、餌付けから始めるつもりらしい。




