第31話 次の舞台は、こちらから選びます
朝の掲示板前は、いつもより半歩だけ騒がしかった。
「うそ、王宮にも回るの?」
「正式記録つき? 最悪……」
「運営会議まであるの? 面倒すぎるわ」
その三つを聞いた瞬間、私は人の隙間へ体を滑り込ませた。
奉仕祭。
合同運営。
会議記録、評価、報告。
細かい文面を端から読まなくても十分だった。
周囲の悲鳴だけで、中身の質は分かる。
私は、思わず笑いそうになった。もちろん、そんな顔をしたら周囲が引くので飲み込む。飲み込んだつもりだったが、たぶん少しは漏れていたのだろう。
「嫌な顔をしているわね、リネット」
隣へ並んだロザリア様が言う。
「ええ」
「珍しい」
「珍しくありません」
私は掲示から目を離さず答えた。
「大当たりです」
「その言い方をやめなさい。周囲が不吉なものを見る目をしているわ」
「では訂正します」
私は小さく息を吐いた。
「事故待ちは終わりです。今度はこちらで、爆心地を選びます」
ロザリア様が露骨に眉をひそめる。
「本当に、時々あなたは物騒ね」
「正確と言ってくださいませ」
掲示板の前では、まだ声が飛んでいる。
「去年も揉めたのに」
「今年は記録担当までつくの?」
「代表に当たったら終わりだわ」
「ロザリア様みたいな方が入ったら、場が凍りそう」
その囁きに、お嬢様の睫毛が一度だけ動いた。
けれど、そちらは見ない。もう十分だ。あの手の声にいちいち付き合っている時間はない。
私は人だかりから離れ、壁際へ寄った。ロザリア様も、不承不承ついていらっしゃる。
「目立つわよ」
お嬢様が言う。
「ええ。目立たせるんです」
「……そういうことを平然と言うのよね、あなたは」
「隠すから、あとから変なインクで塗りつぶされるんです」
私は静かに言った。
「なら最初から、光の下へ引きずり出して、誰も目を逸らせない形にするしかありません」
ロザリア様は黙ったまま、掲示をもう一度見上げる。
奉仕祭は、ただの飾りつけや挨拶では済まない。物資、動線、割り振り、来客対応、集計。そういう単語が並んでいるだけで、もう頭の中では盤面が組み上がり始めていた。
お嬢様が一言で流れを止める場面。
それを私が、議事録と証人の配置で逃げ道なく固定する場面。
思い浮かぶだけで、ひどく気分が冴える。
「今回は」
私は声を落とした。
「向こうが勝手に拾うのを待ちません」
「そう」
「最初から、これ以外には読み取れない帳簿を作ります」
ロザリア様がこちらを見る。
「誰が聞いても、誰が書いても、同じ結論にしかならない並べ方で」
「……あなた、本当に誰かを、インクと紙だけで刺し殺しそうな顔をするわね」
「刺しませんよ」
私は微笑みもせず答えた。
「不備を残さないだけです」
お嬢様は呆れたように息をつく。
だが、完全に退く顔ではない。
「どうせ出なければ“避けた”と書かれるのでしょうね」
「たぶん」
「出れば“張り切った”」
「ええ」
「面倒だわ」
「ですが、今回はその面倒の中身が違います」
私は一歩だけ近づいた。
「場を動かした人間が、成果ごと残る。そこをごまかすには、向こうも相当無理をする必要がある」
「ずいぶん楽しそうね」
「ええ」
「怖いわ」
私は否定しなかった。
ロザリア様は少しだけ視線を伏せ、それから小さく言う。
「……逃げていても、何も変わらないのよね」
「変わりません」
「今度も、勝手に並べ替えられるのを待つだけ」
「ええ」
「それは」
お嬢様はそこで一度、言葉を切った。
「少し腹が立つわ」
私は何も言わなかった。
それで十分だったからだ。
「どうせ舞台に上げられるのなら、台本も読まないまま立つのは嫌ね」
「はい」
「立つだけでは足りないのでしょう?」
「もちろんです」
「なら、私は何をすればいいの」
「必要な順番で、必要なことを言ってください」
私は即答した。
「残りは全部、こちらで整えます」
「雑ね」
「では、もう少し丁寧に」
私は指を折らずに言う。
「議事録担当の位置。監督教師の癖。誰が口を挟むか。誰を証人に置くか。お嬢様が背筋を折らずに済むよう、その辺りの経費は私が全部持ちます」
「経費」
「ええ。効率を追求した結果ですので」
ロザリア様は半ば本気で頭を抱えた。
「面倒な侍女だこと」
「今さらです」
人の流れが教室へほどけていく。
けれど私の頭の中では、もう別のものが動いていた。
議事録担当。
監督教師。
配席。
証人。
そして、奉仕祭の前に一度でもお嬢様の評価を汚した人間の顔ぶれ。
「リネット」
「はい」
「次は」
ロザリア様がゆっくり言う。
「真意を拾ってもらうのではなく、最初からそこへ置くつもりなのね」
「ええ。待つのはやめます」
お嬢様は少しだけ顎を上げた。
「……大きく出るわね」
「必要な分だけです」
「失敗したら承知しないわよ」
「事実はそこにあるだけです」
私は静かに言った。
「それを歪めるのは、たいてい保身しか考えない無能な人間です。なら、歪める余地ごと潰します」
ロザリア様は、ほんの少しだけ目を細める。
「本当に、面倒でうるさい侍女」
「お嬢様の背筋を保つための雑音処理係とお呼びください」
「その呼び名、腹が立つわね」
「光栄です」
私は掲示板を振り返らなかった。
もう見るべきは紙ではない。
紙を書く手だ。
まずは、この運営会議の議事録担当が誰の筋か。
インクの匂いから、ペンの癖まで。逃げ場は一つも残しません。




