3-4 見逃してあげて、なんて言わないよ。
放たれた弾丸が肉を抉る音。
開いた風穴から血飛沫が噴き出す音。
頭部に迫る尖った爪を生やした手を首を傾けることで避けて、敵の鳩尾を蹴り上げた音。
「ガァッ――」
呻き声とともに、穢らわしい血の雨が地面に落ちる粘度の伴った水音。
(感覚が鋭くなるのは良いことばかりじゃないよな。嫌な匂いだ)
香水に紛れる鉄の匂いにすら顔を顰めたネリメアがこの場にいたら、鼻から息を吸わないように塞ぐのではないか。
地面に崩れ落ちた敵の手のひらに腰から引き抜いた剣を突き立てる。
「ぐァア"」
剣の刺さった手を震わせて呻く吸血鬼の鳩尾に靴をめり込ませた俺は、剥き出しの剣に親指の腹を当てた。
「血が飲みたいなら飲ませてやるよ」
自らでつけた切り傷からジクジクと蠢く血が親指を赤く染める。
握り拳をつくると手のひらが水盆であるかのように血で満たされた。
踵に体重を乗せて左右へと踏み躙る。
耳を塞ぎたくなる呻き声とともに、靴底の下で抉られた銃槍から血が流れているのが靴越しに伝わる温度で感じた。
(宿に戻る前に洗い落とさなきゃな)
宿屋の床を血で汚したらリンゼに叱られるだけでは済まない。清掃を求められ、終いには損害費用を請求されそうだ。
傷を抉るたびに苦痛に踠く吸血鬼を見下ろしながら場違いな思考を巡らせた俺は、叫び声を上げて開かれている口内に溜まった血を流し捨てる。
「ガハッ、あ"グ……!! ――ッ」
けれど量の加減を間違ったのか咳き込まれてしまった。
面倒臭い、と。
人間とほとんど変わらない容姿の吸血鬼が苦しむ様を見て感じる感情は、何度繰り返しても罪悪感には染まらない。
苛立ちが漏れた俺は、血に塗れた吸血鬼の口を塞ぐ。
呻いていた声が途絶えて、苦しみに見開かれた両目に俺が映っていた。
それなのに視線が合ってるとはどうしても思えない。瞳孔の開いた瞳は、相対する俺を見てはいないのだ。
吸血鬼の喉仏が上下するのを見届けてから、その口を覆う手を離すと、もともと青い顔色が死人のように生気を失っていたのに、数回呼気を見届けると表情が和らいでいく。
(吸血鬼ってやつは厄介だよな。血を飲めば傷が修復する。それに加えて身体能力が増すなんて、この世にいちゃいけない魔族だ)
苦痛に歪んでいた吸血鬼の瞳は、今では俺を射殺さんばかりに瞳孔が開いている。
剣の刺さった手のひらを握り、右足で踏みつけている腹筋に力が入り、左足で動きを封じていた右腕が暴れる。
「なあ、ローリー・フィズニングって男知らない? お前らの仲間にいるだろ」
「ゥゔ……! ぁ、がァア"!!」
返事はない。返ってくるのは言葉とも言えない咆哮だ。
だから、右手に握っていた銃で首筋を撃ち抜いた。
「ぐ、ああ"」
発砲音のならない銃の代わりに血飛沫が飛び出す音が路地裏に響く。
「なあ。質問に答えてくれない?」
足に体重をかけて足先を動かす。軋むように鳴る鈍い音が、与えている苦痛の程度を想像できる。
「――ッ"!! あァア"!!」
(今回も収穫はなし、か)
言葉を交わせる吸血鬼は、幼馴染を殺したローリー・フィズニングしか俺は知らない。
俺に吸血鬼とは何たるかを教えてくれたパトロンでさえ知らない。
今回も落胆と呼べない諦めが一日増えただけだった。
頭上に明るみを感じて顔を上向ける。
毎日静まり返っていた星の煌めく深夜に不釣り合いな悲鳴が響いていたせいで、ぽつぽつと住宅の窓から光が漏れ始めていた。
そう待たずとも、ネリメアが自警団や兵士を連れてくるだろう。
普通の人間であれば失血死を招く致命傷でも、血を摂取した吸血鬼なら死にはしない。
連行中に暴れないように、もう少し痛めつけて――――
「ギル。そこまでで止めてあげて?」
照準をずらして狙いを定めた俺の手に、冷え切った人肌が重なる。
「――ネリメア」
気配が消えていた。
吸血鬼にも勝てるように薬で感覚を研ぎ澄ませた俺が、ネリメアに触れられるまで気づけずにいた。
少しずつ灯の増えた暗闇を見渡したばかりなのに。
(どうして)
喉から出てこない疑問にネリメアは答える訳がなく、吸血鬼の首筋を覗き込むようにしゃがみ込む。
「例え塞がっても逃げれる傷じゃないよ。流れた血はそう簡単に戻らないもん」
足元に広がる血の池が舗装された煉瓦の窪みを伝って広がっている。
ネリメアの言うとおりだ。
銃をホルダーに戻して、吸血鬼を拘束していた体勢を楽にする。
それでも念のため吸血鬼の左腕だけは足で地面に縫いつけた。
「ネリメア。危ない――から、離れて」
仮に吸血鬼がネリメアに飛びかかったとして。
ネリメアに危害が加わるのか?
俺に呆気なくやられたこの吸血鬼が危害を加えることが出来るのだろうか?
腑に落ちないままに俺は声をかける。
ネリメアは首を縦に振ることで答えた。
「その前にこの人に聞きたいことがあるの」
吸血鬼は息を吸うたびに口内に残っていた血を飲み込んで、身体の傷が塞がれていく。
掠れる呼吸から目を逸らさずにネリメアは口を開く。
暗闇の奥からは数人の足音が近づいていた。
「ねえ。貴方はどうして禁忌を犯したの?」
一音一音を区切って、口の動きをはっきりと見せて、彼女は問う。
口元を覆う大振りのスカーフを引き下げていたから、俺にもはっきりと見えた。
「た、助け……ど、ぞく…だろ」
それは、この場で聞こえるはずのない男の声だった。
言葉を交わせないはずの吸血鬼の発露。
幼馴染を殺した吸血鬼しか前例のない、言葉を話せる吸血鬼が今、ようやく現れたのに。
それなのに、俺の意識が地に伏した吸血鬼に向かうことはなくて。
そいつを純粋な好奇の目で見ているネリメアしか視界に入らなかった。
「ごめんね。助けてあげられない。ギルも見逃してくれないよ」
「だよね?」と。
ネリメアが俺を見上げて微笑む。
血に濡れたような赤い唇を持ち上げて。
同族だと告げた吸血鬼の言葉を否定することなく。
俺に牙を見せつけるように笑いかけていた――




