3-6 私が気になって眠れない?
俺は人間らしい生活をすることにした。
昼夜逆転していた生活時間を正したのである。
「ギルさん寝不足ですねぇ。むしろ、どうして起きてるんですか~!」
「ごめん、頭に響くから声抑えてくれないかな……」
リンゼの賑やかな高音は、傷を抉るようにズキズキと響く頭痛を増長させた。
頭を抑えながら目元を覆っていた手をずらす。
空気を明るくする炎天下の陽光も目に酷だ。窓から差し込む朝日が当たっていない席を選んだが、今ではざんざんと陽を浴びている。
返り血を洗い落として宿に戻るなり布団に包まった俺は思考が渦を巻いて寝ることが叶わず、酒を飲んでも酔うことができず。
気を紛らわすためにも、人間らしく太陽と共に生活しようと食堂に足を運んだのである。
朝ののんびりとした静けさも感じながら、朝食を摂ることで活気を増して去っていく宿泊客に混じって。
けれども光を避けた食堂の片隅でスープを飲んだ俺の活力が増すことはなく、立ち上がることができずに抜け殻のように留まっていた。
「すみませんですけど、ず〜っと気にしてたんですよ」
にこにこと両手に持ったカップをテーブルに置いたリンゼは目の前の空席に腰を下ろす。
今の俺は迷惑な客だろうに、食堂の片づけを終えても追い出さず付き合ってくれるようだ。
「コーヒーが良いか薬湯が良いか迷って両方持ってきました。どちらを飲みますかぁ?」
選ばせてくれてはいるが彼女の手元には色の濃いコーヒーがあって、俺の近くには妙な臭いを漂わせた緑色の薬湯が置かれている。
「……有難くいただくよ」
「はい。ごくっと召し上がれ~」
にこにことした笑みで飲むのをせがまれては、手を付けないわけにはいかない。
カップを手にもって口元に近づける。鼻につくのは草の匂いだ。畑の草むしりの依頼後に手に染みつく匂い。森の草木をかき分けた時に手に残る匂い。発酵させたような独特な混ぜ物も感じる。
飲みたいとは決して思えないが、食堂に居座る俺を見兼ねて用意してくれた気遣いだ。それに今は嗅覚よりも思考を鈍らせる痛覚の方が勝っている。
思考を無にして一息に喉を鳴らす。
薬草の煎じ方が適当だと葉の繊維が舌に残って不快なのだが、それがない。丁寧に濾しながら作られた薬湯のようだった。
カップの半分ほどまで減った薬湯をテーブルに置くと、リンゼは深く頷いた。
「良い飲みっぷりですねぇ。きっと疲れも取れるに違いありません。ギルさん、昨夜に殺人犯が捕まったと朝から町が大盛り上がりです。これで私たちも安心して過ごせます」
「良かったな。でもあまり気は抜きすぎるなよ? 年頃の女の子は何かと狙われやすいし、リンゼは愛嬌もある可愛い看板娘なんだろ?」
「もう!! そうなんです~! 私、結構人気者みたいで! ギルさんがこの町にいてくれたら私の護衛をお願いできるんですけど、延泊のご希望はありませんかぁ?」
リンゼの身振りが忙しなくなるのに比例して、抑えていた声のトーンも上がる。それなのに頭に響かない。
心なしか鈍く続いた頭痛も治まってきているように思えて、残りの薬湯も飲み干した。
「次の行き先は決まってるから遠慮しておく」
「残念ですぅ。もうすぐギルさんともネリメアさんともお別れなんですね」
リンゼは当然とばかりに俺とネリメアを紐付ける。
日中や夕時は別行動することもあったけれど、それでも二人で過ごす時間が大半を占めていた。
夜の外出時はロビーで待ち合わせをしたり、宿での食事は常に一緒だったり。
宿泊客の動向を把握していた彼女にとっては、セットで考えるのが当たり前なのだ。
「ネリメアは……どうだろうな」
ネリメアの目的は今日達成する。
吸血鬼の彼女はその後どう過ごすのだろう?
(この子にはネリメアに気をつけるよう言ったほうが良いのか――?)
上手く隠しているのかもしれないが、リンゼからは警戒心を感じたことがない。
人と関わることが多い分トラブルにも巻き込まれやすい宿屋の店員で、同性で、吸血鬼という存在を知らない彼女は、吸血鬼にとって格好のターゲットになるのではないか。
「なんですかっ、喧嘩ですか!? もしかして私の取り合いでも!?」
鬱屈としたまま探る面持ちで目を合わせてしまった俺は、自分と彼女とのテンションの落差についていけずに呆気に取られる。
「な〜んて冗談ですけど、ギルさん。謝罪は一秒でも早い方が身の為ですよ! 元気出してください」
リンゼは白い歯を見せて元気良く笑う。
当然ながら、彼女の歯には鋭利な牙はない。
誰しもがつられて笑みを浮かべてしまう彼女の溌剌さに引き寄せられるのは、思考が暗雲とした俺も例外ではなく。
「色々ありがとうな」
鼻で笑う、見ようによっては嫌味な表情になってしまったけれど、彼女は気にした素振りもなく頷いた。
「ささっ、行きましょ! 行きましょ!」
「うおっ……押さなくても歩くから」
そうして立ち上がった彼女に物理的にも背中を押されて、出入り口へと押し出される。
細身のわりに腕の力はなかなかだ。
開いたままの食堂の扉を潜った俺の背から小さく力強い温もりが消えて。
「あ、薬湯の料金は宿代に追加でいただきますね。いつもありがとうございま〜す」
宿屋の看板娘は愛嬌ある笑みとともに、恐ろしい台詞を言い残して扉を閉めた。
チリン、チリンと扉の上部に固定されているベルが鳴って、すっかり治っていた頭痛が、再び脳を締め付ける。
「いや……薬湯代ってピンキリだろ」
ベルの高音が響いたからなのか、金額の知れない薬湯のせいなのか。
痛みの原因を考えるのは止めておこう。




