第54話 王宮の席順は、会話より雄弁です
マリエルが示した席を見て、私は手元の控え紙を開きかけた。
開く必要はなかった。
あまりにも、よくできている。
王妃殿下のお席を中心に、淡い色の椅子が弧を描いて並んでいる。アルベルト殿下は王妃殿下の右手側。その斜め向かい、王妃殿下からも殿下からもよく見える場所に、ロザリア様の名札があった。
上座に近い。
礼を欠いてはいない。
むしろ、公爵令嬢であり王太子の婚約候補でもあるロザリア様へ、十分な敬意を示した席に見える。
ただし。
ロザリア様の向かいには、控えの間で殿下の話を振ってきた薄桃色の令嬢がいる。
王妃殿下がどちらかへ話しかければ、もう一人の反応まで視界に入る。
アルベルト殿下が顔を上げれば、二人を一度に見比べられる。
周囲の夫人たちからも、表情、姿勢、返答の速さまでよく見える。
なるほど。
これは席ではない。
比較表だ。
ロザリア様の第一声が本当に本人のものか。
他の令嬢を前にしても、先ほどの穏やかさを保てるのか。
殿下を挟めば、どんな顔をするのか。
王宮は質問を口にする前に、座席で回答欄を作っていた。
「こちらでございます」
マリエルの声は、どこまでも柔らかい。
配置の意図を尋ねても、おそらく公爵令嬢にふさわしいお席です、としか答えないだろう。
嘘ではない。
全部を言っていないだけだ。
ロザリア様は名札を見た。
次に王妃殿下。
アルベルト殿下。
向かいの令嬢。
最後に、夫人たちの椅子へ視線を流す。
ほんの数秒だった。
けれど、見た順番で分かる。
お嬢様も気づいた。
「よく見える席ね」
ロザリア様が小声で言った。
「王妃殿下のお近くですから」
「そういう意味ではないわ」
「存じております」
「わたくしと殿下と、向かいの方。三人を一度に見られる」
正解です。
しかも、私より早い。
先ほど第一声の修正文を三つも余らされたばかりだというのに、今度は席順の解説まで不要になった。
このままでは私の業務が、誇らしい速度で消えていく。
「お席に、何かお気がかりがございますか」
マリエルが尋ねた。
聞こえていたらしい。
やはり王宮の女官は、必要な声だけを拾う耳を持っている。
そして、この問いもよくできている。
変更を求めれば、比較されることを嫌った令嬢。
理由を問えば、席次へ不満を示した令嬢。
黙って座れば、用意された構図に従う令嬢。
どの欄にも、すぐ印が押せる。
ロザリア様はマリエルへ顔を向けた。
「いいえ。王妃殿下のお近くで、皆さまのお話をよく伺える席ですもの。ありがたく頂戴いたします」
比較の構図には触れない。
けれど、何も分かっていないふりもしない。
席の意味を、自分で一つ選び直した。
ここは見比べられる席ではなく、話を聞くための席。
先ほど王妃殿下へ告げた言葉ともつながっている。
マリエルの瞳が、わずかに細くなった。
「承知いたしました」
王宮の用意した回答欄から、また一つ、お嬢様がはみ出した。
たいへんよろしい。
私はロザリア様の椅子を引いた。
お嬢様が腰を下ろす。背筋は伸びているが、肩へ余計な力は入っていない。扇は膝の上。口元を隠さない。
向かいの薄桃色の令嬢も席につこうとしていた。
だが、椅子へ手をかけたところで一度止まる。
自分の名札。
ロザリア様。
アルベルト殿下。
順に見て、指先が椅子の背へ張りついた。
彼女も気づいたのだ。
自分が、ロザリア様と比べるための位置へ置かれていることに。
控えの間で殿下の話を振った時には、もう少し軽い好奇心の顔をしていた。けれど、王妃殿下のお席で同じ構図を作られれば、意味の重さが違う。
顔色が薄桃色のドレスより白くなっている。
周囲は待っていた。
ロザリア様がどう見るかを。
相手を値踏みするか。
勝ち誇るか。
不快そうに目を逸らすか。
ここで何もしなくても、おそらく「威圧された」という一文くらいは勝手に出来上がる。
私は合図を出すべきか迷った。
けれど、その前にロザリア様が口を開いた。
「先ほどは、控えの間でお声がけくださり、ありがとうございました」
薄桃色の令嬢が、はっと顔を上げた。
「え……あ、いいえ。わたくしこそ、急にお話ししてしまって」
「おかげで、こちらのお席に殿下もいらっしゃると、先に心づもりができました」
責めていない。
殿下の名を利用して親しさを見せてもいない。
控えの間で向けられた探りを、「知らせてくれた親切」として受け取り直した。
相手が置いた針を抜き、礼状へ加工して返している。
お嬢様。
いつの間に、そのような高等実務を。
薄桃色の令嬢は目を瞬いた。
「お役に立てたのでしたら、嬉しゅうございます」
声から、張りつめていたものが少し落ちる。
ロザリア様はさらに続けた。
「わたくしも王妃殿下のお茶席は初めてですの。ご一緒にお話を伺えましたら、心強く存じます」
茶会室のどこかで、扇の骨が小さく鳴った。
たぶん、誰かが予想していた構図が折れた音だ。
高圧的な公爵令嬢と、比べられて縮こまる若い令嬢。
その分かりやすい並びは、二人が同じ側へ立った瞬間に使えなくなった。
「はい」
薄桃色の令嬢が、今度はきちんと椅子を引いた。
「わたくしも、ぜひ」
笑みはまだ硬い。
それでも、先ほどよりは自分の顔で笑っている。
二人が席につく。
アルベルト殿下は何も言わなかった。
ただ、ロザリア様から薄桃色の令嬢へ視線を移し、もう一度、席全体を見た。
殿下もようやく気づいたらしい。
この席が、ただ近くに座るためのものではないことに。
気づくまで一歩遅い。
けれど、以前のように最後まで気づかないよりはよろしい。
「お茶を」
王妃殿下の声で、女官たちが動き出した。
銀のポットが運ばれ、カップへ琥珀色の茶が注がれていく。菓子皿が置かれ、花の香りに焼き菓子の甘さが混じった。
すべては予定どおり。
先ほど席の上で一つの構図が崩れたことなど、何もなかったように茶会が始まる。
王宮は、動揺を表へ出さない。
だからこそ、手元を見る。
マリエルは給仕の順を確かめながら、一度だけロザリア様へ視線を向けた。
葡萄色の貴婦人は、カップを持ち上げる前に扇の位置を変えた。次に何を聞くか、考え直している顔だ。
そして王妃殿下は。
紅茶へ口をつけず、ロザリア様を見ていた。
第一声が穏やかだったからではない。
用意された席の意味を読み、その場で相手を敵にしない使い方へ変えたからだ。
王妃殿下の指先が、カップの持ち手へ触れる。
その口元には、先ほどよりもはっきりした興味があった。
なるほど、とでも言うような目だった。
席順は会話より雄弁だ。
けれど今日、その席に最初の言葉を与えたのは、王宮ではない。
ロザリア様だった。




