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幸せな日々

 最近は少しばかり寒くなって来た。もう11月なのだから当たり前か。おかげで最近は朝布団から出るのが億劫でたまらない。

「あったかい」

 さらに、今の俺には布団の中の温かさよりも、布団から出たくない大きな理由があった。

「貴久~」

 布団にもぐっているせいで顔は見えないが、晴信が俺の体に抱き付いている。


 昨日躑躅ヶ崎館に着いた。浅い堀に低い石垣。「人は石垣人は城」すでにこの躑躅ヶ崎館にまで攻め込まれた時点で負けであるという武田の考え方が反映された他に類を見ない城だ。

 そしてその独特なお城の中には、しばらく会っていなかった、愛しい奥さんが待っていた。

 館に着き、晴信の部屋までやってきた後、俺は晴信に髪を梳いてほしいと言われて部屋へと入っていった。

 後になって、ぎゅーっとしていたところをばっちり信繁に見られていたことを思い出して固まったが、晴信も信繁もまったく気にしておらず、俺だけが変に意識していてもさらに恥ずかしいだけなので諦めて開き直った。

 部屋に入った後はまず晴信の髪を梳いた。

 梳くときに俺の前に座ると思った晴信が、当たり前のように膝の上に座って来た時はさすがに少しドキリとした。しかし楽しそうに揺れていた頭を思い出すとその行動が今も可愛らしくてたまらない。

 髪を梳いている時はいろいろと考えた。

 景虎に比べると短いが、それでも男の俺に比べたら十分に長い髪。手に触れてみればその髪はふんわりとしていて、櫛で梳くよりもこのままふわふわ感を堪能していたいと思ってしまった。

 でも愛しい奥さんがこんなにも楽しみにしているのだからやらないわけにもいかない。だから全く経験はなかったが、恐る恐ると言った感じで晴信の髪に櫛を入れていると、晴信が気持ちよさそうにもたれかかって来た。

 もうこれが可愛くて思わずぎゅっとしてしまうところだったが、覗き込んだ晴信の幸せそうな顔を見てしまうと、途中で止めてしまうのはもったいなく感じてしまった。俺はもう少しこの幸せそうな顔を見ていたかった。


 髪を梳いた後は、晴信がみそ汁を作ってくれた。

 まだ夕餉には早かったが、晴信がどうしてもと言ってきたので、遠慮なくいただくことにした。

 晴信がみそ汁を作ってくれた。それを一見した時に気がついたことがある。

「これって、尾張の味噌か?」

 今までに甲斐や越後で飲んでいたみそ汁に比べて、今回晴信が作ってくれたみそ汁は明らかに色が濃かった。

「そう」

 晴信が嬉しそうに顔を輝かせた。

「どうして尾張の味噌なんだ?」

 ただの偶然なのか何なのか、少なくとも俺は晴信に俺が尾張の出だなんてことは言っていない。

「昌幸から、貴久が尾張の出だって聞いた」

 それで用意したのか。

「でも昌幸が帰って来たのはほんの数日前だろ? よく用意できたな」

「こっちでまったく使われていないわけじゃない」

 こっちでもいくらかは仕入れているのか。

「でも、思ったよりも味が濃くてびっくりした」

 確かに尾張の味噌は甲斐で一般的に使われている味噌に比べて味が濃い。こっちの味に慣れていたら、驚いてしまうこともあるだろう。

「じゃあそれを分かっていて作った晴信のみそ汁を飲ませていただこう」

 俺は多大な期待をもって口を付けた。

「美味しい」

 思わず言葉に出た。

 薄すぎず辛すぎず、前にのんだ晴信のみそ汁からは想像できないほどに美味しくなっていた。

「本当!」

 俺の感想を聞いて晴信の笑顔がはじけた。

「本当に美味しいよ。俺にはうまく言い表せないけど、本当に美味しい。普段作ってもらってるとらにも負けていないくらいだと思う」

 これはもしかしたら尾張の味だからと言うところもあるのだろうが、それでも、美味しいものは美味しかった。

「お替り、持ってくる」

 晴信が嬉々としてみそ汁のお替りを取りに行く。

「お椀を持っていかないと盛れないだろうに」

 そんなに嬉しかったということだろうか、晴信はお椀を受けたらずに行ってしまった。恐らくは向こうに行ってから気がついて、取りに戻ってくるか、諦めて別のお椀を使うかするのだろう。

「・・・」

 だから、晴信が鍋ごと大量のみそ汁を運んできたときは驚いた。


 その後はただゴロゴロと、はたから見たらイチャイチャとしながら特に何もすることなく夕方まで過ごしていた。

 仕事とか大丈夫なのか気になったが、晴信がそんな大切なことをおろそかにすることもないと考えて、わざわざ口にはしなかった。

 日が沈み始め、周りが綺麗な橙色に染まっていった頃、夕餉の支度が出来たと信繁がやって来た。

 俺はてっきりみんなと食事をするものだと思っていたが、その日の食事は、晴信の部屋に運ばれてきて、俺と晴信二人きりで食事をとることになった。

 どうして二人なのか聞きたくなったが、口には出さなかった。

 晴信が考えたのか、それとも他の誰かが気を使ったのか。とにかく、それで長く一緒にいることができなかった晴信が今こうして笑顔でいられるのなら、特に構わなかった。

 今日は晴信のための一日になったな。


「それで、昨日はとにかく晴信といちゃいちゃしていたと」

「ごめんなさい・・・。でも昨日一日くらい・・・」

「それはまだ許せるけど、二人が部屋にいたせいで本当に何もできなかったし分からなかったんだよ。もう・・・同じ屋根の下で夫が襲われているのかと思うといてもたっても・・・」

「別に襲われてない」

 軽く頭に手刀を下ろす。本当にただあてただけで、痛みなんてない。むしろ撫でているといった感じだ。

「でも、私が一方的に甘えてたような気もするからあながち間違ってはいない」

 晴信が後ろから顔を俺の隣に出して話に加わってくる。

 まだ朝と言っても差し支えない時間。まだまだ低い位置にあり、仕事もこれからだというのにさんさんと照りつける陽光はぽかぽかして気持ちがいい。

 ぬくぬくとした幸せになれる気持ちがいい布団から朝餉のために抜け出した後、晴信と縁側に並んで腰を下ろしてぼけ~っと日向ぼっこをしていると、くーちゃんが見事なヘッドスライディングで俺の膝の上に頭を載せて寝転がりながら日向ぼっこに加わって来た。

 それを見て何を思ったのか晴信は俺の後ろから抱き付いてきた。

 そして現在は、俺が縁側に座り、その膝の上にくーちゃん。そして背中に晴信をくっつけながら、ぬくぬくと日向ぼっこを続けている。

「ほら、やっぱり心配が的中しているじゃないか」

「あれで襲っていると言えるのなら、普段のくーちゃんや向日葵はどうなんだ?」

「あれは貴久だって喜んでいるんだから大丈夫だよ」

「なら晴信のも大丈夫だな」

 別に俺嫌がってないし。

「おお!」

 ここで横から驚いたような声が聞こえた。

「どうした?」

「嫌がられていなかった」

 晴信が驚いている。顔が近くてドキドキします。

「どうして嫌がられているかもなんて考えたんだ?」

「やっていた自分でもべたべたとくっつきすぎていると思った」

 そう思うなら自重すればいいのに。

 まあ俺は昨日みたいなのでも歓迎だけど。

「むー。そんなにくっついていたのかー」

 あ、今の「むー」のところでなんとなく黒田孝高のことを思い出した。今頃何してるんだろうか? 元気にしていればいいのだが。

「あ! 今他の女の子のこと考えてたでしょ!」

 ばれた。

 何もやましいことなんてないが、それでも奥さん二人に囲まれながら奥さん以外のことを考えていたことを指摘されたのはちょっと悪い気がした。

「ああ、播州で会ってきた黒田孝高のことをな」

 ばれてしまった以上この二人に隠し事なんてできるわけもないので素直に白状した。

 何をされるのか、特にくーちゃんに何をされるのかが怖い。

「結局、会えたの?」

「会えたよ、話もできた。初めて会った時はあまりの嬉しさに気を失ってしまった」

 これを聞いて晴信とくーちゃんがむっとした。

 ・・・ちょっと口が滑った。

「私と会った時、そんなことにはならなかった」

「その気を失ったって言うのは、会えるはずのない会いたい人に会えたってことなんだよね? つまり、貴久はこっちに来る前に、私たちに特に会いたいと思っていなかったわけだ」

 おおう、別にそんなことはないはずなのだが・・・言われてみるとそんな気もしてしまう。俺としては心の準備ができていなかったからだと思っていたのだが。

「どうなのさ、貴久」

 うーーーん、これは困った。

 俺としては、ここを本の中なんじゃないかと考えているわけだが、それをみんなに言うのも悪い気がする。だって、彼女たちはこうしてここに生きているのだから。

「何か、言いづらそうな顔をしているね」

 いかん、今のは絶対に顔に出ていたな。今の俺の頭の中をのぞかれることは避けたいのだが・・・。

「そんなに言いたくないのなら、言わなくていい」

 と心配していたら、晴信が救いの手を差し伸べてくれた。

「えー、私は悔しいよー! 官兵衛なんかに負けたくないー!」

 くーちゃんが駄々っ子のように足をバタバタさせながら俺の腰にぎゅーっと抱き付いてきた。

「でも、私は今、貴久の奥さん。官兵衛はただの知り合い。勝った」

 晴信が誇らしげな笑みを浮かべながらぎゅーっとしてきた。

 まあ確かに立場的に考えれば晴信の圧勝だな。

「えー、それじゃあ私はまだ奥さんにはなってないから負けじゃないか!」

「でももうすぐだろ。俺はくーちゃんが官兵衛に負けているなんて思っていないから、そんなことは気にしなくてもいいと思うよ」

 実際優劣なんてつけようと思ってつけたことなんてないしな。

「じゃあさ、初めて私に会った時にどのくらい嬉しかった? 感動した?」

 ど、どのくらいと聞かれましても・・・。

 これはさっきよりもさらに困った。

 確かにくーちゃん、北条氏政に会えて嬉しかった、頭の中は「ひゃっほー‼」とかなっていたけども・・・実は偉人としての北条氏政に特に何か思い入れとかがあるわけでも何でもなかったから、会った時にそんなに感動したのかと言われると・・・。

「・・・死にたくなってきたんだけど」

「いやいやいや! そんな・・・」

「じゃあそんなに貴久が強い思い入れを持っている官兵衛を殺したくなってきたんだけど」

「それも困るから・・・」

 どうすればいいのだろうか。終わってしまったことは今更もうどうしようもできない。しかも嘘はすぐに見破られてしまうし・・・。

「じゃあさ、景虎と晴信と私、誰の時が一番感動した?」

「・・・景虎」

「・・・」

「・・・」

「いやだってさ! 晴信の時はなんかみんながお屋形様お屋形様言ってたからなんとなくゆっくりと分かっていったし、くーちゃんの時は連れ去られた後だったからくーちゃんに会った感動とかそんなの感じてる余裕なんてなかったよ。さらに言うとあの時は景虎と晴信に殺されるんじゃないかと思ったら怖かったし、二人に悪いと思ったし・・・」

 ここでも俺は言い過ぎた。

「私の時・・・何においても景虎と晴信が先にいる」

 くーちゃんが戦闘不能な状態だ、瀕死の重傷だ。

「く、くーちゃん・・・」

 俺が何とかくーちゃんを回復させようと言葉を考えていると・・・。

「諦めて、あなたは私や景虎には勝てない」

 膝の上の重みが増した気がする。

「くーちゃん⁉」

 何度か揺すってみたが、くーちゃんはピクリとも動かなかった。

 くーちゃんは息絶えた。


「で、丸一日以上放置したと」

「誠に申し訳ございませんでした」

「今度からはちゃんと言う様にね!」

「はい」

「お食事、おつくりしたかったです」

「今夜はお願いします」

 左ひざの上にりょう。右ひざの上にとら。そして向日葵が背中に張り付いている。

 昨日は晴信と、今朝はくーちゃんを加えて二人のために時間を使った。

 そしてこの三人のことをほったらかしにしてしまった。

 よって今はこの三人のための時間である。

「で、何しようか?」

 遊ぶにしてもこの四人で甲府の町を練り歩くのはいつかの祝言の時の噂のこともあってちょっとご遠慮願いたい。

「とりあえず私にもあの二人にしたのと同じことをしていちゃいちゃと・・・」

「お散歩しよ!」

「そうだな、お散歩がいいよな、りょう」

 変なこと、とは言いつつもいつも通りに向日葵の世迷いごとを無視してお散歩に決定だ。

「じゃあそのついでにおやきですね!」

「そうだな、おやきも食べよう」

「・・・」

 向日葵が不機嫌丸出しで俺のことをにらんでいる。

「向日葵、おんぶとだっこ、どっちがいい?」

「だっこ」

 不機嫌な顔はそのままなのに即答したな。これはあんまり機嫌も悪くないな。

 そしていざ甲府の町へ繰り出して・・・しまった。

「そうだったー」

 忘れていた、俺はこの町でどんな噂を生み出したのかを・・・。

「向日葵、せめておんぶに・・・」

「いや、私はこれが大好き。貴久にくっついていられて、一番近くで顔を眺めていられるこれが好き」

 わずかに頬を赤く上気させて蕩けた表情で言うものだからこれがまたいけない。どうにも強く言って下ろすことができなくなってしまう。

「兄ちゃん! あそこからおいしそうな匂いがする!」

「貴久様貴久様! あそこにおやき発見です! 早く食べましょう!」

 そして今日もりょうととらはいつも通りだ。とらに関してはこの播州までの旅で性格が少しばかり積極的になった気がする。もうリスではなくて好奇心旺盛な猫さんの方が近そうだ。

 ・・・待てよ? リスから猫に進化したのなら虎に進化するのも近いのでは? リスと虎なら虎の方が猫に近いだろう。

「・・・」

 この可愛らしいとらがそのうち景虎のような感じに・・・想像できんな。

 まあなるとしても、別に困ったことではないからいいけども。

「兄ちゃん、早く早く!」

「早く行きましょう、貴久様!」

「はいはい」

 元気なりょうととらに服の裾を引っ張られながら、俺は近くの茶屋に入っていった。

 こうしてめでたく、俺の幼女好きだという噂は信憑性を増した。

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