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第四章 ~獣の国~

天気は快晴。風も穏やか。

平時であれば絶好の散歩日和なのだろうが、残念ながらこの日のイーヴィス王城、そしてその城下町は、平時とは言いがたい異様な雰囲気に包まれていた。

既に日が上っているというのに通りを歩く人影は無く、通りに面した家の窓が開け放たれ、そこから何人もの顔が城下町を囲う外壁の外側を見つめていた。

彼らの眼差しの先、外壁の外にも市民が集まり、眼前に広がる光景を固唾を呑んで見守っている。

街道を埋めるのは、およそ七万の軍勢。

これからグラン公国へと向かう、イーヴィス勢の主力である。

これだけの数であるというのに、街道は山か海かというような静けさに満ちており、それは兵士たちがこの出征に対して平常心で挑めていることの現れのようでもあった。

「陛下、どうかお気をつけて」

兵士たちの視線の先、騎乗したアールマンに留守居役を任せられたファルン卿が頭を下げる。

「プーシと協力し、無理なく治めるようにな。何かあれば、例の方法で報せろ」

「はい」

ファルン卿が下がると、入れ替わるようにセリスとユウリが近寄ってくる。

「魔王さん、頑張ってくださいね。ユウリちゃんとお茶しながら待ってますから」

「いってらっしゃい」

「俺とリィンがいない間、我が儘を言って皆を困らせるんじゃないぞ?」

「……まるでいつも我が儘を言って困らせてるみたいな言い草ですね」

「ユウリが見てるから、大丈夫」

腑に落ちないと眉間に皺を寄せるセリスの手を握り、ユウリが胸を張る。

「ああ、頼んだ」

一瞬だけ笑みを見せたアールマンにセリスは茫然となり、ユウリは微笑み返した。

「…………んー?」

感じたことのない奇妙な空気に違和感を覚えたセリスは首を傾げるが、その正体が判然しないため、何を問うこともなくユウリと共に後ろに下がった。

後からウルク湖を渡る将や居残る将との挨拶を終えたリィンがアールマンの側にやって来ると、出発の時だと兵たちに改めて注視を呼び掛けた。

「これより、陛下から御言葉を賜る!心して拝聴するように!」

一拍の間を開けてリィンに促され、アールマンが口を開く。

「この遠征をもって、友国であるエンピス、グランの憂いを取り除く。大義は我らにこそある。迷うことはない、勇んで進め!」

『応!』

「進軍せよ!」

リィンの合図に、大軍がゆっくりと動き出す。民衆も歓声をあげて兵たちを送り出した。

──イーヴィス軍が進発を開始した丁度その頃。

先んじて本城を出ていたラビとシロはセペレ山脈を越え、ハイビスの大平原を歩いていた。

「見渡す限り何もないけど、このまま進んで大丈夫なのか?」

大平原との名に偽りなく、セペレ山脈を越えてからこの方、薄茶色の枯草以外に目に映るものはない。背後にあったはずの山脈は既に影すら見えず、方向感覚に自信のない者なら遭難しているのではないかと思えるほど、この平原には指標となるべきものが全くなかった。

「問題ないですよ。ハイビスの国長は生きている限り中原から動きませんから」

「どういうこと?」

「中原に墓があるんですよ。自分の子供たちの」

「……墓守か」

去った者の碑石を守るのは、残された者の務めだ。その務めを果たそうとする気持ちは分からないではない。

「まあ、その前にこちらが見つかるのが先でしょうけどね」

一人ごちるように呟いた言葉にシロは首を傾げる。が、その意味はすぐに理解できた。

進行方向から、土煙が上っている。それは徐々にシロたちへと近付いているようだ。

「………………」

目を細めてよくよく見ると、なにやら背の低い獣に乗った人影が見えた。

「しばらく、お前は黙っていなさい」

「ん、分かった」

従った方がよさそうだと判断し、シロは一歩下がって様子を窺う。

ほんの数秒後、土煙はラビたちの前で止まった。

「………………」

表情には出さなかったが、シロは彼らの組み合わせに驚いた。

騎手は獣人族であろうことは予測していたが、まさか背の低い獣と思っていた方も獣人族であるとは思いもしなかった。四つん這いになった獣人族が相方を背に乗せて移動してきたのか。

どちらも、体格ではシロとラビを大きく上回っている。

「同胞……ではないな。雑種に、人間か。何用があってハイビスの地に踏み入った」

騎乗していた方の獣人がラビを見て鼻を鳴らした。獣人族の血を引いていようと、歓迎するつもりはないらしい。

立ち上がった騎獣役も、ラビとシロをつまらなそうに見ている。侮られているだろうことは一目瞭然だった。

彼らの態度に対した反応を示さず、ラビは用件を伝える。

「私たちはイーヴィスの使者です。国長に謁見願います」

「ふん、雑種の国が何の用か。それを聞かぬ限り、考えるにも及ばぬわ」

「はあ……」

使者だと名乗ったにも関わらず、横柄な態度を崩さない獣人に、ラビはこれ見よがしに溜め息を吐いた。

「貴様、何か言いたいことでもあるのか」

見咎めた騎獣役が詰め寄ると、ラビは睨め付けながら言う。

「無いと思ってるんですか。躾のなっていない獣ですね」

「雑種の分際で……!」

ラビの挑発に頭に血が上ったらしく、騎獣役が腕を振り上げる。しかし、その腕が降り降ろされることはなかった。いつの間にか外套の内側から多節棍を引き抜いたシロが、棍を一繋ぎにして騎獣役の喉元に突き付けていたからだ。

「お、な、おゎっ」

不意の出来事に騎獣役は仰け反り、勢い余って尻餅をついた。その様子を見て、ラビが嘆息する。

「黙ってろと、言ったはずなんですけど?」

「魔王から、守れと言われている。言われた通り口は出さないけど、手出しもさせない」

「余計な世話です」

「勝手にやるから問題ない」

「こっちは問題ありなんですよ」

「お、前らぁ!」

口喧嘩に発展しそうな二人に、起き上がった騎獣役が目を血走らせながら怒鳴った。

「馬鹿にしやがって!食い殺してやる!」

「馬鹿にしてるのはお前たちでしょうに」

いきり立つ騎獣役に、ラビが突っ込みをいれる。

と、後ろで様子を見ていた騎手が騎獣役の肩に手を置いた。

「落ち着け。流石に殺すのは不味かろう」

「だがよ!」

詰め寄る騎獣役を押しのけ、騎手がラビの前に立つ。

「帰れ。ハイビスに災いの芽はいらん」

「……話が通じる相手かと思えば。やっぱりお前も獣人族ですね」

あからさまに落胆してみせるが、今回は相手が冷静だったので諍いには発展しなかった。

「まあ、いいです。案内しやすいように、自己紹介してやりましょう。私はラビ・コニー。お前たちの長、リア・コニーの曾孫です。四の五の言ってないで、さっさと爺様の所へ連れていきなさい」

一刻後、シロとラビは騎手と騎獣役──前者はスー、後者はビートというらしい──の背に跨がって、国長が居を構えているという集落へとやって来た。ビートは終始不服そうではあったが、国長の曾孫と聞いて逆らえるほどの度量はないらしく、大人しくシロを背に乗せていた。

集落には石や木で作られた家屋というものがなく、大小様々な天幕を並べたり繋げたりして住居として暮らしていた。

ハイビスでは部族間の紛争が多く、何かあった時には速やかに移動できるようにと、このような住居が一般的となっているのだという。

一際大きな天幕の前で待つよう言い残し、スーが天幕に入っていく。ビートは近くの柱に背を預け、不機嫌さを隠しもせずに二人を睨み付けた。

「で、大丈夫なわけ?」

横目でビートの挙動を観察しつつ、小声でシロが訊ねる。別に聞かれたくないわけでもないし、この距離で獣人族相手に内緒話など出来るとも思えないが、だからといって大声で話すような内容でもない。気分の問題だ。

「何がです?」

「何年振りかの対面なんだろ?平静を保てるのかって話」

シロに合わせて小声で聞き返したラビに、懸念とも取れる言の葉を返す。

「……問題ないですよ」

「ふうん」

一瞬言葉に詰まったのを見て、嘘だろうなとシロは思った。

本当に平静を保てると言うなら、先程もビートを挑発するような真似は控えられたはずだ。喧嘩腰の使者など、それこそ躾がなっていないと言われても仕方がない。

その辺りを問い詰めても良かったのだが、流石に監視されている中で口論を起こそうとは思わない。叱るのは同僚ではなく上司の役割だろう。

天幕の入り口が開き、顔を出したスーに中に入るよう促される。

ラビとシロが入り口を潜ると、中に敷かれた絨毯の向こう側に瞑目して座する老人の姿があった。

彼がハイビスの国長リア・コニーだろう。

ラビと同じく白い肌をしているが、細身の曾孫と違ってリアは老体とは思えない筋骨隆々とした体格をしている。生えるに任せているらしい白い髪と髭は、境目が失せて顔を覆う鬣のようになってしまっている。

ラビたちが用意された(ござ)に腰を下ろすと、ゆっくりとリアが目を開いた。

エンピスの老将を熊、グランの大公を樹と例えるなら、この老人は岩だ。長い年月を経て苔や草を生やしつつも、芯の部分では何者にも侵しがたい鋼にも似た強い信念を持っている。

──どうしてこう、こっちのじいさんには普通なのがいないんだろうな。

雰囲気や目力等から老人の性質を予想し、シロは内心で溜め息を吐いた。

「久しぶりですね、爺様。まだ生きてたとは驚きですよ」

「不良娘めが、今更何をしに戻ってきた」

否応なしに相手を畏縮させるような、嗄れた声で老人がラビの失礼極まりない挨拶に応えた。

「聞いているでしょう?イーヴィスの魔王陛下からの使いですよ。これが書簡です」

「おい」

控えていたスーに声をかけ、書簡を受け取らせて手元まで運ばせる。封を解き、書状に目を通したリアは、視線をラビに向けて問い掛けた。

「……お前、この書状の内容を知っているのか?」

「詳しくは知らないですよ。でも、予想はつきます」

「そうか」

リアが大きく息を吐くと、なにやら表が騒がしくなった。リアの視線が入り口に向くと、慌てているのか転がり込むようにして獣人族の青年が飛び込んできた。

「親父、大変だ!」

「騒がしいぞ。客の前だ。落ち着け」

リアを親父と呼んだ青年を、ラビが目を見開いて凝視する。

リアの子は娘一人だったはずだ。男児がいたなんて聞いた覚えがない。

いくら観察しても、その顔には見覚えすらなかった。

「誰、ですか」

「養子だ。どこぞの小娘が姿をくらましおったからな。跡を継ぐものは必要だ」

そう言うリアに、青年はラビたちのことなど見えていないかのように駆け寄った。

「大変だ親父、大変なんだ!」

「落ち着けと言っている。周りをよく見ろ」

二度目となる言葉に、青年はようやくラビたちに気が付いた。

「誰だ、こいつら」

「客だ。で、何が大変なのだ」

「ああ、そうだ。大変なんだ!イーヴィスのやつらが、武装してウルク湖を渡ってやがるんだ!俺たちが止めようとすると、魔物がハイビスから来たからとかなんとか言いやがって……!」

狼狽する青年の話を聞き、リアは眉間に皺を寄せて溜め息を吐いた。

「なるほど。お前たちの王は、ハイビスが欲しいのか」

「他国の領地を欲しがってるのは爺様たちでしょうが」

二人の会話に、青年が勢いよく振り向いてラビを見る。ラビたちがイーヴィスの使者だということに気付いたようだ。

「お前らぁ!」

背中は全身の毛を逆立てると、牙を剥いてラビに飛び掛かった。しかし、先程のビートと同じくシロに阻まれる。

「獣人族っていうのは、皆こんななのか?」

相手が勢い付いていたため、寸止めではなく青年の胸を打ったシロは、片膝を突いたままの体勢で棍の間接を外して外套に戻した。

「暗器か。若いのに器用な真似をする」

感心するようなリアに、胸を押さえた青年が詰め寄る。

「親父、なんでそんなに冷静なんだよ!こいつら魔族なんだろ?なら敵じゃないか!」

「落ち着け」

「でも……!」

四度目となる宥めの言葉に青年は応じる様子もなく、なおもラビを指差して言葉を続けようとする。

リアは静かにその頭を鷲掴みにし、思い切り床に叩き付けた。

「落ち着けと言ったぞ。ここは謁見の場だ。誰がお前に余分な発言を許した」

「ご、べ、ん」

声のくぐもった謝罪に、リアは手を離す。

「主人に伝えろ。ハイビスは弱肉強食の国だ。言い分を通したければ力を見せろ」

「……それが、爺様の答えですか」

「これが、お前たちが望む答えであろうよ」

もう話すことはないとでも言うように、リアは目を瞑った。

「シロ、行きますよ」

この場に留まる意味はもうないと、ラビもシロを連れて天幕を出ていった。

二人が出ていったのを見計らい、スーがリアに話し掛ける。

「帰してよろしいのですか?」

「無事に戻れるかはやつら次第。お前は他の部族に呼び掛け、兵を集めろ。その後、山を越えてくる連中を歓迎してやれ」

「了解」

頷いたスーは、ついでとばかりに鼻を押えている青年を外へと連れ出す。

一人残ったリアは、平原を駆けているであろう孫娘に向かって小さく呟いた。

「馬鹿者めが」


「ちょっと、なんで走ってるわけ!」

集落を出た途端に駆け出したラビを追うシロが、声高に話し掛ける。

「前に話したでしょう!獣人族は身内には寛容ですが、敵対する者には容赦しないんです!ラビたちが敵国の使者だということが広まれば、追手に動くやつらが出てきます!」

振り返らずに応えるラビに、シロが目を丸くする。

「はあ?あんた、あのじいさんの孫なんだろ!なんで追手なんかが出てくるんだ!」

「血筋がどうあれ、連中は裏切りには特に厳しいんです!だから部族間の争いが絶えないんですよ!あと孫ではなく曾孫!」

「面倒な国だな!」

心の底からの叫びを上げ、シロは必死にラビを追い掛ける。全力ではないのだろうが、それでもかなりの速度だ。鍛えられているとはいえ、シロでも少々辛いものがある。

「まさか、このままあの山まで走る気か?」

「連中に捕捉されれば止まりますよ!」

「止まらざるを得ないの間違いだよな!」

ビートたちが現れた時のことを思い出す。獣人族は背に仲間を乗せたまま、馬か何かかと思うほどの速度で走れるのだ。

なるほど、ラビが急ぐ理由も分からないではない。

「でも、休みなしっていうのはキツいんだけど!」

「だったらお前一人で死ね!」

身も蓋もない言葉に、シロはついに閉口した。ずっとこの速度を維持するのだとしたら、無駄に体力を使うべきではない。

「ああ、もう」

最後に小さく毒づき、シロは走ることに集中した。

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