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恋の炎は赤く燃え

「ま~ず~は~、何をしようかしら」

 今いるのは春日山城の城下町。天気は晴れで気温は分からないがとりあえず普通に長袖がちょうどいい感じ。

 町の人たちは今日も元気に働いている。朝一番に収穫した野菜や今朝取って来たばかりの新鮮な魚、塩が樽に山と積まれて売られている光景は今でもついつい目を止めてしまう。

 そして現在、景虎さんは本当に楽しそうにしています。

 どのくらい楽しそうかと言うと、手を後ろで組み体を軽く左右に揺らしていて、顔はこれでもかというくらいの満面の笑みだ。

 普段の景虎からは想像できない、あまりにもるんるん気分な景虎に若干引いていると、景虎のるんるん気分を一瞬で吹き飛ばす火種がとことこ歩いてきた。

「あ、景虎様! ただいま戻りました」

 おお、とらの笑顔はいつもの笑顔だな。いつもより若干嬉しそうな感じもするが、許容範囲内だろう。

「おかえりなさい」

 なんか二人が普通にただいまおかえりと挨拶をしているが、とらは間違いなく買い物の帰りだよな? 籠背負ってるし。

 二月ぶりに帰って来て初めて会ったんだからこの挨拶は当然なんだろうけど、それでももうなんかこっちに帰ってきてすごく時間が経ちましたみたいなその格好での挨拶もどうよ。

「とらはお買い物の帰り?」

「はい! 今日は久しぶりにこっちで存分に腕を振るえるので、貴久様にこれでもかと言うくらい食べさせてあげようかと!」

 すでにお昼に結構食べているんだが? こっちの感覚だとこれで夜まで食べまくったら食い過ぎどころの騒ぎじゃないんじゃないか? とらの手料理なら絶対に食べてしまうから困りもの・・・ではないな、嬉しいだけだな。

「景虎様達はこれからどちらへ? 夕餉は貴久様が帰ってくるのに合わせて作りますから、だいたいのことを教えていただけるとありがたいんですけど」

 とらが楽しそうに笑顔を浮かべる。

 本当に料理が好きなんだな、今回の旅も含めて本当によくわかった。

 前に勝手に食事を用意して怒られたことがあったが、今度からはもうそんなひどいことはしないで全部とらに任せきろう。

 これは決して自分が楽したいとかそんなことではない、とらのためなのだ。

「とら、今日は貴久の分は作らなくてもいいわ」

 俺がとらの作った美味しい夕餉を想像していると、その想像を木っ端みじんに打ち砕く言葉が隣から発せられる。もちろん声の主は景虎だ。

「え、今日は帰ってはこられないんですか?」

 とらが明らかにしょんぼりとしてしまう。

 普段の俺ならここで間違いなく景虎に何か言って長屋で食事をとれるようにするところなのだが・・・。

「そうよ、貴久は今日の夕餉は私の屋敷で食べるから。明日も一日中私と一緒にいてもらうことになるから、明日まで貴久の分は用意しなくていいわ」

 おっと、さらっと言っているが俺に一切の自由を与えない気なのか、景虎は。

 もちろん日の昇る前も日の沈んだ後も景虎が出かけると言うのであれば草履取りとしてちゃんと草履を用意させていただくが、それでも住み込みかどうかまで強制しなくてもよくないか? 長屋から景虎の屋敷まではそんなに離れているわけでもないんだから。

「・・・分かりました」

 おおお~とらがしょんぼりしている~~~! でも今の俺にはどうしようもない、景虎が一緒にいるように言うのなら一緒にいるまでだ。

「あの、私がご用意できないので伝えておきますが、向日葵ちゃんが貴久様が痩せてしまっているからこれからしばらくの間貴久様には三食用してあげるようにと言われていましたので、どうかそちらでも簡単なものでもいいのでご用意して下さいませんか? もし無理なようでしたら握り飯くらいならお届けしますので」

 うぉ~この優しいとらを今すぐぎゅっとしたい、なでなでしたい! でも今そんなことをしたら絶対に景虎に怒られるからできない!

「・・・貴久が痩せてるってことは、向日葵だけが気がついたの?」

 え、重要なのそこですか? それは知らなないといけないことですか? 自分勝手ですがお食事優先でお願いします。

「はい、ひどいことに私もりょうちゃんも気がつきません出した。段蔵さんや甲斐まで一緒だった方々がどうだったのかはわかりませんけど」

 こういうことはずっと見ている人では気づきにくいものだからな、もしかしたら他には誰も気がついてないんじゃないかな?

 でも晴信とくーちゃんの二人は気づいてそうだな。たぶん言っても仕方がないし、二月も歩き回っていれば痩せもするだろうとか考えていわざわざ不安にさせるようなことを言わなかっただけかもしれない。

「向日葵が気がついたのはいつなの?」

「お昼前にみんなで日向ぼっこをしていた時にです」

「ずっと一緒にいて今の今まで気がつかないだなんて、向日葵もまだまだね」

 何がまだまだだと言うのだろうか。一緒にいたからこそちょっとずつの変化なんてわからないものだろう。それなのに今朝には気がついたのだから結構すごいと思う。

「・・・えっと、それでお食事のお話は・・・」

 ほらとらが向日葵の何がまだまだなのかわからなくてすごく困ったような顔しちゃってるよ。

 心の中で思うだけならいくらでも思ってくれて構わないけど、それを口に出していたら駄目だと思うぞ、景虎。

「そうね~・・・」

 おい、どうしてここで俺の方を見るんだ!

 俺がここでうっかり嫌そうな顔をしてしまうと、案の定景虎がとってもいや~な笑みを浮かべてどこかへ歩き始めた。

「まあ軽く何か食べさせておくから安心しなさい。ほら、下僕は主から離れない!」

「げ、下僕?」

 大声で言いやがって。絶対にわざとだろ、とらに聞こえるように言っただろ、もしかしたら周りの人みんなに聞こえるようにとか考えながら言ってるだろ!

「今はそういう罰を受けているんだ。それが明日までだから」

「下僕!」

「はいただいま!」

 だから笑顔でそんなことを叫ぶんじゃない!

「じゃあとら、家のことはよろしく! 向日葵には特に注意するように!」

 たぶん向日葵は俺が景虎とこんなことをしていると知ったら必ず妨害しにやってくる、景虎と向日葵が喧嘩なんてしたら俺では止められないからとらに未然に防いでもらいたい。

「わ、わかりました」

 とらの呆けたような返事を背中で聞きながら、俺は景虎を追った。


「・・・草履取りに対してこの態度はおかしくないか?」

 言葉遣いがいつものそれに戻ってしまった。そのくらい驚いた。

 とらと別れて俺が追いついた瞬間だった、景虎はくるりと反転して俺の隣に並ぶと、あっという間に俺の腕に自分の腕を絡めてきた。

 ついさっきまで人のことを下僕下僕と呼んでいたくせに、この態度の急変はどうしたことだろうか?

 絶対に何か裏があるのだろが、草履取りではそんなことは聞けません。

「いま、周りからはどんな風に見えているのかしらね?」

「・・・」

「答えなさい」

「・・・奥さんの言いなりになっている夫・・・かと」

 実際にどう見えているのかはわからないが、景虎がたぶんこんな感じに見えていることを期待していると思われる見え方を予想してみた。

 ここまで奥さんの後ろを付いて来て、とらと話している時も奥さんは自分の話が終わったら俺が何をしていても関係なく歩いて行ってしまった。慌てて追いつくと奥さんが腕を組んできてなんだかにこにこ・・・やっぱりよくわからんな。

「とらにこの姿を見せたかったんだけど、何だかいなさそうね」

 いたら何か反応していそうだしな、それがないと言うことはいないか見ていないかと言うことだろう。

「本当は向日葵に見せつけたいところなのだけれど」

 やめてくれ、そんなことをしたら向日葵が怒り狂いそうだ。そしてついでに俺に被害がたっぷりと出そうだ。

「そうだ! 今から長屋に行けば」

「ふざけるな! 絶対に断る! どうしても行くと言うのなら一人で行くか行かせてくれ!」

 案の定変なことを言い出しているから困りものだ。

「あらあら、主にそんな口をきいていいのかしら?」

「うっ! も、申し訳ありません・・・その、できれば長屋には行かないでいただけると・・・」

「草履取りは、主に意見できるほど偉くなんてないわよ?」

 こいつにこにこと言いやがって、絶対に遊んでるよ。

 遊んでいるから本気じゃないと捉えて安心していいのか、それとも遊びだからこそわざと長屋に出向いていくかもしれないと警戒しないといけないのか、そう考えること自体ががかなり疲れていけない。

「でもまあ、わざわざ行ってやる必要もないし・・・どこか二人きりになれる場所がいいわね」

 草履取りと二人きりって・・・こいつ何を考えているんだ。

 ちょっとだけだが期待してしまう。

 草履取りだのなんだのと俺が仕方がなくくっついてきてしまうような状況を作っておいて、実はここまでの流れ全部が俺と二人きりになるための工作だった、なんて事だったらと。

「そうしたらいろいろとあなたで遊べるし」

 遊ぶってどんな遊びをするつもりなんだ、俺が困るような遊びじゃないだろうな?

「そうだ、あなたとはどうしても行きたいと思っている場所があるの! そこに行きましょ!」

 景虎がきらきらとした目で俺の腕を強く抱いてくる。

 意識しているのかいないのか、景虎の柔らかい胸が腕に押し付けられてドキドキする。

 夫として助平なこと考えつつ嬉しいと感じながらも、草履取りがこんな思いをしていいのかと心の中では少々困ってしまう。

「えっと、どち」

「草履取りなんだから、黙ってついてくればいいのよ」

 いったいこれは何度目だろうか、数えているわけではないから数なんてわからないが、もう結構な数言われていると思う。

 それにしても景虎が可愛い。目は子どものようにきらきらと輝き、足取りは今までにないほどに軽やかで、その行くきたい場所と言うのがどこなのかはわからないが、とてもそこに行きたいと言うことだけは十分に伝わった。

 そして何より・・・なんだかとても楽しそうだ。

 ここまで楽しそうな景虎は見たことがない、今までに見た中で景虎が一番楽しそうにしていたのは・・・あれ? もしかして剣の稽古をつけてもらった時、つまるところ立てないくらいにぼこぼこにやられたあのこっちに来た初日なんじゃないのか? うわー思い出したくなかったこと思い出しちゃった。

 でもおかげで嬉しいような~みたいな気持ちはどこかに吹き飛んでくれて、変に迷うこともなくなってくれたからちょこっとだけ感謝しておこう。

「景虎様、草履取りなどとこのようにしていてはいけませんよ」

 景虎がどのようなつもりでこんなことをしているのかはわからない。でも俺をからかっているにしてもしたいからしているにしても、町中でするには少々過激な気がするから軽く注意だけしておこう。

 しかしこれが大失敗だったようだ。

 俺の注意を聞いた景虎は急に輝く笑顔を曇らせて俯き、軽やかだった足取りは完全に止まってしまった。

「どうして・・・駄目なのよ」

「ど、どうして・・・今の私たちは主と奉公人の関係で」

「ならもうやめるわ! こんなのやめる! ・・・もう、奥さんと夫でいい」

「お、おい、どうしたんだ景虎・・・俺、何か酷いことしたのか? 俺そういうこと全然わからないから・・・その・・・教えてくれ! 俺お前のためだったら絶対に治すから! だから・・・」

 明らかに様子がおかしかった。さっきまでのように楽観的に考えられるような様子とは違い、何か思い詰めているような・・・よくは分からないが、何かとても危ない感じがしたのだ。

 奥さんと夫の関係でいい。ふざけた感じやもうこの関係でいるのに飽きた、面倒になったとかならいいのだが、今の言葉は、景虎は今の関係を嫌がり、そして奥さんと夫と言う関係にも不満を持っているような言い方だった。

 少なくとも俺が帰って来てすぐのあの茶屋にいた時は、今さっき俺が注意をするまでは、こんなことを言いそうな感じではなかった。主と奉公人と言う関係も奥さんと夫と言う関係にも不満を持っているような感じではなかった。それが今、俺の言葉で一変してしまった。

 俺は何と言った? あまりくっつくなと注意し、理由として主と奉公人と言う関係だからと答えた。

 ここから、いちゃいちゃできないから主と奉公人と言う関係が嫌だと言うのなら理解できる、しかし、ここからは奥さんと夫と言う関係にも不満を持っていることはどうにも分からない。

「・・・あんたが、いけないのよ」

「何がいけなかったんだ。教えてくれ」

 どうやら教えてはもらえるらしい。これで駄目なところがすぐに直せるようなことならいいのだが。

「あんたが・・・周りの女ばかり増やすから」

 ま・・・まさか。

「だから・・・」

 ・・・みんなから離れろと・・・。

「私とももっといちゃいちゃしなさいよ!」

「ええぇーーー!」

 何でいちゃいちゃ⁉ ここは普通その女と別れろとかそんなことを言われるような流れじゃなかったの⁉ いや言われたら困るから言われなくてよかったに決まっているんだけど!

「何で驚くのよ! いいじゃない前からいた三人となんて町中でも当たり前のようにべたべたとくっついていたくせに! 何で私とは駄目なのよ! ・・・私だって・・・だって・・・」

「私だって・・・なん、だよ」

 分からない、景虎の考えが前も今も全く分からない。

 出会ったその時からこういう肝心な時に景虎の考えが分かったことなんて一度もない。

「だって・・・だ・・・だ・・・・・・私が! あんたの奥さんなのよ! あいつらよりも私の方があんたのこと好きで! あんたはあいつらよりも私のことの方が好きなはずなの! だから・・・だから・・・」

「・・・」

 何も言わず・・・何も言えず、俺は景虎をゆっくりと、そして強く抱きしめた。

「だから・・・」

 だって、今も必死に言葉を紡ごうとしている景虎の顔は、とても周りの人に見せられるようなものじゃなくて。

「もっと好きって・・・言ってよ・・・教えてよ・・・」

 涙にぬれたその顔を、みんなに見せたくなくて、見ていられなくて。

 だからせめて、景虎の望む方法で隠したくて。

「景虎・・・」

 言ってほしいのなら、いくらでも言ってやるさ。

「好きだ」

 気のすむまで。

「好きなんだ、景虎のことが」

 耳元で囁くように。

「奥さんのことが、奥さんである景虎のことが、俺は好きだ」

 小さな声になってしまっているかもしれない。でもはっきりと言う。

「景虎という女の子のことが好きだ」

「私も・・・好きよ。夫のことが・・・いいえ、夫じゃなくてもいいの、草履取りのあなたでも・・・私は、加藤貴久のことが・・・誰よりも好きよ」

 教えてほしい、なら教えよう、言葉ではなく・・・態度で。

 景虎が絡めていた腕を解いた。そして俺たちは自然と向かい合い、抱き合い、そして・・・。

「・・・」

「・・・」

 唇を合わせた。

 ただ唇を合わせただけ。

 俺は下を向き、景虎はいっぱいまで背伸びをしてする口づけ。

 今までにだって何度も唇を合わせたことはある、でもいつもいつも思うのだ・・・今回が、今までで一番いい、と。

 しばらく、とはいったいどのくらいの時間のことを指すのだろう。

 俺たちは、しばらくの間、唇を重ねていた。

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