第2話:エルフの国で目覚めたら
〝知らない天井だ〟――なんて、ベタな感想が最初に浮かんだ。三万時間のアニメ視聴は、目覚めの第一声まで俺をオタクにしてしまったらしい。
白を基調とした、華やかな部屋。窓から朝日が差し込んでいる。体のあちこちに包帯。上体を起こそうとすると、首と肩がぎしりと軋んだ。
……そうだ。俺、オーガと戦って、そのまま倒れたんだ。
ベッドの横に、椅子がひとつ。そこに――銀髪の少女が、机に頭を乗せて眠っていた。長い耳。あの時の、エルフの子だ。机の上には水差しと薬。まさか、ずっと看病してくれていたのか。
朝日が少女の顔にかかる。長いまつげが揺れて、ゆっくりと目が開いた。
視線が、合う。
少女の目が、みるみる大きくなった。
「起きてくれました……」
今にも涙がこぼれそうになっている。俺が見つめると、少女は少し照れたように目を逸らした。
「あの……あなたのお名前は?」
「俊。……君は?」
「わたくしはルナと申します。シルヴァニア王国の、第二王女です」
王女。……王女? 思わず、自分が寝ていたベッドの豪華さを見直した。道理で天井に見覚えがないわけだ。ここ、城じゃないか。
「あなたは、どこから来たんですか?」
「遠い場所から来た。それ以上のことは……まだ話せない。ごめん」
転生してきました、とはさすがに言えない。「異世界から来た」という札がこの世界でどう扱われるのか分からないうちは、手札は伏せておくに限る。
ルナは少しだけ首をかしげてから、ふわりと微笑んだ。
「そうですか。でも……あなたが無事で、よかったです」
◆ ◆ ◆
その日の午後、俺は玉座の間に呼ばれた。
白亜の柱が並ぶ大広間。ずらりと整列したエルフの兵士たち。玉座には、威厳のある壮年のエルフ。ルナの父親――この国の王だ。
王は、まず娘を見た。
「ルナ。昨日は護衛からはぐれて、オーガに襲われたと聞いたぞ」
「申し訳ございません、父上」
「無事ならそれで良い。護衛には、娘を見失わないよう注意せねばなるまい」
そして、王の視線が俺に移った。
「娘の命を救ってくれた者よ。名は何と言う」
「俊と申します。ルナが困っていたので、助けただけです」
次の瞬間、俺は自分の目を疑った。
王が、玉座から立ち上がり――深く、頭を下げたのだ。ざわ、と兵士たちがどよめく。
「――まずは、礼を言わせてくれ。娘は儂に残された、たった一人の家族なのだ」
王が、頭を。……よっぽど、大事なんだな。
顔を上げた王は、今度は少し眉をひそめた。
「オーガを一人で倒したと聞いている。その身分、どのような者だ」
「特に身分はありません。これからどこかへ、旅に出ようかと考えているところです」
嘘は言っていない。身分がないのは本当だ。何しろ、昨日この世界に生まれたばかりなのだから。
その時だった。玉座の間の扉が開き、鎧姿の将軍が足早に入ってきた。
「ガイウス陛下、失礼いたします。急ぎのご報告が」
将軍は玉座の前で片膝をつくと、低い声で告げた。
「遺跡の魔物が、さらに増えております。本日未明、様子を探った調査隊が二名負傷し、撤退いたしました」
「……またか」
ガイウス王が苦い顔で額を押さえる。遺跡。魔物。増える一方。……覚えのある流れだ。すごく、覚えのある流れだ。
と、ルナが一歩前に出た。
「父上。――この方のような力を持つ者のお力が、必要なのではありませんか」
「何を言う」
「あの遺跡は、我が国が大切にしてきた歴史的な場所です。このまま魔物の巣にしておくわけには参りません。そして俊さんは――たった一人で、オーガを倒した方です」
おい、待て。話がどんどん俺の方に転がってくるぞ。
王はしばらく沈黙してから、俺に向き直った。
「俊よ。我が国の遺跡に住む魔物たちを、討伐してくれぬか」
やっぱり、そうなった。
「本来であれば、我が国の魔法使いが大規模魔法で対処するのだが……遺跡は我が国の歴史的遺産だ。大規模な魔法で傷つけることはできん」
なるほど、と俺は頭の中で状況を整理する。異世界アニメで言えば、この手の依頼は序盤の重要案件だ。ここで受けておかないと、後々に大きな問題になるパターン。信用、実績、人脈――序盤に積めるものは、全部積んでおくべきだ。
ただし。
「一つだけ、伺ってもよろしいですか。――報酬は」
一瞬、玉座の間が静まり返った。兵士たちがざわつき、ルナがハラハラした顔でこっちを見ている。
いや、だって、命懸けの仕事だぞ。条件確認は社会人の基本だ。それに、タダ働きを美徳にする主人公は、アニメでも大抵あとで苦労する。
王は――ふっ、と笑った。むしろ気に入った、という顔だった。
「よかろう。――路銀と通行証はもちろん、娘の命を助けてくれた恩と合わせて、何でも願いを聞いてやろう」
何でも。
「ただし、これはお前の力を見定める〝試験〟でもある。身元の知れぬ者を、恩人とはいえ無条件に信ずるわけにはいかんのでな」
「わかりました。引き受けます」
一礼しながら、俺は胸の内でメモを取った。〝何でも〟、か。アニメだと、こういう約束は後で必ず効いてくる。覚えておこう。
「では、準備を整えて明日の朝に出発してくれ。我が兵士が案内する」
玉座の間を出て、廊下を歩く。隣にはルナ。
「俊さん、ありがとうございます」
「本当は……すごく危険な依頼だと思う」
正直に言った。それから、これも正直に。
「でも俺は、この世界に身分も金も知り合いもゼロなんだ。この国と繋がっておくのは、それだけの価値がある」
窓から午後の光が差し込む廊下を、二人で並んで歩いた。
廊下の途中で、ルナが立ち止まった。
「わたくしも……付き添いたいのです」
「お前が付いていったら、また国王が心配するだろ。今回は、ここで待っていてくれ」
そう返して歩き出そうとした俺を、ルナの声が引き止めた。
「俊さん……少しだけ、話を聞いてもらえますか」
振り返る。窓際に、夕焼けの光が差し込み始めていた。ルナは覚悟を決めたような顔で、まっすぐに俺の目を見ていた。
「わたくし……ずっと、外の世界を見てみたかったんです。王女として守られてばかりで、ずっと城の中で」
それから少し俯いて、言葉を選ぶように続けた。
「でも……それだけじゃ、ないんです。このままでは何もできない。何も変えられない。そのことが、ずっと……悔しくて」
顔を上げたルナの目には、強い光があった。
「俊さんが帰ってきたら……一緒に冒険に、連れて行ってください。王女だからとか、危ないからとか、そういう理由は関係ありません。わたくしは、自分の力で、何かを変えたいんです」
……本気だ。その目は、嘘をついていない。
一時的な憧れなら、笑って流せばいい。でも、この目は違う。昨日、オーガの前で足がすくんで動けなかったくせに、それでも俺の背中に「足元、危ないっ」と警告を飛ばしてくれた――あの子の目だ。
「……帰ってきたら、ちゃんと話す」
少し間を置いて、俺はそう答えた。
「まず俺が、生き残らないといけないけどな」
◆ ◆ ◆
夜。与えられた部屋で、俺は一人、作戦を練っていた。
――【レベル13/スキル:超反射・超速再生・スキル吸収/分解・武器操作・硬化・嗅覚強化・筋力増強】
――【超反射(熟練度31%)/超速再生(熟練度28%)】
ステータスウィンドウを眺める。手札は悪くない。相手が複数でも、超反射と超速再生のコンボなら対抗できるはずだ。
問題は――「遺跡を傷つけない」という制約の方だ。
考えてみてほしい。俺の主力は反射だ。反射で吹き飛ばした魔物が、壁や装飾に激突したら? それだけでアウトだ。攻撃を受けるたびに周りの文化財が壊れていく勇者とか、シャレにならない。
……つまり、戦う場所を、こっちで選ぶしかない。
装飾のない通路に誘い込めば、被害は出ない。おまけに狭い場所なら、一度に来られる数も絞れる。狭所の防衛戦――アニメの籠城回で、散々見たやつだ。
方針は決まった。あとは、寝る。体力管理こそ、前回の最大の反省点だからな。
◆ ◆ ◆
翌朝。城門には、案内役の兵士たちと将軍が揃っていた。
将軍は、鞘に収まった一振りの剣を、俺に差し出した。
「王より賜った。エルフ鍛冶の剣だ。丸腰で行かせるわけにはいかん、とのことだ」
「……ありがたく」
受け取った剣は驚くほど軽く、手に吸い付くようだった。そして俺は、内心でガッツポーズをする。武器操作――ゴブリンから吸収したまま出番のなかったスキルよ。やっと、お前の時代が来た。
「遺跡までは半日の道のりだ。魔物どもは昼夜を問わず活発だと報告が上がっている」
「承知いたしました」
城門を出る時、ふと振り返ると、城の上にルナの姿が見えた。心配そうな――でも、それだけじゃない何かを湛えた顔で、こっちを見ていた。
緑の平原を、馬で進む。半日後、平原の先に古い遺跡が見えてきた。苔むした石柱。崩れかけたアーチ。歴史的遺産と言われれば、確かに素人目にも、大事にしたくなる佇まいだ。
「あれが遺跡だ。魔物どもの気配は強い」
将軍の言葉に頷いて、俺は馬を降りた。
「皆さんは、ここで待っていてください。これ以上は、私一人で行きます」
「わかった。ご武運をお祈りする」
腰にエルフの剣。一人で、遺跡へと歩き出す。
入り口に立つと、奥の暗闇から、獣の唸り声が響いてきた。
◆ ◆ ◆
遺跡の内部は、暗い石室だった。
そして――いた。剣を携えた骸骨の兵士、スケルトンソルジャーが数体。天井には大型コウモリの群れ。柱の陰には、紫色の大蜘蛛。
骨の剣士に、コウモリに、毒蜘蛛。アンデッド系の巣か。
魔物たちが、一斉にこちらに気付いた。
「グワァァァ!!」
突進してくる。数が多い。まともに広間で受けたら、反射の余波で装飾が消し飛ぶ。
だから俺は――あえて背を向けて、走った。
目指すのは、装飾のない狭い通路。作戦通り。戦場は、こっちが決める。
通路に飛び込んだ瞬間、振り返って剣を抜いた。武器操作スキルが発動する。体が勝手に、最適な受けの型を取る。……おお、すごいな武器操作。剣が、手に馴染む。
俺の〝剣〟の使い方は、たぶん普通の剣士とは真逆だ。
弱い攻撃は、あえて食らう。痛みと引き換えに、反射が敵を倒してくれる。重い攻撃だけを剣で受け流して、ダメージを節約する。受け流した攻撃は反射できないが、それでいい。食らうか、受け流すか――その仕分けこそが、俺の剣術だ。
スケルトンの斬撃を受け流す。体勢を崩した骨に、後ろから来たコウモリが激突する。急降下してきた別のコウモリは、硬化した腕でガードして、反射で撃ち落とす。直撃をもらって傷ができれば、超速再生が塞いでいく。
受けて、流して、返す。狭い通路で、魔物たちは次々と倒れていった。倒れた魔物から光が走り、俺の中へ流れ込んでくる。
――【スケルトンソルジャーのスキル「剣技(初級)」を習得!】
――【ケイブバットのスキル「暗視」を習得!】
――【ポイズンスパイダーのスキル「毒耐性」を習得!】
剣技まで貰えるのか。武器操作と合わせたら、俺の剣、けっこう本物になってきたんじゃないか?
試しに、暗視を発動してみる。目に光が宿り、奥の暗闇が昼のように見えた。
……見えてしまった。奥に、まだ三十以上いる。
暗視、即戦力すぎる。そして絶望も、即配達だ。
背後に気配。嗅覚強化が、匂いで教えてくれる。振り向きざま、体当たりしてきた骨を反射で吹き飛ばす。死角は嗅覚でカバー。いいぞ、スキルが噛み合ってきた。
――【超反射(熟練度47%)/超速再生(熟練度44%)】
熟練度も、どんどん上がっている。この調子なら――
……なんて思えていたのは、最初のうちだけだった。
◆ ◆ ◆
気がつけば、俺は片膝をついていた。
通路には、倒した魔物が積み重なっている。壁には戦闘の痕跡。でも、広間の装飾は一切無傷だ。誘い込みは、成功している。
成功しているのに――終わらない。
「グルルル……」
まだ来る。立ち上がる。受けて、流して、返す。
――【レベル15に到達!】
レベルは上がる。スキルは完璧に働いている。それでも、数が多すぎる。複数同時の攻撃は捌き切れず、血が流れ、傷が蓄積していく。超速再生が塞いだ端から、新しい傷が増えていく。
数が多すぎる。いつまで、続くんだ。
このペースでは……限界に、近い。
膝が震える。それでも、立ち上がる。ここで止まるわけにはいかない。城の上から見送ってくれた、あの目に――「帰ってきたら話す」と、約束したんだ。
遺跡の外では、将軍たちが待っているはずだ。もう、夕方の日差しの頃合いだろうか。……心配、かけてるだろうな。
スキルはある。超反射も、超速再生も、スキル吸収も。でも、この身体が――まだ十歳の、子供の身体が、悲鳴を上げている。
それでも。
受ける。流す。返す。受ける。流す。返す――
再生が間に合わない傷が増える。視界が狭くなる。膝をつき、地面に手をつく。
「……まだ、いる」
顔を上げ、剣を握り直し、最後の数体を――受けて、流して、返して――捌き切った。
……静寂。
倒れた魔物の山。立っているのは、俺だけ。
「はぁっ……はぁっ……終わった、のか……?」
剣を杖代わりに、息を整える。暗視の視界の奥に、遺跡の最深部へと続く通路が見えた。
……いや。終わってない。
アニメなら、巣には必ず〝主〟がいる。
その時だった。
遺跡の奥から――ひゅう、と冷たい風が吹いてきた。
今、何かが、動いた。
目を凝らす。暗視の視界の、さらに奥。最深部の暗闇の中に――青白い炎が、二つ。ゆっくりと、浮かび上がった。
それが「目」だと理解した瞬間、背筋が凍った。
「……何だ、あれは」
(第二話 了)




