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侍女に転生した私、悪役令嬢お嬢様の“悪役の台詞”を全部言い換えます【連載版】  作者: 星渡リン
第3章 記録は誰の味方をするのか

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第29話 要約したのは誰ですか

 書記局の奥は、きれいすぎて気持ちが悪い。


 番号札のついた引き出し。背表紙の揃った綴り。年度別、行事別、担当別。

 几帳面に並べられた棚が、中身のデタラメさまで整っている顔をしている。書類を揃える前に、まず自分たちの良心を整えなさいな。そう言いたくなる光景だった。


 リネットは承認印つきの控え綴りを抱えたまま、棚の前で立ち止まった。


「要約したのは誰ですか」


 遠回しにする気はなかった。


 ユリウスが鍵束を指先で回しながら振り返る。

「主語が大きい」

「では絞ります。茶会記録、食堂列整理、園芸実習、図書室貸出。あの閲覧用要約に触った人間を、工程ごとに」

「工程ごとに、ですか」

「ええ。誰が拾い、誰が書き、誰が通したのか。曖昧語は結構です」


 ユリウスは何か言いかけたが、リネットはその前に一番手前の木箱へ手を伸ばした。


 中には、薄青い結晶が整然と並んでいる。

 淡い光を内側に閉じ込めた、宝石まがいの道具。ひどく澄んでいる。その無機質な美しさが腹立たしい。こんな石ころ一つで、お嬢様の生身の時間が“問題のあった一幕”に切り刻まれるのかと思うと、床へ叩きつけたくなった。


「これが現場の結晶ですね」

 リネットは箱を閉じずに言った。

「で、そこから下書きが起きる」

「早い」

「嫌というほど見ていますので。前の世界でも、現場の断片を都合よく要約へ流し込む仕事は山ほどありました」


 ユリウスが肩をすくめる。

「ええ。まず結晶。次に補助書記か記録補助生徒が下書き要旨を作る」

「つまり、現場で拾った“大きな音”を」

 リネットは箱の隣に置かれていた細い下書き束をひったくるように取った。

「補助生徒が“印象的な出来事”へ書き直す」

 ぱらぱらとめくる。

「そのあと教師摘要」

 別棚の綴りを抜く。

「監督側の一言で権威を足す」

 さらに承認印つきの閲覧用控えを机へ叩きつける。

「最後に書記局が“読みやすい商品”へ仕上げる。見事な改竄ラインですね」


 ユリウスは少しだけ笑った。

「商品、ですか」

「違います?」

「だいたい合っていますよ」

「腹立たしいことに」


 リネットは下書き束をめくる手を止めなかった。


 生徒の筆跡。急いだ線。省略された語。

 その横に、教師摘要の短い書き込み。

 さらに別紙へ清書された閲覧用文面。


 同じ出来事のはずなのに、段を追うごとに輪郭が雑になっていく。


 食堂列整理の件を見つける。


 下書きには、列の乱れ、割り込み、制止、再整列。

 教師摘要には、やや強い注意。

 閲覧用では、もう、最初から“高圧的注意”だった。


 リネットは眉をひそめた。


 また出た。


 めくるたび、判で押したような四文字が目に飛び込んでくる。お嬢様の行動を塗りつぶすために、誰かが“高圧的”とだけ書かれたバケツを紙の上へひっくり返したみたいだ。


「……雑」

 小さく吐き捨てる。

「ええ」

 ユリウスが応じる。

「でも、読む側には便利です」

「便利を理由に許されるなら、事務なんて要りません」

 リネットは次の綴りを開く。

「園芸実習。図書室。茶会。行事準備」


 筆記者は違う。

 教師も違う。

 場面も違う。


 なのに、紙の上へ残る顔だけが、毎回きれいに同じ方向を向く。


 別の上級生の記録を引っ張り出して並べた。


 こちらは“適切な指導”。

 こちらは“厳格な注意”。


 お嬢様の方だけが、読む前から罪が決まっている文章だ。


「個人の癖だけでは、ここまで揃いません」

 リネットは机の上へ綴りを広げた。

「筆記者が違うのに、着地点だけ同じ。これはもう、誰か一人の悪意じゃない」

「その通り」

 ユリウスが棚へ凭れて言う。

「皆が少しずつ、しっくりくる語を足しているだけです」

「しっくり」

 リネットは顔を上げた。

「便利な言葉ね」

「便利ですよ。人は説明より役を覚えますから」

「役」

「ええ。真面目な優等生。世話好きな上級生。断れない子。きついけれど有能な婚約候補」

 ユリウスは指を折りもしない。ただ静かに言う。

「学園は、人間関係を小さな芝居みたいに並べたがる。そうすると読む側が楽です」


 ロザリアが、そこでようやく棚から離れた。


 さっきから黙って札を見ていたが、聞いていなかったわけがない。

 彼女はゆっくり机へ近づき、茶会の閲覧用控えへ目を落とす。


「最初から」

 その声は妙に静かだった。

「私という本を、“悪役令嬢”という棚へ放り込むことが決まっているのでしょうね」

 指先が紙の端を揃える。

「中身を一字も読まずに、背表紙の題だけ見て」


 誰もすぐには答えなかった。


 リネットはその一言が、ひどく嫌だった。

 比喩として美しいからではない。あまりにも実感がこもっていたからだ。お嬢様は、自分がそういう棚へ戻される感覚を、たぶん昔から知っている。


「だから」

 リネットは低く言った。

「食堂でも、温室でも、図書室でも、まずその棚へ戻す語が選ばれる」

 下書き、教師摘要、閲覧用。

 三枚を指先でずらして見せる。

「現場で強い言葉が拾われる。補助生徒が目立つところを抜く。教師が“やや厳しめでした”みたいな顔で背を押す。最後に書記局が読みやすい形へ磨く」

 顔を上げる。

「出来事を残しているんじゃない。人物像へ合わせて出来事を削っている」


 ユリウスは否定しなかった。


「人は、見たい役へ人を入れたがるんですよ」

 彼は言う。

「特に学園はそうです。婚約候補や目立つ生徒は、出来事そのものより“その人らしい一幕”の方が喜ばれる」

「喜ばれる、ですって」

 リネットは笑いもしなかった。

「安っぽい見世物ね」

「そうとも言えます」

「最低」


 ロザリアは何も言わない。

 けれど、持っていた摘要綴りの端がまたぴたりと揃った。ああいう時は、少し気が立っている。


 リネットはその手元を見て、ようやく全部が一本に繋がった。


 たまたま一度、誤読されたのではない。

 たまたま相性の悪い教師に当たったのでもない。

 最初からそう見えやすい位置へ置かれ、そう読まれやすい語へ流し込まれ、そこから外れる要素だけが薄く削られてきた。


「……偶然じゃない」


 ユリウスが視線を向ける。


「何がです」

「ロザリア様の誤解です」

 リネットは承認印の欄を指で叩いた。

「誤解されたんじゃない。誤解がいちばん起きやすい場所へ、ずっと置かれていた」

 結晶箱、下書き束、教師摘要、閲覧用控え。

 机の上へ並ぶ“製造ライン”を見渡す。

「見えるように並べて、見やすいように削って、読む側が一番楽な形にしてある」


 書記局の奥は相変わらず静かだ。

 その静けさのまま、何年もこうして処理してきたのだろう。気づきもしないまま。あるいは、気づいていても便利だから見ないふりをして。


 一人の犯人なら、まだ楽だった。

 引きずり出して机へ座らせれば済む。


 でも相手がこの“流れ”なら、話は別だ。


 リネットは下書き束を一つ選び、表紙の隅に書かれた補助筆記番号へ目を落とした。


「なら」

 声は静かだった。

「この製造ラインに関わった人間を、順番に監査していくだけです」

 ユリウスの目が細くなる。

「監査」

「ええ」

 リネットは即答した。

「まずは、この下書きを書いた補助生徒の筆記番号を全部洗います。次に教師摘要の癖。承認印の時刻差。どこで“ロザリア様らしい”という汚れた主観が混ざるのか」

 綴りを閉じる。

「それさえ掴めば、壊せる」


 ユリウスは口元だけで笑った。

「本当に、そういうのがお好きなんですね」

「嫌いですよ」

 リネットは下書き束を抱え直した。

「嫌いだから、徹底的にやるんです」


 そして、補助筆記番号の欄へ、最初の印をつけた。

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