第6話:血と願いの間で
山に挟まれた街道沿いの宿場町、リアノ。小さいが、商人や旅人が行き交う活気のある街だった。
「今夜は宿に泊まるぞ。久々にちゃんと寝たい」
「……同意する」
バルゴの提案に、レイが珍しく即答した。この二人、噛み合わないようで、こういうところは合う。
ただ――ルナの様子が、少しおかしかった。街に入ってから、表情が固い。
「どうした?」
「……いえ。何でもないです」
宿の食堂で夕食をとっていると、バルゴが肉をかじりながら言った。
「最近、この辺りでも魔王軍の動きがあるらしいな。宿の親父が言ってた」
「……規模は?」
「偵察程度らしい。まだ本格的な侵攻じゃないが」
魔王軍……そろそろ、無視できない距離になってきたな。
夜。眠れずに宿の廊下の窓から外を見ていると、隣にルナが来た。
「眠れないんですか?」
「お前こそ。さっきから顔色が悪い」
ルナは少し間を置いてから、ぽつりと話し始めた。
「……この街、来たことがあります。昔、姉と一緒に」
「……」
「姉はここで、旅の剣士と決闘して……圧勝して。それを見て、わたくしも強くなりたいと思ったんです」
夜の街を見つめるルナの横顔は、思い出の中にいた。
「当時の姉は……本当に、輝いていました。なぜ、あの人が魔王軍に……」
「……聞いてもいいか。ラミアは、どんな人だった?」
「強くて、自信があって……でも、いつも何かを求めていた気がします。何を求めていたのかは……わかりません」
しばらく、二人で夜の街を見ていた。
◆ ◆ ◆
翌朝。出発前に、市場で食料を補給していた時だった。
バルゴが干し肉の値段交渉をしている横で、俺とルナは少し離れて歩いていた。
ふいに――ルナの足が、止まった。
視線の先。人混みの向こうに、すっと背の高い、黒いローブの人物が立っていた。顔は半分フードで隠れている。だが、その下から――銀色の髪が、見えた。
「……姉、さま?」
ルナの顔から、血の気が引いていく。
「ルナ?」
俺が振り返った時には、フードの人物は消えていた。
「今……姉が、いました」
震える声。駆け寄ってきたバルゴが眉を上げる。
「ラミアだと? まちがいないのか」
「……はい。あの髪は」
俺は素早く周囲を見回した。姿を消した……追うか? でも人混みの中で戦闘になれば、巻き添えが出る。
「一度宿に戻る。バルゴとレイは周囲を――」
言い終わる前に、ルナが走り出した。
「姉様!」
「待て!」
舌打ちして追いかけながら、俺は後ろへ叫んだ。
「バルゴ! レイ! 裏に回れ! 逃げ道を塞いでくれ!」
「わかった! レイ、反対側だ!」
レイが、音もなく消えるように駆け出す。
ルナは路地に飛び込んでいた。追いつく。突き当たり――
そこに、黒いローブの人物が、壁に背を預けて立っていた。待っていた、かのように。
その人物が、フードを外した。
美しい顔。ルナと同じ、銀の髪。だがその目は冷たく――何の感情も、宿していなかった。
「……久しぶりね、ルナ」
「姉様……! なぜこんなところに。なぜ魔王軍なんかに――」
ラミアは、片手を上げてルナの言葉を遮った。
「懐かしい話をしに来たわけじゃない」
俺は、路地の入口で立ち止まったまま――動けなかった。
……ラミア。想像より遥かに、雰囲気がちがう。
足が、動かない。オーガとも、ワイトとも違う。こいつと戦えば全滅する――生存本能が、そう叫んでる。
ラミアが、俺を一瞥した。
「あなたが俊ね。ルナと旅している人間――調べさせてもらったわ」
「……そうだ」
「弱そうね」
俺は答えなかった。ただ、ラミアを見ていた。
こっちの力を、測っている。戦う気じゃない……今は。
ラミアの視線が、ルナに戻る。
「ルナ。あなたに、話がある」
「あなたは、強くなりたいんでしょう?」
「……はい」
ラミアが、一歩近づいた。
「なら、魔王軍に来なさい」
ルナが、息をのんだ。
ラミアは淡々と続ける。脅しでも、誘惑でもない。ただ「正しい選択肢を提示している」という、完全に事務的な態度で。
「魔王軍には、この世界最強の力がある。腕さえ立てば、誰でも上に行ける」
「……」
「エルフの王女という肩書きも、父の庇護も関係ない。純粋に、強さだけで評価される」
そして、ラミアは言った。
「あなたは魔法創造スキルを持っている。私と一緒に来れば、その力を本当に伸ばせる」
ルナの表情が揺れ――直後、はっとした顔になった。
「……姉様。なぜ、それを知っているんですか。魔法創造が発現したのは、ごく最近なのに」
ラミアが、わずかに間を置いた。
そして――答えなかった。
「ルナ――」
俺が口を挟もうとした瞬間、ラミアの視線が飛んできた。
「あなたは黙っていなさい。これは、ルナと私の話よ」
……確かに。俺が口を出すことじゃない。ルナが自分で答えを出さないと、意味がない。
俺は、口を閉じた。
「この人間と旅して、どれだけ強くなれた?」
ルナが、答えに詰まる。ラミアは、冷たく言い切った。
「あなたは今も弱い。この人間の後ろに、隠れているだけ」
「……」
「本当に強くなりたいなら、強い場所に行くべきよ」
ルナが唇を噛む。俺は――否定、できなかった。ルナはまだ戦えていない。俺の後ろにいることが、多い。
「私が魔王軍に入ったのは、力のためよ。シルヴァニアでは得られない力のために」
ラミアの声には、後悔も、迷いも、何もなかった。
「悪か善かなんて、関係ない。強くなるための最短の道を選んだだけ。……それの、どこがいけないの」
「……」
「あなたも同じはずよ、ルナ。強くなりたいなら、手段を選んでいる場合じゃない」
沈黙が、路地に落ちた。
ルナは、俯いていた。
――強くなりたい。それは、本当。
でも。
俯いたルナの脳裏に、よぎったものがあったのだと思う。――きっと、あの夕暮れの森だ。
オーガの一撃が迫った瞬間、間に飛び込んできた誰かの背中。傷を負いながら振り返った顔。そして、足元からの死角の蹴りに、自分の「足元、危ないっ」の一言が届いて――「ナイスだ、今の声」と笑った顔。
あの時。自分にも、誰かを助けられた。
ルナが、顔を上げた。
迷いのない目で、ラミアをまっすぐに見る。
「姉様。わたくしは、ただ強くなりたいわけじゃないんです」
ラミアの目が、わずかに細められた。
「誰かを助けるために――強くなりたいんです」
一瞬。ほんの一瞬だけ、ラミアが黙った。
「……綺麗ごとね」
吐き捨てるような声だった。
「誰かを助けるために強くなる? そんな理由で強くなれるほど、この世界は甘くない」
「それでも。それが、わたくしの理由です」
ラミアは、感情の読めない目でルナを見ていた。それから、ふいと視線をそらした。
「……まあいいわ。今日のところは、聞いておく」
背を向けて、路地の奥へ歩き出す。その背中から、声だけが届いた。
「でもルナ。覚えておきなさい」
「……」
「綺麗ごとで守れる命に、限界が来たとき――あなたは、どうする」
ルナが、息を止めた。
「そのとき、また考えなさい。魔王軍の門は、いつでも開いている」
ラミアは、路地の闇の中に消えていった。
◆ ◆ ◆
静寂の残る路地で、ルナは立ち尽くしていた。
俺は、ゆっくりとその隣に並んだ。
「……立派だった」
「俊さん……」
少し驚いた顔で、ルナが俺を見る。
誰かを助けるために強くなりたい――か。
……じゃあ、俺は。俺は、なんで強くなりたいんだろう。
転生の時、女神に言われた。〝魔王を倒してほしい〟と。だから、それが目的――のはずだ。
レイにも突かれたな。「……〝らしい〟、か」って。
俺の目的は、最初から〝与えられたもの〟だ。ルナの言葉が刺さったのは……たぶん、そのせいだ。
俺が戦ってきたのは――誰かのため、だったか?
答えが出る前に、路地の入口にバルゴとレイが現れた。
「……終わったか。裏は固めてたが、誰も来なかったぞ。ラミアは?」
「消えた。戦闘はなかった」
レイが――珍しく、硬い表情をしていた。額に、うっすらと汗。
「……一度だけ、屋根の上から気配を追った。だが――近づけなかった。体が、動かなかった」
バルゴが、絶句してレイを見る。
あのレイが……。やっぱり、俺の本能は正しかった。今のあいつに、俺たちは届かない。
「……嬢ちゃんは、大丈夫か」
バルゴがルナに聞く。ルナは少し間を置いてから、頷いた。
「はい。……大丈夫です」
レイは無言でルナを見ていた。何も言わない。でも、その目に、何かがあった。
◆ ◆ ◆
夜。宿の外の広場で、四人で焚き火を囲んだ。
バルゴは黙って酒を飲み、レイは目を閉じて座っている。ルナが、炎を見ながらぽつりと言った。
「……姉は、まだ強くなり続けているんでしょうか」
「そりゃそうだろう。魔王軍の中で生き残っているんだから」
「わたくしは……いつか、姉と戦えますか」
誰も、すぐには答えなかった。
俺は、炎を見たまま答えた。
「……今は、無理だ」
「……」
「でも、なれる。なってみせろ」
ルナが、俺を見た。
「今日お前が言ったこと――誰かを助けるために強くなる。それを貫けるやつが、最後には一番強い。アニメでも、そう決まってる」
「また例の〝故郷の物語〟か」
バルゴが鼻で笑う。
「そうだ。でも俺は、それを信じてる」
ルナが、少し笑った。目が、少し潤んでいたけれど。
「……はい」
レイが、目を開けて、ぼそりと言った。
「俺は……強くなるために来た。目的は同じだ。――理由は、違うが」
「……」
「だが――お前たちの戦い方は、見ていて飽きない」
それだけ言って、また目を閉じる。
「それが、お前なりの励ましか」
バルゴの呆れ声に、ルナがくすりと笑った。焚き火が、静かに揺れていた。
◆ ◆ ◆
翌朝。四人でリアノの街を出発した。
ラミアは今日、ルナを取り込もうとして、失敗した。次は……攻撃してくるかもしれない。警戒は続けるべきだ。
でも、それよりも――俺自身の問題だ。
誰かのために戦う、か。俺には、まだその感覚がない。でも……ルナを見て、少し変わった気がする。
ルナが、歩きながら俺の横に並んだ。
「俊さん。昨日、立派だったと言ってくれましたよね」
「ああ」
「でもわたくし、まだ姉と戦えるほど強くないです。魔法創造のスキルも……まだ、初歩魔法しか作れない」
「わかってる」
一拍置いて、続けた。
「だから、旅してる」
やがて、道が分岐した。一方は大きな街・ヴァルガへ。もう一方は、山越えの険しい道。
バルゴが地図を広げる。
「ヴァルガは、魔法学院がある街だ。ルナのスキルを伸ばすなら、寄っていく価値はある」
「魔法学院……!」
ルナの目が輝いた。俺は頷いた。
「ヴァルガに行こう」
「魔法学院……俺には関係ないが」
「お前は見物でもしてろ」
「……そうする」
レイとバルゴの会話を背に、ルナがふと、来た道を振り返った。
その目には、真剣な、決意の色があった。
「……姉様。待っていてください」
◆ ◆ ◆
――同じ頃。山の上の廃城で。
ラミアは一人、窓の外を見ていた。
……断った。
……誰かを助けるため、か。
窓の外を見たまま、動かない。長い、長い沈黙のあと――ごく小さな声で、つぶやいた。
「……あの子らしい」
その口元が、一瞬だけ、緩む。
――が、すぐに、元の無表情へ戻った。
……くだらない。
自分の感情を、切り捨てるように。
◆ ◆ ◆
ヴァルガへ向かう道。前方に、大きな街が見え始めていた。
ルナが強くなる場所へ。
そして、いつか――ラミアと向き合う日が来る。
そのとき俺は……どんな理由で、戦っているだろうか。
(第六話 了)




