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番外編 ~雨墓に誓う~

寒気増すイーヴィスの王城。

陽も中天に差し掛かろうという時間帯に、その中庭のど真ん中に横たわる白衣の少年の姿がある。

先日、正式にアールマンの麾下に入った〝旅人〟シロだ。

もうじき暦が移り変わろうというこの時節に、少年がなにをしているかというと。

「…………うーん」

暇を、もて余していた。

彼の肩書きは近衛隊所属なのだが、近衛隊という組織は先王崩御の際に壊滅し、その後軍と合一したため無くなっており、現時点では名札程度の価値しかない。

そもそも文字の読み書きもままならないシロに書類仕事は回されず、兵の訓練管理はラビの管轄であり、アールマンの私兵扱いであるシロには、警邏のような一般兵が行う仕事すら任せられることがない。

戦時ならばともかく、一波乱あったとはいえ平時である現在、シロが無聊の時を送っているのも無理からぬことであった。

無論、勉強はしている。しかし、文字以外にも学習すべきことは多く、ラビも多忙の身だ。常に師事を仰げるわけでもないため、机仕事で戦力となるにはまだまだ時間が必要となる。

武芸に関しては、シロは向上心を持っていない。以前は必要だと言われていたから鍛え続けていたが、その必要のない今では鍛練は身体能力を維持するためのものであり、上達を望んでいる訳では無い。

故にシロは本当になんの意図もなく、中庭にただ寝そべっているだけなのだった。

ふと寝返りをうってみた時、視界に妙なものが映った。

「……なに、あれ」

こそこそと。そういう表現が似合う足取りで、金色の髪をした女が庭木と庭木の間を移動していた。

女は身を隠すように庭木に寄り添い、そっと顔を出して辺りを見回している。そうしてまた次の庭木へと移動していった。

「………………」

珍獣を見つけた心地である。いや、心境的には山の中で、赤と白の斑模様をした茸を見つけた時に近い。有り体に言って、関わりたくない。

「…………………………」

移動を続ける金髪珍獣を見つめたまましばらく考え、シロが出した結論は放置だった。

もう一度寝返りをうって、珍獣を視界から遠ざけた。……のだが、身動きをしたせいで当の珍獣の目に止まってしまったらしい。

軽やかな足取りで近付いてくる足音に失敗を悟りつつ、シロは狸寝入りを続ける。

「ねえ、寒くないんですか?」

「……」

「シロちゃん、聞いてます?」

「……」

「寝てるんですかー?」

つんつんと、背やわき腹、頬を突っついても、シロは微動だにしない。

つんつん。つんつん。つんつん。……むにむに。

「ふむ、ほっぺたは柔らかいんですね。お饅頭みたいです」

「………………」

頬をつままれても、輪にした人差し指と親指の間に挟まれても、シロは耐え続ける。子猫がじゃれついてくる親猫とはこういう気分なのだろうかと、シロは心の中で溜め息を吐いた。

「……みつけた」

どことなく舌足らずな声が、少年の体を弄ぶ娘の動きを止めた。

「あ」

「かくれんぼ、しようって言ったの、セリス」

責めるような声に、慌てた声が弁解を始める。

「いえ、その、シロちゃんがこんなところで寝てるから、どうしたのかな~って思って」

「……?」

近寄ってくる軽い足音。それはシロの眼前で止まり、足音の主がしゃがんで顔を覗き込んでくる。

「……」

ほんの少しの沈黙の後、風を切る音が耳に入る。

「っ!」

とっさに背筋を逸らして頭を後ろにずらし、降ってきた平手を回避する。ばんっと地を叩いた手のひらは軽く地面に型を作っており、まともに受けていれば本当に意識を失っていたことだろう。

「やっぱり、起きてた」

「だからっていきなり実力行使は酷いと思う」

体を起こして半目でにらむシロの視線を、丸みを帯びた翠色の瞳が受け止める。

まあいいかと、視線を逸らしたシロの背中に、柔らかな体がのしかかってきた。

「ちょっとユウリちゃん、危ないじゃないですか。シロちゃんのほっぺたが赤くなっちゃいますよ?」

シロに体重を預けたまま、両手でシロの頬をもにもにと撫でる。その様子を眺めながら、ユウリが首を傾げた。

「軽く振っただけだよ?」

「ユウリちゃんは力が強いんだから、軽くでも駄目ですよ」

「む……」

不満そうに眉間にしわを作るも、一応正論だと認めたのか、反論はしなかった。

話が終わったとみたシロは、うりうりと頬に押し付けられる手のひらを剥がし、立ち上がる。

「おおー」

引きずられるようにして、その背に身を預けていたセリスの体も持ち上げられ、感心の声を出した。

「重い」

「え、ひやっ」

肩に引っ掛かっていた手を払うと、支点を失ったセリスが顔から地面に落下した。

「うぶ」

王女らしからぬ声を漏らすセリスを一瞥し、ユウリがシロに話しかける。

「なに、してたの?」

「なにも」

こちらは叩き落とした少女に目も呉れず、短く答えた。事実なのだから他に答えようもない。

「……暇?」

「うん」

「…………セリス」

しばらく考え、顔や服から砂を払い落としていたセリスに声をかける。

「ん、なんですか?」

「シロ、つれてく?」

「ああ、いいですね、そうしましょうか」

すぐに得心がいったのか賛成し、立ち上がってまたシロの背に抱きつく。

「シロちゃん、一緒にお出かけしましょうねー」

「重い」

「………………」

またも過重を宣言され、セリスはムッと顔をしかめてシロの首にまわした腕に力を込め、全体重を少年の体に乗せた。

再び叩き落とされたのは、言うまでもない。

一旦解散した三人は半刻後、シロの部屋に集まっていた。

元は客室の一室だったシロの部屋は、彼の故郷の趣が色濃く、職人から届けられる珍妙な品が数多いこともあって、姫二人はこの部屋を訪れた瞬間から好奇心を剥き出しにし、部屋中のあちこちから気になる品を持ってきてはシロに詳細を訊ねている。

「藁で下履きを編むなんて、器用ですよねぇ」

「似たようなものなら、こっちにもあるって聞いたけど」

「確かにありますけどね。でも今は革靴が主流なんですよ。あとは護謨(ごむ)とかの加工品ですかね」

「でも、ごむは貴重。イスカでしかとれない」

「ふぅん」

頷きながらセリスとユウリに座布団を渡し、床に敷かれた草編みの絨毯の上に腰を下ろす。既に幾度か訪ねていたこともあり、二人は悩まずに座布団の上で正座をした。

「それで、出掛けるって、どこにいくの?」

二人が落ち着いたのを見計らい、シロが本題を切り出す。後で集合とだけ聞かされていたため、その詳細は未だ知らないままなのだ。

「お忍びです」

「街」

セリスの言を補足するようにユウリが付け足す。付け足された当人はさして気にした様子もなく、セリスは口元を弛ませた。

「ちゃんと魔王さんからも許可貰ってるんですよ。お小遣いも貰っちゃいました」

「ねー」とユウリと顔を突き合わせて、首を曲げる。つられてユウリも首を曲げ、「ねー」と返した。

「……仲いいね」

「ん、家庭円満」

自慢気に胸を張るユウリに、シロが半信半疑だった情報の真偽を訊ねる。

「二人ともあいつの嫁って本当だったのか?」

「んー……」

「ちょっと違いますよねぇ」

首を傾げあう二人にどういうことかと問うと、セリスが事情を話し始めた。

「それがですね、ユウリちゃんも私も、正式にはお嫁さんというわけではないんですよ。なんというか、魔王さんにその気がない、みたいなんですよねぇ」

一緒に寝てても何もない、とユウリも頷いた。

「その気がないって、大丈夫なのか、それ」

「じっくりと攻略中なんですよ」

「いざとなれば、実力行使」

女は強いのだと、シロはこの時初めて実感した。というか、こんなのに囲まれているアールマンに尊敬すら覚えてしまう。この一時の間だけだが。

「いいけどさ、別に」

いくら内実を知ろうとも、所詮は対岸の火事。巻き込まれない内に話を変えようと、シロは話を戻す。

「街、行くんじゃなかったの?」

「あ、そうですそうです」

「ん」

手を合わせて頷くセリスの肩山を、ユウリが立ち上がって引っ張り、早くいこうと催促する。

「あ、ユウリちゃん、ちょっと待ってください……」

足が痺れたのか、セリスは姿勢を崩して両手を絨毯に置いた。その様子を見たシロが立ち上がり、セリスの眉の上辺りに親指を押し当てて揉み始めた。

「この辺りに壺がある。立ち上がるときに揉むと楽だよ」

「ユウリちゃんもシロちゃんも、何で平気なんですか……」

「……体質?」

「慣れ」

片や首を傾げつつ、片やにべもなく言う二人に、セリスは項垂れつつもなんとか立ち上がる。

「まあ、二人に比べれば非力でしょうけども。……よし!」

気合いを入れるように声を出し、若干ふらつきながら出口に向かう。靴を履くと振り返り、その足取りを眺めていたシロとユウリに手招きする。

「ほら、二人とも行きますよ!」

「ん」

ユウリも急ぎ足で出口に向かい、靴を履く。シロは壁に掛けてあった鎖で繋がれた三本の棒を取り、円筒に入れて外套の内側に仕舞ってから靴を履き替えた。

「では、お忍びに行きましょー」

「おー」

勇んで部屋から出ていく二人の後ろを、シロは小さく溜め息を吐いて付いていった。お忍びって、変装して行うものではないのだろうか。

昼下がりの城下町は、常の賑わいを思えば物寂しさを感じるほど人気が少なかった。

「んー、どうしたんでしょうか?」

予想していたものとは違う街の様子に、セリスは肩掛けを整えながら疑問符を浮かべる。その疑問に、何を今さらとシロが答える。

「雨が降るからじゃない?」

「雨?」

言われて空を見上げると、いつの間にか薄黒い雲が蒼天を侵食していた。今すぐというわけではないだろうが、夕方までには往来に雨水が見られるようになるだろう。

「……晴れてましたよね?」

「ん」

空を仰いだまま呟くと、ユウリが相づちを打った。

顔を下ろしたセリスは不満そうに口を尖らせ、小さく息を吐いた。

「むー、これじゃ思ったより長居出来なさそうですねぇ」

「………………」

なんとなく、シロはアールマンが許可を出した理由が読めた。

多分、アールマンはあえて雨が降るだろうことを黙っていたのだろう。短い時間であろうと仕事を邪魔されることはなくなるし、人混みが減っていれば警護も楽になる。

時折すれ違う市民から向けられる好奇の視線とは違う、監視するような視線に雨天の警護を同情しつつ、気を取り直して散策を楽しむ二人に付き従う。

雲行きが怪しい中にも商魂逞しい屋台は出ており、買い食いしたり装飾品を眺めたりしながら練り歩いていると、不意にユウリが「む」と声をあげた。

「つめたい」

「あら、降ってきましたか」

目の前で両手を広げて、セリスはまた天を仰いだ。僅かに覗いていた青色は微塵も見当たらず、厚みを増した雲が空を多い尽くしていた。

「セリス様、ユウリ様。こちらを」

あちらも雨に気がついたのか、駆け寄ってきた軽装の女兵士が二人に傘を開いて差し出した。シロには傘を渡さなかったのは、目深な外套を羽織っているからだろうか。

「ん、帰る?」

「そうですねぇ」

傘越しに見上げてくるユウリに、名残惜しそうにしながらもセリスは頷いた。

本降りになる前に帰れそうだということに安堵したのか、女兵士は小さく息を吐いて仲間がいると思しき方向へ合図を送る。すぐに数人の兵士が駆け寄ってきて、セリスとユウリを囲むような陣形をとった。

円から外されたシロは軽く首を振って、姫二人に見えるように手を挙げて声をかける。

「僕は行くところがあるから、先に帰ってて」

「先にって、雨降ってますよ?」

セリスは妙な申し出に目を丸くするが、それがどうしたと言わんばかりに頷くシロに口を噤む。

「お二方。彼もああ言っておりますし、雨足が弱い内に戻りましょう」

「え、ええ」

セリスは困ったようにユウリと顔を合わせるが、兵士に後押しされて歩き出した。

「また後でね」

手を振るユウリにシロも手を振り返す。

去り際に兵士数人から冷ややかな視線を向けられたが、今に始まったことでもないかと一行に背を向けた。

実はと言うと、シロは兵士たちから快く思われていない。むしろ嫌われていると言ってもいい。

彼らにしてみれば、シロは重役連中に気に入られただけの新参者に過ぎず、セリスやユウリ、国王であるアールマンにさえも敬意を払わない無礼者でしかない。

直接手出しこそされないものの、避けられたり睨まれたりということは、今日までにも多々あったりはしたのだ。

シロ自身も好かれているとは思っていなかったが、先程のように姫二人の前でも露骨に輪から外されてしまった辺り、今回の外出はよほど燗に障ったのだろう。

そういった縄張り争いには関心を持たないシロではあるが、自身が一足飛びに地位を得てしまったのだろうことは自覚している。故に密やかな批難程度なら目を瞑っているが、これが実害を伴うようになったなら話は変わる。

彼らの行いが分水嶺を越えたなら、彼らはシロの敵だ。敵に情けは無用と、シロはそう教育されている。

セリスたちと別れた後、シロは郊外の墓地に足を踏み入れていた。墓石の間を奥へと歩き、最奥に位置する場所にひっそりと立てられた石柱の前で足を止める。

大陸のものではない文字が彫られた墓石の下には、そこに眠るべき亡骸が存在しないことをシロは知っている。この墓はシロが頼み、形だけ整えてもらったものだ。

この墓に眠るはずのシロの姉は、死した後も瘴気を纏っており、汚染の可能性があるために火葬することも埋葬することも出来ず、今も王立の研究所にて浄化を試みられている。

「……」

せめて彼女の魂が安らぐようにと、故郷のものに似せてあつらえた墓石に手を合わせる。

「姉さんをこちらへ連れてきたのは僕だ。殺したのも僕だ」

手を合わせたまま、シロが墓石に語りかける。

「あちらでの行いに後悔はない。でもあんたは、あちらで弔うべきだった」

そうすれば、あのような醜悪な姿を晒すこともなく、故郷の土で眠ることができただろう。そうしなかったのは、シロの業だ。

「こちらで為すべきことが決まったよ。人道を外れた者に報いを与えよう。それが、命を落とさず流れ着いた僕の負うべき責なんだと思う」

彼女を故郷で眠らせなかったのも、遺体を守れなかったのも、全てがシロの咎。

負うべきものを負い、為すべきことを為そう。

「騒がせて、ごめんなさい。それと、向こうでは言えなかったけど……ありがとう、ございました」

降り注ぐ雨が一層激しくなってきた。

これが姉の意思なのだとしたら、妙なことは止めろと叱っているのかもしれない。もしくは、礼を言われる筋合いはない、とか。

「また、来るよ」

最後に一礼し、シロは空の墓標から遠ざかった。

たとえ姉がシロを諌めたのだとしても、この身には既に粘性の高い黒い焔が宿っている。

燃えだした焔を消すには、この程度の雨では弱すぎる。

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