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侍女に転生した私、悪役令嬢お嬢様の“悪役の台詞”を全部言い換えます【連載版】  作者: 星渡リン
第6章 お嬢様の第一声は、王宮で試される

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第51話 王宮へ向かう朝は、沈黙まで整えます

 馬車の車輪の音が、少しずつ変わっていく。


 学園前の石畳では、軽く跳ねる音だった。王宮へ続く大通りへ入ると、音は硬く、薄く、余計な響きを削られていった。


 窓の外を流れる景色も変わる。焼き菓子を売る店先の声、学生たちの笑い声、荷車を押す商人の掛け声。そういう生活の音が後ろへ遠ざかり、代わりに、磨かれた石壁、揃いすぎた植え込み、紋章付きの馬車、一定の距離で立つ衛兵たちが増えていく。


 王宮が近づくほど、人は黙る。


 そして、黙った人間ほどこちらを見る。


「静かね」


 ロザリア様が窓の外を見たまま言った。


「はい」

「学園の沈黙とは違うわ」

「こちらは、記録係の前で全員が息を潜めているような沈黙です」


 ロザリア様は、かすかに嫌そうな顔をした。


「嫌な例えね」

「王宮に似合うかと」

「似合ってしまうのが嫌なのよ」


 お嬢様は膝の上の扇へ視線を落とした。


 扇は、胸元の少し手前。口元まで上げない。隠れない。差し出しもしない。そこに置かれた扇は、私の指示の名残ではなく、お嬢様自身の判断で止められている。


 たいへん癪だ。


 私が直す余白が、また一つ減っている。


 ロザリア様は、窓の外を横切る他家の馬車をじっと見ていた。車体の紋章、御者の姿勢、先触れの人数、後続の侍女の配置。視線が順に滑る。美しい景色を眺める令嬢の目ではなく、帳簿の欄外に紛れた不自然な数字を拾う時の目だ。


 おや。


 私が口を開く前に、お嬢様は実戦の検品を始めている。


「今の馬車」

 ロザリア様が言った。

「門へ入る前に、案内役が二度確認していたわ」

「はい」

「あの家は、今日の席順に少し不安があるのかしら」

「可能性はあります」

「それとも、呼び上げの順番を気にしている」

「その線もあります」


 私は脳内の添削欄を見下ろした。


 空白。


 たいへん不愉快で、たいへん喜ばしい進捗である。


「リネット」

「はい」

「あなた、今、仕事を奪われた顔をしたわね」

「お嬢様が先に現場を読まれるので、赤字を入れる隙がありません」

「空欄を喜びなさい」

「努力します」

「努力が足りない顔よ」

「職務上の喪失感です」


 ロザリア様は、ほんの少しだけ口元を動かした。


 馬車がゆるやかに曲がる。窓の外に、王宮の外壁が見え始めた。白い石。高い門。整いすぎた植え込み。人の手が入りすぎていて、かえって息苦しい景色。


 ロザリア様の指先が、手袋の端を一度だけ整えた。


「緊張されていますね」

「しているわ」

「隠しませんね」

「隠すと、あなたが余計な検品を始めるでしょう」

「すでにしています」

「知っていたわ」


 ロザリア様は窓の外を見た。


「また、わたくしではない何かとして見られるのが面倒なのよ」


 お嬢様の声は、期限切れの帳簿を突き返す時のような、ひどく乾燥した拒絶の音がした。あちら側の無能どもが、ロザリア・エーデルフェルトという原本を読まず、都合の良い写しとして処理しようと手ぐすね引いていることへの、冷徹な不快感だ。


「今日は、その見方を一つずつ差し戻します」

「一つずつ?」

「まとめて処理すると、相手が逃げますので」

「逃がさないのね」

「不備を抱えたまま逃げられると、後処理が増えます」

「あなたらしいわ」


 馬車が止まった。


 外から、御者の声が聞こえる。続いて、衛兵の靴音。


 扉の向こうで、誰かがはっきりと告げた。


「エーデルフェルト公爵家、ロザリア様ご到着」


 ほら来た。


 ロザリア様本人より先に、家名が門をくぐった。


 王宮は人間を読む前に、まず表紙を読む。その表紙が立派であればあるほど、中身を見る前に勝手な分類を始める。実に王宮らしい杜撰さだ。表紙だけ読んで本文を語る者は、総じて要監査である。


 ロザリア様は息を一つ置いた。


 落ち着けるための間ではない。相手の呼び上げを受け取り、こちらの速度へ戻すための、きわめて計算された空白だった。


 御者が扉を開く。外の光が差し込む。


 私は先に降り、手を差し出した。


 ロザリア様はその手を取り、ゆっくり地面へ足を置いた。


 靴音は小さい。けれど逃げていない。


 王宮の入口前には、すでにいくつかの馬車が停まっていた。紋章。控える使用人。案内役。それから、見ていないふりをする視線。


 学園なら、ここで誰かが小声を落とす。王宮では落とさない。代わりに、目だけが帳簿のように動く。


 ドレスの色。扇の位置。私との距離。ロザリア様の足取り。呼吸の乱れ。


 全部、勝手に記入しようとしている。


 やめていただきたい。まだこちらの確認印がない。


「少し右」


 ロザリア様が小声で言った。


「右ですか」

「あなたの立ち位置よ。後ろに下がりすぎ。私の横の余白を空けておきなさい」

「侍女の立ち位置からはみ出します」

「はみ出さないぎりぎりで」

「かなり高度な要求です」

「あなたならできるでしょう」

「職務範囲が不当に拡大されています」

「記録しておきなさい」


 私は、半歩だけ位置を直した。


 侍女としての線は越えない。けれど、お嬢様を孤立させる距離にも置かない。


 数寸。


 この数寸が、今日の私の戦場だ。


 案内役が近づいてきた。


「ロザリア・エーデルフェルト様。控えの間へご案内いたします」


 言葉は丁寧だ。


 だが、目は先に家紋を見た。次にドレス。最後にロザリア様本人。


 なるほど。


 ここでも順番が間違っている。


 私は案内役の視線の動きを、脳内の控え欄へ静かに記入した。


 ロザリア様は、その視線に気づいていた。気づいた上で、口元を動かさない。


 すぐ返事をしない。睨まない。微笑みすぎない。


 案内役の指先が、ほんのわずかに袖を握った。待たされたのではない。測り返されたのだと、今さら気づいた顔だった。


「お願いいたします」


 短く、整った返答だった。


 余計な棘はない。従順に見える甘さもない。


 案内役が一瞬だけ反応に迷い、すぐ礼をする。


 よろしい。


 最初に動揺したのは、こちらではなく案内役の方だ。


 王宮の廊下へ進む。


 床は磨き上げられていて、靴音がよく響く。壁には花が飾られ、窓から入る光まで計算されている。


 美しい。


 そして、ひどく監視に向いている。


 どの角度から見ても姿勢が分かる。どの距離からでも歩幅が測れる。どの沈黙も、逃げ場なく床に反射する。


 私はロザリア様の半歩後ろ、けれど完全には離れすぎない位置を保った。


 お嬢様が求めた横の余白を、誰にも踏ませないための距離。


 控えの間の扉が見えてきた。


 扉の前には、別の案内役が立っている。その奥に、声がある。低い話し声。上品な笑い。扇が閉じる小さな音。


 王都の空気が、すでに向こうで待っている。


 ロザリア様は、扉の手前で一度だけ私の位置を見た。


 言葉はない。


 私の立つ場所を、目だけで指定する。


 ここ。


 下がりすぎるな。

 出すぎるな。

 私の声が届く位置にいなさい。


 はい、お嬢様。


 その命令なら、喜んで。


 扉の前の案内役が、姿勢を正す。


「エーデルフェルト公爵家ロザリア様、控えの間へ」


 家名から始まる呼び上げは、もう驚くほどでもない。


 ロザリア様は、扇を胸元で止めた。


 口元は隠さない。視線は下げない。靴先は迷わない。


 呼び上げの最後の音が消えるよりわずかに遅く、ロザリア様は歩き出した。早すぎれば焦り。遅すぎれば怯え。どちらの札も貼らせない、嫌になるほど美しい間だった。


 案内役の喉が、小さく動いた。


 その一つで十分だ。


 王宮の人間が、最初に飲み込んだ。


 私は手元の控え紙を閉じる。


 入室一秒。


 誰がロザリア様の第一声に泥を混ぜようとする最初の不備か、席順と視線と沈黙の置き場で逆引きして差し上げます。控え欄は空けてありますので、どうぞ遠慮なく、無能の署名を残してください。

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