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侍女に転生した私、悪役令嬢お嬢様の“悪役の台詞”を全部言い換えます【連載版】  作者: 星渡リン
第4章 お嬢様は自分の言葉で立つ

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第39話 今度は、きちんと残りました

 奉仕祭の翌朝、書記局へ向かう廊下で、私は綴り紐を指に巻きつけすぎていた。


「そんなに引っ張らなくても、紙は逃げませんわよ」


 隣を歩くロザリア様が、いかにも他人事の声で言う。


「逃げるのは紙ではありません」

「ええ、事実でしょう?」

「でしたらなおさらです」


 お嬢様は少しだけ笑った。軽く、乾いた笑いだった。


「どうせ何か削られているわ」

「削られていたら、原本と照合します」

「ええ」

「それでも足りなければ、誰がどこを触ったか、一人ずつ吊るします」

「怖い侍女」

「今さらです」


 強気に言ったくせに、綴り紐から指が離れない。

 胸が高鳴る、なんて綺麗なものではなかった。喉の奥に古いインクの塊でも詰まっているみたいに、息の通りが悪い。期待と警戒が喧嘩している時は、だいたいこんな感じになる。


 書記局の閲覧台は、相変わらず虫が好かないほど整っていた。紙の角、背表紙、記録札の位置。ここはいつだって体裁だけは立派だ。


 受付で綴りを受け取り、閲覧台へ置く。

 奉仕祭準備および当日対応要約。

 表紙の文字は妙に普通で、そこがかえって不気味だった。


 開く。


 最初の数行で、指が止まった。


「……お嬢様」


 声が少し掠れた。自分でも驚くほど、情けない音だった。


「何」

「見てください」


 綴りを半歩ぶん寄せる。

 ロザリア様の視線が落ちる。


 その瞬間、お嬢様の指先が紙の上で止まった。


 書かれていたのは、あの安い札ではなかった。

 高圧的。威圧的。強い叱責。

 読む側の思考をそこで終わらせるための、あの手垢まみれの言葉ではない。


 混乱の収束。

 公平な再配置。

 事故防止を優先した迅速な対応。


 お嬢様の名前の下に、そんな文字が並んでいる。

 乾ききったインクの上で、その語だけが妙に鋭く見えた。細い針みたいに整っているのに、今までのどんな記録よりも乱暴に、こちらの神経へ刺さってくる。


 私は思わず、その一行へ指を置いた。震えているのを隠すには、その方が都合がよかった。


「……何これ」


 ロザリア様の声は低かった。

 低いまま、二行、三行と目で追っていく。


「ちゃんと、したことが先にある」

「はい」

「“怖かった”ではなくて」

「はい」

「“収束”」

 その語を口にする時だけ、わずかに間が空く。

「こんな記録、初めてだわ」


 私はもう一度、記録を見た。

 行の順番もまともだ。主語も消えていない。削っていいところと削ってはいけないところの区別が、ようやく人間の手で行われたらしい。


 紙の上のまともな文字を見て、こんなに手が冷えるのかと思う。

 破り捨てたい衝動がない。差し戻したい怒りもない。ただ、ずっと詰まっていた水路が急に開いたみたいに、胸の奥のどこかが気持ち悪く軋む。


「お嬢様のしたことが」

 私はゆっくり言った。

「お嬢様のした順番で書かれています」


 ロザリア様は返事をしなかった。

 返事の代わりに、綴りの端を少しだけ強く押さえる。


 その沈黙の脇から、気の抜けた声が差し込んだ。


「これは、なかなか見ものですね」


 ユリウスだった。


 面倒な監査から抜け出してきた役人みたいな、あの薄っぺらい仕草で両手を広げている。


「感動に水を差すなら、今すぐ沈めますよ」

 私が言うと、ユリウスは肩を軽く揺らした。

「差していません。むしろ、よくここまで持ってきましたね」

 綴りへ目を落とす。

「清書した連中の顔を見たかったですよ。いつもの棚へ押し込めようとしたら、後ろにあなたみたいな執念深い亡霊が立っていた。あれは、だいぶ筆が震えたでしょう」


 趣味の悪い言い方だ。

 だが、それで十分だった。


 書記局の連中が困った。

 棚に押し込めるための語が使えなかった。

 今回は、そうとしか読めない。


 ロザリア様は、そこでようやく顔を上げた。


「……困るわね」

「勝ったのに?」

 私が聞くと、お嬢様はまだ綴りから目を離さない。

「こういうふうに残ると、今度は外が面倒でしょう」


 その言葉に、ユリウスが少しだけ笑う。


「ええ。これまでの“高圧的な婚約候補”という帳簿は、もう使い物になりません」

 声は軽いのに、言っていることは重い。

「書き換えられた物語を読まされる方々が、どんな顔をするのか。少し楽しみですね」


 それだけ言って、ユリウスはそれ以上説明しなかった。

 その方がよほど嫌だった。紙の流れを細かく教えられるより、次にどこがざわつくのかだけ示される方が、想像の余地が大きい。


 ロザリア様は綴りを閉じるでもなく、開いた頁を見つめたままだった。

 罠でも仕掛けられた書類を見る人の顔だ。喜ぶべきだと頭では分かっているのに、長いこと歪んだ帳簿ばかり見せられてきたせいで、まともな文字の受け取り方が分からない。


「嫌ではないわ」

 小さな声だった。

「でも、慣れない」

「私もです」

 それしか言えなかった。


 綴りを閉じる。


 紙の束が、前よりずっと重く感じる。

 腹立たしさの重みではない。波紋の重みだ。この一冊で、どこまでの顔色が変わるのか。どこの机の上で、誰の予定表が狂うのか。


 上等です。

 次は、この真っ当すぎる記録を読んで顔を青くするのが、王宮のどなたかを確認しに行けばいい。


 私は綴りを閉じた。静かな音がした。

 獲物の名簿へ、ようやく一人目を書き込める時の音だった。

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