確かな希望と儚い望み
もう日が昇っている。
部屋の障子を開けて外を眺めれば、温かな風と共に、同じく温かな日差しがこれでもかと照り付けてきた。
私、私たち三人は農家の娘だ。周りの農家さんたちに比べると、とっても大きな家と田畑を持っているが、それ以外は他の誰とも変わらない、いたって普通の農家だ。
「お姉ちゃんお姉ちゃん! ねねがまたどこかから本を手に入れてきたよ!」
妹、大切な家族。はなが大きな声を上げながら私の部屋に入って来た。
まだ朝も早いと言うのに、もし私が起きていなかったときのことも考えてほしいものだ。
「どこからかって、そんなのお父さんに買ってもらたっんでしょ」
たまに誰かからもらってくることもあるが、だいたいの場合はお父さんに買ってもらっている。
恥ずかしいことながら、私は字があまり読めなかったりする。だからねねがあんなに黙々と本を読んでいて何が楽しいのかよくわからない。
「ねねってさ、あんなにも字ばっかり目で追って、何か楽しいのかな?」
「分かんないわよ。私にとっては、あんたが甘いものいくら食べてもいつまでも幸せそうにしていられるのと同じくらいわからないわ」
はなはその可愛らしい見た目通りに可愛いものが好きだ。あと甘味。
はなは本当に食べるときはとんでもなく食べる、見ているだけでこっちもお腹いっぱいになってくるし、最近は気持ち悪くもなってくる。
「えー、甘いもの食べたら誰だって幸せじゃない?」
「ん~、間違ってはいないんだけど、限度があるのよ」
はなは食べ過ぎだ、そのまま太ってしまえば少しは懲りてくれそうなものだが、残念ながらはなはいくら食べても全く太りそうな感じがしないから・・・ほんの少しだけ羨ましい。
「あ~あ、はなばっかりお父さんにいろいろと買ってもらって、羨ましいなー」
「あんたはその分甘いものか可愛いものを買ってもらっているじゃない、それ以上何かねだったりしたら、怒るからね」
ねねは体がそんなに強くないし、何より学問に秀でている。いや、今のはおかしいか、ただ、何よりも文字を読むことが好きなのだ。だから、私としてははながお団子を我慢して、その分ねねに本を買ってあげた方がよっぽど意味があるとも思ってしまう。
「まあ、ねねはあんたと違って他に何かねだるわけでもないし、いいんじゃない?」
「え~ずるいよ~。だったら私も今日はお団子を」
「贅沢言わないの。ほら、さっさと支度しなさい。私は先に行っているよ」
「ああー! 待ってよお姉ちゃん!」
ぶんぶんと手を振り回しながら声を上げるはなを背中で軽く受け流しつつ、私は我が家の畑に向かって外に出た。
「兄ちゃん! でっかい雲だ!」
「どっちのくもだ、お空に浮かんでいる雲なら大歓迎だが、足が六本ある蜘蛛だったら全力で逃げるぞ?」
畑に向かう、つもりではあったのだ。
だが実際に足を運んだのは町の中。
「あれだよ、あれ!」
そう言って、大きな男の方の上に載っている小さな女の子が空に浮かんでいる大きな雲に向かって指をさす。
「なるほど、お空に浮かんでいる方の雲か、確かに大きいな」
「食べたらおいしいかな?」
「実際に食べてみなさい」
女の子の無邪気な問いに対して、男ができもしないことを言って返す。
「じゃあ連れて行ってよ! 兄ちゃん!」
女の子も無理だと分かっているからなのか、男にこれまた無茶なことを言って返す。
「ん~」
すると男の方は何やら考え込んでいたが、少しして口を開いた。
「そうだな、もし甲斐に行くようなことがあったら、食べさせてあげられるかもしれないな」
本気だろうか? あの高い高いところにある雲を、本気で食べさせようとしているのだろうか?
「おお! じゃあ兄ちゃん頑張って連れて行ってね!」
「連れて行くまでは頑張ってもいいが、その後はりょうの方が頑張るんだぞ」
りょう、男の方の上にいる小さな女の子の名前だ。
そして女を肩に乗せている背の高い男の方の名前は貴久、加藤貴久。私たちが住んでいる越後、その国主様・長尾景虎様の旦那様だ。
そしてそのまま見つめていること数秒、二人は人ごみの中に消えて行った。
「・・・あれが、まさに聖人君子」
それはつい数日前のこと、たまたま見かけた。
大きな男が、小さな女の子と話をしていた。
最初は女の子が何かされるんじゃないかと思って割って入ろうともしたのだが、それは奇遇だった。大きな男と小さな女の子は笑顔で話をしている。
そして少しして男が木の上に引っかかっている着物を取って女の子に渡していた。
なるほど、特にあの二人に関係があるのではなく、単に高いところにあるものを背の高い人に取ってもらおうと、そう言うことだったのか。
ところが少しして女の子がせっかく取ってもらった着物を男に向かって差し出している。
少しばかり気になって、私は二人の近くにこっそりと寄ってみた。
「ねえ、買ってよ兄ちゃん、今なら一両でいいから!」
「高いわ!」
何やら女の子の方がとんでもない値段で先ほどの着物を男に売りつけようとしているようだ。
そしてその後も女の子はだんだんと値段を下げていき、最後には泣きついてまで男に着物を買わせようとしていた。
「・・・あの女の子、確か昨日も・・・」
そして思い出したのだが、あの女の子は昨日もここにいた気がする。そしておそらくは着ている物も同じ、いや、いくらか汚れている気もする。
「分かった、買おう。いくらで売ってくれる?」
あれこれ考えているうちに男が着物を買うことを決めたようだ。
今更ながら男の方も見たことがある気がする。どこだったかはよく思い出せないが、とりあえず子の町中だったような気がする。
そしてまた考えているうちに事態は進んでいく。
男は女の子に何やら言い残すと、女の子をその場に残して去って行ってしまった。
「ねえ君?」
これ幸いと思って私は女の子にいろいろ聞いてみようと思って話しかけてみた。
「なに?」
「さっきの男の人と、何を話していたの?」
「この着物を買ってもらうんだ!」
女の子が持っている着物を顔の前に広げながら元気に教えてくれた。
「どうして買ってもらうの?」
「だってお金ないもん」
普通に答えてはくれたが、先ほどまでのように元気よくと言うわけではない。どこか辛そうな感じも受けた、だがそれでも普通に答えてくれた。
「帰るお家は?」
「ないよ。今はおっきな木の下に住んでるの」
つまり捨てられた子なのだろう。それを自覚していてもしないようにしているのだ。
「なら、私たちのところに来る?」
何も家にだって自慢できるようなお宝があったり、誰もが羨むような裕福な暮らしをしているわけではない。だが、それでも周りと比べて大きな屋敷に住んでいるし、みんなに聞いてみても、我が家が他と比べてかなりお金を持っている方だと言うことは分かっている。
「嫌」
しかし女の子は、何を根拠としているのかは分からないが、私の提案を強い口調で否定した。
「どうして?」
訳が分からないから聞いてみた。
帰る家がない、お金がない、それなら私からの提案を断る理由なんてないと思うのだが。
「お姉ちゃん、来てほしいとは思ってないでしょ」
「え、それは・・・」
正直な話、来てほしいとまでは思っていない。来られたところで、今のところはただで養うことになるだろう。頼りになる男手と言うわけでもないし、人数だけならいくらでも足りている我が家としては、わざわざ養う理由なんてものはない。
「そんな人のところ、行きたくない」
「・・・」
絶句した。
驚いたと言うところも大きいのだが、圧倒的に怒りが強かった。
こちらが親切で、ただただ困っていそうだから助けてあげようと思ったのに、今の返しはありえない。
「あっそう、じゃあね」
だから、私はそれだけ言い残してその場を後にした。
「・・・」
のだが、女の子の言葉が気になっていたからまた物陰から様子をうかがってしまう。
さっき女の子は先ほどの男が着物を買ってくれることになっていると言っていた、それならまたあの男が戻ってくるはずだ。
いまいち思い出せないが、あの背の高い男、どこかで見たことがある、それに名前も聞いたことがある気がするのだ。
「あ、来た」
物陰に隠れて待つことしばらく、男が帰って来た・・・すごい人と一緒に。
「この着物を買えばいいのね?」
私の目、頭、耳、いろいろと狂っていなければ、あの女の人は私たちが住む越後の国の国主様、長尾景虎様だ。
「あ、そうかあの人」
そして思い出した、あの男の人は加藤貴久、長尾景虎様の草履取りだ。どこか有力な家の出と言うわけでもないのに、気がついたら長尾様の草履取りになっていた不思議な人だ。
風の噂では、なんだか二人は恋仲であるとの話もあるのだが、その話の真偽がいまいち定かではないのでそこは保留だ。
「・・・」
本当にそう思っていたのだろうか?
先ほど女の子に言われた言葉。あの時は頭に来てしまって特に何も考えていなかったが、今更になって冷静に考えてみれば、確かにその通りだ、私はあの女の子に、来てほしいだなんて全く思っていない。
あの時は何を根拠にと憤りもしたものだが、女の子が着物を売りつけようとしたのは国主の夫、この国の中で最もお金を持っている人の夫だ、人を見る目があるのかもしれない。
そしてそうこう考えているうちに女の子は見事、着物を売ることに成功したようだ。
これでめでたしめでたし、全てうまくいった・・・そう思えるほど物覚えは悪くない。
「今お金があっても、あの子が持っていても」
あの子には帰る家がない、きっと家族もいないのだろう。見た目からして捨てられたと思われる。そんな子がお金を持っていても、店ではぼったくられ、道では盗人に金を奪われ、またすぐに金に困る。
加藤様の方もそのことが分かっているのだろう、とても悲しそうな、悔しそうな顔をして女の子の背中を見送っている。
対して長尾様は、平然と去っていく女の子のことを見ている。
「国主なら、助けてあげればいのに」
加藤様の方に力がないのは分かる、助けられないのもわかる、だって草履取りなのだから。だが長尾様の方はどうして目の前に困っている人がいるのに助けてあげないのか、この国の国主様なのに、それができるのに。まさか気がついていないと言うこともないだろう。
私はこんなにもあれこれ考えるような性格だっただろうか? またしてもいろいろと考えてしまった、それと同時に事態も進んでいた。
加藤様は、長尾様と何やら一言二言話をした後、はっとしたような顔をして女の子を追いかけた。そして女の子ともまた少しばかり話す。
するとどうしたことだろう、私に対してはあれだけ冷たく言い放った女の子は、満面の笑みで加藤様に勢い良く抱き付いた。
女の子が加藤様について歩いて行った。つまり、あの女の子が本当に私に言ったようなことを見抜けると言うのなら、加藤様はあの子を助けたいと、来てほしいと、本気で思っていると言うことだ。
「・・・ああいう人が、人の上に立つのにふさわしい人なんだろうな」
この時、私の中に、一つの気持ちが芽生えた。
そして月日は流れ、父がいなくなり、どうしようもなくなって困っていた時、私は加藤様が旅から戻ってきたことを知った。
私は、迷わず加藤様を頼ることを決めた。
確かな希望と、儚い望みをもって。




