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─孤独な王様─

「お久し振りです、アールマン陛下」

死傷者の搬送、隊列の再編など、慌ただしさの収まらないイーヴィス軍の中軍にて、淡く透き通るような青色の髪をした女性が礼やかに低頭した。

戦装束にしてはやけにきらびやかな衣服に身を包んでおり、石突きを地に当てた赤色の錫杖を持つ姿は僧侶を思わせる。

彼女こそ、中立国家アロットの現国主ルリ・マードである。

「思ったより早かったな。もう少し手間取ると思っていたんだが」

「私も意外でしたわ。どうやらあの方たち、私に討ち死にでもしてもらいたかったみたい。少数でいいと言ったらすぐに行ってこいと送り出されてしまいました。今頃、自分たちの短慮を悔やんでいるのではないかしら」

「ふふっ」と微笑むルリから視線を外し、アールマンは彼女が連れてきた兵たちの方へと目を向ける。

「お前の兵士、大丈夫だろうな」

「信の置ける者しか連れてきていませんわよ。せっかく逃げてきたのに、後ろからぷすり、なんて御免ですもの」

「……ならいい。お前はこのままアルク公の部隊と共に従軍しろ」

「あら、御側に置いてはくださらないの?」

不満そうに眉を曲げるルリに、アールマンが溜め息を吐く。

「やめろ、わざとらしい」

「ふ、ふふふっ」

花のような可憐な微笑みを見せるが、その内に潜む毒気にアールマンは嘆息した。

花の中には、活けた水を毒に変えるものがあるという。

必要だったからと手元に加えた花だが、取り扱いには細心の注意が必要になりそうだった。

再編を終えたイーヴィス軍は、獣人族を追い詰めるべく北進する。


中原に根を張るリア・コニーの集落。

以前は平穏に日々を送っていたこの土地には、心身ともに疲れ傷ついた獣人たちの姿で溢れかえっていた。

彼らの心には既に勝利へと向いてはいない。その思考はこれからどう生き延びるか、その一点のみに掛かっている。

長であるリアは自身の天幕に入り、決戦に備えての戦い方を模索していた。

「………………」

勝ち気であった兵の心は混乱と敗北により挫かれ、先の戦いのような気勢は望めない。軍を離れた部族も多く、それらの多くはイーヴィスへの恭順に動くだろう。

大きく削がれた士気と兵力を埋めるには策が必要であるが、それを考えついたとしても成せる力が残っているかどうか。

「…………親父」

天幕に籠ったリアに代わり、情報を集めていたルキが戻ってきた。手には報告書とおぼしき書類が握られている。

「西にいた魔族の部隊が動き出したらしい。このままじゃ挟み撃ちにされる」

「……そうか」

イスカを睨む『目』を動かしたということは、魔王は短期決戦に持ち込むつもりなのだろう。リアが居を構えているこの地は要害に守られているわけでもなく、特別に守備の備えがあるわけでもない。

二方面から攻め入られれば、容易く落ちるだろう。

「よもや、ここまで脆いとは思わなんだな……」

たったの一手。

アロットからの、大した数でもない援軍によって、ハイビスは瓦解した。

「真に、侮りがたし」

称賛の言葉を口にし、リアは立ち上がる。

「無為に民を損ずる訳にはいかぬ」

「………………」

降伏すると、養父の言葉にルキは沈黙を返す。

リアはそんな息子の頭に手を置いて背を向けた。


──ふと、目の前に懐かしい姿が映った気がした。


気がつけば、リアは地に伏している。

どうしてだろうか。背中が熱く、呼吸が苦しい。

「親父、あんた、もう駄目だよ」

頭上からルキの声が聞こえる。

「さっき、イスカから特使が来たんだ。イスカには獣人族を迎え入れる準備があるって。でも、条件があったんだ。……親父、あんたは邪魔なだけだから殺せって」

ああ、と、ようやく理解が追い付いた。

刺されたのだ。

後継として養子に迎えた息子に。

「あんたさえ殺せば、俺達は助かる。イスカは魔族なんかよりずっと信用できる。だから、こうするしかないんだ……」

二度目の高熱が背中に突き刺さる。

戦の最中には鋼鉄とまで謳われた肉体も、非戦闘時には容易く刃を通す。

三度、四度と繰り返された後、ルキが刃を投げ捨てた。

「あんたが、あんたが負けるからだ。俺達は、俺は悪くない。悪くない、悪くない、悪くない」

悪くない、悪くないと呟きながら、ルキはふらつく足取りで天幕を出ていった。

残されたリアは地を這い、壁布に持たれるように座った。

息を荒く吐きながら、床を侵していく血液を眺める。

「……血が、止まらぬなぁ」

四度も刺されたのだから当然だ。加齢による回復力の低下もある。

「あの、愚か者め……」

ルキの短慮に罵倒の言葉を吐く。

あの若者はイスカの翼人族が、陰で獣人族を何と呼んでいるのか知らないのだろう。

〝地を駆ける蛮族〟。

天空の覇者を自称する翼人族は、獣人族だけではなく地に足を着けて生活する全ての種族を見下している。そんな連中が「迎え入れる準備がある」だなどと、戯れ言と言わずになんと言おう。

誘いに乗ったが最後、主殺しの汚名を与えられ、家畜の如く使い潰されるのが目に見えている。

「まったく、我が子ときたら、揃いも揃って、親不孝ばかりよ、な……」


「────っ…………まっ!」

泣き声が聞こえる。

どうやら眠っていたらしい。

「──さま!──……ま!」

視界はボヤけて色彩程度しか判別出来ず、聴覚もほとんど役に立っていない。

しかし、目の前で泣いている子供が誰かくらいは分かる。

「ああ、ラビか、また、誰かに、苛められたか……。仕様もない……」

お前は目を離すとすぐ泣いていたな、と頭に手を置く。どうしてだか、雪のように白い頭が赤く染まった。

「怪我を、したのか……。未熟者、め。ちゃんと鍛えぬから、そうなるのだ」

「じ……さま!──ちゃ……め!」

「泣くで、ないわ。赤い瞳が、余計に赤くなるぞ……」

笑おうとするが、上手く表情が動かない。これでは、可愛い曾孫が余計に泣いてしまう。

「済まぬ、ラビ。稽古は、また、後にしよう。どうにも、調子が悪い、ようだ……」

「……い……まっ!」

ねだるように胸を叩く曾孫の肩を、黒色の何者かが引いた。

「──────」

黒い影が何事か喋ると、不思議なことにラビは大人しくなった。

それを見て、リアは「ああ」と安堵する。

「友が、出来たか。それとも、恋仲、か……。まあ、どちらでも、よい」

曾孫が独りではないという安心感から、リアは目を閉じた。ラビがまた何事か叫ぶが、何故だかもう目を開けることが出来ない。

だから、眠りにつく前に伝えておこう。

「幸せと、思うように、生きよ」


「じいさま!じいさま!じいさまぁ!」

泣き叫ぶラビがリアの胸を叩くが、その体が動くことはもうない。

獣の王リア・コニーは、末孫に看取られながら息を引き取った。

同席していたアールマンはその亡骸に黙祷を捧げ、静かに天幕を出た。

「陛下、ラビは……」

歩み寄ってきたリィンに、首を振って天幕に目を向ける。

それでおおよそ察したらしいリィンは、天幕に向かって黙祷を捧げた。

しばらくして目を開き、主に状況を報告する。

「集落に残っていた獣人族に話を聞いたところ、戻ってきたハイビスの兵が再び移動を始める前に翼人族が来訪していたそうです。国長に代わりリアの息子が応対したそうですが、翼人族が去った後に彼が兵士たちと何事か話し、天幕に入っていったと」

「獣王を殺害したのは、その息子か」

「おそらくは。彼は跡継ぎとして養子に迎えられたそうですが、期待に応えられる器ではなかったみたいですね。周囲からも色々と不満が出ていたようです」

「……なるほど」

事前に得た斥候からの報告では、集落を出た兵の大半はイーヴィスの別動隊を避けるようにして北に向かったらしい。

状況から鑑みるに、翼人族と件の息子の間にどのような取引があったかは充分に察しうる。

「どうやら、その息子とやらは本当に能無しらしい」

どうしてリアを殺害するよう仕向けたのか。その理由に思い至らないようでは、無能もいいところだ。

翼人族はリアを警戒していた。逆に言えば、リアさえ排除すれば獣人族を御せると考えていたということ。

件の息子は、自ら首輪を填められに行ったことになる。

「無能でなくば、仮とはいえ親殺しなどしないでしょう」

「それもそうだな。……ちっ」

言い得ぬ不快感を舌打ちにして表すアールマンの元に、警邏に出ていたシロが戻ってきた。未だ癒しきれていない体にも関わらず、飄々と歩く姿には感嘆の念すら覚える。

「なあ、魔王」

「様を付けるか、せめて陛下と呼びなさい」

訂正を促すリィンを無視し、シロが今歩いて来た方向を指差す。

「あっちに変なものがあるんだけど」

「変なもの?」

「『ラビ・コニーの墓』だってさ」

それは、確かに変なものだ。何しろ、ラビは今も生きている。彼女を死んだものと扱う為の名前だけの墓なのだろうか。

「ふむ、とりあえず見てみるか。リィンはここに残ってくれ」

「はっ」

もしかするとラビが何かしらの行動を起こすかもしれないと、リィンを残してアールマンはシロに先導させて件の墓へと向かう。

シロの案内で辿り着いたのは、柵に囲われただけの質素な墓地だった。シロが歩いていったのは、他のものよりも設えの異なる一つの墓の前。

他の墓標が平たい石板に名を彫ったものであるのに対し、その墓標だけは細長い石柱を地面に埋めたような形をしていた。

彫られている銘は『ラビ・コニーの墓』。

「ね?」

「……ふむ」

明らかに妙だ。

死体のない者に墓を用意すること自体はままあること。しかし、下に眠るものが在るか無いかの違いだけで、墓石には他の墓標と同じものを置くのが通例である。

流石に、無意味と断ずるには怪し過ぎる。

触って調べてみると、石柱の根元に切れ目のような筋が入っていることに気づいた。

筋をなぞるように追うと、石柱をぐるりと一週した。

「……まさか。……シロ、手伝え」

「腕、痛いんだけどな」

人使いが荒いと文句を言いながらも、アールマンと協力して石柱を上に持ち上げる。すると、思ったよりすんなりと石柱は宙に浮き、中から布に包まれた棒のようなものが出てきた。どうやら石柱の中は空洞になっていたようだ。

「……ああ。ここにあったのか」

石柱から手を離したアールマンが、棒のようなものを掴んで引き抜く。

巻かれた布をほどいていくと、黒色の槍が姿を表した。

「──神槍」

手にした槍を見つめるアールマンを、石柱を抱えたまま佇むシロだけが訝しげに見つめていた。

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