第二話 勇者、処刑される
クラリスの連れてこられた場所は、帝都の中央にそびえ立つ宮殿。
罪人のように手足を鎖で繋がれ、兵士たちに周りを囲まれる。王の御前、謁見のための大広間に到着すると、王と王妃が最奥の玉座にいた。二人とも冷めた瞳でクラリスを見ている。王妃は顔をしかめ、同じ空気を吸うことさえもいやだと言わんばかりの顔をしていた。
大広間の中央に放られ、跪くよう強要される。その背後に、直属部隊の邪魔をした筆頭のウンブラとロスが乱暴に床に叩きつけられた。
二階部分を囲む観覧席には野次馬のごとく群がる貴族の姿。寂れた姿のクラリスを見ては、くすくすと嘲笑を浮かべている。
クラリスは静かに頭を垂れた。戦場での覇気はない。周囲がどれほど騒がしくしようが、反応をするのさえ労力が必要だった。いつもなら部下のウンブラやロスを心配するクラリスだったが、背後の二人の様子を気遣う余裕がなかった。
側近が前に出てくると、兵士たちは揃って敬礼をする。ざっという足音。広間は温度差の激しい、重圧のある空間に変わる。
「――罪状」
側近は張った声で手元の用紙を読みあげる。
「クラリス・ユースティティアはうつに侵された。相違ないな?」
「……はい」
久しぶりに発せられたクラリスの声は、皺がれた老人のように地底を這うものだった。回転のできない脳でようやく出された言葉はたったの二音だけ。小さく囁くようなその声は、静まった広間には十分な音量だった。
クラリスの瞳には何の感情も浮かんでいなかった。
――私はなぜここにいるのか。
頭にあるのはその疑問だけ。
これ以上の負荷を追わないように考えることを止めていた。
「待ってください!」
クラリスの背後で、ウンブラが叫んだ。
「うつ病は異常ではありません! れっきとした心と脳の病気です。間違った知識で判断を誤らないでください!」
真実を告げても、側近は一度王に目をやっただけで、冷酷なまま宣った。
「ウンブラ・カンパニュラ。あなたは医術をかじっているそうですが、我が国でのうつの認識はご存知ですか? その認識を知らないとは、大変無知。幼等部からやり直してはいかがでしょう?」
側近の皮肉に、周囲の貴族や兵士は見下すような瞳で笑う。言葉をなくして唖然とするウンブラの、引くつく喉の音がやけにクラリスの耳に残った。
さらに側近は続ける。
「ロス・ナットゥーラは三か月の謹慎処分と減俸とする。ウンブラ・カンパニュラは帝都への侵入禁止、追放処分とする」
ウンブラとロスに処分が言い渡されると、王が立ちあがり、重低のある声を発する。
「そして、『勇者』クラリス・ユースティティア」
クラリスは下げていた頭を前に向け、透明の霧がかった視界で王を見つめた。
「勇者『ユースティティア』の名を剥奪。明朝、そちの処刑を執行する!」
「そんな!」
ロスが悲痛な声を張りあげる。ウンブラが怒りで絶句していると、側近がクラリスに「無礼ではないか、返事をしろ」と畳みかける。
クラリスは自身が明日死ぬ運命にあることをまだ認識できないでいた。側近から促されるままに首を垂れる。そして皇族への敬意を表す言葉を喉を振るわせて発しようとした。
そのとき――近づいてくる風の音をクラリスはたしかに聞いた。
轟音が響いて、豪奢な天井が突き抜けた。切りとられた青い空が、天井の穴の奥で空虚に輝いているのが見えた。
「何事だ⁉」
誰かの大声。兵士たちが王を守るために身構える。
天井が抜け落ち、砂埃の煙幕が辺り一面に吹き荒れる。石礫に当たりながら、ほとんどの者が手で顔を覆った。
突発的な強風が広間にいた者たちを襲う。その風に飛ばされそうになりながら多くの者が這うように体を縮めた。
風が止み、しばらくして再び目を見開くと、中央には広間にいなかった者がたたずんでいた。
美丈夫が、そこにはいた。
高い身長に、黒い装い。長い黒髪は艶やかで、黒曜石のよう。瞳は龍の金眼のごとく煌めきを持つ。麗しい容貌は冷徹で、視界に入れるだけで背筋の震えが起こる。圧倒的な威力の差を広間にいる誰もが感じとった。
美丈夫は尊大な態度で辺りを見回し、座りこんだままのクラリスに目を留めた。そして堂々とした足取りでクラリスの元へ歩きだす。
「と、止まれ!」
クラリスを抑えこんでいた二人の兵士が槍を構える。美丈夫が腕を素早く動かすと、兵士の体はくの字に曲がり後方に吹き飛んでいった。
強風がクラリスの髪をあおる。とっさに目をつむり、再び開いたときにはその男の顔は目前にあった。
ひどく、美しい男だった。
男は輝く月の色をした目を細め、クラリスの頬を軽く撫でる。伸びた爪がクラリスを傷つけないよう、慎重な動きで撫でる仕草は、尊大な態度とかけ離れているほど丁寧だった。
「……こけたな」
クラリスにしか聞こえない呟き。クラリスは呆然と彼を見つめることしかできない。
長い外套をひるがえし、美丈夫は王に初めて視線を向けた。距離があるにもかかわらず、その鋭い瞳に王と周りを囲う兵士たちは身を竦ませた。
「愚鈍なる人間ども、ごきげんよう」
その言葉は決して声を張りあげたものではなかった。が、自然と全員の耳に印象的に響いた。崇高な者の空気。まるで音波のように響き渡る。
「我は魔国を制する者――「魔王」である。お見知りおきを、とでも言っておこうか」
その発言に誰もが驚きを隠せなかった。
数十年前から人間の前に姿を現さなくなった、魔族の頂点である「魔王」。それが今、メンシス王国の最重要地である宮殿にたった一体で乗りこんできたのだ。
誰もが発言をためらい――魔王の圧力により、発言できなかったともいう――魔王の二の句を待った。魔王はそのような人間の態度を鼻で笑い、無表情のまま言い放つ。
「我は侵略に来たのではない。繰り返す、我は侵略に来たのではない」
魔族の最高指導者である魔王が「侵略」を否定した。それはこの場にいる者の緊張を少しだけ解いた。
即座に戦闘に入ったとしても、ここにいる兵士の実力では魔王に傷一つ付けられないことは明白だった。王直属部隊と言っても、その実態は貴族の子息の集まりでしかない。剥奪したばかりの元勇者のクラリスも今は使い物にならない。
王はほんの少しの余裕ができたためか、王としての威厳のためか、奮いたたせるように声を張りあげた。
「な、ならば、交渉にでもしに参ったのか」
それを魔王は失笑で返す。王は顔を真っ赤に染めるが、反論の言葉を出すには足の震えが収まらなかった。
魔王は王を無視すると、背後のクラリスの元に戻る。
体をふわりと持ちあげられ、魔王の腕に乗せられた。クラリスは魔王の覇気に押されたわけでは決してなかったが、体が動かないためなされるままに従う。
「クラリス、用済みになったそうだな」
再度、クラリスと目を合わせ、魔王は問う。
クラリスは人の視線が怖かった。なぜ怖いのかは分からない。ただ病気が悪化してから、途端に人に見つめられるのが怖くて仕方なかった。
だが、どうであろう。魔王の瞳はまったく恐れを感じさせなかった。クラリスは疑問符をたくさん浮かべたが、脳が停止信号を送ってきたため、考えるのを放棄した。
魔王は表情の動かない、反応のないクラリスに対して何も言わなかったが、眉を中央に寄せて皺を作った。
「用済みだと言うならば――」
今度は広間にいる全員に聞こえるように、声を反響させ、魔王は宣言した。
「こちらの『元勇者』は魔王である我がもらい受ける!」
「なっ!」
驚きの声は誰の声だったか。
驚愕を顕にした人間たちを無視して、魔王は大きな漆黒の翼を生やした。巨大な翼は羽音を立てる。クラリスを抱きあげたまま、空中に浮かぶ。
「クラリス‼」
反応できたのは、信念で動いたウンブラだけだったが、翼による風圧で近寄ることもできない。
魔王は一瞬のうちに広間上空に飛び立ち、元勇者のクラリスを連れ去った。




