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第九話 勇者、再会する

 日がゆっくりと傾いていく。クラリスはフィーアと手を繋いだまま、魔王がいるであろう市場の中へと進んでいた。護衛も付かず離れずの位置にいることは把握している。

 クラリスは完全に油断していた。久方ぶりの人込みで、感覚が鈍っていた。クラリスは海で遊んで疲れていたことや、人の多さに少し酔っていた。魔王と合流したのち、速やかに帰ろうと思っていたのだ。

 クラリスが狭い路地の前を通りすぎただけだった。強く右腕を引かれ、同時にフィーアの体も引っ張られる。

 ――誰だ⁉

 鈍っていた間隔を蘇らせ、状況確認をするため、視界を全開まで動かす。

 りんご飴の店主が言っていた人攫いだろうか。フィーアを守るように腕の中に囲い、掴まれていた腕を強引に振り払った。

「何者だ⁉」

 クラリスは外套の二人組を睨みつける。すると、二人組は被っていた外套をはぎ取り、姿を顕にした。その姿を見て、クラリスは絶句する。

「ウンブラ? ロス?」

「クラリス、会いたかった!」

 外套の主は、かつての仲間であるウンブラとロスだった。

「どうしてここに?」

 クラリスは驚愕の瞳でウンブラとロスを見つめた。ウンブラは一歩前に出ると、右手を差しだす。

「クラリス、助けにきたんだ。一緒に帰ろう」

 その言葉に、クラリスは動揺する。

 嬉々と手を握り返してくれることを想像していただろうウンブラたちは、クラリスの異常を訝しむ顔を見せる。

「ま、待ってくれ。私はメンシス王国には――」

「メンシス王国には戻らなくていい。僕らと一緒に遠くの国に逃げよう。大丈夫、クラリスのことは今度こそ僕らが守るから」

 守る、という発言にクラリスは迷いがにじみ出る。

「しかし……」

 クラリスはちらりとフィーアを見た。フィーアは突然のことで不安を顕にし、クラリスの服を握っている。ウンブラの視線が初めてフィーアに向いた。

「その魔物が君の決断を鈍らせているのかい? 気にいっているなら愛玩用として連れていこう」

 その台詞にクラリスは瞬間的に怒りを覚えた。腹立たしさは込みあげ爆発する。

「フィーアを物のように言わないでくれ! 彼女は私の友人だ」

 ウンブラはひどく顔をしかめた。

「どうしたのクラリス? 魔物が友人? 笑わせないでくれ。魔物は絶対的な敵だ」

 その瞳は猟奇的に輝いていて、フィーアの体がびくりと弾む。フィーアを強く抱きしめることでクラリスは彼女を守ろうとした。

「さあ、クラリス。行こう」

 ウンブラが手を広げる。彼が動きを見せるたびに、困惑は体中に広がっていった。

「待ってくれ! 私は――」

 さらに距離を縮めようとするウンブラに、クラリスは後退りをした。

 とん、と壁ではないものにぶつかる。見あげると、そこにはクラリスを安心させるように肩を抱く魔王が立っていた。

「クラリスに近づくな」

「魔王……」

 クラリスは言い様のない安堵を抱く。片や元味方であるウンブラたちだったが、魔王の包容力には負けてしまう。

「放すのはおまえだ魔王。クラリスを返せ!」

 地を這うような声音で、ウンブラが魔王を睨みつけた。

「頭に血が上って状況を把握できないおまえに、渡せるわけがないだろう」

「何を!」

 武器を取りだしたウンブラに、クラリスは体を強張らせた。

 ――なぜ、なぜ?

 混乱する頭は頂点にまで達すると、クラリスは強い眩暈がして、体の力が抜けていくのを感じた。

「クラリス様!」

 意識を失う前に、フィーアの声が聞こえた気がした。




 言い争う声に意識は浮上する。身じろぎをすると、瞬時に誰かが枕元に寄ってくる気配がした。目をゆっくりと開くと、そこには心配の色で揺れる目をした魔王とフィーアがいた。

「クラリス様、お加減はいかがですか?」

 フィーアが顔を覗きこむ。寝たままのクラリスは、何度か起きあがろうとしたものの、体に力が入らない。瞳も全開にならない。

「……反動が大きいみたいだ。起きあがれない。やはり、遊びすぎるのは考えものだな」

「無理するな、今は寝ていろ」

 頭を撫でる優しい触れ方に、安堵感が膨れる。魔王の手を受けいれながら、意識を失う前の懸念をこぼす。

「だが、ウンブラたちが――」

「我が何とかする。心配するな」

 魔王がいつものように手を動かすと、クラリスは安心して目を閉じた。寝息が聞こえるまで、魔王はクラリスの頭に手を置いていた。

「――クラリスを、魔国から出すことはできない」

 クラリスの髪をかき分けながら、魔王ははっきりとした声音で否定した。ウンブラたちは突然話しかけられたことで息を呑む。

「なぜだ? クラリスは人間だ。人の国にこそいるべきだ」

「おまえたちはどこまで知っている? ソーレとの戦争のことは?」

 メンシス王国と中央国家ソーレの戦争。その国家間問題を話題にされ、ウンブラもロスも一層空気を固くする。

「……おまえは、どこまで知ってる?」

「戦争の発端にクラリスが利用されていること、それがクラリスを処刑しようとした狙いであり、メンシスの王が腐りきっているということくらいだな」

 ウンブラが悔しそうに呻いた。

「――頼みがある」

 魔王は普段の彼らしくない台詞を吐く。不遜な態度からは読み解けない「頼み」。ウンブラは何か裏があるのではないかと勘繰った、しごく冷静な声で尋ねる。

「魔王なら、命令すればいいだろう」

「おまえたちは我の配下ではない。命令など、効力は何もない」

 魔王の口から当然を言われ、ウンブラは押し黙ったあと苦々しげに口を開いた。

「……聞いてやる。頼みとはなんだ?」

 決しておまえの思うようには従わないぞ、という意味が込められ、上から物を言う。ウンブラの気概を見透かす魔王は、尊大な態度を無視して言葉を続ける。

「クラリスに戦争のこと、そのきっかけを教えないでくれ。今はあまり責任や重圧をかけさせたくない」

 どこまでもクラリスを想うその言葉に、ウンブラもロスも圧倒された。魔王はクラリスのためならば、敵国の一般兵にまで願いを口にするのかと。

「この頼みが聞きいれられないならば、我はおまえたちを宮殿から追いださねばならない。クラリスの元仲間に、そのような真似はしたくない」

「元仲間じゃない。俺たちは今もクラリスの味方だ」

 訂正が入れられるが、魔王は高圧的な態度を崩さずに鼻で笑うだけだった。

「ウンブラ」

 必死に頭を巡らせるウンブラに、ロスは珍しく真剣な声をかける。

「今の話を聞く限り、勇者様のためなら、俺は黙っていた方がいいと思う」

 ウンブラもそれは理解していただろう。今のクラリスに状況を把握し、受けいれる容量はない。クラリスのためを想うならば、黙秘していた方が完治に近づくことは確かだ。

「……クラリスを魔国に預けるのは戦争が終わるまでだ。それ以降は、人の国に連れて帰る。それが条件だ」

 魔王を睨みつけながら、ウンブラは一定の譲歩を告げる。それに対して、魔王は一歩も譲らず、はっきりと言った。

「それはクラリスが決めることだ。我には決定権がない」

「洗脳されているかもしれない」

「我らが行ったのはうつ病の治療のみ。心配なら調べてみればいい。おまえも、医術を嗜んでいるのであろう」

 どこまで情報を掴んでいるか分からないその台詞に、ウンブラの歯を噛みしめる音が響く。

 魔王の余裕の表情を崩すことはできず、ましてや無期限の魔国への滞在も許される。部屋を隣室に用意するなど、とんとん拍子に話は進んでいった。完全に魔王の手の平のうちだった。

 フィーア以外が部屋から出ていくのを確認してから、クラリスはゆっくりと瞳を開く。

 クラリスは元勇者である。勇者は隠密にも長けていなければならなかった。足音を立てない術、情報を盗む術。――そして寝ている振りをする術。それはクラリス以上に隠密に長けているはずの魔王やウンブラを欺くほど。魔王は完全にクラリスが寝いったと錯覚して、部屋を変えずに話をした。

 クラリスは働かない頭で考える。自分が発端で起きるメンシス王国とソーレの戦争がある。それはクラリスに衝撃を与えた。

 必死に気持ちが落ちないよう自分を保つ。衝動のまま自傷したくなるのを、気を引きしめて留めた。この場にフィーアがいなければ、自傷行為をしていたかもしれない。

 クラリスは意思を強く持って気持ちに整理をつける。

 フィーアに気づかれないよう、深く息を吐いた。

 ――今の自分に、戦争を止めることはできない。

 それはクラリス自身がよく分かっていた。しかし、決して無視などできることではなかった。

 ――まずは、体を治さねば。

 何もしないのは元勇者としての信条以外に、ただのクラリスとして許せない。落ちこんではいられない。そう言い聞かせて、気持ちを必死に保つ。

 メンシス王国の王は秘密裏にクラリスを処刑し、ソーレとの戦争に利用しようとしている。処刑は魔王の邪魔によりできなかったものの、存在が不確かになったクラリスを戦争の引き金に使った。そこまで話を整理しただけで、頭は痛くなる上に気持ちも沈んでいく。

 クラリスは寝台の天井を見あげ、頭に手を置いた。

 正直、クラリスがどうこうできる規模ではない。数万か、それ以上の国家間同士の戦争である。彼らの話から分かることは、クラリスはメンシス王国ではすでに死んでいるということだ。

 ――でも、私はこうして生きている。

 それは魔国の者が治療を施し、癒し、受けいれてくれたからだ。

 クラリスの瞳に、決意の光が宿る。

 物事には順番がある。今の自分では何もできないことをクラリスは痛感していた。

 もう一つ、クラリスは考えなければならないことがある。

 ウンブラたちとともに人の国に戻るか、魔国に残るか。

 唐突に、ルゥの「迷惑なのよ」という言葉を思いだした。

 魔国に居座ると決めたとして、クラリスの生活を保障してくれるものは何もない。今と同じように、ずっと魔王やフィーアが世話をしてくれるわけではない。うつ病の治療をするにも、普通に生活するにも金がいる。金なし家なし職なし病魔ありのクラリスには難しい問題だ。

 ――これからどうしよう。

 魔国での生活があまりにも心地よくて忘れがちだったが、クラリスは人間だ。今の魔国が人間を受けいれているといっても、人間は人間の国にいるのが当然なのだ。

 ――どうしたいか、どうするのが正解なのか分からない。

 視界が段々濁っていく。混乱すると泣いてしまう癖を何とかせねばと思いつつ、涙は無条件で流れてくるのだからどうしようもない。

 ――私はいつ治るのだろうか。

 不安が一気に押し寄せる。考えることを一端停止しても、不安は消えてくれない。

「クラリス」

 魔王がそばに近寄ってきていたことに、クラリスは気づかなかった。首を動かすと、目尻に溜まっていた涙が頬をつうっと流れていき、枕を濡らした。

「どうした。なぜ泣いている?」

 優しい魔王の声音にほっとしている自分がいることに、クラリスは愕然とした。今はもう敵国の王であることや、捕虜であることなどという思考はない。

 すがっていい存在でないことは確かだった。魔王にクラリスを助ける責任はない。クラリスに配慮をしても利益など全くないからだ。

 ――ああ、どうして気づかなかったのだろう。

 気づいていたものの、気づかない振りをしていただけだ。自覚してしまったら、もうここにはいられないから。

 ――私は、魔国にいたいのか。

 フィーアと会話するのが好きだ。ドクの診察が待ち遠しかった。魔王との添い寝が心地よかった。庭園を散歩するのも、海や城下を訪れたのも楽しかった。無為な時間の過ごし方がこれほどにも気持ちのよいものだと、クラリスは知らなかったのだ。

 ――私はどうしたらいいのだろう。

「今は何も考えるな」

 魔王はクラリスの涙に触れた。そして大きな手を目元に置き、視界をふさぐ。

「何も考えなくていい。そなたは笑っていてくれ。それだけでいい」

 研ぎ澄まされた耳が、魔王の温もりのある重い言葉を拾う。

「クラリス、そなたはここにいていい。ここにいることを、我は望んでいる」

 涙は、クラリスが眠りにつくまで、魔王の手を濡らし続けた。



 クラリスは朝からひどく胸騒ぎがしていた。ざわざわと心穏やかでない気持ちにふたをして、クラリスはフィーアに付き添ってもらい、ドクの診察室を訪れていた。

「今でも不安になると泣いてしまうんだね。そういうときは泣いていいんだよ。今は昔の自分と比べて泣くことがいけないことのように感じるかもしれないけれど、泣くのは決して悪いことではないんだ」

 対面に座るドクに相談すると、彼はゆっくりとした声で語る。ドクは初回のときからこのように優しく語りかけてくれる。それをしっかりと受けいれられたのは最近で、自分の中に吸収できたのも余裕ができてからだった。すうっと浸透するドクの言葉に、クラリスは頷くことで返す。

 泣くことは悪いことではない。

 うつ病を「悪」と捉えがちだったクラリスには、目から鱗の言葉である。それは国柄もあるのだろうが、クラリスは少しずつうつ病の本質を理解していた。

「今日は睡眠薬の処方だったね。悪いのだけど、さっき睡眠薬を取りにきた奴がいてね。それで最後だったんだ。材料が手に入り次第作って、あとで届けるね」

「材料が必要でしたら私が買いに行きましょうか?」

 クラリスの診察を背後で見守っていたフィーアが提案する。

「それは助かる。色々下準備もあってね。診察室も空けるわけにいかないし」

 そう言ってドクは必要な薬草を書きだしてフィーアに渡した。

「クラリス、少しの間フィーアを借りるね」

「フィーア、私の薬のためにすまない」

 クラリスが申し訳なさそうに謝罪すると、フィーアはにこりと笑って胸を叩いた。

「お任せください! 超特急で買ってまいりますよ!」

 フィーアはクラリスを部屋まで送り届けてから、身支度を済ませ城下町まで下りて行った。



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