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侍女に転生した私、悪役令嬢お嬢様の“悪役の台詞”を全部言い換えます【連載版】  作者: 星渡リン
第4章 お嬢様は自分の言葉で立つ

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第38話 怖いのではなく、頼もしかったのだと思います

 控え表を埋める私のペン先は、珍しく機嫌がよかった。


 白皿の列は崩れず、入口脇へ逃がした花台は、最初からそこにあるべきだったみたいな顔で人の流れを守っている。無能が積み上げた混乱を、こちらの引いた線でねじ伏せたあとの現場は、見ていて実に気分がいい。


 こういう時だけは、紙の上の修正もご褒美になります。


 少し離れた場所では、さっきまで泣きそうだった下級生が、控えの盆を抱えたまま何度も頭を下げていました。別の上級生は、花台の位置を再確認したあと、お嬢様に何か礼を言って、妙にぎこちない顔で去っていく。


 お嬢様はそのたび、「次からはもっと早く報告なさい」とか、「報告は受けました」とか、褒め言葉だけを器用に避ける返し方をなさるものですから、私は何度か吹き出しそうになりました。


 逃げる隙をうかがうような目が、消えている。


 それだけでも、今日は十分に上出来です。


 そうして控え表に追記を入れていた時、本命がこちらへ歩いてくるのが見えました。


 ミレイユ様です。


 以前のあの方なら、もう少し遠回りをしたでしょう。誰かを間に挟んだかもしれません。けれど今は違う。薄い色の裾を乱さぬよう歩きながら、まっすぐお嬢様の前で止まりました。


「ロザリア様」


 お嬢様が顔を上げます。

 表情はいつも通り。扇も閉じたまま。なのに、視線だけがほんのわずか行き場を失う。あら。


「何か不備でも」

「いいえ」


 ミレイユ様は小さく首を振りました。


「助けてくださって、ありがとうございました」


 飾りのない言葉でした。余計な言い訳も、うやむやにするための笑みもない。ただ、真正面から届く感謝だけ。


 扇の骨が、ひとつ鳴りました。


「助けたというより、必要なことをしただけよ」

「はい。でも、その必要なことをしてくださったから、皆が動けました」


 ミレイユ様は引きません。


「わたくしも、どうしてよいか分からなくなっていました」

「……立ち尽くしていても状況は改善しません」

「ええ。ですから、順番を決めていただけて助かりました」


 お嬢様の指先に、場違いなほど力がこもる。

 扇を握りしめる白さが、実にいい。


 正論という装甲が、こういう無防備な感謝には弱いのですね。棘で返せない。切って捨てられない。だから、お嬢様の中で噛み合わない音がする。そのきしみを、一滴も漏らさず見届けるのが私の仕事です。


「今回は、間に合っただけです」


 ようやく絞り出したのは、その一言でした。


「次も同じように黙っていたら困るわ。異変があるなら早く出しなさい」

「はい」

「……ただ」


 そこで、わずかに言葉が止まる。


「あなたが無事なら、それで結構です」


 私は危うくペン先を滑らせるところでした。


 まあ。

 まあ、まあ、まあ。


 今の台詞、あとでどう記録しましょう。

 適切かつ迅速な激励。いえ、対人配慮を伴う現場統率。どちらでも美味しい。悩ましいところです。


 ミレイユ様の方も、想定していた答えと違ったのでしょう。帳簿の合わない数字を見た会計係みたいに、一瞬だけぴたりと止まりました。けれど、そのあとに浮かんだ顔はやわらかい。


「はい。ありがとうございます」


 お嬢様はそれ以上を拒むように視線を控え表へ落としました。

 追い払わなかっただけでも、今日は十分な前進です。


 ミレイユ様が下がったあとも、お嬢様はしばらく同じ行ばかり見ていました。読んでいるふりですね。まったく頭に入っていない。


 その時、斜め後ろで皿を運んでいた下級生たちの小声が、風に乗ってこちらへ届きました。


「私、ロザリア様って、すごく怖い方だと思っていました」

「……うん」

「でも今日」

 皿の触れ合う音が、かすかに鳴る。

「怖いのではなく、頼もしかったのだと思います」


 お嬢様の手が止まりました。


 本当に、それだけです。

 けれど、あの方が言葉もなく止まるのは、もはや事件に分類してよいでしょう。


 頼もしい。


 出ましたか。ついに。


 私は視線を上げず、配膳表の余白に交代時刻を書き足しました。こういう時ほど字は乱してはいけません。内心でどれほど歓声を上げていようと、証拠は美しく、冷たく、逃げ場なく整えるべきです。


「リネット」

「はい」

「中央卓の控え、花台移動後の位置に差し替えて」

「済ませました」

「追加の配膳交代時刻は」

「二巡目開始のところへ追記済みです」

「……そう」


 短い返事。

 けれど、今のお嬢様は配置も時刻も見ていません。耳の奥でまだ鳴っているのでしょう。頼もしい、などという、これまで自分に向けられたことのない種類の言葉が。


 ええ、よく分かります。


 恐れ。萎縮。仕方なく従う。そういう古い語彙の中で、お嬢様はずっと息をしてきた。そこへ今日、別の言葉が滑り込んだのです。しかもお世辞ではない。現場で助けられた者が、自分の驚きごと差し出した本物の言葉。


 こんな上等な新語、見逃せるわけがない。


「……ずいぶん、楽しそうですね」


 横から落ちてきた声に、私は顔を上げました。


 ユリウス様です。例によって記録紙持参。あの方は本当に、紙の匂いででも現れるのでしょうか。


「そう見えますか」

「見えますとも。良質な証拠品を拾った顔です」

「証拠品、だなんて」


 私は控え表を持ち上げ、そのままペン先で空白を軽く叩きました。


「これは、お嬢様を陥れようとする“要約”という病を、事実で切り裂くための治療記録ですわ。今日ここで生まれた『頼もしい』を、あとで捏造だと言い張る無能の喉元に突きつけるための、下準備に過ぎません」

 ユリウス様の眉が、わずかに上がる。

「それはまた、ずいぶん熱心な治療ですね」

「ええ。手遅れになる前に切らなければなりませんので」


 私は次の紙を引き寄せました。


 配膳交代時刻、花台移動、皿数不足の代替処理。そこまでは結構。

 けれど、その下に残った小さなずれに、私は視線を止めます。


 入口側の花台。

 半歩だけ、本来の線から外れていた。

 偶然で済ませるには、あまりにも嫌なずれ方です。


 あの位置に置けば、人が詰まる。裾が絡む。盆がぶつかる。

 派手ではない。だからこそ始末が悪い。

 事故に見せかけて、空気だけを壊すにはちょうどいい。


 ……見覚えがありますわね。こういう“半歩の不備”。


 私は余白を静かに突きました。

 冷たいペン先を、まだ見えない誰かの首筋へ当てるみたいに。

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