第9話:最初の魔法
――入学から、三週間。
学院の講義室で、ルナは真剣に板書を写していた。
「正解です。よく勉強していますね」
教師の質問にも、すらすらと答えられる。座学は、ついていけている。魔法の理論も、歴史も。
――でも。
実技の授業。中庭で、同級生たちが次々と既存魔法を披露していく。火球。氷槍。風壁。みんな、危なげなく使いこなしている。
ルナの番。手のひらに――光球が、ひとつ。三週間前と、大きさがほとんど変わらない。
くすくす、という小さな笑いが聞こえた。
「あれで、最長老の保証付きなんでしょ?」
「魔法創造なんて、本当にあるのかしら」
ルナは俯かなかった。前を向いていた。でも、手のひらは固く握られていた。
授業の後、セラがルナを呼び止めた。
「ルナ。既存魔法の成績は、悪くない。けれど、あなたの本分は魔法創造のはずです」
「……」
「魔法創造は、才能だけでは足りない。〝何を作りたいか〟という強い意志が必要だ。私は、そう聞いています。あなたには、それがありますか」
「……強くなりたい、です。誰かを助けられるように」
「それは〝目的〟です。私が聞いたのは、〝何を作りたいか〟。違いが分かるまで、あなたの魔法は形になりません」
セラは去っていった。残されたルナは、立ち尽くした。
目的と……作りたいもの……?
夜の自室。机の上のノートには、書き込みがびっしり並んでいた。「攻撃魔法?」「回復?」「姉様のような強い魔法?」――全部に、線が引かれて消されている。
わたくしが作りたい魔法は、何。
姉様のような、強い攻撃魔法――そう思って手を伸ばすと、なぜか、止まる。どうしても。
風の刃なら、もう作れる。でも翌日の実技で、あの刃を〝武器〟として、もっと鋭く、もっと大きく育てようとすると――刃は歪み、火花のように散って、消えた。別の日に試した氷の刃は、形になる前に崩れた。
小さな風の刃までは、作れるのに。攻撃のために、その先へ進もうとすると、魔力が言うことを聞かない。
何日も。何日も。
夕暮れの中庭に一人残って練習して、ルナは座り込んだ。
「……どうして」
その様子を、遠くの校舎の窓から、セラが無言で見下ろしていた。いつの間にか、その隣にオルドリックが立っていた。
「毎日あれじゃ。日が暮れても、まだ残っとる。倒れんか心配になるわい」
「……甘やかすおつもりですか」
「いいや。ただ、あの手の詰まり方には、覚えがあるんでな」
セラが横目で見ても、オルドリックはそれ以上言わなかった。
◆ ◆ ◆
夜の中庭。座り込んだままのルナの手のひらで、光球がふっと消えた。
「夜風は魔法に毒じゃぞ」
振り返ると、月明かりの下に、杖をついたオルドリックが立っていた。
中庭のベンチに、並んで座る。
「攻撃魔法を作ろうとして、手が止まる――そんな顔をしとる」
「……どうして、分かるんですか」
「毎日見とるからのう、窓から」
「の、覗きです……!」
「年寄りの娯楽と言え」
少しだけ、空気が緩んだ。ルナの肩から、ようやく力が抜ける。
オルドリックは月を見上げながら、静かに言った。
「魔法創造はな、自分の中にある一番強い感情を、形にするものじゃ」
「……」
「〝作りたいもの〟を頭で探しても、出てこん。もう、お前さんの中にあるんじゃよ。一番強く、何度も何度も揺れた感情がな」
「一番強い……感情……」
オルドリックが遠い目になった。
「昔、お前さんと同じ目をした生徒がいた」
「……」
「あれも、何かを作ろうとしていた。――結局、儂には最後まで、あれが何を作りたかったのか、分からんかったがの」
ルナは、はっとして老人を見た。
「その方は……今、どこに……」
「さて。夜も遅い。戻りなさい」
オルドリックは立ち上がり、それきり打ち切ってしまった。去っていく背中に、ルナはそれ以上、聞けなかった。
同じ目をした、生徒……。
ルナの脳裏に、あの路地がよぎった。冷たい目のラミア。「私が魔王軍に入ったのは、力のためよ」
……まさか、ね。
その夜、ルナは眠れなかった。
……もしも。もしも、あの〝生徒〟が姉様だったとしたら。姉様は、何を作ろうとしていたのだろう。
考えすぎ、よね。でも、昔の姉様がいつも何かを求めていたのは、本当のことで。
首を振って、考えを切り替える。今は、わたくしの魔法。
目を閉じる。わたくしの、一番強い感情――一番強く、揺れた瞬間。
思い出は、また、あの夕暮れの森に戻ってくる。姉様に〝理由〟を答えた、あの日と同じ記憶。
オーガの爪の前に、飛び込んでくる背中。死角からの蹴りに、「足元、危ないっ!!」と叫んだ自分の声。「……助かった。ナイスだ、今の声!」と笑った顔。
でも今夜は、あの日とは違うところが引っかかった。
もし、あの背中が間に合わなかったら? もし、わたくしの声が、届かなかったら?
そして――目で追えなかった、レイの速さ。「わたくしの魔法にも、ああいう使い方が……」
ルナは目を開けた。胸の奥に、何かの輪郭があった。
机に向かい、ノートに一行だけ「間に合う」と書きつける。その四文字を、丸で囲んだ。
〝間に合う〟。わたくしが欲しいのは、それ……?
手のひらに光球を灯す。今夜は、少しだけ、震えが少ない。でも、まだ形にはならない。ルナは机に突っ伏したまま、眠ってしまった。
◆ ◆ ◆
数日後の朝。掲示板の前が、ざわついていた。「三日後:修了審査(実技・模擬戦形式)」。
「模擬戦形式……ペアで攻撃と防御を実演だって」
「ルナさんは、どうするの? 光球で?」
悪気のない笑いを背に、ルナは掲示板を見つめた。
修了審査で、成果を示す――約束の、期日。
◆ ◆ ◆
修了審査、当日。
円形の実技ホールの観覧席には、セラと教師陣、そしてオルドリックの姿があった。模擬戦形式の審査が進んでいく。ペアで攻撃役と防御役を交互に実演する生徒たち。
順番を待つルナは、手のひらを見つめていた。
〝間に合う〟……まだ、形にできていない。でも――やるしかない。
前のペアの番だった。攻撃役の生徒が火球を放ち、防御役が風壁で受ける――はずだった。
「あ……」
防御役が、緊張で詠唱を誤った。
火球が風壁を突き破る。勢い余った火球が、大きく逸れて――観覧席側で見学していた同級生の少女に、まっすぐ向かっていった。
少女は、気づいていない。教師たちの詠唱は――間に合わない。
「離れなさ――」
セラの声も、遅い。
ルナの目が見開かれた。
脳裏を、一瞬でよぎるもの。オーガの爪。あの背中。自分の叫び。
考えるより先に、体が動いていた。手が、火球と少女の間へ、伸びる。
「間に合ってっ!!」
胸の奥で、何かが弾けた。魔力が、初めて〝形〟を求めて流れ出す。
少女の眼前――何もない空間に、風の盾が、瞬時に展開した。
淡い緑色の、渦を巻く風の円盾。火球が直撃し、爆ぜて、散った。
静寂。
ホール中の視線が、風の盾と、手を伸ばしたままのルナに集まった。少女は、無傷のまま、へたり込んでいる。
風の盾が、ふ……と薄れて消えた。同時に、ルナの膝がガクッと折れる。荒い息。
「はぁ……はぁ……今、の……」
わかる……今のは、借り物じゃない。わたくしが、作った。
ホールが、ざわめきだした。
「今の、何の魔法だ……?」
「詠唱、なかったぞ……」
「離れた場所に、直接展開した……?」
観覧席から、杖の音がした。オルドリックが立ち上がり、ゆっくりと、拍手をしていた。
「それだ。それが、お前さんの魔法だ」
「……」
「守りたい相手のもとへ、〝間に合う〟盾。攻撃でも、自分を守る壁でもない。お前さんにしか編めん魔法じゃよ」
ルナの目がじわりと潤んだ。
セラは手元の採点表を見ていた。ペンが、審査項目の上で止まっている。やがて静かにペンを置くと、ルナのもとへ歩み寄った。ホールが、静まる。
「……審査外の行動です。減点対象になり得ます」
「……」
「ですが。〝何を作りたいか〟には、答えたようですね。合格です」
ルナは涙をこらえて、深く頭を下げた。
「……ありがとう、ございます……!」
助けられた少女が駆け寄ってきて、涙目で何度も頭を下げた。同級生たちの視線が――変わっていた。
その様子を遠くから見て、オルドリックは目を細めた。
「〝間に合う〟魔法、か。――ええもんを、作ったのう」
それから、ふと視線を落とし――一瞬だけ、遠い目をした。
すぐに、いつもの飄々とした顔に戻ったけれど。
◆ ◆ ◆
数日後。修了式の朝。
俺は学院の受付に、ずっしりした革袋を置いた。
「学費、完納です。全部で二十六件。ぴったり、間に合った……」
目の下には、うっすら隈ができていたと思う。
「最後の三件、ほとんど寝てなかったな、お前」
「約束だからな」
受付が領収印を押した。学院の門前で待っていると、修了式を終えた生徒たちが出てくる。その中に――ルナ。俺たちを見つけて、ぱっと顔が輝いた。
「皆さん!」
二ヶ月ぶりの合流だった。バルゴがニヤリとする。
「よお。……ちょっとは使えるようになったか」
ルナは、ふふっと笑って、少しだけ得意げに言った。
「見せましょうか」
手を掲げる。三人から少し離れた場所の空中に――風の盾が、瞬時に展開した。
淡い緑の渦。二ヶ月前とは別人の、澄んだ魔力。
バルゴが口を開いたまま固まった。
「……おい。詠唱は」
「要りません。わたくしの魔法ですから」
レイが盾をじっと見て、静かに言った。
「……悪くない。速い」
「レイさんの速さから、いただいた発想です」
レイがわずかに目を見開いた。
「魔法の名前は?」
俺が聞くと、ルナは胸を張って答えた。
「瞬風の盾、です。守りたい人のところへ、〝間に合う〟盾」
バルゴが、ニヤリとした。
「シュンプウ……ほう? まさかアイツの名前から取ったんじゃ――」
「ちっ、違います! 〝瞬く〟の瞬です! 風が瞬時に――そういう意味で――」
顔が真っ赤だった。否定に、なっていなかった。
「……墓穴だな」
笑いが起きる中、俺は風の盾を見上げて、静かに笑っていた。
自分の理由で作った魔法、か。
――俺にも、見つかるかな。
◆ ◆ ◆
出発準備でギルドに立ち寄ると、掲示板に真新しい依頼書が何枚も貼られていた。「魔王軍関連・警戒任務」「国境偵察の護衛」――明らかに、増えている。
「……おい。この手の依頼、前より増えてねえか」
近くの冒険者たちの会話が、耳に入った。
「魔王軍の動きが活発化してるらしいぜ」
「幹部の一人が動いたって噂だ。どこの誰かは知らんが……」
四人で、顔を見合わせた。
◆ ◆ ◆
――同じ頃。山の上の廃城で。
窓辺に立つラミアの背後に、黒装束の部下が片膝をついていた。
「ご報告を。ルナ様が、魔法を完成させたようです」
ラミアは窓の外を見たまま、振り返らなかった。
「……そう」
それだけだった。表情は、見えなかった。
◆ ◆ ◆
翌朝。ヴァルガの城門に、旅装の四人が揃った。
見送りには、オルドリックと――「たまたま通りかかっただけです」という顔のセラが来ていた。
「魔法は生き物じゃ。使うほど育つ。大事に、育てなさい」
「はい。……オルドリック先生、本当に、ありがとうございました」
オルドリックは、ルナの後ろの俺たち三人を見て、にっと笑った。
「良い仲間じゃ。〝間に合う〟側の人間ばかりじゃよ、お前さんの周りは」
街道を、四人で歩き出す。朝の光の中、ルナが先頭で、足取りが軽い。
ルナは、自分の魔法を見つけた。三人の連携も、形になった。
そして――魔王軍の〝幹部の一人〟が、動いた。
行く先、街道の遥か遠くの空に、薄く黒い雲がかかっている。
準備はしてきた。――次は、こっちの番だ。
(第九話 了)




