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侍女に転生した私、悪役令嬢お嬢様の“悪役の台詞”を全部言い換えます【連載版】  作者: 星渡リン
第6章 お嬢様の第一声は、王宮で試される

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第52話 王宮では、名前より先に評判が届いています

 扉が開いた瞬間、控えの間の空気が一斉にこちらを検品しにきた。


 磨き上げられた床。音を吸う厚い絨毯。香りの薄い花。椅子の角度。窓から落ちる光。女官たちの立ち位置。


 すべてが、コンマ一ミリのずれも許さない冷徹な格子の中に収まっている。


 ロザリア様が一歩入る。


 控えていた女官たちが、揃って礼をした。


 角度も、呼吸も、布の擦れる音さえ揃っている。揃いすぎていて、歓迎の温度が混ざっていない。事前に配られた注意書きを、全員がきっちり読み込んできた手つきだった。


 ああ。


 届いている。


 ロザリア様の名前より先に、ロザリア様の評判が。


「ロザリア・エーデルフェルト様。本日はお越しいただき、ありがとうございます」


 年長の女官が進み出た。


 淡い藤色の衣装。銀糸の縁取り。立ち方に無駄がない。王宮の廊下で何年も人を案内し、何年も人を測ってきた足元だ。


「女官長補佐のマリエル・オルファンでございます。本日のお茶席まで、ご案内を務めさせていただきます」


 声は柔らかい。


 柔らかすぎる。


 布団をかぶせた書類ほど、下に何が入っているか分からない。


「お疲れではございませんか。もしご緊張がございましたら、入室前に少しお時間をお取りできます」


 出た。


 親切の顔をした最初の札。


 休ませる形で、ロザリア様を「乱れるかもしれない令嬢」の椅子へ座らせに来た。


 女官が差し出した柔らかい座布団には、針が入っている。


 ロザリア様は、扇を胸元で止めたまま返した。


「お気遣いありがとうございます。道中は問題ございませんでした。入室のお時間も、予定通りでお願いいたします」


 よし。


 座らなかった。


 蹴りもしなかった。


 横へずらした。


 マリエルの完璧な微笑みの奥で、呼吸が一瞬だけ引っかかった。想定外のゼロ回答を突きつけられ、手元の帳簿の数字が合わなくなった時の反応だ。


「承知いたしました。では、予定通りご案内いたします」


 予定通り。


 その言葉の後ろで、女官たちの配置が一つだけ組み替わった。


 茶器の位置を直す者。扉側へ立つ者。奥の椅子へ視線を飛ばす者。


 ロザリア様を休ませる手順が、いま消された。


 よろしい。


 最初の針は踏まなかった。


 控えの間には、すでに数人の貴婦人と令嬢がいた。


 誰も露骨にこちらを見ない。誰も小声を落とさない。学園なら、ここで噂が床へ転がる。王宮では転がさない。


 代わりに、視線の先だけが動く。


 扇の高さ。ドレスの色。ロザリア様の口元。私の位置。


 そのうち一人だけ、ロザリア様の顔へ行く前に、手元の扇を見た。


 記録。


 慈善事業関係者か、礼法にうるさい家の者。昨年冬の慰問茶会の話を知っている可能性あり。


 脳内の控え欄に、仮印を押しておく。


 奥の椅子に腰かけていた貴婦人が、ゆるやかに立ち上がった。


 濃い葡萄色のドレス。胸元の宝石は控えめだが、指輪だけが高価すぎる。手元を見せる癖のある方だ。つまり、持ち物で黙らせるのが得意な種類。


「ロザリア様。奉仕祭でのご対応、王宮でもよい評判でございましたわ」


 微笑みは綺麗だった。


 言葉も綺麗だ。


 ただ、「王宮でも」の二文字に、余計な紐が結ばれている。


 学園で変わった評判が、こちらまで届きました。

 こちらでは、前の評判との差分も見ています。

 さて、本当に変わったのかしら。


 そういう紐だ。


 ロザリア様は、わずかに扇を下げた。


「ありがとうございます。多くの方がそれぞれの持ち場を守ってくださったからこそ、無事に終えられました」


 受け取った。

 抱え込まなかった。

 自分だけの功績として飾らなかった。


 いい。


 相手は「高慢」の札を貼れない。


 貴婦人は、ゆったりと微笑みを深めた。


「ご謙遜なさるのですね。以前は、もう少しはっきりおっしゃる方だと伺っておりましたから」


 来た。


 綿に包んだ針。


 以前は。

 はっきり。

 伺っておりました。


 訳すなら「きつい方だと聞いていました」である。たいへん上品な悪口だ。王宮の言い回しは、刃物を絹で包むのが本当に好きらしい。包んだところで刃物は刃物です。


 私は指先を動かしかけた。


 合図を出すために。


 けれど、ロザリア様の扇は動かなかった。


 動かす必要がなかったのだ。


「必要なことをはっきり申し上げる場面は、今後もあるかと存じます」


 控えの間の空気が、ほんの少し薄くなる。


 ロザリア様は続けた。


「ただ、場に届く順番は、以前より考えるようになりました」


 私の合図より早かった。


 悔しい。


 そして今すぐこの返答を額装したい。


 自分の鋭さを捨てていない。過去を丸ごと失敗として差し出していない。変わった部分だけを、自分の言葉で置いた。


 貴婦人は一拍、言葉を止めた。


 微笑みは崩れない。


 だが、扇を持つ手の力が一瞬だけ強くなった。骨が小さく鳴る。


 最初の探りが、綺麗に跳ね返された音だ。


「まあ。頼もしいこと」


「恐れ入ります」


 ロザリア様はそこで会話を広げなかった。


 これもいい。


 相手の皿に勝手に盛られた話題へ、こちらから菓子を追加しない。茶会前の控えの間で腹を膨らませてどうする。必要な返答だけ置いて、次へ進む。


 私は控えの間全体へ視線を走らせた。


 誰もロザリア様を悪役令嬢とは呼ばない。


 ただ、悪役令嬢用の椅子だけが先に用意されている。


 きつい婚約候補。

 扱いに注意すべき公爵令嬢。

 慰問茶会で場を凍らせた娘。


 その棚へ入れようとする視線が、部屋の奥から三つ。扉側から一つ。さきほどの葡萄色の貴婦人から、もう一つ。


 よろしい。


 棚の位置は分かった。あとは誰が最初に札を貼りに来るかだ。


「ロザリア様」


 先ほどとは別の令嬢が、少し離れた位置から声をかけた。


 若い。年はロザリア様と近いだろう。薄桃色のドレスに、控えめな真珠。声に悪意は薄いが、好奇心が少し濃い。


「本日は、王太子殿下もお越しになるとか」


 殿下。


 その名が出た瞬間、控えの間の中でいくつかの視線が動いた。


 ロザリア様へ。

 奥の扉へ。

 そして、私へ。


 私を見るな。侍女で関係を測るな。採寸の仕方が雑です。


 ロザリア様は、扇の骨に指を置いたまま返した。


「そのように伺っております」


「お心強いですわね」


 令嬢は微笑む。


 その一言には、殿下がいるから安心でしょう、という甘い皮がついている。中身は、殿下との距離を測る針だ。


 ロザリア様は、その針を指で摘んで横へ置くような声で言った。


「本日は、王妃殿下のお茶席にお招きいただいております。場にふさわしく臨みたいと存じます」


 殿下との関係に乗らない。


 今日の主語を王妃殿下のお茶席へ戻した。


 うわ。


 私の出番がない。


 腹立たしいほど、ない。


 薄桃色の令嬢は「そうですわね」と返し、すぐに唇を閉じた。


 周囲の視線に流されやすい軽い紙ね。油断はしないけれど、今は後回しでいい。


「お時間でございます」


 マリエルが戻ってきた。


 控えの間の空気が、音もなく引き締まる。


「王妃殿下のお茶席へご案内いたします」


 王妃殿下。


 その名が出た瞬間、貴婦人たちの背筋が揃った。先ほどまで柔らかく笑っていた口元も、扇の位置も、ひとつ上の規格へ切り替わる。


 ここから先が本番。


 マリエルは扉へ向かい、女官の一人が先に進んだ。


 ロザリア様は、ほんの少しだけ扇を下げた。


 余計な防御に見せないための下げ方だ。


 そして、小さく私を呼ぶ。


「リネット」

「はい」


 ロザリア様は扉の方を見たまま言った。


「最初の一言だけは、自分で言うわ」


 声は静かだった。


 けれど、どこにも迷子札はついていない。


 私は頭を下げすぎずに答える。


「承知しました。では私は、最初の一言に勝手な注釈をつける方を記録します」


「本当にあなたは、支える時まで刺々しいわね」


「刺さらないように支えております」


「それなら、許すわ」


 その言葉を聞いて、私は控え紙を持つ指をゆるめた。


 ロザリア様が自分の声で最初の表題を置く。

 私は、その表題を汚そうとする手の指紋を取る。


 役割分担として、たいへん美しい。


 扉が開いた。


 茶の香りが流れてくる。花の香り。磨かれた銀器の光。整った視線。


 王妃殿下のお茶席。


 よろしい。


 その最高難度の帳簿、お嬢様が完璧な表題を置く瞬間に、邪魔なノイズを挟み込もうとする無能の指紋を、皮一枚残さず剥ぎ取って差し上げましょう。


 ロザリア様は、扉の向こうへ進んだ。

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