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第十二話 勇者、名前を呼ぶ

 林の奥の山岳に、太陽が段々と沈んでいく。

 完全に太陽が沈む前にクラリスはしなければならないことがあった。

 何十とある荷馬車の中から、厳重に見張りがついている荷馬車を探す。それらは崖のふもと付近に連ねており、その数、およそ百五十。荷台の中身は糧食か火薬だ。戦争において最も重要な役割を持つ必需品だ。

 それらを抜いた無人の荷馬車が点々と置かれ、一つ窓に鉄格子がはめられている荷馬車を見つけた。

 ――あそこにフィーアがいる。

 気持ちが急ぎ、今すぐ助けに行きたい衝動に駆られる。

 しかし、ソーレの軍はおよそ五万。クラリスがいかに優秀な勇者だったとはいえ、この数を相手にするには頭を使わねばならない。

 ――絶対に助ける。

 改めて意志を強く持ち、山の間に太陽が沈むのを待った。

 辺りが段々と暗くなり、ぽつぽつと松明の明かりが灯される。完全に草原一面が黒く染まる。中央は黒い穴が空いたかのように底抜けた暗さだった。

 風がさああっと草を攫う音がした。

 このような場での夜の戦闘は通常起きない。辺りが暗く、同士討ちもあり得るからだ。気が緩んだ兵士たちがぞろぞろと持ち場を離れて体制を崩していく。

 それはおそらく、メンシス王国も同じだろう。

 しかし、兵士たちの予想に反して、メンシス王国側から大きな音が響いた。

 四方に散る赤い花火が暗闇の空を照らしていく。低空で飛び散るもの、高く上空まで飛びあがるもの、回転するように散らばるもの。様々な種類の火薬が煙と炎を巻き散らかして、飛び散っていく。

 ――ロスからの合図だ!

 遠目で確認してから、クラリスとウンブラは動きだした。

 メンシス王国側でのいきなりの爆発に戸惑うソーレの軍は、崖の上で走る二人の影まで気を回せない。

 クラリスたちは束になった松明に火をつけると、目星をつけておいた荷馬車の上に放り投げる。いくつもいくつも松明を投げいれて走り、頭を抱えて伏せた。

 次の瞬間、耳をつんざく爆音とともに、ソーレ軍からも花火が巻き起こる。爆発しているのは火薬を積んだ馬車が中心であり、それに引火するように糧食の荷馬車が次々と燃やされていく。

 下からは逃げ惑う兵士の叫び声、怒号、鎮火を促す声。クラリスとウンブラは飛び散る火を避けながら、目的の荷馬車の元まで走った。

 荷馬車がある場所まで来ると、勢いよく崖から飛びおりる。クラリスは自分とウンブラに着地を助ける魔法をかけて、荷馬車の天井に颯爽と乗り移った。大きな音が立ったが、火薬の飛び散る音で周囲の兵士には気づかれていない。元より見張りがいないことは確認済みだ。爆発に注意が向いている今、二人には時間があった。

 ウンブラが地面に降り立つと、頑丈に鍵のかかった出入口を素早く開錠していく。

「開いた」

 ほんの数秒で鍵を開け、巻きつけられた鎖も外していく。扉を開け、中に体を滑りこませる。

 外の爆発音は聞こえていたのだろう。見目のいい魔族たちが、訳も分からない事態に怯えて、体を寄せあって震えている。それはかつてフィーアを助けたときの光景と似ていた。

「フィーア!」

 クラリスが名前を呼ぶと、恐る恐るという様子で、疲れた顔の少女が顔をあげた。少し汚れた侍女服をまとう、クラリスの大事な友人がそこにいた。

「クラリス、様?」

 フィーアは呆けた様子でクラリスを見つめると、次第に目に涙を溜めた。

「わ、私、夢でも見ているんでしょうか? クラリス様が、クラリス様が目の前にいるなんて」

「夢じゃない。助けにきた!」

 クラリスはフィーアの元に一直線に駆け寄ると、その細い体を強く抱きしめた。フィーアは止まらない大粒の涙をクラリスの肩に落としながら、震える体で背に手を回した。

「クラリス様! 本当に、本物のクラリス様だ! 助けに、きてくれたんですね、クラリス様ぁ!」

 連れ去られて怖かっただろう。閉じこめられて、いつ兵士に連れていかれるか、殺されるか分からなかっただろう。

 緊張が解けたフィーアは大声を出さないように気をつけながらも、嗚咽をこぼして泣き続けた。クラリスはそんなフィーアの背中を優しくさすってやる。

「クラリス、馬を連れてきた!」

 ウンブラが荷馬車の中に声をかける。クラリスはそれに返事をして、いまだに震えている魔族の女性たちに声をかけた。

「ここから脱出する。あなたたちは、もうしばらくこの荷馬車の中にいてくれ。どんなに揺れても音がしても、私がいいと言うまでここにいてほしい」

 そう嘆願すると、味方であると伝わったのか、こくりと頷きが返ってきた。

 クラリスはフィーアの両肩を掴むと、ぼろぼろと涙を流す顔を覗きこんだ。

「フィーア、必ず迎えに来る。だからもうしばらく待っていてくれ」

 離れることに強い不安を感じながらも、フィーアは光る瞳を瞬いた。

「待っています! だから、必ず迎えに来てくださいね」

 クラリスは大きく頷いて立ちあがると、髪をひるがえして荷馬車を降りた。

 ウンブラが馬を馬車に繋ぐ作業をしている間、クラリスは周囲を警戒する。

 火薬庫の爆発は収まりを知らず、四方八方に散りながら逃げる兵士たちの間を、火花が駆けていく。逃げ惑う兵士の一部が走ってくるのが見えたため、クラリスは細剣を抜いた。

 荷馬車の前に立ちふさがる存在に気づいた兵士が、明らかにソーレの兵士ではない者の姿に動揺の声をあげる。

「な、なんだおまえら⁉」

 クラリスは細剣を構えると、一瞬で兵士との間を詰める。兵士に剣を抜かせず、柄頭で腹を強打した。

「ごふっ!」

 息をすることもできず、腹を圧迫された兵士はその場で崩れ落ちた。クラリスは兵士に寄りかからせることなく体を引く。

「何者だ!」

 他の兵士が叫ぶ。その声に連動して、周囲の兵士が一斉にクラリスの方を向く。

「クラリス、乗って!」

 用意ができたウンブラから声がかかる。そのときにはクラリスはすでに十数人の兵士に囲まれていた。

 クラリスは体に強化の魔法を施し、目にも止まらぬ速度で一気に五人を叩き伏せていく。それを見たソーレの兵士たちは息を飲んで、帯剣している剣を抜きだした。

 クラリスは背後を見やる暇なく叫んだ。

「先に行け!」

「それはできない!」

 ウンブラの断固拒否の声を聞きながら、また一人を投げ飛ばす。

 荷台の方から素早く暗器が飛んできて、敵兵の動きを封じる。走り寄ってきたウンブラとお互いを守るように背中を合わせた。

「フィーアたちを早く安全な場所へ!」

「クラリスを置いていくなんて絶対にできないから。ここら辺の奴ら全員倒して、さっさとこんなところから出るよ!」

 クラリスはウンブラの返答に眉根を寄せるが、背中の熱が心強いのも確かだった。

「……ウンブラ、付いてこい」

「任しといて!」

 クラリスは細剣に魔力を注ぎこむ。徐々に青白く光り輝く細剣を見て、周囲の兵士の間に緊張が走る。

「あ、あれは、メンシスの勇者⁉」

「勇者だと⁉ なぜここに!」

 疑問が駆け抜ける前に、クラリスは前方に飛びだした。体を前傾に倒し、兵士の群れに入りこむ。反撃を食らう前に一撃を食らわせていく。ばたばたと倒れていく味方を見た瞬間から自分も倒れる、という摩訶不思議な現象にどの兵士も慄きの声をあげた。

 クラリスは風のように兵士の間を駆け抜けると、腹や首元などに細剣の柄頭を叩きこんでいった。

 今まで殺生はしないできた。クラリスは同じ人間同士の争いは無為であると常々考えていた。悪意ある魔物は容赦なく殺す覚悟を持っているクラリスだったが、人間を殺したことはなかった。

 しかし、考えを改める必要があるかもしれないと、クラリスは息を整えながら思った。

 ――殺さなければ、私が殺される。

 それは魔物と対峙するときと変わらない思考だった。

 ウンブラは身軽に、兵士の間を駆け抜けるクラリスを追いかける。戸惑い逃げようとたじろぐ兵士に打撃を食らわせ、それでも起きあがろうとする者にはウンブラが止めを刺していった。

 ウンブラが次々と兵士たちを戦闘不能にしていく。その技はクラリスよりも容赦がなかった。戦場には二度と立てない体に変えられていく。

 暗器に血を吸わせながら、防御の少ない部分を狙って刺していく。致命傷からは程遠く、失血死するほどの量ではない。放っておけば死ぬだろうが、その頃には気絶している兵士が起きるだろう。呻き声を漏らす兵士の腹に蹴りを叩きこみ転がす。

 兵士たちは戦争間際にもかかわらず、夜になったと同時に装備を外したのだろう。薄い装備で反撃をなかなか食わせることができない。体制などはなく、指示ではない叫び声や呻き声が辺りに響いた。

 火薬庫と糧食の荷馬車の火は燃えあがるばかりで、鎮火を知らない。ほとんどの兵士がそちらに気をとられる中、奴隷用の荷馬車前では一方的な戦闘が巻き起こっていた。

 荷馬車に半円を描きながら戦闘不能となった兵士が気絶して倒れていく。続々と倒れる仲間を見た兵士たちは、それを致命傷だと思いこみ、次は我が身と死を覚悟する。

 剣が叩きこまれる威力は凄まじく、一瞬で意識を刈りとっていった。青い光を目くらましに使い、切られた錯覚を信じこませ、首や腹に柄頭を食いこませる。

「勇者」が現れたと知った集団の後ろにいた者たちは、来た道を戻ろうとするものの、そちらは特大の花火が吹き荒れている地である。逃げ道をふさがれ、迷っている間にクラリスが目前に迫る。

 圧倒的な能力を発揮しているクラリスだったが、その顔に余裕はない。段々と体が疲労を感じていた。背中からあふれる冷や汗が止まらず、悪寒がする。これはおそらく体からの危険信号だ。

 うつ病を一時的に都合よく止めることはできない。寛解することはあっても、一気に経過がよくなるということは不可能だ。

 つまり、クラリスはつらい体をただ無理に引きずっているだけだった。元からの精神力の強さ、体力の多さからなるものだったが、自分の限界がすぐそこまで来ていた。

 ――早く片づけなければ!

「クラリス、この辺りで撤退しよう!」

 兵士の懐に潜りこみ、暗器の柄を首元に叩きこんだウンブラが叫ぶ。周囲の怒号や火薬の飛ぶ音でかき消され、クラリスの元にかすれて届く。

 そのときのクラリスの思考の中に、冷静の文字はなかった。目の前の敵を戦闘不能にする。柄を叩きこむ。魔法で作った風で近寄らせなくする。懐に潜りこむ。叩きこむ。その繰り返しを機械的に行っていく。

 目は完全に回っていた。吐き気は喉まで込みあげて、何度か飲みこんだ。血は脳にまで巡らず、判断力は低下している。体は冷えきっていて、全身に鳥肌が立っていた。どうやって体が動いているかは分からない。

 倒れこんでしまいたかった。もう一人のクラリスが頭の中で囁く。

 ――止まってしまえ。苦しいのもつらいのも終わる。

 そしてまた別のクラリスが言う。

 ――もう逃げよう! 十分だ。兵士の士気は削がれている! 

 撤退していいかも、クラリスには判断がつかない。先ほどから聴力は十分に機能せず、クラリスは無音の中で細剣を振るっていた。

 足場が悪くクラリスの態勢が崩れる。通常のクラリスならば、体を捻って相手に一撃を入れ、地面に手を突いて敵に蹴りを食らわせただろう。しかし、クラリスの体は反応することなく、そのまま頭から地面に激突しそうになる。

 その隙を狙って、兵士がクラリスの首に剣を振るう。その瞬間が視界に入っていても、体は反応してくれない。

 ウンブラは敵の攻撃を見て叫んだ。

「クラリスっ!」

 そのとき、風の音が止んだ。

 視界に捉えられるほどの風の渦がクラリスの身を包む。地面に激突寸前だった体は、風に持ちあげられ、温かな感触にクラリスは目を開けた。

 聴力はまだ戻らないものの、クラリスは確かにその声を聞いた。

「――もう、大丈夫だ」

 体は大きな手によって支えられていた。

 竜巻が大きな音を立てて空に吸いこまれていく。その場にはクラリスを支える、新たな存在が立っていた。

 黒い装束、伸びたかぎ爪、肌を覆う黒い鱗。圧倒的強者の覇気。

 兵士はそれだけで身を竦ませ、近くにいた者は泡を吹いて倒れる。震える体は止まることを知らず、頭を垂れて視線から外す。

 存在は威圧感を発しながら、轟くような声音で叫んだ。

「我が名は魔王。――それで? 我の配下を攫った愚か者はどいつだ」

 その声は火薬の燃える音にも負けず響き渡り、全てのソーレ兵の耳だけでなく、メンシス王国にも届くほどだった。

 魔国の王の登場に兵士たちは慄く。

 火事に追われて戦闘に気づいていなかった者も、叫び逃げていた者も、一様に押し黙り注目した。

 それは帝国側でも同じことであった。ソーレの陣地で空まで届く竜巻が起きたかと思えば、どこからともなく魔王の声が轟いたのだ。怒りのこもった声は、大地だけでなく空をも震わした。空気を振動させて、草原一帯を支配した。

 驚くほど、周囲の音が死んだ。すべての者が痛いほどの威圧を、風圧を、気圧を感じていた。

 魔王が二の句を告げる前に、空に稲光が走る。その雷は魔王の周囲に円を描くように落ちる。目の前に広がった眩しい光に目を塞がれているうちに、魔王を守るように著しく目立つ存在たちがたたずんでいた。

「魔王様、遅れてしまい申し訳ございません」

 魔王の側近であるルゥが代表して頭を垂れる。魔王はそれに一言「よい」と返すだけで、見向きもしない。

 ルゥはいつもの取り巻きを四人連れて、戦場には不向きのドレス姿だ。

 異質な存在はルゥだけでない。人間の五倍はありそうな巨人が、これまた大きな棍棒を片手に兵士たちを睨んでいる。胴体が馬の男に、空を徘徊する怪鳥、火を噴く鬼。外見が異形の者がほとんどで、その数はソーレの軍の百分の一も満たない。しかし、魔王に準ずる能力を持っているのは明白で、各々凶悪な覇気を発している。

「ソーレとメンシスの愚か者どもよ、覚悟はできているのだろうな」

 再び魔王が地を這う低音を空中に轟かせる。風が人間に向かって吹き荒れた瞬間、それを合図に魔王の軍勢が走りだした。

 ルゥはその体を大狼に変化させ、周りを四匹の狼が並走する。巨人が地震を起こしながら、逃げる兵士を踏みつけていく。黒の外套を被った集団が、一斉に魔法を唱えだした。

 悲鳴を上げて草原中央に向かう兵士を(なぶ)るように、怪異たちが襲いだす。魔族の軍勢は夜目が利くのか、的確に兵士を襲っていく。それもわざと止めを刺さず、楽しむように踏みなじる。魔族たちの猛攻から逃れるために一斉に兵士たちが後退した。

 圧倒的な戦力差を見せつけながら、蹂躙されていく様を、クラリスは呆然と眺める。あまりの魔族の戦力に手も足も出ない人間の姿を、どこか客観的に見ていた。

「――クラリス」

 名前を呼ばれたことにクラリスは気づかない。魔王はクラリスの体を抱きあげた。突然のことで驚くクラリスだったが、魔王に抱きついて落下を防ぐ。

「クラリス」

 耳元で名前を囁かれ、クラリスはようやく魔王と瞳を合わせる。

「魔王」

 口に出た声はかれていて、口内は血の味がすることにようやく気づいた。魔王はクラリスの頬を手で優しくなぞった。その細い肢体を強く抱きしめる。

「クラリス、無事でよかった」

 魔王の首元の脈が速い。それだけクラリスの身を案じていたのだ。クラリスはその脈の音を聞いて、体から力が抜けていく。

「魔王、すまなかった」

 謝罪は素直にこぼれ出た。勝手に部屋から出たことを非難されるのでは、拒絶されるのではと考えていた。

「魔王、私は――」

 話したいことがたくさんあった。言いたいこと、決めたことがたくさん。それを伝えようとしたとき、前方が光り輝いたため、クラリスは目を細める。

 ソーレの魔導兵士が魔法を撃つ隊形に並んでいた。魔王に向かって魔法の光を溜めこみながら打とうとしている。

 クラリスはその光から魔王を守るように押しだそうとした。

 しかし、魔王はびくともしない。

 クラリスの体を魔王は空中に放った。クラリスの体はヴェースによって受けとめられ、そのまま後方に離脱させられる。

「――撃て‼」

 ソーレの隊長の合図で一斉に光は放たれ、大きな光線が魔王に打ちこまれる。

「待ってくれ! 魔王が!」

 クラリスの叫びを聞きいれてはくれず、ヴェースの足は止まらない。

 光が一気に発射されると、魔王に一直線に襲いかかった。クラリスは白くなる視界で、咄嗟に魔王の名を叫んだ。

「―――!」

 それは、遠い日の記憶だった。




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