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第五章 ~飛んで火にいる魔の民よ~

アールマンたちはイーヴィス本城を出て十日掛けてグランに入り、出迎えた竜人族からラビたちから交渉が決裂したことを報せる狼煙があったことを聞き、更に五日掛けてセペレ山脈を越えた。

ハイビス側の麓で平原を疾走して来たラビとシロ、先に山脈を越えていたアルク率いるグラン軍とも合流し、計十五日目にしてイーヴィス軍はハイビス国内に陣を構えるに至った。

拠点を確固としたものにするため、兵たちが陣城の形成を進める中、軍議の為に早々に拵えた大天幕にアールマンたちの姿はあった。

ラビから改めて交渉の成り行きを聞き、アールマンは頭を掻いて唸った。

「肯定も否定も弁明もなし、か。思いきりがいいと言えばそうなんだがな」

一緒に報告を聞いていたリィンが応答する。

「侮られているのでしょうか。戦には自信があるような口振りだったようですし」

「侮ってくれているならそれでいいんだが、逆だと面倒だ」

「攻めているのですから、警戒されているのは当然だと思いますが?」

「程度の問題だ。臆病な鼠と勇敢な鼠がいたなら、後者の方が仕留めやすい」

巣に籠って神経質なまでに周囲を警戒する鼠よりも、自ら向かって来てくれる鼠の方が、経過によっては掛ける時間や兵の損失も少なく済む。

臆病な鼠の面倒な所は、慎重に物事を見定める為こちらの策を見破ることがある。逆手に取られれば敗色濃厚となる事態もありうる。

と、二人の会話を聞いていたアルクが口を挟む。

「儂は巣に籠るとは思わんな。そもそも、連中は城を持たぬから籠る巣というものがないからの」

「む」

的を射た発言にアールマンが口ごもる。アルクの言う通り、ハイビスには強固な砦や城といったものが無い。

しかし、とアルクが続ける。

「考え無しに突っ込んでくるとも思えんな。もしそうなら、儂も二十年前に痛手を被ってはおらん」

年月が経過しているとはいえ、実際に相対した者の言葉である。

アールマンは「ならどう出ると思う」と先を促した。

「やつらにとって、戦は狩りと変わらぬ。相手が図体のでかい大物であるなら、徐々に体力を削っていくのみであろうよ」

「やはり奇襲か」

「恐らくな」

獣人族特有の機動性と地の利を持っていて、奇襲戦法を採らないということは有り得ないと考えていい。問題となるのは、それが備えて凌げる類いのものかどうかである。

獣人族は魔術を扱う能力が低い反面、五感を含む身体能力のことごとくが、どの種族よりも遥かに高い。即席の防壁程度なら容易く突き破る膂力を前に、打てる対策などたかが知れている。

「……やはり地道に迎え撃つしかないか」

結局のところ、そういう結論に至るしかなく、アールマンは小さく頭を振った。

翌日、構築中の陣城にイーヴィス兵五千、グラン兵五百を残してアールマンたちは行軍を再開した。

幾度も踏み均され、道らしい道も無かった薄茶色の平原に、砂地を指でなぞったように痕跡がくっきりと残されていく。

「惜しいですね。これが戦のための行軍ではなく、季節が夏であれば、よい遠足となったでしょうに」

青々とした草原の隆盛を思い浮かべるように、アールマンの隣で馬に騎乗しているシアンが深呼吸した。

「確かに良い土地じゃな。イーヴィスの田畑に溢れた光景も悪くはないが、やはり手付かずの自然というものは精神に潤いをもたらす」

反対側からアルクが同意を示す。山に囲われ、草地に縁の薄いグランにとって、枯れ草とはいえこれほどの生命の息吹を感じられる場所は、宝玉などよりも高い価値がある。

陣城に残した五百の兵とは別に、彼が連れてきた兵は約一万。イーヴィスの五分の一もない国土を鑑みると、一万人もの兵をよく集めてきたものだと感心せざるを得ない。

「ハイビスでは田畑を耕して糧を得る、なんて暮らしをしていないからだろうな。ここでは家畜を飼い、それらを加工したものを食している。国の大半を覆うほどの平原地帯、一から耕すよりは牧畜に専念した方が効率が良い」

イーヴィスでも牧畜は行っているが、ハイビスのような積極性はない。何事にも向き不向きというものがあるのだ。

アールマンの見解を聞き、アルクが渋面を作る。

「お前な、もっと素直に感想を言えんのか。良いものは良い。美しいものは美しい。それでよかろうに」

「俺たちは国取りに来ているんだぞ。感傷に浸るのは後でいくらでも出来る」

「これは感傷ではなく情緒と言うのだ。頭の硬い男は大成せんぞ?」

冗談っぽく言うアルクにシアンは苦笑いを浮かべ、アールマンは鼻を鳴らした。

その時である。

「報告致します!」

「どうした」

後方から走ってきた伝令兵に、アールマンが馬を止めた。

「後方の部隊に敵襲がありました!」

「ありました……?」

妙な伝令に首を傾げるアールマンたちに、兵士が続ける。

「敵は少数で味方二十余名を負傷させた後、速やかに撤退しました!」

「……なるほど」

一当たりしてすぐに退かれたのでは、過去形で語らざるを得まい。納得したアールマンは、兵士を労うと同時に負傷兵を陣城に送るよう命じた。

「どう見る」

言伝てを後方の部隊に伝えるべく走り去った伝令兵を見送り、アルクが話し掛けた。奇襲にしては損害が軽すぎる。軍全体で見ればかすり傷ですらない。

「挨拶代わり、といったところか。あちらの迅速さを見せ付ける意図もあっただろうな」

指揮官の元へ奇襲の報告が渡る頃には既に退いた後とは、呆れた身軽さだ。被害を受けた部隊は応戦する暇もなかっただろう。

「予定より早いが、このまま鴨にされるのも癪だ。アルク公、東を任せる」

「うむ、よかろう」

一度行軍を止め、アルクがグラン兵とイーヴィス兵一万づつを率いて本隊から別れ、東の森へと進軍する。目的はアールマンたち本隊の軽量化と、東の森に潜む妖精族への牽制である。

さらに五千の兵をウルク湖岸に駐留している部隊へ送り、合流後に北上させてイスカとの国境を睨んでおくよう指示を出しておく。これでイスカは更に動きにくくなるだろう。

この時点でおよそ五万となったイーヴィス軍本隊は、陣形を奇襲に対抗しやすいよう方陣──正方形の陣──に切り替え、先頭にリィンと後方にシアンを置いて進軍を再開した。

周囲を方円の形に守られ、アールマンは小さく息を吐いた。

「想定していたよりも事の推移が早いな。わかっているつもりだったが、連中の動きは予想よりかなり速い」

アールマンの考えでは、ハイビスがこちらに対して何かしら仕掛けるのは明日辺りであった。しかし、少人数とはいえ奇襲を成功されてしまい、相手が利すると分かっていても時間をかけて再編成せざるをえなくなった。

「攻め手というのも、ままならないものだな」

こちらの甘さの割に損害が軽微だったことを幸運に思うべきかと、自嘲するアールマンに再編後から側についているラビが励ますように声をかける。

「陛下は今回のように大軍を率いた遠征の経験が無いのですから、多少の不備は仕方ないです。教訓を得たと思って割り切った方がいいと思います」

「同感。元々、一筋縄にいくはずがないことは想定内なんだし、気にするほどのことじゃないと思う」

シロにもそう言われ、アールマンは苦笑した。

「お前にまで慰められるとはな」

「大将が暗いと全体の士気が落ちる」

本音か照れ隠しか、なかなか外套の内側の表情を読ませない少年はアールマンの皮肉にそんな言葉を返した。

その後は新たに奇襲を受けることはなく、野営して夜を明かした。

何事もないまま二日、三日と行軍は続き、砦や支城のような障害もなく、予期された奇襲も最初の一回きりと、警戒体制ではあるものの戦らしい雰囲気を感じられない一般兵の間には、倦怠感にも似た空気が漂い出した。

どれだけ歩いても景色は変わることもなく、鎧や武具は備えたまま。飽きるのも当然である。

『このまま決戦まで何も起こらないのではないか』といった意見が出ても不思議ではない。

しかし、リィンやシアン、アールマンのような兵を率いている者にしてみれば、今の状態こそがとても危ういということが共通の認識だった。

「これを狙っていたのだとすれば、獣人族というのも中々に(したた)かですね」

後陣を預かるシアンが、現状に対する感想を漏らす。

この数十年、ハイビスから他国に攻めたことはあっても、他国から攻められたという記録はない。

守勢に回った際のハイビスの動きに関する資料が極端に少ないのが、この状況を作りだした要因である。

攻勢であれば烈火の如き猛攻を見せる獣人族が、ここまで消極的に動くとは予測出来なかったのだ。

士気が下がり、油断の生まれた軍を立て直すのは難しい。宴を催し、兵を労い、漂う空気を入れ替えることが出来れば良いのだが、そのような隙を相手が見逃すはずがない。

「いっそのこと、早々に仕掛けてくれれば」

と呟きかけたその時、前方から走ってくる者があった。

「敵襲!敵襲ー!」

そう叫ぶ兵に、シアンは「口は禍の門」と溜め息を吐いた。

中軍にも、同じように溜め息を吐く者がいた。誰何を問うまでもない、総大将アールマン・ハイトンである。

「まさか、真正面から来るとは」

普通、奇襲とは側面もしくは背後から行うものだ。真正面から向かってくるなど、それはもはや不意討ちとは呼べない。

であるのに、今回は奇襲として成立している。それはなぜか。

一つは軍全体の士気が落ちていて、その気はなしに警戒心が薄れていたこと。二つ目に、相手の姿を認めてから接敵までの間がほとんど無かったことだ。簡単に言うと、敵部隊の進行が尋常ではなく、とても速かった。

そして三つ目。奇襲部隊は一つでは無かった。最初の一部隊を皮切りに、続々と敵が現れ始めたのだ。それも多方面から。

「右翼前方、撃て!」

アールマンの命令を受け、魔術兵が一斉に魔弾を発射する。

弓なりに打ち出された魔弾は、味方兵を飛び越えて地面に着弾した。爆発によって作られた穴を、獣人たちが次々に飛び越えていく。

「当たらないね」

馬の背に足をつけ、立ったまま戦況を観察していたシロが言う。

「場所が悪いな。遮蔽物の無い平地では動きの速い相手を狙い撃つのは難しい」

魔術兵のほとんどは騎乗していない。故に味方に射界を遮られ、アールマンの指示を頼りにおおまかに打ち出すしかない。

──アーワォワォワォワォワォワォ!

時折聴こえてくる妙な音は、獣人族の掛け声らしい。甲高い声を上げながら口を叩くようにして音を出しており、一種の暗号なのか、こちらが魔術を行使する動きを見せるとあの音を合図に挙動が変化する。

「左から追加。五百くらい。二十秒かな」

「詠唱、急げ!」

物見役のシロの報告に、アールマンが指示を飛ばす。

ハイビス兵は次々に現れており、まるで巨獣に襲い掛かる狼の群れのようだ。一部隊毎の兵数は多くないが、動きが速いために仕留めるのに手間取り、苦戦しているうちに別の部隊が噛み付いてくる。

アルクは「連中にとって戦は狩りと同じ」と言っていたが、まさにその通りだ。

同じ感想を、前線で指揮を執るリィンも抱いていた。

「単身で挑むな!組になって戦え!囲い込んで機動力を削ぎなさい!」

自身も剣を振るいながら指示を出す。

──アーワォワォワォワォワォ!

しかし、十全と言い難いイーヴィス兵の動きを相手の連携が上回る。

ハイビス兵を囲って仕留めようとすると、必ず仲間が外側からハイビス兵を拐うように拾って背に乗せ、戦闘圏外から離脱して「く」の字を描くようにまた戻ってくるのだ。

「まったく、しつこい!」

仲間を陣中へと放り投げた獣人を切り捨てる。入り込んだ敵兵の処理は部下に任せ、リィンは次の敵へと向き合った。

「せやあぁ!」

突き出される凶爪を避け、脇下に剣閃を踊らせながら、リィンは感じている違和感に対して考察する。

──奇襲戦法にしては、粘りすぎではないか。

こちらが立ち直りを見せている以上、戦闘を続行しても被害が増えるだけだ。既に撤退していてもおかしくないというのに、敵は退く気配を見せるどころか数を増して勢い付いてきている。

考えられるとすれば、時間稼ぎくらいか。

本陣に伝令を送るべきか、と逡巡しているうちに、リィンはその機を逸したことを悟った。

地震の前兆を思わせる微震動。前方に薄く広がる砂煙。

誰にともなく、リィンは声を荒らげた。

「本陣に伝令!敵の本隊が来るぞ!」

叫んだ後でリィンは舌打ちする。ようやく敵の狙いが読めた。

今回の奇襲の目的は、こちらの動きを鈍らせることなのは間違いない。しかし、本命はイーヴィス軍の視野を狭くすることにあったのだ。

奇襲部隊が時間を稼いでいる間にこちらが放った斥候をしらみ潰しに排除し、本隊が進軍する。途中で数が増えていたのは、こちらの斥候を狩った後に合流していたからだろう。

通常、敵の本隊が動き出せば、それを見張っている斥候から報告が入る。それは排除しようとして、しきれるものではない。

斥候が一人や二人ならば可能かもしれない。しかし、馬に乗った相手複数人複数組を始末するには、馬の脚力を上回る脚が必要になる。

もし斥候を排除しきったとしても、報告のために交代要員が送られるため、一定時間しか敵を欺くことが出来ない。一刻、もしくは半刻、早ければ四半刻が経過すれば、動きを悟られることになる。

獣人族身体能力があったからこそ成し得た、迅速こそが要となる戦術だ。全ては、平地続きの平原にありながらも本隊の接近を悟らせないための策。

かくしてハイビスの企みは成功し、万全の備えで向かってきている。

「弓兵、歩兵の後ろにて構え!歩兵は壁となり、張り付いている敵の突破を許すな!気合を入れよ!」

『応!!』

あの勢いのまま突撃を許せば、鎧袖一触とばかりに陣形が崩壊するのは目に見えている。

リィンが命じると、イーヴィス兵は鬨の声をあげて一気にハイビス兵を押し返した。その後ろに弓兵が列を作り、弓矢を番えていく。

「ォラアァァァァア!」

一時は怯んだハイビス兵も、味方を安全に引き入れるべく、雄叫びを上げながら射撃を阻止しようと突入を試みる。が、元々数では優位にあったイーヴィス兵の守りを破ることは出来ない。

「放てぇ!」

リィンの合図に、大量の弓矢が射ち出される。降りかかる矢の雨に、意気軒昂であったハイビス本隊も勢いを弱めた。

「総員、迎え撃てぇ!」

「おおぉ────!」


「上手くいったな、親父!」

齢八十を越えてなお、健脚を誇る己の脚で草原を駆ける獣の王リア・コニーに、養子である息子ルキ・コニーが隣を走りながら声をかける。

リアは浮き足立つルキを一瞥し、叱責する。

「気を抜くな。相手は勝つために砦を囮に使い、爆破するような埒外の輩だ。どのような策を秘めているか分からぬ」

リアが両軍対峙しての決戦を選ばず、策略を持って事に当たったのは、ひとえに相手の計略を警戒してのことだった。

イーヴィスを相手に陣を張る余裕を与えては、何を仕掛けられるか分からない。ハイビスは草原地帯。火計を仕掛けられる可能性もある。

イーヴィス軍の移動中に、罠を仕掛ける余裕を与えず、迅速に接敵するために、リアは今回の策を弄したのだ。

「敵に退く隙を与えるな!ここで叩き潰す意気で挑むのだ!」

「アーワォワォワォワォ!」

如何な手傷を与えても、相手の拠点にまで退かれては、せっかくの策が無駄になる。撤退させるにしても、建て直しに相当の時間が掛かるほどに手酷く打ちのめさなければならない。

檄を飛ばすリアの視界に、イーヴィス軍から放たれた矢の雨が映る。

「弓に構うな!突き進め!」

降りかかる矢を腕で払いながら、リアは突進を続ける。その勇ましさに続けと言わんばかりにハイビス兵も駆ける。


そして、両軍が激突した。

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