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侍女に転生した私、悪役令嬢お嬢様の“悪役の台詞”を全部言い換えます【連載版】  作者: 星渡リン
第4章 お嬢様は自分の言葉で立つ

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第43話 お嬢様は、褒め言葉の受け取り方を知りません

 褒め言葉というものは、思ったより危険だった。


「ロザリア様、奉仕祭では本当にありがとうございました」


 廊下の隅で、補助生徒が両手を胸の前で揃え、深々と頭を下げた。


「あの時、控え札の確認を先にと言っていただけなければ、私、たぶん入口で詰まらせていました。あの、本当に助かりました」


 ロザリア様は足を止めた。


 止めたまま、動かない。


 お嬢様は、まるで帳簿に存在しない「架空の負債」を突きつけられた会計係のような、ひどく無様なフリーズを起こしていた。


「……そう」


 補助生徒の笑顔が、困惑へ変わる。


「は、はい」


 沈黙。


 相手の好意が、机の端から床へ落ちた。

 音はしない。だが、私の中の事務員が確かに聞いた。ぱさり、と乾いた紙が落ちるような音を。


 補助生徒は、どうしていいか分からない顔で礼をして去っていった。


 ロザリア様はその背を見送り、ぽつりと言う。


「何かしら」

「お嬢様」

「何」

「今の返答は、相手の善意を未処理のまま廊下へ放置しました」

「未処理」

「はい。拾った方がよろしいです」


 ロザリア様は、心底面倒そうに私を見た。


「感謝されたのだから、受け取ったでしょう」

「受け取っていません。確認印だけ押して、相手へ返却したようなものです」

「確認印なら十分ではなくて?」

「社交では不足です」


 その直後、奉仕祭の監督教師が廊下の向こうから近づいてきた。


「ロザリア嬢。先日の動線修正、改めて見事だった。君の判断がなければ、来賓の流れはかなり乱れていただろう」


 教師側からの評価確認。学園評価へ繋がる、使える一言。


 私は内心で赤ペンを構えた。


 ロザリア様は教師を見て、ほんの少し間を空ける。


「当然のことをしただけですわ」


 教師の口が閉じた。


「……そうか」


 教師はそれ以上踏み込まず、軽く礼をして去っていく。


 私は手帳を開いた。

 書き込む必要はない。脳内の損益欄に、もう赤字が出ている。


「加点機会の破棄、確認」

「何を確認しているの」

「お嬢様、今すぐ部屋へ戻りますわよ」

「なぜ」

「これ以上、廊下に資産をばら撒かせるわけにはいきません」

「資産?」

「評判です。放置すれば目減りします」

「あなた、本当に嫌な言い方をするわね」

「緊急研修です」


 ロザリア様は、まるで新種の害虫でも見つけたような目で私を見た。


「褒め言葉にまで、練習が必要なの」

「必要です」

「そんなことまで?」

「そんなことまで、です。注意する言葉だけでは足りません。受け取る言葉も整えなければなりません」

「面倒ね」

「褒め言葉は、放置すると別の評価へ化けます」

「怖いことを言うわね」

「怖いです。今の教師の件など、王都なら“褒めても突き返す高慢な令嬢”に加工されかねません」

「……ありそうで嫌だわ」


 お嬢様の顔が、ようやく真面目になった。


 その日の放課後、私はロザリア様の部屋の机に紙を広げた。


 表題は、


 褒め言葉受領手順 暫定版


 である。


 ロザリア様は、その紙を呪いの魔導書でも見るような顔で見下ろしていた。右手には扇。開くでも閉じるでもなく、指先だけでぎりぎりと端を押さえている。かなり嫌がっている証拠だ。


「暫定版って何」

「運用しながら改訂します」

「改訂されるの?」

「されます。褒め言葉にも種類がありますので」

「本当に面倒ね」


 私は紙の上を指で叩いた。


「まず受け取る。相手へ返す。次へ繋げる。この三段階です」

「褒められただけなのに?」

「褒められただけで終わらないのが社交です」

「社交って嫌ね」

「はい」


 そこは全面的に同意する。


「教師から、“見事な判断でした”と言われました」

「当然ですわ」

「相手の離反率が上がります」

「離反率」

「褒めた側が“言わなければよかった”と感じる確率です」

「嫌な数値を出さないで」

「現実です」

「では、必要なことをしただけです」

「評価を返却しています」

「では何と」


 私は見本を読み上げる。


「ありがとうございます。皆さまがすぐ動いてくださったおかげです。今後も気を引き締めます」


 ロザリア様は扇を握る指に力を入れた。

 ぱき、と小さく嫌な音がする。


「長いわ」

「社交とは、必要な無駄を美しく挟む技術です」

「無駄と言い切ったわね」

「はい。ですが必要です」

「こんな恥ずかしい台詞、公文書の前でしか言いませんわよ」

「公文書は私情を挟みません。もう一度」

「あなたは侍女でしょう」

「今は公文書です」

「最悪ね」


 ロザリア様は深く息を吐き、紙を睨む。


「ありがとうございます。皆さまが……すぐ動いてくださったおかげです。今後も、気を引き締めます」


 棒読みだった。

 非常に棒読みだった。


 けれど、言えている。


「今の言い方なら、相手の心の離反を五割ほど防げます」

「五割」

「残り五割は、表情と間の取り方です」

「そんなに残っているの」

「初回としては、損失を半分まで圧縮できました」

「褒めているの?」

「かなり褒めています」


 ロザリア様は納得のいかない顔で扇を机に置いた。置き方が少し乱暴だ。


「次です」

「まだあるの」

「下級生から“助かりました”と言われました」

「そう。次からは自分で気づきなさい」

「相手が後悔します」

「だめなの?」

「だめです。感謝に追加指導を重ねると、相手は“褒めるのではなかった”と学習します」

「そんなことまで気を遣わなきゃいけないの」

「はい」

「助けたのはこちらでしょう」

「はい」

「それなのに、褒められた後の相手の気分まで?」

「はい」

「社交って、ほとんど罰ではなくて?」

「否定しません」


 ロザリア様は本気で嫌そうに扇を持ち直した。

 今度は折れそうなほど握っている。


「返答案です。“無事に終わってよかったわ。あなたもよく動きました”」

「……無事に終わってよかったわ。あなたも、よく動きました」


 また少し棒読みだ。

 だが、先ほどより柔らかい。


「それなら、相手は次も報告してくる可能性があります」

「あなたの褒め方、資料みたいなのよ」

「職業病です」


 ロザリア様はしばらく黙り、それから小さく同じ言葉を繰り返した。


「無事に終わってよかったわ。あなたも、よく動きました」


 今度は、ほんの少しだけ自然だった。


 私は思わずペンを止めた。


「今のは使えます」

「本当でしょうね」

「はい。相手の善意を廊下に落とさず、机の上へ戻せています」

「その例え、嫌なのよ」

「正確です」


 翌日、その練習は思ったより早く試された。


 廊下の角で、ミレイユがロザリア様を見つけ、少し迷ってから近づいてきたのだ。


「あの、ロザリア様」

「何かしら」


 ロザリア様の声は、少し硬い。

 私は横で黙る。ここで助け舟を出したら、この研修はただの紙遊びになる。


 ミレイユは両手を胸の前で握りしめた。


「奉仕祭の時、私が慌てていたのを助けてくださって……ありがとうございました。ロザリア様が、先に状況を見なさいと仰ってくださったので、あの後、少し落ち着いて動けました」


 ロザリア様が固まった。


 昨日なら、ここで「そう」と言って会話を処理済みにしていた。

 私は視線だけで、机に広げた暫定版を思い出せと念を送る。


 ロザリア様は、一度だけゆっくり瞬きをした。


「……無事に終わってよかったわ」


 ミレイユは、お嬢様の口から出た想定外の「配慮」という数字に、計算の合わない帳簿を渡された会計係のように立ち尽くした。


 ロザリア様は、さらに続ける。


「あなたも、よく動いていました」

「え」

「ただし」

 私は内心で少しだけ身構えた。

「次からは、抱え込む前に周囲を見なさい。困った時は、まず状況を確認すること。……その方が、あなた自身も楽でしょう」


 指導が入った。

 入ったが、刃先が丸い。


 ミレイユは驚いた顔のまま、ゆっくり頷いた。


「はい。ありがとうございます」

 声が、前より明るい。

「気をつけます」


 ロザリア様はまた少し困った顔をした。


「ええ」

 そこで終わりかけて、何かを思い出したように付け足す。

「……無理は、しなくてよろしいのよ」


 ミレイユの肩から、目に見えない荷物がひとつ落ちたようだった。


「はい」


 彼女は深く礼をして去っていく。


 ロザリア様はその背を見送り、それから私を見る。


「どう」

「使えます」

「何に」

「王都以外なら、かなり」

「王都以外」

「はい。王都の貴族どもの“褒め言葉という名の毒”には、三倍の毒抜き工程が必要です」

「聞きたくなかったわ」

「聞いてください。近いうちに使います」

「本当に面倒ね」


 ロザリア様の歩幅が、ほんの少しだけ軽い。

 本人は気づいていない。たぶん、絶対に認めない。


 よし。

 これで王都用の弾薬が一発増えた。


 褒め言葉を受け取る。

 相手に返す。

 必要なら、そのまま相手の喉元へ礼儀正しく差し返す。


 いい武器だ。


 部屋へ戻ると、私は机の上の紙に追記した。


 褒め言葉受領 実地一件。

 成果 相手の離反なし。

 課題 指導成分を三割削減。


 ロザリア様が覗き込んで、顔をしかめる。


「三割も?」

「はい」

「かなり削るのね」

「社交用ですので」


 私はペン先を整えながら、次の欄を空けた。


 学園の生徒なら、今の練習で足りる。

 けれど王都は違う。あそこに飛んでくる褒め言葉は、感謝の顔をした値踏みであり、称賛の形をした首輪であり、時々、笑顔を貼り付けた毒針だ。


「では次は、王都の方々から褒められた場合の返答練習ですね」

「……まだ増えるの?」

「はい」


 私は空欄に、小さく題名を書く。


 王都向け受領手順 毒抜き版。


 ロザリア様が、心底嫌そうにその文字を見下ろした。


「最悪ね」

「ええ」


 私はペン先を、静かに研いだ。


 さて。

 あちら側のどなたから、この完璧な受領を試して差し上げましょうか。

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