番外編 ~愚者の心得~
これは、魔族と人間族が雌雄を決する大戦より三年も前の話。一人の少女にとっての恥じ入るべき過去であると共に、誇るべき運命の出会いである。
「はっ、は、ふっ、はっ、はっ」
ラピス大陸の南部、〝獣の国〟ハイビスと〝竜の国〟グラン公国の国境を隔てるセペレ山脈。その切り立った崖のような岩肌は、グランを守る天然の要害であり、対するハイビスにとっては迷惑至極な落石警戒区域である。
「はっ、ふ、はぁ、ふ、はっ」
しかし今、この山脈は東から流れてきたと思われる魔物の巣窟となっており、ハイビスの民はおろかグランの民すらも、容易に立ち入ることが出来なくなっていた。
ただでさえ険しい山道の中で、縦横無尽に駆け回る魔物を駆除することは難しく、両国共に手をこまぬいていた。
「はぁっ、くっそ、野良犬風情がっ」
そんなセペレ山脈の中腹を、一人の少女が駆けていた。
極力風の抵抗を受けないよう作られた布地の少ない衣服には、所々にほつれが見られ、赤い斑点に染まっている部分もある。
顔や腕、腹に裂傷を抱えつつ、少女は追っ手を撒こうと懸命に山肌を蹴り続けていた。
しかし、この山は既に彼らの庭だ。
血の臭いを漂わせる獲物を取り逃がすことなど、万に一も有り得ない。
「オォォォオオオ────!」
そう遠くない場所から、遠吠えが鳴り響いた。
頭の中では警鐘が鳴り止まない。当たり前だ。彼女は死地にいる。逃れ得ない恐怖が背後に追い縋っていた。
「はっ、はっ、くそっ、くそっ、くそっ!」
死にたくない。その一心で、少女は道なき道をひた走る。足を止めたが最後、連携を取り合う狩人たちに囲まれ、喉笛を噛み千切られて死ぬだろう。
先程対峙した獣の息遣いが、耳元にこびりついている。もしかすると、後ろを振り向けばすぐそこに迫ってきているのかもしれない。
「やだ、やだ、やだ、やだ」
視界が滲む。
途中までは順調だったのだ。一族に、曾祖父に認められようと山に入った。見つけた魔物を一匹仕留めた。あとはその死体を持ち帰れば、目的を果たせるはずだった。
しかし、仲間の血の臭いを嗅ぎとった他の魔物に襲われて狩る側から狩られる側へと立場は逆転し、今や生と死の瀬戸際に立っている。
「ォオオオオ──!」
新たな遠吠えに、少女はついに足を止めた。
今の声は、少女の行く手から聞こえた。
終わったと、少女の目からついに滴が零れた。
「ひっ、く、ふぅ」
頭の上についた耳は、少女に事態の残酷さを余さずに伝える。魔物たちの包囲は完成し、じりじりとその輪を狭めている。
一対一ならば少女にも勝ち目はある。しかし、彼らの本領は群れでの狩りだ。その手強さは既に身に染みている。
「オオォ──!」
咆哮と共に、数体の獣が岩の影から躍り出る。
──赤い血飛沫が、少女の視界を染め上げた。
「──今のは」
遠吠えとは違う、獣の鳴き声。一拍遅れた女の悲鳴。
黒髪の少年は睨むように空を見上げ、己の従者に命令する。
「急げ!」
「はっ!」
彼の忠実な僕は赤い髪を馬の尾のようになびかせ、地に残る無数の足跡を追っていく。
「間に合うか……」
腰の小袋からいくつか魔法石を取り出しながら、少年も従者の後を追った。
誰かが魔物の群れから逃げているのは分かっていたが、この山道を走り回る相手を救出することは難しい。出来うる限り迅速に追っていたのだが、彼らが追い付くより先に狩人に襲われてしまったようだ。
「っ!」
少年が広い岩場に出ると、そこは既に血の海と化していた。
十は軽い数の魔物が群れをなして倒れ伏す少女を囲み、先行していた少年の従者の周りにも斬られた魔物の死体がいくつか転がっていた。
「耳を塞げ!」
少年はそう叫ぶと、すぐに手に持った魔法石に魔力を込め、魔物の群れに向かって放り投げる。
飛来する魔法石を見上げていた魔物たちを、爆音が襲った。
突然の大音に魔物たちは皆硬直し、三半規管に異常を来したのか、揃って千鳥足を踏み始めた。
主人の命令に従って耳を塞いでいた従者は、これを好機と見てふらつく魔物を斬り捨てて少女を抱いて魔物の輪の中から脱出する。
「──────」
少年もただ見ているわけではない。小声で呟くように詠唱し、従者が少女を救出したのを見て、両手を突き出して残った魔物の群れに狙いを定めた。
両の手のひらを中心に魔法陣が現れ、噴き出すように湧いて出た炎が、前後不覚に陥った狩人たちを呑み込んでいった。
「リィン、そいつ生きてる?」
取りこぼしがいないか、耳をそばだてる少年の問いかけに、リィンと呼ばれた赤毛の従者が答える。
「はい。一応、といったところですが」
「寸でのところで間に合ったか。獣人らしいしぶとさだ。──その子をこっちへ。リィンは周囲の警戒と、発煙筒の用意を」
緊張の糸がほどけない程度に息を吐き、頭の上に突き出た血まみれの獣耳を見つめながら、リィンから傷だらけの少女を受け取る。
元は白雪のようであったのだろう肌は、獣の噛み傷や引っ掻き傷によって余すところなく血で染まっており、急ぎ手当てをする必要があると分かった。
「手持ちの石で足りるか……」
もしもの時のためにと、多目に治療用の魔法石を持参してはいるが、ここまで傷が多く出血が酷いと不安が残る。駐留している集落にまで戻れば予備があるものの、状態を見るに集落へ戻る暇はないだろう。
「考えるより先に行動、か。やるしかあるまい」
少女を地面に下ろし、小袋から取り出した魔法石に魔力を込めると、少女の体を仄かな光が包み込んだ。
筆頭軍医が手ずから魔術を練り込んでいるとはいえ、魔力を操れる者ならば誰にでも扱える魔法石では、程度が知れている。質よりも量とばかりに、少年は次々に魔法石へ魔力を注入しては少女の周囲へと置いていく。
「──────」
手持ちの十三個全てを配置し、少年は少女に手をかざして詠唱を開始した。治療魔術は得意ではないが、ただ見ているよりは増しなはずだ。
「目の前で死ぬとか、目覚めの悪いことだけはしてくれるなよ……」
………………。
…………。
……。
「………………ぁ」
少女が目を覚ますと、木板の天井が視界に映った。自身を襲っていたはずの獣たちの姿はどこにもなく、寝台に横たわっているから夢でも見たのかと思えば、身動ぎ一つでひりつくような痛みに全身が痺れ、現実であったことを理解する。
「ん、起きたか」
少女が状況を把握しようと頭を働かせていると、近くから男の声が聞こえた。そこでようやく、自分以外の何者かが室内に居ることを知った。
「……耳が、遠い」
「千切れかけたのを引っ付けたんだ。しばらくはまともに機能しないだろうな」
呟くように漏らした感想に男が答えた。
少女は体を起こして声の主を探す。そうして見つけたのは、黒髪金眼の少年だった。
「……人間族?」
「いや、魔族だ。よく間違われる」
魔族と名乗り、肩を揺らす少年を改めて観察する。
黒を基調にした衣裳は華美でこそないが、それなりによい生地が使われているのか庶民のそれとは違う雰囲気を醸し出している。軍服と言われればそう見えるが、正装と言われてもしっくりとくる。
武闘派というほどの体つきではなく、帯剣もしていない辺り、戦闘を生業にしている者ではないのだろう。
おそらく魔族の中でも上位に位置する者なのだろうと、少女は推測を立てた。
「おまえがラビを助けたのか」
「そうなるね」
ようやく会話らしくなったと、少年が笑みを見せる。冷ややかな気持ちでそれを見つめ、己をラビと呼んだ少女がまた口を開く。
「ラビを、手籠めにするつもりか」
「…………なに?」
「好きにすればいい。ラビにはもう、帰る場所もない」
力を示すために単身セペレ山脈に乗り込み、返り討ちにあって深手を負ったラビを、一族はもう受け入れないだろう。ただでさえ、半端者だの忌み子だのと疎まれていたのだ。もし戻ったとしても、これをよい機会と見て、体よく彼女を追い出すに違いない。
「……はあ」
頭が痛いとばかりに額に手を当て、少年が嘆息する。
「お前、二世代目辺りだろう。配分は獣人が二に妖精が一。投げやりな態度はその辺りが原因か?」
ずばりと、自分の血筋を言い当てられ、少女が驚愕に目を見開く。
「立場上、魔族を見る目は肥えていてな。混ざりすぎると流石に分からないが、お前のはまだ分かりやすい」
そう言うと、人差し指でラビの顔を──正確にはその瞳を指差した。
「妖精族の血は目に出やすいんだ。お前のは多少薄れてはいるが、赤みが強く残っている。少なくとも、祖父母の代で妖精族と縁があったと見るべきだ」
さてどうだ、と目を細める少年に対し、ラビは小さく頷いて俯いた。
少年の言う通り、ラビの祖父が妖精族の祖母を娶ったのだと聞いている。そうして縁戚となった妖精族の協力を借り、グラン公国へと侵攻した。結果は敗北に終わり、戦争に参加していた祖父母は二人とも命を落とし、忘れ形見となったラビの母は曾祖父が育てることとなった。
その母もラビを産んで早くに亡くなり、ラビは寄る辺なく曾祖父に育てられてきた。
顔を伏せたまま上げないラビに思うところがあったのか、少年は腕を組んで少しの間瞑目した。
「……ふむ。帰る場所がないと言ったな。なら、俺がお前を拾ってやろう」
まるで捨て猫を拾うとでも言うように、少年が言った。
「………………」
驚いて顔を上げたラビの顎に、少年の手が添えられる。
「俯くな。前を向け。ハイビスがお前を捨てるなら、イーヴィスがお前を受け入れよう。どうせ自棄になるなら、命を救った俺に仕えてみろ」
仕えてみろと言われても、ラビは未だ少年の名すら聞いていない。しかし、縋るものを無くしたラビにとって、少年の勧誘はとても魅力的だった。
今まで生きてきて、曾祖父にすら価値を見出だされなかった。初めて、ラビを受け入れようと言ってくれた。
夜闇に点る炎に引き寄せられるように、ラビはその申し出に頷いていた。
「ラビ・コニー、です。よろしく、です」
「アールマン・ハイトンだ。今はよく休んで傷を治せ」
肩を震わせるラビの頭を軽く撫で、アールマンは部屋から出ていった。
部屋には、嗚咽を漏らすラビの声だけが残った。
小屋から外に出ると、通りがかった数人の竜人族がアールマンにお辞儀をした。
竜人族たちに軽く頭を下げ、アールマンは小屋の見張りをしている兵に「何者も立ち入らせてはならない」と命じて、遠征軍の陣地へと向かう。
ここはセペレ山脈グラン公国側の麓にある小さな集落だ。
アールマンはグラン大公からの要請を受けた父に命じられ、セペレ山脈に巣食う魔物の討伐の為にイーヴィスから兵を率い、この集落を拠点として任務にあたっていた。
集落側に陣を張り、山脈の地理を把握するために兵を分け、アールマンも部下を連れて山道を歩いていたところ、妙に気の立った魔物と遭遇した。それを片付けて首を傾げていたところに、魔物の死体を発見したという報せを受けて、自分たち以外に山に入った者がいると捜索を始めたのだ。
もしアールマンが兵と共に山に踏み込んでいなければ、ラビは人知れず魔物たちの腹に収まっていたことだろう。
間に合ってよかったと改めて息を吐き、陣地中央の大天幕へと足を踏み入れる。
「状況はどうだ」
「ああ、殿下」
大天幕の中では、赤色の長髪を後ろ手に束ねた女性が地図を睨んでいた。アールマンに気付くと地図から目を離して姿勢を正し、敬礼する。
「先日の戦闘で警戒しているのか、魔物は山奥に隠れてしまい、討伐には手間取るかと思われます」
「そうか」
アールマンたちを新たな敵と見定め、体勢を立て直す為に退いたのだろう。元は獣とはいえ、連中にも多少の知恵はあるということか。
「地の利は向こうにある。哨戒する兵には警戒を怠らないように言っておかないとな」
「ええ」
一度手痛い目にあわせた以上は向こうから攻めてくるということはないだろうが、移動中に遭遇することがないとは言い切れない。いや、かの魔物らに知性があるとするのなら、不意打ちの一つや二つはしてくると考えるべきか。
「ところで殿下。あの少女の具合はどうなのですか?」
今の段階では他に話すこともなく、リィンは思い出したというふうに、気にかけていたことを訊ねた。
「ああ、目を覚ましたよ。名はラビ・コニーというらしい」
「そうですか」
目を覚ましたと聞いて、リィンは安堵の息を漏らした。そのすぐあとにアールマンが続けた言葉を聞いて、吐いた息は嘆息へと変わった。
「あいつ、俺が拾うことにしたから」
「…………そんな犬猫のように」
「似たようなものだよ。帰る場所がないって自棄になってたし」
「帰る場所がない……?」
眉をひそめるリィンに、アールマンが事情を説明する。とはいっても、ほとんど推測なのだが。
「ハイビスの〝コニー〟という姓には聞き覚えがある。獣人族の最大勢力をまとめる人物がその名を持っていたはずだ」
「……彼女はただの獣人ではないと?」
「多分、だけどね。それを裏付けるように、ラビには妖精族の血が混じっている。獣人族は一部族間で世界が完結する種族だ。混血を身内に抱えたまま仲良く暮らしているとは思えない。それなのに、他種族の血を引きながらも、ラビがハイビスで暮らせていたことを考えると、彼女の存在を無下に出来ない理由があると考えるべきだ」
その理由が何なのか、正確には分からないが、ハイビスの〝コニー〟が関係しているとの推測は、そう的外れでもないだろう。
主の話を聞き、リィンはラビの境遇に納得を示しながらも、ある可能性に危機感を覚えて進言した。
「彼女をこのまま連れ帰ったとして、ハイビスが取り返しに来るということはないのでしょうか」
「それはない」
「はず」でも「と思う」でもなく、「ない」と言い切ったアールマンに、リィンが目を丸くする。その理由を訊ねると、アールマンはいくつかの考えを口にした。
「まず第一に、ラビが〝コニー〟の血縁だとしても、〝コニー〟がラビのために動くことはない。〝コニー〟は最大勢力の長であるというだけで、国全体をまとめあげている訳ではない。もし〝コニー〟が動こうとしても、自ら出ていった忌み子を、わざわざ連れ戻すことはないと他の部族が反対する。下手をすれば内乱騒ぎにもなりかねない」
第二に、とアールマンが指を二本立てて顔の横に持ち上げる。
「ラビは混血──つまり、魔族としても生きられる。あの子が獣人族としてではなく、魔族としてイーヴィスに入るのなら、それは『帰国』なんだよ」
魔族としてイーヴィスに居を得た者は、たとえそれが王族であっても連れ戻すことは出来ない。それが、混血を忌み嫌い、臭いものに蓋をし続けた各国が定めた、暗黙の了解である。
数多の種族と血族を抱えるイーヴィスは、ある種の爆弾のようなものでもあるのだ。
「裏切る、ということはないのでしょうか」
それでもと、リィンは僅かに残る可能性を口に出す。リィン自身もそれはないと思うが、事が事だけに、易々と認める訳にはいかない。最悪の場合、敬愛する主が凶刃に倒れることにもなりかねないのだ。
「見捨てる、ということの方があり得ないよ。というか、リィンだってラビを連れて帰りたいと思ってたと思うんだけど」
「え、何故です?」
「何故って、リィンはああいう子好きじゃないか」
性格や雰囲気という意味ではなく、見た目的に。
「え、あの、その、ええと、…………はい」
内心を言い当てられて焦ったが、その様子を見ていたアールマンが笑いをこらえているのに気付き、観念して頷いた。
「ふふっ、やっぱり」
ついには吹き出した主を、拗ねたような半目で睨む。
「いいじゃありませんか。可愛いですし。耳とか撫でたいですよ」
「あ、頭なら撫でたよ」
「………………」
それを自慢したかったのかと、表情を消してアールマンを見つめる。流石に意地悪が過ぎたなと、アールマンは頭を掻いてリィンに頭を下げた。
「あはは、……ごめん」
「いいえ別に、謝られることもないと思いますよ。殿下のなされることに、私の心地など介入の余地もありませんし」
完全にへそを曲げてしまったらしく、リィンはしばらくの間、アールマンとの間に壁があるように他人行儀な態度を貫き続けた。
イーヴィスの遠征軍がセペレ山脈の麓に陣を張って、十日が経過した。
その間に魔物の動向を観察し続けた結果、群れを統率している主と思しき個体が存在していることが判明する。
アールマンは連れてきた兵を集め、その個体の討伐を当座の目標として発表した。
その魔物を駆除したからといって、セペレ山脈に巣食う脅威が去るかどうかは分からないが、闇雲に殲滅して回るよりは現実的である。
「なにより、あまり時間をかけてしまう訳にもいかないんだよ」
ラビが療養している小屋で、竜人族から買い取った魔石に術式を施しながら、アールマンは自軍の事情を説明する。
「軍を動かしている以上、糧食やそれを運搬する費用は時を重ねる毎に増していく。要請を受けて遠征してきているとはいえ、農耕に向いていないグランに負担を強いるわけにもいかない」
「イーヴィスは貧乏なの、ですか?」
言葉尻がぎこちないながらも、アールマンを敬おうとするラビに苦笑し、「そうじゃない」と否定する。
「使わなくて済むなら、出来るだけ抑えておきたいって話だよ。貧富を明らかにするなら、イーヴィスは豊かな方だ」
「そうなん、ですか」
「そうなんだよ」
魔石を加工し終え、机に出していた道具を工具箱に仕舞っていく。それを見て、ラビが物寂しそうに声をかける。
「もう行く、ですか?」
「ああ。実務はリィンに任せられるけど、一応責任者は俺だからな。怠けてばかりもいられないんだ」
工具箱の蓋を閉じ、鍵をかけて立ち上がった。出口の扉に手をかけつつ、ラビの方へ顔を向ける。
「じゃ、また」
出ていくアールマンを見送り、ラビはふぅと息を吐く。
今、ラビの胸中にひしめいている感情は、焦りだ。
眠りから覚め、アールマンに誘われ、彼に仕えると決めてから五日が経過している。ラビは主となったアールマンに見舞われるばかりで、臣下らしいことは何一つとして出来ていない。これが主従関係として正しいのかと問われたなら、そういう知識に疎いラビでも否と答える。
せめて態度だけでもと、慣れない敬語を使ってみたものの、うまく話せずに笑われてしまった。
このままでは、彼が任務を終えたときにこの地に置いていかれるのではないかと、そんな不安さえ覚えている。
「この、役立たず……」
顔を伏せて拳で胸を叩く。
役立たず。半端者。今まで散々言われ続けてきたが、自分自身を心の底から罵倒したのはこれが初めてだ。
──いっそのこと、本当に手籠めにでもされてしまえればいいのに。
そうすれば、少なくとも『何の役にも立っていない』という罪の意識からは解放されるだろう。
「……阿呆」
どくん、と高鳴った胸をまた叩く。
期待をするな。自分は拾ってもらえただけで充分なんだ。それ以上は高望みにすぎる。
「………………」
分不相応な感情を胸の内に閉じ込め、幾重にも鍵をかけた後で封をする。
「すぅ……ふぅ……すぅ……ふぅ……」
深呼吸をして頭を冷やし、自分に出来ることを改めて模索する。
「汚名を、そそぐ」
それしかないと結論付け、その為にどう行動するか、寝台の上に胡座をかいて思考を重ねていった。
翌日、陽が上るよりも少し早い時間から、イーヴィスの兵は装備を固めて陣地に整列していた。いよいよ、魔物の討伐に向けて本格的な行動に出るのだ。
皆で作戦の最終確認をし、アールマンが静かに合図を出すと、事前の打ち合わせどおりに隊列は三つに別れ、それぞれが違う道から山道へと足を踏み入れていった。
調査の成果もあって魔物の住処は特定出来ている。今回は道中の障害を排除しつつ、群れを統率している個体を撃破出来ればそれでいい。あとは可能な限り残党を始末すれば、今回の任務は終わりと考えていいだろう。
アールマンも列の一つに混じって、山を登っていく。その様子を、遠くの木陰から赤い瞳がじっと見つめていた。
一刻ほど山道を進むと、にわかに前列が慌ただしさを見せ始めた。
「連中も動き出したか」
初日の段階で、彼らにも多少の知恵があることは分かっていた。調査の最中にもこちらの様子を伺っているらしい姿を確認したとの報告が上がっていた。こちらが大きな行動を起こせば、防衛のために動くことは容易に想像できた。
「報告申し上げます!各隊ともに魔物と交戦を開始いたしました!いずれも苦戦はしておりません!」
「ご苦労。下がっていいよ」
「はっ!」
今のところは予想通りに推移している。
部隊を分けたことで、狭い山道でも急な襲撃に備えやすく、相手を分散することで厄介な連携能力も半減する。
各個撃破を狙われたとしても、襲われた部隊が守りに徹して魔物の足止めを行っている間に、他の二部隊の内一方が応援に向かい、もう片方が巣を襲撃する事が出来る。
「あとは、群れの主がどれ程の力を持っているか、か」
獣とは、力によって序列が決まるものが多い。今回の魔物もその類いだとしたら、少なくとも並みの魔物よりも強力であることが想定される。
更に一刻ほど、散発的に襲撃してくる魔物を撃退しつつ歩を進めていた。
「………………」
妙だ。
最初はこちらの力を計っているのだろうと思っていたのだが、どうにも状況に変化が無さすぎる。
アールマンの予想では、魔物がとる行動は巣を守る為に戦力を集結するか、一か八か各個撃破に動くか、逃げ出すかのどれかだった。
──何か、不測の事態が起こっているのか?
単に、魔物の知能を買い被っていたと考えることも出来る。しかし、そうでないとしたら、一体何が起こったのか。
「………………」
変化がない。つまり、命令が変更されていない?……主になにかあったのか?命令を出すことが出来ないような事態。病気……いや、それはない。魔物を冒せる病など聞いたことがない。だとしたら……。
「……戦っている?」
指揮をとる者が戦闘状態にあり、他に指示を出せる者がいないならば、兵は逃げ出すか、与えられていた命令をこなすしかない。
しかし、未だ巣に辿り着いたと伝令を送ってきた部隊は無い。
だとしたら、誰が……。
ふと、赤目の少女が脳裏を過ぎる。
「……いたな。一人、指揮下にない戦闘要員が」
目を細め、自分の推測の是非を自身に問う。答えは──是。
「伝令使はいるか!」
「は、はい!」
急に呼び出され、慌てて伝令使──伝令を運ぶ兵──が駆け寄ってくる。
「他部隊に伝令!保護した同胞が主と交戦している可能性がある!進軍速度を上げろ!」
「は……、はっ!繰り返します!保護した同胞が主と交戦している可能性がある、進軍速度を上げろ!以上です!」
「よし、行け!」
「はっ!」
与えられた任務を果たすべく、伝令使が駆けていく。事前に山の地図は頭に叩き込んでいるらしく、迷いなく脇道へと飛び込んでいった。
アールマンもすぐに、前方へと走り出す。すぐに先頭を歩くリィンの姿を見つけた。
「リィン!」
「殿下?どういたしました?」
「進軍速度を上げろ!ラビが巣に入ったかもしれない!」
「な……」
告げられた言葉に、リィンが絶句する。
その一瞬の遅れも煩わしかったのか、アールマンが後ろの兵士たちに向かって声をあげる。
「進軍速度を上げろ!俺が先行する!遅れずについてこい!」
「応!」
「で、殿下!」
駆け出したアールマンの後を、一瞬遅れてリィンが追い、さらにその後ろを兵士たちが追従する。
アールマンに並走しながら、リィンが聞きそびれた事を質問する。
「ラビが巣に入ったとは、どういうことです」
「状況を鑑みるに、その可能性が一番高いんだ」
アールマンが自分の推測を伝えると、リィンは「たしかに」と頷いた。
「ええ、その動機も理解できます。……しかし、殺されかけて間もない相手に挑むなど、並みの胆力ではありませんね」
感心しているように言うが、実際は呆れていた。療養を言い付けられていたというのに、抜け出した上にまた死地に飛び込んでいる。これを蛮勇と言わずになんと言おうか。
「叱るにしろ誉めるにしろ、まずは助け出してからだ。また同じような怪我を負っても、今度は治せない」
持参していた治療用の魔法石の大半は、彼女の治療のために使い潰してしまった。残った数では、同じ様な重傷を癒すことは出来ない。
「今回の新人には手を焼きそうですね」
気を紛らわすように苦笑してみせるが、その手には既に引き抜かれた剣が輝きを放っている。現場がどうなっていようと、到着し次第にリィンは敵に斬りかかるだろう。
「ああ、まったくだ」
アールマンも腰に提げた小袋から魔法石を取り出し、時間をかけて魔力を注いでいく。
途中ですれ違った魔物はリィンが斬り伏せ、後続の兵が止めを差していく。
そうして目的地である、魔物が根城としている広場へと駆け込むと、予想通りではあるが予想とは少し違う光景が広がっていた。
広場の中央では、他の魔物の二回りほどの巨躯をもった魔獣と、それに対峙するように拳を構える白色の少女の姿があった。
不思議なことに、一人と一体の戦いに他の魔物は介在しておらず、遠巻きに輪を作って見守っているようでもあった。
「シッ!」
囲まれる前にと、リィンが先んじて輪を構成している魔物を斬りつける。後ろから追い付いてきた兵士も魔物に立ち向かい、広場はすぐに乱戦模様となった。
「ラビ!」
名を呼びながらアールマンが駆け寄り、充分に魔力を込めた魔法石を魔獣目掛けて投擲する。
『オオオオ────!』
魔獣が咆哮すると、その口の前に魔法陣が現れ、暴風が放たれた。
「こいつ、魔術を使うのか!」
魔獣は仕返しとばかりに、開いた口をアールマンに向け咆哮する。暴風が岩肌を抉るが、アールマンはラビに抱き寄せられて真横に引きずられたことにより、巻き込まれずにすんだ。
「なるほど。どうりで一対一だったわけだ」
ラビの行動には触れずに、アールマンは状況を把握する。
他の魔物は、巻き添えを恐れて戦闘に参加していなかったのだ。統率が途切れていたのも、この魔獣が魔術を行使するために命令を出せなかったからか。
「あ、あの、」
「話は後だ。まずはあいつを片付けるぞ」
何事か話そうとするラビの機先を制し、小袋から新たな魔法石を取り出す。
おそらく、あの魔獣の体は魔法石と似たような構造なのだろう。肉体自体に術式を刻みこまれ、魔力を巡らせることにより魔術を行使している。詠唱する手間が無い分、起動が速い。
「体の大きさに比例して鈍重ならいいんだけどな」
「ラビもそう思ったけど、あいつ速い、ですよ」
「……だろうね」
希望的観測をすぐに否定され、アールマンは嘆息する。
魔物は魔術の実験によって生まれた、元生物だ。故にその性質には個体差があり、相対すればその実験の概要も知れてくる。
眼前の魔獣を魔物足らしめた魔術師が目指したのは、生物兵器とそれを中核とする軍隊を作り上げることだったのだろう。
しかしこうして野放しとなっている辺り、術者は制御に失敗して命を落としたとみた方がいい。
「とすると、やはりあれを始末すれば群れは機能しなくなる、か」
ならば、取るべき行動は決まっている。
手に持った魔法石に魔力を込めて地面に叩き付ける。割れた石から魔法陣が現れ、アールマンを中心に半球状の防壁を作り上げた。
「ラビ。もしあれの足を止めろと命じたとして、どれくらいの時間を稼げる?」
「避けるだけなら、いくらでも」
質問の意図を読み取り、ラビがアールマンの前に立つ。魔物は獲物が動くのを待っているかのように、身構えたまま動かない。手下を助けにいかない辺り、優先順位というものを分かっているのだろう。誰を放置するのが一番危険かという事を。
「あの巨体だ。生半可な攻撃では致命傷になりえない。一撃で決める。役立ってみせろ」
「──はい!」
頷くやいなや、ラビは結界から飛び出して魔獣に肉薄する。待ち構えていた魔物も好機とばかりに丸太のような腕を振った。
軽く跳んで迫る腕に乗り、それを足場にしてまた跳躍した。口を開く魔獣の額を足蹴にし、ラビはその背中へと飛び降りる。
『ヴオオオォォ──!』
全身を大きく振り回して、背中の異物を振り払おうと魔獣が暴れだす。しかしラビは器用に均衡をとり、魔獣の体毛を掴み引っ張ってその動きを押さえ込む。
「ほら、どうした!牛でももっと上手く暴れるぞっ」
挑発するようなラビの言葉が通じたのか、目を充血させた魔獣は手足に力を込めて大きく上に飛び、背を下にして落下し始めた。
地を震わせる音と衝撃に、一瞬広場の喧騒が鳴りやむ。
『ゴアァァアア!?』
続いて轟いたのは、敵を押し潰した感触もなく、自身の背を痛めるだけに終わった魔獣の叫びだ。ラビは飛び上がった魔獣が反転する前に横腹を蹴り、離れた場所へと退いていた。
「好機!」
自分達の主のらしからぬ姿に困惑する魔物の隙をつき、リィンがその首を斬り落とす。
生き残っている魔物よりも倒れた魔物の数が多くなったころになって、ようやく魔物たちは主に見切りをつけた。一頭が逃げ出すと、他の魔物も蜘蛛の子を散らしたように方々へと駆け出した。
統率を失い逃走を始めた魔物らは、その多くが広場を包囲していたイーヴィス兵に倒され、運よく逃げ延びた数頭も、再び群れをなす事が叶わずに淘汰されていくこととなる。
『オオオォォ────!』
立ち上がり、広場から仲間が居なくなったのを見た魔獣は、激昂して手当たり次第に暴風を放ち始めた。
「シッ!」
平静を完全に失った魔獣にリィンが迫る。
魔獣の攻撃は威力は高いがとても読みやすく、避けるのに苦労はない。
弧を描くように詰め寄り、魔獣の足の間へと体を滑り込ませ、通り抜け様に右前足と右後ろ足の腱を斬りつけた。
『グァオァァァッ』
ほんの数秒の出来事に、魔獣は訳もわからず支えを失った右側へと倒れ込む。
それでも魔獣は反抗をやめようとせず、大きく口を開いて魔法陣を形作った。
「──ラァァアアア!」
魔術が形を成すよりも前に、ラビが駆け足の勢いのままに大きく開いた顎を蹴りつけ、強引に口を閉じさせる。
『グブッ!?』
魔力の流れを乱され、暴発した魔術が魔獣の眼前で弾けた。岩を削るほどの威力を持った暴風が、魔獣の片耳を抉って散っていく。
『オオオオオォォォォ!』
絶叫に一部の兵士が耳を塞ぐ。
『グオオォォオ!オオォオオ!オオオオ──!』
苦痛に身をよじらせ、咆哮を撒き散らしながら魔獣が暴れる。
「──────、全員下がれ!」
詠唱を終え、準備を整えたアールマンが大声を出すと、リィンやラビ、魔獣の近くにいた兵士たちが一様に飛び退く。
防壁を上書きするほど巨大な魔法陣の上、魔力が視認できそうなほどに色濃い空間で、アールマンが右腕を魔獣に差し向けて呟く。
「せめて、安らかに」
軽く足の爪先で地面を叩くと、アールマンを砲台のようにして光球が魔獣へと放たれた。
光球が魔獣の体に触れた瞬間、光球は大きく膨らんで魔獣の身体を覆い尽くし、一気に収縮して弾けた。
後に残ったのは、半球状に抉られた地面と戦いの痕跡のみ。魔物を率いていた魔獣は、跡形もなく消え去っていた。
「はぁ……」
ふらりと、アールマンが息を吐いてよろめく。少し、大盤振る舞いしすぎたらしい。
地面に腰を下ろして小袋から携帯食を取り出し、包みをほどいて口に入れる。疲労を回復するには、食物を摂取するのが一番手っ取り早い。
「殿下、お疲れ様でした」
リィンが歩み寄ってきて、膝を折って頭を下げる。
「ああ、少しばかり骨が折れた。あとの処理は任せるよ」
「はっ」
更に頭を下げた後、リィンは立ち上がって既に戦場の後始末に動いている兵たちの元へと駆けていく。入れ替わるように、ラビがアールマンの元へとやってきた。
「あの、大丈夫、ですか」
「それはこっちの台詞だな。どうして無茶を通した?」
リィンの所作を真似ようと膝を折るラビに、アールマンが訊ねた。ラビはびくりと肩を震わせ、しどろもどろになりながらも自身の思惑を話す。
「あの、アールマン、様に捨てられると思って、役に立つなら、戦うしかないって、思って」
「まず一つ、教えておく」
ある程度は予想していた通りの答えだと判断し、最後まで聞かずにアールマンが口を開いた。
「焦りと油断は隙を生み、隙は総じて死を招く。俺の父上の言葉だ」
当代一の剣士と謳われる父の言葉を持ち出し、アールマンはラビの頭に手を置いて小さく揺り動かした。
「お前はもう俺の部下だ。お前が生きている限り、俺が見捨てることはない。俺が生きている限り、お前も無駄に死ぬことは許さない。心に刻んでおけ」
撫でるわけでもない、軽い折檻をするような手の動きが、どうしてだかラビには心地よく思えた。そのことに気づいたら、目から涙が溢れていた。
「…………わかり、ました。誓い、ます」
両手と両膝を地面につけ、平伏してラビが改めて忠誠を誓う。
この瞬間から、ラビはアールマンの忠実な僕となったのだった。




