第十一話 勇者、欲を口にする
魔国の宮殿を抜けだして馬を買う。クラリスは一人での騎乗を心配されたため、ウンブラとともに乗ることになった。
馬の休憩も挟みつつ、昼夜問わず、ソーレに向かって走り続ける。
ようやく魔国との境界が見えてきた。魔国と人間の国の境にはいくつかの検問所がある。検問を避けて通るなら、魔物が巣くう森を抜ける必要がある。そこでは馬は使えない。
馬を乗り捨て、森を抜ける。体力が著しく低下しているクラリスを気遣っての進行は難関を極めた。
途中遭遇する魔物を退けながら、前へ前へと進んでいく。言葉少なく、昼か夜かも分からない鬱蒼とした森を抜けると、そこはすでにソーレ国内だった。
境の検問所から一番近い、栄えている街に到着する。久しぶりの布団がある宿を取るや否や、クラリスは寝台に腰かけるとそのまま寝入ってしまった。
次に目を覚ましたとき、窓の外は暗闇に染まっていた。
ちょうど偵察に出かけていたウンブラが戻ってきたところで、彼はクラリスの元に駆け寄ると、様々な荷物の中から細長い布袋を取りだす。形状からしてそれは細剣の類だった。
「これはクラリスに。以前使っていたものと比べると性能は悪いけど、ないよりはましかと思って」
「ありがとう、ウンブラ」
クラリスは微笑みをこぼして細剣を受けとり、布袋の中から取りだす。宝飾の類は一切ない質素な剣だった。手に馴染む感触がある実用的な剣だ。
「うん、いい剣だ」
即座に気にいったクラリスは、細剣の背を慎重に撫でた。ウンブラはその様子に頷いて再度荷物を探ると、ロスに食べ物の小包を投げる。それを難なくロスは受けとめた。
「食べる前に聞いてくれ。面倒なことになった」
ウンブラは真面目な顔で、声を潜めながら言った。
「魔族攫いの連中だが、どうやらすでに売買の取引を終えているようだ」
クラリスの顔色が一気に青ざめる。
「それって」
「買いつけ主は――ソーレ国軍。メンシス王国とソーレの戦争に連れていく気だ」
魔物や魔族を奴隷にして戦場に連れていくことはよくあることだ。人間以上に力の強い魔物を一般兵にぶつけるのだ。近年魔物を戦闘奴隷として使用することは増えていたが、扱いは大変難しく、同士討ちとなることも少なくはない。
しかし、フィーアに戦闘能力はない。おのずと、彼女が使われる意味はしぼられる。
「フィーアを、慰み者にするつもりか⁉」
クラリスは憤怒で目の前が真っ赤に染まる。怒りで体を震わせ、かたかたと細剣を揺らす。
「フィーアに少しでも手を触れてみろ。私が直々に処分してくれる!」
ひどく顔をゆがめ、クラリスは細剣を握る力を強めた。
翌日の早朝に宿を出発する。クラリスの気が、いても立ってもいられなかった。
新たに馬を三頭買い直し、手綱を握ったクラリスは勢いよく足で馬に合図を送る。馬は可哀想な悲鳴を上げてかなりの速度で走った。それに続いてロスやウンブラも走行する。
ソーレとメンシス王国の境の方角へ駆けて駆けて駆けて――ウンブラが「馬を休めなければ死んでしまう」と叫ぶまで馬を走らせた。
早朝に出発したというのに、すでに日は高く昇っている。息を吐く暇もなく走り続けていたため、馬から降りるとクラリスは態勢を崩した。
「クラリス!」
馬に水をやっていたウンブラとロスが走り寄る。
「大丈夫だ、大丈夫」
片手を挙げて静止してみせるも、震えて足に力が入らず座りこんでしまう。あれだけ酷使したというのに、馬までもが心配そうに鼻を寄せた。
「クラリス、まだ半分くらいの距離がある。このまま飛ばすと体が持たない」
「すまない。分かってはいるんだ。だけど!」
今もどこかでフィーアがつらい思いをしているかもしれない。胸が痛く締めつけられる。早く助けに行かなくてはと気持ちだけが早まって、体がついてこない。
がくがくと震える手足を叱咤して、何とか立ちあがる。馬の鼻を撫でてやり、水を与えてから自分も水分を補給した。
「大丈夫だ。まだ行ける」
それを心配そうに見つめる二人に、もう一度強く頷いて見せた。
夜が更けるまでクラリスたちは馬を走らせた。境まであと少しというところで夜が来てしまう。松明を照らして走るには足元が危険な場所なため、無理はせず野宿をすることになった。ウンブラのその判断にクラリスは唇を噛んで従う。
馬を降りて、食事も早々に、クラリスは木の根元に丸まって眠った。
朝になり、クラリスはウンブラに揺すられて起きる。体は鉛のように重いが、奥歯を噛みしめて体を起こす。
何度も大丈夫かとウンブラに問いかけられ、クラリスは馬の背を撫でながら返事をする。クラリスのことを気にいった様子の栗毛色の馬は、髪をむしゃむしゃと甘噛みしてきた。
今日も走る気満々の馬の背に乗り、朝日が昇る頃には出発した。平野を抜け、山岳地帯に入る。足場の悪い崖間際をゆっくりと通るのは、急いでいるクラリスにとってはもどかしかった。この崖を越えれば、おそらく眼下に戦場が広がるはずだ。
馬を購入した街では開戦はまだのようだったが、両国一触即発状態だという。フィーアがその戦争に巻きこまれないとも限らない。早くせねばという焦りがクラリスの精神と体力を繋ぎとめていた。
午後も中盤に差しかかった頃、ようやくメンシス王国とソーレの境付近に到着した。目前には草原地帯が広がっている。
「あの向こうに見える林からがメンシス王国の領地だ」
ウンブラが遠くの先に見える木の陰を指さした。その周辺にメンシス王国の軍隊が待機している。
眼下にいるソーレの軍隊も確認する。こちらもメンシス王国の動きを注視していて、索敵部隊が前方で双眼鏡を覗いている。
「フィーア……」
馬を奥に繋ぎ、頭を下げながらフィーアの姿を探す。馬車に閉じこめられているのか、外に姿は確認できない。歯がみしながらクラリスはソーレの軍を睨みつけた。
「作戦を立てよう」
ウンブラが小声で二人に告げた。地面に二つの軍の様子を描き、それを指しながらウンブラの指示を聞く。最後に「どうだろう?」と聞かれ、クラリスは大きく頷いた。
「いいと思う。ロスが大変だと思うが」
「このくらい任せとけ! 速攻で終わらせてくるぜ」
力強く腕を叩いてみせるロスに、クラリスは「頼んだぞ」と頷いた。
決行は日が暮れる頃。それまでに移動しなくてはならないロスと別れて、クラリスとウンブラは下準備に入る。
木々を集めながら、数十ごとに束ねていく。その作業をしながら、ウンブラは手を止めずにクラリスの名を呼んだ。
「クラリス」
「なんだ?」
「クラリスは……このあと、どうするつもり?」
クラリスの手が一瞬止まる。ウンブラはその大きな瞳で見つめてくる。気まずくなって目線を下に逸らした。
「魔国に戻るの?」
「……魔国には、戻れないだろう」
魔王に黙って出てきてしまった。魔王がクラリスの体調を鑑みて、部屋に軟禁したことは理解している。魔王の判断に不満はない。
だが、魔王はどうだろう。せっかく面倒を見てやった愛玩動物――クラリスは自分をその程度だと思っている――が勝手に逃げだしたら。
あの優しい魔王のことだ。普通の顔をして戻っても「どこに行っていたんだ」と言うだけで、折檻や拷問などはしない。でもきっと幻滅はするはずだ。
クラリスは欲ができてしまった。
愛玩動物などではない。特別になりたい、と思ってしまっている自分を自覚していた。
その特別がどのような形であれ、魔王とフィーアがいる空間で暮らしたいという思いは膨れあがるばかりだ。あの時間がクラリスは幸せだった。うつ病を患いながらも、初めて得た幸福だった。
だから――。
「いいんだ」
ウンブラはクラリスの瞳を捉えた。
「クラリスがそうしたいなら、そうすればいい」
すべてを肯定するその言葉にクラリスの眦は揺れた。
「で、でも! もしかしたら許されないかも!」
「そうしたら僕が魔王を殴ってやる。あの魔族の女と一緒に、怒ってやる」
「けど……」
「大丈夫だ、クラリス。僕が保証してやる。絶対にあの魔王は――」
下から巻きあがる風が吹き、クラリスの長い髪を吹きあがらせた。
「絶対に、クラリスを受けいれてくれる」
だから安心していい、そう言ってクラリスの手の甲を優しく包んだ。
「ウンブラ、私は――」
優柔不断になってしまったクラリスは、それでも様々なことを脳内で考えていた。クラリスのこと、魔王のこと、フィーアのこと、ウンブラのこと、ロスのこと。
メンシス王国のこと、魔国のこと、ソーレのこと。守ってきた国民のこと、魔国で知りあった魔族や人間のこと。
それらすべてがクラリスの決断の邪魔をし、判断材料となる。容量がいっぱいで壊れてしまいそうな中、クラリスは一つの欲を吐きだした。
「私は、魔国に戻りたい!」
「……それでいいんだよ」
目元を伏せて、ウンブラは受けいれた。内心の寂しい気持ちを押し隠すような声音。それでも、ウンブラはクラリスの幸福だけを考えて受けとめた。




