第41話 褒められる予定は聞いておりません
奉仕祭が終わって二日。準備室の棚には布箱が戻り、順番札も控え札も、ようやく人間らしい顔で並び直していた。
その整い方を見た瞬間、私は少しだけ嫌な予感がした。
こういう時はだいたい、どこかで帳簿がひっくり返っている。
案の定、監督教師が書類束を抱えて入ってきた。顔つきが妙に複雑だ。叱りに来たのでも褒めに来たのでもない。面倒な決裁を押しつけられた役人の顔である。
「ロザリア嬢。リネット嬢」
教師は机の端に書類を置いた。
「評価担当が朝から大騒ぎだったよ」
ロザリア様が顔を上げる。
「不備でも見つかりまして?」
「逆だ」
教師は乾いた笑いを漏らした。
「君の報告書が真っ当すぎて、今までの“悪役リスト”と整合が取れないそうだ。連中、筆を持ったまま固まっていた」
そこで私の方を見た。
「君が記録の逃げ道を塞いだせいでな。あいつらの筆の震え、見せてやりたかったよ」
それは大変結構。
「で」
ロザリア様が淡々と促す。
「その騒ぎの結果は?」
「白旗だ」
教師は一枚抜き出して差し出した。
「模範的対応として処理された。王宮側へ回る要旨にも入る。各家向けの簡易報告にも載る可能性が高い」
ロザリア様はそれを受け取った。
受け取って、閉じない。
目だけが紙の上を往復している。
「……褒められる予定は聞いておりません」
出てきた第一声がそれだった。
私は思わず視線を逸らした。
お嬢様が困惑なさるたび、こちらの次の仕事はたいてい増える。つまり今、かなり増える顔をしていらっしゃる。
教師は気の毒そうな顔で笑った。
「私も、そこまで露骨に困られるとは思わなかった」
「必要なことをしただけですわ」
「必要なことを、必要な順で、必要な強さで通した」
教師はきっぱり言う。
「それが評価された。以上だ」
そこだけ言い残して、教師は長居しなかった。
余計な慰めを足さないあたり、本日はだいぶまともである。
書類束を抱えて出ていく背中を見送りながら、私は横を向いた。
ロザリア様はまだ同じ頁を見ていた。
書類と見つめ合っていても、王宮の評価は変わりませんわよ、と言いかけてやめる。たぶん今のお嬢様には、その程度の意地悪は不要だ。
「お嬢様」
「何」
「頁を閉じても、褒められた事実は消えません」
「知っているわ」
「では閉じてください。紙が怯えています」
ロザリア様はそこでようやく、ぴたりと書類を閉じた。
「褒め言葉なんて、未処理の債務みたいなものよ」
ぽつりと言う。
「後で何を請求されるか分かったものじゃない」
「ええ」
私は素直に頷いた。
「勝った後の混乱ですね」
「その言い方、本当に感じが悪いわ」
「ですが正確です」
否定はしない。
お嬢様が戸惑えば戸惑うほど、私の頭の中では修正すべき帳簿が増えていくのだから。
その時、控えめなノックがした。
入ってきたのは書記局の補助生徒だった。両手で一通の封筒を差し出してくる。紙質がいい。封蝋もきれい。やたらと機嫌のよさそうな顔をした封筒だ。
「ロザリア・エーデルフェルト様へ」
紋章を見た瞬間、ロザリア様の口元がわずかに引き締まる。
「早いわね」
「はい。今朝の便だそうです」
エーデルフェルト公爵家。
たいへん嫌な速度である。
「開けます」
私は半ば当然のように言った。
「止めても開けるのでしょう」
「はい」
封を切る。
本文は穏やかだった。奉仕祭における働きが耳に入っていること。高評価を承知していること。家としても前向きに受け止めていること。
だが、最後の二行で私は手を止めた。
インクが違う。
黒ではない。少し青い。
筆圧も違う。本文の書き手より気が短い。払いが強く、余白への入り方が雑だ。褒める文面の後ろへ慌てて首輪を足した人間の字である。
「お嬢様」
「何」
「ここ」
私は最後の二行を指で叩いた。
近く、学園外でも振る舞いに注意されたい。
外部の視線を意識し、家名に相応しい応対を心がけるように。
ロザリア様が紙を引き寄せる。
読み終えたあと、小さく息を吐いた。
「本文は前向き」
「ええ」
「最後だけ、急に首を絞めに来る」
「はい」
「お父様の文じゃないわね」
「少なくとも、最後は別です」
私は即答した。
「お嬢様の有能さを認めたくなくて、慌てて手綱を締め直しに来た古い無能が一人います」
ロザリア様がじろりと私を見る。
「言い方」
「事実です」
「その人選に心当たりは?」
「だいぶあります」
「嫌ね」
「まったくです」
ロザリア様は手紙をたたみ直した。
その手つきは落ち着いているのに、紙の角だけが少し強く折られている。怒っていらっしゃる時の癖だ。
「次は学園の外、ということね」
「ええ」
「あなた、本当に面倒な方へばかり進ませるわね」
「面倒な方から来ましたので」
「止めても来るのでしょうね」
「喜んで」
ロザリア様は眉を寄せた。
「そういうところよ」
「褒め言葉として受け取ります」
手紙をもう一度開く。
青いインク。強い払い。本文より硬い命令口調。
なるほど。
お嬢様の正しさを塗り潰そうとする、新しい不備ですね。
私は控え表を机へ引き寄せ、端に小さく書き込んだ。
公爵家書簡。追記者、要監査。




