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三話 序章 ~牙を研ぐ者~

草木が散らす落ち葉も減り、ラピス大陸も雪が舞う季節になった。

大陸南方に位置するイーヴィスでもそれは変わらず、今も深々と灰色がかった雲から落ちてきた真白い結晶がゆらゆらりと空を泳いでいる。

イーヴィスの最南端にある潮風に満ちた港町でも同様に雪は降り、停泊している船の縁にも僅かではあるが、積雪が見られた。

「はあ」

港町の一画である波止場に一人で立ち、波間に呑まれる雪を眺める黒髪金眼の青年がいる。黒色の外套を身に纏った青年が吐いた息は一瞬だけ白く色づき、すぐに空気に溶けて消えていった。

「はあ」

戯れに白息を吐く青年の名はアールマン・ハイトンという。

イーヴィスの若き王であり、国境を接するエンピス王国との合戦に打ち勝ち同盟を締結させ、グラン公国を含む三国の盟主となった人物である。

彼が拠点である王城から離れ、この港町へと足を運んでいるのは、暇潰しでも職務放棄でもない。

先日起きたとある事件により、大陸最大の湖であるウルク湖が毒素に侵されてしまい、恵みを獲ることが叶わなくなった。このままでは国内に魚介類が回らなくなる恐れがあるため、その穴埋めを頼めないか打診しに来たのだ。

「はあ」

はっきり言って、交渉は難航している。

一見すると穏やかに見えるが、冬の海は荒れやすく、陸地から離れるほど潮の流れも複雑に、そして速くなる。更には外洋に出ようとすると、大陸を囲う巨大な海流に飲まれて帰還することが叶わない。国のためとはいえ、命懸けとなる漁に出ようと漁民に思わせるには、相応の見返りが必要なのだ。

「あ、ここにいた」

アールマンよりも頭一つ背の低い少年が、波止場に佇む青年を見つけて歩み寄ってくる。

彼はシロと名乗っており、ウルク湖が毒素に侵された事件の関係者だ。

異世界からの来訪者──〝旅人〟という身の上であるが、縁あってアールマンの家臣としてイーヴィスに身を置いている。

目深に被った白い外套は、魔法使いから貰ったと嘯いている通りの特別製らしく、雪濡れの染み一つ付いていない。

「長老が戻ってこいって。やっと纏まったみたいだ」

長老というのは、イーヴィスの治水や災害を取り仕切る大臣であるプーシ卿の通称だ。イーヴィスを最もよく知る者として官吏からの信頼も厚く、アールマンも頼りにする宿年の臣である。

「そうか」

思ったよりも早かったなと、アールマンは踵を返して港湾に背を向ける。

「勝手に集会場から出ていったこと、後で説教するって笑ってたよ」

「……そうか」

一瞬足が止まりかけたが、仕方ないかと歩を進める。

自分がいると漁民が本音を出さず、話も進まないだろうと話し合いが始まって早々に場を離れたのだが、プーシ卿的には減点評価だったらしい。

「それと、これ。あんたを探してたら鳥が飛んできた」

そう言って渡されたのは、小さく畳まれた手紙だった。

鳥とは比喩でもなんでもなく、空を羽ばたくあの鳥である。鳥を使った情報のやり取りは馬を走らせるよりも速いのだが、持たせられる質量に制限があるため、緊急性の高い用事か些細な用事のどちらかにしか用いられていない。

はてさてどちらかなと、気軽に手紙を広げる。

「──……ほう」

内容に目を通したアールマンは、目を細めて小さく唸った。

シロは妙な反応を示したアールマンを一瞬だけ見上げるが、さほど興味はないのかすぐに顔を正面に戻した。

手紙を折って衣嚢に入れ、集会場の前に着いたアールマンは戸を開いた。集会場に入ったアールマンを、二人の視線が出迎える。

「戻ったぞ」

「陛下、お待ちしておりました。どうぞこちらへ。証文の準備は出来ております」

二足歩行している山羊のような小柄の老人──プーシ卿に案内され、集会場の奥の椅子に腰掛ける。

目の前の机に並べられた二枚の書類を持ち上げ、内容を確かめる。流石と言うべきか、最終的な取り決め内容はこちらが提示できる予算内に収まっていた。

アールマンは一つ頷いて、漁民の代表者の男に確認をとる。

「確認するが、そちらはこの条件でいいんだな?」

「構いませんよ。こっちも、いつまでも駄々こねてるわけにもいきませんし」

いかにも海の男らしい日に焼けた筋肉質の腕を組み、ぶっきらぼうに言う。どことなく子供っぽい言いぐさに苦笑しつつ、頭を下げた。

「感謝する」

「やめてくださいよ。俺らは海に出るのが仕事なんです。金を出されて仕事してくれと言われちゃあ、働かないわけにはいかないでしょうよ」

頭を掻く男に「そうか」とだけ返し、アールマンは二枚の書類に署名と判を捺した。プーシ卿が書類をそれぞれ封筒に入れ、片方を漁民の男に渡した。

「漁の安全を祈っております」

「請け負ったからには、大漁旗掲げて戻ってきてやるさ。んじゃ、俺は他の村回ってくるんで失礼しますよ」

封筒で肩を叩き、アールマンに軽く会釈して男は集会場から出ていった。

「面白い男だ。ずいぶんと肝が据わっている」

「海と生きる者の多くは気が強いそうですからな。あれくらいでないと、海の上で船員をまとめることは出来ないのでしょう」

アールマンの感想に頷いたプーシ卿は、自身の所感を述べて主へと向き直った。

「さて、陛下。この老骨めに仕事を押し付けた後、御身は一体何をしておられたのですかな?」

にこりと笑みを浮かべ、プーシ卿が問う。アールマンは『来たか』と顔をしかめた。

「俺がいない方が話も進みやすいと思ってな。適材適所というやつだ」

「確かに、そういう見方もありましょう。しかし、質問の答えになっておりませんぞ?」

笑顔の奥から滲み出るとてつもない威圧感が、小柄なはずのプーシ卿の体を大きく見せる。アールマンはたじろぎながらも、先程シロから受け取った手紙を衣嚢から取り出した。

「と、鳥から、これを受け取っていた」

「ふむ。本当ですかな、シロ殿?」

プーシ卿が入口の横で壁にもたれ掛かっていたシロに目を向けると、シロは知らないとでも言うように無言で肩をすくめた。

「まあ、よいでしょう。それはそれとして陛下。適材適所と仰るならば、交渉の席において民の声を直に聞くというのも、王の務めの一つにございます。見聞を広げるためにも、今回のように開始早々に離席することは控えてくださいませ」

「……分かった」

結局、しっかりと釘を刺されたアールマンは叱られた子供のように意気消沈しつつ頷いた。 その反応にプーシ卿は満足そうに笑みを浮かべて、ところで、と視線を主の手元へ向ける。

「して、その手紙には何と?」

「ん、ああ。……ここでは場所が悪いな。馬車の中で話そう」

「ふむ、大事ですかな」

「ああ。──ラピスの中原を侵す、大火の火種だ」

先程とはうって変わった冷静な声色に、プーシ卿はアールマンの胸の内に灯る炎の色を垣間見た気がした。


「この手紙には、以前から調査を進めていた、ある可能性についての答えが記されていた」

揺れ動く馬車の中、アールマンは指で摘まんだ手紙を、シロとプーシ卿の前でちらつかせるように軽く振った。

「まずは順を追って、その可能性とは何かから説明しよう。二人とも、イーヴィスがエンピスの地質改善に取り組んでいるのは知っているな?」

頷く二人に、アールマンは手紙を衣嚢に戻して両手を膝の上で組んだ。

「当初はただの栄養不足だと思っていたのだがな。土を掘り返し、肥料を混ぜ、栄養剤を投与した上で作物を植えてみても、たいした成果が上がらなかった。更に精密に調査を進めた所、不作の原因はもっと根深い場所にあることがわかった。エンピスには、生命の糧となる魔力が極端に少なかったんだ」

「……?魔力が少ないと不作になるのか?」

既知のことだったのか頷くプーシ卿の隣で、シロが首を傾げる。この世界の仕組みを把握しきれていないシロに、プーシ卿が説明する。

「この世界には龍脈という、血管のように入り組んだ魔力の流れが存在します。その龍脈から漏れ出す魔力は作物の成長を促すのですよ。魔力を多く含んだ土地では作物はよく育ち、逆に魔力の少ない土地では、よく手入れをしても枯れてしまうことだってあるのです。魔力とは生物を構成する要素の一つと考えてもよいでしょう。付け加えると、魔力の多い土地では優秀な魔術師が生まれやすい傾向にあります」

「ふうん」

シロが納得を示したところで、アールマンが話を再開する。

「エンピスは広い割に龍脈が少なく、魔力含有量の少ない土地だ。だから魔術文化が発展しない代わりに、魔術神経を持たない人間族でも一大勢力を築き、維持することが出来た。しかし二十年ほど前から、作物の育成が遅れ始めた」

これは現エンピス王ブランに資料を漁ってもらって判ったことだ。ある時期を皮切りに、年々収穫量が減少し始めたのだという。

前エンピス王も食い止めようと策を尽くしたらしいがその成果は乏しく、無意を悟って自国の収益を見限ってイーヴィス侵攻を計画した。

「問題は『どうして魔力が枯渇しているのか』だ。魔力は空気と同じく循環するものだというのに、ただ減るだけということは有り得ない。元になる龍脈が枯れでもしない限りはな。有識者と話し合った結果、一つの可能性に行き着いた」

──どこか、別の国がエンピスから魔力を奪っているのではないか。だからエンピスにある龍脈だけでは補填が効かずに枯渇するという事態に陥っているのではないか。

「どういう仕掛けなのかは分からなかったが、いつ仕掛けられたのかはすぐに予想がついた。収穫が減り始めた年だ」

「まさか……」

ここまで聞いて手紙の内容に予測がついたのか、プーシ卿が顎髭を撫でて呟く。

「俺はかエンピスにある竜脈の流れを調べさせ、漏れ出た魔力の流れを追わせた。その調査の結果が、これだ」

再び衣嚢から手紙を取り出し、広げて見せた。

『湖』

たった一文字であるが、それだけでプーシ卿は予測は正しかったと目を伏せた。

唯一理解していないシロだけが、また首を傾げる。

「どういう意味?」

「そのままの意味だ。湖とはウルク湖を指す。エンピスを除いて、ウルク湖に面する国は三つだ。その内の二国は除外出来る。何処だか分かるか?」

「……ああ、分かった。イーヴィスとイスカだ。エンピスと陸続きの二国を表すのに、わざわざ『湖』と記す必要はない」

ようやく答えに行き着いたらしく、シロも得心がいったように何度も頷いた。

「そうだ。そして二十年前という数字も、連中に関わりの深い数字だ」

二十年前。アールマンがこの世に生を受けるよりも前に、ラピス大陸南部で戦争があった。

戦場は〝竜の国〟グラン公国。自然の要害であるセペレ山脈を越えて侵攻してきた外敵に対し、ほぼ独力でこれを退けた。

外敵の名は、〝獣の国〟ハイビス。

ラピス大陸随一の大平原を有する、弱肉強食の地である。

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