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第十話 勇者、覚悟を決める

 夕方から夜にかかる時間、魔王がクラリスの部屋に訪れた。部屋の中は真っ暗。魔王が灯台に火をつけ、クラリスの姿を探す。クラリスは布帳の奥に縮こまるようにして座りこんでいた。

「こんなところでどうした」

「魔王……」

 クラリスは不安で満ちた気持ちを隠すこともできず、魔王を見あげた。

 魔王によって抱えあげられる。体は冷えきっており、顔がひどく強張っているのを感じる。

「どうした。何があった」

 窓から視線を外せない。クラリスの瞳に段々と涙が溜まっていく。

「……フィーアが、まだ帰ってこないんだ」

 昼前に使いに出たフィーアがまだ帰ってこない。城下町は車を使えばそう遠くはない距離だ。薬草屋は奥まったところにあるというが、フィーアは何度か行ったこともあるため、迷うほどではない。

「他の者にも何か知らないか聞いてこよう。もしかしたらすでに帰っているかもしれない」

 クラリスを寝台の上に下ろし、魔術で部屋を暖めてからひるがえす。クラリスは無意識のうちに魔王の外套の裾を掴んだ。

「どうした?」

 魔王はしゃがみ込んでクラリスの視線に合わせた。クラリスは眉をひそめ、涙を落とした。

「わ、私を置いてかないでくれ」

 平常なら絶対に言わない台詞だったが、今のクラリスは心細さで押し潰されそうだった。

「分かった。一緒に来い」

 再び魔王に持ちあげられ、腕の上に乗せられる。クラリスは慌てて魔王の頭に腕を巻きついた。

「まずはドクのところに行こう」

 部屋を出ると、隣室からウンブラが覗いていた。クラリスを抱きあげた状態の魔王を見て、ウンブラは顔をしかめる。

「何があった?」

「クラリスに付いている侍女が使いに行ったきり帰ってこない。城内にいないか聞きに行くところだ」

 クラリスは目を下げて、不安な心と必死に戦っていた。どんどん早くなる鼓動の音は魔王にも伝わっているだろう。

「僕も情報を集めよう」

「頼む」

「おまえのためじゃない。クラリスのためだ」

 魔王の背後にそう声をかけて、ウンブラは姿を消した。完全に気配が消えたのを察知して、魔王は歩きだす。クラリスは震える体を誤魔化すように、魔王の頭部に抱きつく力を強める。

 ドクの元に向かい、侍女の部屋に向かい、宮殿中を探してもフィーアは戻っていなかった。同時進行で魔王は情報収集のための蝙蝠型の魔獣を数羽飛ばした。彼らもいまだに帰ってきてはいない。

 夜が更けてもフィーアは戻ってこない。クラリスの緊張の糸はぐちゃぐちゃに固まっていた。疲労が限界になっていたクラリスを配慮してか、一度部屋に戻ることになった。

 別の侍女に温かい紅茶を淹れるように魔王が指示を出す。すると、部屋に気配が一つ増えた。

「クラリス」

 突然現れたウンブラは、彼は固い表情でクラリスを見つめている。

 ちょうどその頃、魔王の放った魔獣が一羽だけ戻ってきた。魔王は魔獣を手に乗せると、頭に手を置いた。

「クラリス、落ちついて聞くんだ」

「――待て」

 ウンブラが話しだそうとすると、魔王の強い静止の声が響いた。

「なんだ。お前に用はない」

「クラリスには言うな。我が対処する」

「信用ならない。おまえは所詮魔物だ」

「魔物ではない。魔族だ」

 睨み合う魔王とウンブラに、クラリスは戸惑う。何度か視線を行ったり来たりさせてから、魔王の服の裾を引っ張った。

「なあ、フィーアのことだろう? 私なら大丈夫だ。教えてくれ」

 案の定、魔王は言うのを渋った。クラリスの体調を気遣っているのは明白だ。

「ウンブラ、教えてくれ! フィーアはどこに行ったんだ?」

 クラリスの真っ直ぐな瞳を見て、ウンブラは口を開いた。

「そのフィーアっていう魔物は、どうやら誘拐されたらしい」

「ゆう、かい?」

 クラリスは軽い眩暈に襲われたが、素早く魔王に体を支えられた。ぎゅっと魔王の服にすがりつく。

「彼女が路地裏に連れこまれるのを近所の子どもが見ている。城下町から出ていく、魔国の紋がついていない馬車を見かけた者も何人かいた。おそらく魔物や人攫いの連中の馬車だろう」

 クラリスの頭から一気に血の気が下がる。

 魔族や魔物、魔獣といった人間でないモノは、愛玩としても労働としても高く取引されるらしい。

 最近、城下で人攫いが出ている情報は頭の隅にあった。「人」攫いと言っても、その内訳は見目のよい人間から魔族まで様々だ。即刻対処を呼びかけている間、今回の誘拐事件。相手も攫いの玄人ということか。

 クラリスはどんどん青ざめながらも、自分を叱咤して魔王を見つめた。

「魔王、フィーアはどこに行ったんだ? あなたなら掴んでいるのだろう?」

 魔王は答えるか迷う素振りをみせる。答えはあるものの、教えたらクラリスがフィーアを助けにいくと分かっているのだ。

 今のクラリスの体調では難しい。下手をすれば、途中で悪化してしまうこともあり得る。クラリスがどこまで受けいれられるか計れずにいるのだ。

 彼女はさらに魔王の服をきつく引き寄せた。

「私は大丈夫だ。魔王、フィーアのことを教えてくれ」

 魔王は少しの沈黙のあと、逡巡しながらも魔獣から受けとった情報を開示した。

「フィーアを攫ったのはソーレの魔族攫いの連中だ」

「ソーレだと⁉」

 ウンブラが目を剥いて叫ぶ。ソーレは現在メンシス王国と戦争を起こす間際の国だ。

「奴らはすでに国境を越えている。今は別の使い魔に追わせている。……フィーアはすぐに助けだすから、心配するな」

 魔王がクラリスの片頬を手で包んだ。安心させるように指の腹で撫でられるが、クラリスの不安はなくならない。

 クラリスは下を向き、ぼそぼそと呟いた。魔王の問い返す声に、ばっと顔を上げる。

「助けにいく! 私も、助けにいく!」

 魔王は眉根を中央に寄せ、固い表情で「駄目だ」とクラリスを拒む。

「なぜだ⁉ 私がうつ病だからか」

「そうだ。今のそなたでは足手まといだ。必ずフィーアは無事に取り戻す。だからそなたはここで待っているのだ」

 きつい直接的な言葉にクラリスはたじろぐ。クラリスにとっていつも優しい魔王からの初めての拒絶だった。

 魔王は身をひるがえすと、部屋を出て行こうとする。

「魔王!」

「クラリス。そなたはしばらくこの部屋から出るな。いいな」

 そう厳命して、魔王は部屋から出ていった。

 クラリスは魔王から拒否され、顔は青ざめる一方だった。フィーアが攫われたこと、魔王から拒否されたこと、二重の意味で衝撃を受けて落ちこむ。ウンブラとロスの気遣う視線にさえ応えられない。

 部屋には外からしか開かない魔法が施され、クラリスは部屋から出られないようになった。クラリスの部屋に放りこまれたウンブラとロスも同様に、外には出られない。

「魔王の奴、どうしたんだ? あんなに勇者様のこと大事にしてたのに?」

 状況を把握できていないロスが、腰に手を当ててぼやいた。

 今のクラリスでは、魔族一人を助けに行くには自身の体調が妨げになる。魔王のしたことはかなり強引であるが英断だ。魔王はフィーアを諦めろと言ったわけではない。クラリスに追いかけるのを禁じただけ。それはクラリスもよく分かっていた。

 だからこそ、歯がゆく、悔しい。

 ――何もできない自分が、ここまで屈辱的で、情けないとは思わなかった!

 クラリスは自分の服を強く握りしめる。

 ――何が勇者だ。何が英雄だ。大切な友も守れない愚か者じゃないか。

 口惜しさから唇を強く噛みしめる。かさついた唇から口内にじんわりと血の味が広がった。

 ――私がこんな体じゃなかったら!

 そこまで考えて、クラリスはばっと顔を上げる。頭は冴え、視界は広い。こちらを不思議そうに見つめるウンブラとロスの顔がよく見えた。

 ――なぜ気づかなかったのだろう? いや、気づくことができる脳ではなかったのだ。

 クラリスは立ちあがると、服がしまわれている衣装棚の元へ一直線に進んだ。寝巻を脱ぎ捨てて、白い上衣と黒の綿の下衣を取りだす。突然着替えだしたクラリスにウンブラとロスは仰天し、慌てて背中を向けたのも無視をする。

 クラリスは装備を身に着ける。革の上着をはおり、朝にフィーアが整えてくれた髪を高い位置で結ぶ。革製の長靴を履いて、地面にこつこつと叩いて感触を確かめる。

 ただフィーアが助かるのを待つ。それをクラリスは考えられなかった。ならば、することはただ一つだ。

「ウンブラ、ロス」

 クラリスは二人に体を向けると、しっかりとした声音で呼びかけた。

「クラリス?」

 眉をひそめるウンブラに、クラリスは真っ直ぐな瞳で宣言した。

「フィーアを助けにいく。協力してくれ」

 ウンブラは顔をゆがめて頭を抱えた。

「相手はただの魔物だ。魔物である魔王が助けにいく。クラリスが行くほどじゃない」

 なだめにかかるその台詞に、クラリスは顔をしかめる。

「フィーアをただの魔物呼ばわりしないでくれ。フィーアは魔族で、――私の大事な友人なんだ」

 友人を助けにいきたい。今の自分では不可能なことは重々承知している。しかし、クラリスの意思は固かった。

 今の自分で駄目なら――。

「今から私はうつ病の自分を捨てる。きっとあとに反動がやってくるだろう。それで死ぬくらいの苦痛を味わっても、私は後悔しない。今ここに留まることの方が余程後悔する」

 うつ病の体は叱咤しても動かないことがほとんどだ。自分の意志ではどうにもならないのがうつ病である。

 しかし、クラリスは体も精神も酷使した上で立ちあがる。それはすべてフィーアを助けるという意思で動けている。

 それがいつまで保てるか、クラリスにも、医術をかじっているウンブラにも分からない。すべては賭けでしかない。いつ反動――精神の重圧や不定愁訴がやってくるか分からない。

 それでもクラリスは前を向くと決めた。

 ウンブラが答えに迷っていると、何も知らないロスが力強く胸を叩いた。

「俺は協力なら惜しまないぜ! いくらでも頼ってくれ勇者様!」

「ロス!」

「だって、きっと止めても勇者様は行くぜ? だったら俺たちが行動を把握してた方がいいじゃん」

 ウンブラはロスを諫めたが彼の言い分に一理あるという顔をする。

 この部屋を抜けだすのはそう難しい話ではない。魔王もクラリスがここまで回復しているとは思っていないからこそ、今なら抜けだせるはずだ。

 ウンブラしばらく思考を巡らしていたが、意志の強い瞳を向けるクラリスに「あ~、もう!」と嘆いてから渋々と頷いた。

「分かった。手伝うよ」

「ありがとう、ウンブラ! ロス!」



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