好きすぎる
景綱さんに言われて急ぎ城に戻ってくると、城内は混乱していたり浮足立っていると言うほどではないが、それでも落ち着かない雰囲気を醸し出していた。
「御大将」
俺たちに気がついた景家さんが話しかけてきた。
「とりあえず、まずは何があったのか聞こうかしら」
景虎の言葉を聞いて、ことが急を要しているのか、場所を変えることなくこの場で景虎に何やら耳打ちし始めた。
そして、景家さんの話を聞いていくうちにだんだんと景虎の顔が険しくなっていった。
「なるほど、そりゃみんなも緊張くらいはするわよね」
「景虎、何があったんだ?」
景虎への耳打ちだったので、俺は何があったのかさっぱりだ。
そして俺に何かを話そうとして・・・途中で止めて何やらいや~な笑みを浮かべてきた。
「あんた、あの時なんて言っていたかしら」
「・・・あの時って?」
聞きながら俺は何と言われても耐える心の準備と、何かされそうになった時に備えて逃げる体の準備を始めた。
「あんた、私が小田原の合戦に備えて武田を叩こうって言った時になんて言って反対したのか、覚えてる?」
だから、嫌な笑みを浮かべるな、ちゃんと思い出すから。
えーっと、武田攻めに反対した時だっけ? あの時は・・・確か北条との合戦に備えて側面や背後を脅かす武田を叩いておこうと言う話だったな。反対した理由は確か・・・。
「まさか上杉憲政様が来ているのが来ているのか?」
「当たりよ」
本当ですか、これでめでたく長尾景虎は上杉政虎と改名して関東管領に就任ですか、めでたいのと急だったのとで驚きすぎてちょっと言葉が出てきません。
「あんた、武田と戦ったら駄目みたいなこと言ってなかったっけ?」
そいえば言ったな、そんなこと。
「いや違うんだよ。あれは武田が弱ってしまったらいけないってことで・・・あって・・・」
待てよ、確かに武田は弱っていない、だから上杉憲政が武田と北条を脅威に思って景虎を頼る可能性はある。
しかしそれは史実通りならの話だ、今の状況は違う。
上杉憲政様がわざわざ越後の長尾を頼ったのは武田と北条に対抗するためだ、それが理由だったのだ。
しかし今の状況はどうだ? 長尾は武田と同盟関係にある。だから、この状況で武田と北条の脅威に対抗しようといている上杉憲政様が武田と同盟関係にある長尾を頼ってくるのはおかしいのだ。
「どうして、今こんなところに・・・」
「それは今からその上杉憲政様が話してくれるでしょ。あんたも、聞きたければ聞けると思うから一緒に来てもいいわよ」
「そうさせてもらえるのなら遠慮なく」
俺としてはかなり気になる問題だ。史実と違うだけでそんなに大きな問題があるわけではないのだから気にしすぎなだけかもしれないが、不安要素ではあるのだから、気にして悪いと言うことはないはずだ。
「なら、せいぜい気を付けることね。もし初めて私に会った時みたいな態度でも取ろうものなら、間違いなく打ち首よ。相手は関東管領様で私よりも身分が上なんだから、私は助けてあげられないから」
「・・・」
いやそんなこと知ってますとも、景虎は越後国主、相手の上杉憲政様は関東管領、越後はあくまで関東の一部だ。
学校的に表すと、クラスの担任と学年主任みたいな感じだ。越後と言うクラスの担任が景虎、越後や信濃、甲斐、小田原などのクラスが集まった関東と言う学年の主任が上杉憲政様だ。
「ほら、怯えてないで行くわよ」
景虎が俺が結構危ないところに行こうとしていると言うのに嬉々としてその危ないところに連れて行こうと手を引いてきた。
「なんとなく楽しみね」
何がどう楽しみだと言うのだろうか、理解力の無い俺に三十文字以内で教えてほしい。
でまあ結局俺も特に抵抗することもなく懐かしの評定の間までやって来た。
ちなみに今回は俺と景虎は上座には座っていない、今回そこに座っているのは憲政様だ。
「隣の者は、噂の夫か」
「はい、自慢の夫です」
おい、何を怖いこと言ってるんだ! 噂の夫かって聞かれたんだからはいそうですって答えておけばいいじゃないか! 意地貼って自慢の夫とか言いなおしてんじゃねーよ! 嬉しかったけど!
「そうか。ではすまんが、その自慢の夫には席をはずしてもらえないだろうか。こちらは長尾殿にだけ用がある」
「私は口が軽いような男を婿になど迎えません。それに、何を話されるのかはわかりませんが、わざわざこうして来ていただいたのは私個人に対して用事があったためではないと考えます。長尾家に関わる問題なのであれば、私は同じ長尾家である夫に意見を求めます。どうかこのままお話しください」
おおう、頭では理解していたが、やっぱり景虎が下の立場と言うのは変な感じがするな。
これでも一応将軍様にだって会ったことはあるが、景虎と一緒だったわけでもないし、何よりあの将軍様は景虎よりも偉いって感じかあの一瞬しかなかったからな。
「ならぬ。今回の話は我は長尾殿のみと話としたい」
そしてやっぱり景虎よりも身分の高い憲政様は景虎の要求を普通に跳ね除けた。
やっぱり偉い人なんだ、あの将軍様よりは下だけど景虎よりは偉い人なんだ。どうにも将軍様よりも下という感じはしないけれど。
「それはつまり、長尾家には全く関係のない私個人に対して話があると、そう捉えさせていただいてよいのですね」
「国主ごときが調子に乗るなよ」
うっ! 久しぶりだな、こんなに怖いと思ったのは。
最後にこの感じを味わったのは何時だっただろうか。たぶんくーちゃんが内藤康行に対してやっていたのが最後だったはずだ。
威圧感、あれでいったい何度気を失ったことか、思い出すだけでも怖くなってきてしまう。
そしてそれを今憲政様が景虎に向けてはなっている。対する景虎は無表情にそれを受け流している。隣にいる俺は怖くてたまらないと言うのに。
「北条に敗れ、武田に敗れ、そして味方には逃げられ、そんな力のないお飾りの関東管領ごときが、火種を持ち込んでおいて何を偉そうに」
待てーーーーー! ななな何を言っているんだ景虎は⁉
俺は景虎の言っていることが史実通りだから嘘ではないとは思っているが、たとえそれが本当だろうがそうでなかろうが、お飾りであろうと何であろうと相手は関東管領様だ、そんなことを言ったら問答無用で打ち首確定だろうが!
「そこまで分かっているのなら話が早い。
では率直に言おう。私の養子となり、関東管領の職を継いではくれぬか」
だが俺の予想は嬉しいことにはずれ、憲政様は景虎の無礼な物言いを特に気に留めた様子もなく、威圧感を消して、俺がいるにもかかわらず本題を話し始めた。
「それはつまり、大義名分をやるから武田と北条に報復しろと、そういうことですか」
「確かに、実際に我の要求を受けて行動に移したのならば、周りからはそのように見えるかもしれんな」
「っ!」
確かにその通りだ。
諸説あるが俺の知っている史実でも、1558年、永禄元年に上杉憲政は北条に敗れ越後の長尾を頼ってきており、そして景虎は憲政様の要請に応じて関東に出兵し小田原の戦いを繰り広げている。
史実と同じ年、火種とは言いつつも、これは俺たちが願った優しい世界に近づく願ってもない好機。そして武田は同盟関係にあるが、恐らく憲政様の最も叩いてほしいと思っている北条に関してはいまだ特に同盟も何も交わしたわけではない。それどころか同盟国の武田はつい最近北条に攻められたし、外には漏れていないと思うが、景虎個人としてはくーちゃんが俺を連れ去ったことをいまだに根に持っているかもしれない。
このままでも長尾・武田・北条の同盟が成立するのは時間の問題だ。あとは尾張の織田と仲良くできれば、同盟を結ぶようなことになれば、もはや俺たちに刃を向けようとする者はいないだろう。天下統一とはいかないが、天下泰平の夢は成るわけだ。
しかしもし、景虎がその天下泰平の世の中で少しでも長尾が中心にといった心があれば、景虎個人としてはこの話を受けない理由はない。だってそうすれば、国どうしてしては同盟をしていて同等の関係ではあるが、個人を見て見れば他の国の代表よりも頭一つ抜けた存在となることができる。
くーちゃんに対する個人的な恨みを晴らしたいのなら、今後長尾が天下の中心にと言う思いが少しでもあるならば、景虎はこの話を受けるかもしれない。
「しかし私からの正式な要求は、勢力拡大を図り天下に無用な混乱を招く北条の侵攻を止めよと言うことだ」
正式な要求、そんなことは俺にとって大した問題ではない、問題なのはこの要求を受けた場合、長尾は北条と戦をすることになると、そういうことだ。
「申し訳ありませんが、そのお話しはお断りさせていただきます」
「・・・ほう」
憲政さが何とも感情の読めない顔で一言呟いた。
「理由を聞こうか」
「簡単なことです」
景虎が断った理由、簡単なことだと言うその理由、言ったどんな理由だろうか? 考えやすい理由をいうのなら、「すでに北条家との同盟は成ったも同然であるから」、というのが平穏なところだろうか。景虎が気を悪くしているのなら、「すでにわれわれの同盟に北条も加わっており、我々が北条と敵対する理由はない。ここであなたがすることは武田と北条を裏切れなどと言う与太話ではなく、関東管領の職を譲るからどうか助けてほしいと命乞いをすることです」とか言いそうな感じはする。
「夫がそれを望んでいないからです」
「・・・」
「・・・」
憲政様も俺も言葉が出てこなかった。
俺が望んでいないから、景虎はそんなトンデモな理由を述べた。
結果から言って俺が憲政様の要求を受けてほしくないと思ったのは先のように武田や北条との戦を恐れたからだから、理由としては問題ないのだが、それを言葉にしないで俺が望んでないからだと言うのは問題大ありだろう。
「確かにあなたの言う様に、私としても北条の勢力拡大は止めておきたいところではありますが、それと引き換えにあなたと関東管領などと言う火種を抱え込むなどごめんです」
火種、武田と北条に敵対している憲政様は確かに俺たちにとって関係を悪化させる火種となることが考えられるが、関東管領も火種だと言うのはどういう意味だろうか。
「どうぞ、私が笑っている間に、お引き取りを」
そう言って景虎は一度笑みを向けた後首を垂れる。
「まあそう焦るな、お主も言うておったではないか、北条の勢力拡大は気になっていると。ならばそう返事を焦ることもあるまい、しばらく考えて見よ」
「行く当てがないから軒を貸せと仰るのであればそれはできません、形だけでもすでにあなたを城にいれてしまったこと自体が武田と北条に対して刺激を与えてしまっているのです。献上品としてそれなりの物をお渡しするので、どうぞ城下の宿をお使いください」
これは・・・景虎は憲政様を排除しようとしている。
景虎が実際にどう思っているのかはわからないが、どうやら景虎自身も武田や北条との戦を望んではいないでいてくれたようだ。
そしてそれを勧める憲政様に腹を立てている。
自分を抑え、迎えてしまっただけでも武田と北条を刺激してしまったのにこれ以上刺激するわけにはいかない、せめて関東管領だと敬い命だけは助けてやる、と、そう言っているのだ。
俺をここに来させたのは、自分を抑えるためだったのかもしれない。その証拠に、景虎はさっきまで浮かべていた笑みを捨て去り、目は今すぐにでも切りかからんとしているような鋭く危険な光を宿していた。
笑っているうちに、もう笑ってはいないのだからこれ以上はいつ何が起きても知らないぞ、と、そう言っているようだった。
「・・・そうか、ならばその言葉に甘えてしばらくはこの春日山の城下にとどまるとしよう。長尾殿も、気が変わったらいつでも来るといい」
そしてどうやらこの話はこれで終わりのようだ。
ものすごく危ない、今後の天下の行方さえ左右するような話し合いが終わった。
まだ何分も経っていないくらいのほんのわずかな時間、しかし俺の気力はこの数分の間でもう限界まで削られていた。
早く終わってくれて、しかも俺の望む形で終わってくれた本当によかった。
「隣の夫の意見を変えてくれることを願っておるぞ」
しかし、この憲政様が最後に発した言葉が、俺たちの今後を大きく変えた。
キン!
俺の耳に届いたのは金属同士がぶつかる音。そして目の前では、どこに隠していたのか、小刀で切りかかる景虎と、それを同じく小刀で防ぐ憲政様がいた。
「失礼ながら、それは私の夫に対する侮辱ととらえました。残念ながら、武田・北条との友好のためにも、私個人のためにも、あなたには死んでいただくことにします」
「景虎、何してる!」
お飾りだろうが何だろうが相手は関東管領だ、さっきまではそれを頭に入れて最悪の事態だけは避けていたのに、どうして急にこんなことをしたんだ!
「ごめんなさい、あなたは自分のことだから我慢できるのかもしれないけど、私には無理よ。あなたのことだから」
俺の・・・こと。
「ふん!」
俺が面食らっていると、憲政様が小刀を力強くふるって景虎を押しのけた。
わざとなのか偶然なのか、はじかれた景虎がこっちに飛ばされてきたから、俺は後ろから腕を回して景虎を捕まえた。
こうしても実際のところ大して意味がないことは分かっている。それでも俺の意志を示すためにも、こうするのが正しいと思った。
「・・・離しなさい」
「断る」
景虎の気持ちに想像がつかないこともないが、これが当たっているのなら、俺がいいと言っているのだからやめてもらいたい。
「・・・では、我はこれで行く」
憲政様も、切りかかられたことを特に気にした様子もなく評定の間を後にした。
「・・・」
「落ち着いたか?」
捕まえている感じでは、特に抵抗するでもないし冷静な感じはするが、逆に冷静な状態で憲政様に切りかかったのかと思うと怖い。
「・・・はあー、ぜんっぜん落ち着かないわ! まだむしゃくしゃして仕方がないの! ・・・だから、もう少しこうしてなさい」
「はは、前からじゃなくていいのか?」
「そんなことしたらあんたの顔が見えるじゃない、たぶんどうして止めたんだって殴り掛かるわよ」
おっと、全然大丈夫だと思ってちょっとふざけてみたら全然大丈夫じゃなかった。
確認も取らずに正面から抱きしめたりしていたら久々の再開の日に嫁さんから顔面に痣を送られるところだった。
あ、送ると言えば。
「景虎、そういえばお土産が・・・」
そう言って俺は帰ったらすぐに渡せるようにと肌身離さず持ち歩いていた簪の入った木箱を取り出そうと・・・。
「離すなって・・・言ったでしょうがーーー!」
「ぐへっ!」
景虎に殴られた。ものすごく痛かった。
「・・・こ、この野郎・・・絶対に言ってなかったからな。さっき言ったのは正面からは駄目ってだけだからな」
「うっさい! そのくらい察しなさい!」
無茶言うなこの野郎! お前ならできるのかもしれないけど、俺にそんなことができると思ってるんじゃないぞ!
「で、お土産って何よ、あるならさっさと出しなさい」
「お前な、どうしてもらう側がそんなに偉そうなんだよ、もっと態度ってものが」
「私がそんなこと言うと思うの?」
・・・くそう、言いそうな感じがしない。俺が何かわたすとしたら、それは送ると言うよりも貢って言った方が近い気が自分でしてしまうのがなんだか怖い。
「・・・ほらよ」
くそくそくそくそ! そんなふうに思ってもやっぱり渡すときはドキドキするし、気に入ってもらえなかったらどうしようとか思ってものすごく不安でたまらない。
「簪、ね」
な、なんだその言い方は。
まさか気にいられなかったのか? やっぱり景虎ならあれよりも高価なものや貴重なもの、立派なものをたくさんそろえているだろうし・・・。
「これをつけてほしいってことでいいのかしら?」
くそーーー! 今景虎の顔をチラ見した自分が憎い!
なんだその可愛い顔は! 頬をほんのりと朱に染めながら口角をわずかに釣り上げて小悪魔的に微笑み、普段釣り目気味の目もややたれ目気味に柔らかく細められていて・・・くそくそくそくそくそ~~可愛すぎるだろ反則だろ~~!
見てなかったからか? 二月も見てなかったからなのか? 景虎が普段の三倍可愛い! さっきまで少なからず腹も立てていたのに全部吹っ飛んでしまった・・・女がと言うか景虎がと言うか・・・とにかくずるい。
「ちょっと待ってなさい、今つけてあげるから」
「いや、いい」
我慢できなくてうっかり景虎のことを抱きしめてしまった。
「・・・誰もいないからってこんなところで。我慢できなかったの?」
景虎が口では止めなさいみたいなことを言ってくるが、その手はしっかりと俺を抱き返してくれた。
「無理だ。あのままにしておいたら、景虎が簪つけちゃいそうだったからな」
「あら、つけてほしくて買ってきたんじゃないの」
「つけたところを想像した、そしたら可愛すぎて我慢できなくなった。あとそんな可愛い景虎はまた次に取っておきたい。今一度に味わってしまうのはもったいなく思った」
「幸せな頭してるわね」
「うっさい、黙ってこう・・・していてください」
「ふふ、仕方ないわね」
しばらく、二人でこうしてくっついていた。




