信じられる
前の第2話を消して、新たに新第2話・新第3話・新第4 話を投稿しています。 (この⽂章は2015年07⽉27⽇には削除します)信じられる
「・・・」
目が覚めた。
部屋の中はまだ暗い。
貴久が言うには、甲斐の朝はとても早いらしい。
布団から出て、障子を開ける。遠くの空を見て見るが、うっすらと明るくなってきてはいるものの、まだお日様の姿は全く見えていない。
「・・・」
また、物足りない一日が始まる。
「おはようございます、お屋形様」
「おはよう」
廊下を歩いていたら信繁に会った。
信繁はとっても優秀だ。与えた仕事は何でもそつなくこなすし、その仕事の内容を選ばず幅広くできるところもすごい。
能力に関してはまさに非の打ち所がないと言える。
しかし私には個人的にどうしても許せないことがある。
「どうかしましたか?」
微妙に上から見下ろしてくる視線。微妙に私よりも大きなふくらみ、私よりも明るい性格。どれも私より勝っている。
「どうもしない、気にしないで」
「失礼しました。本日のお仕事については、お部屋の方におよそ準備してあるので、読んでいただければわかるかと」
「分かった」
短い会話を交わして私は信繁の横を通り過ぎる。
楽しくないお仕事の始まりだ。
今日のお仕事のほとんどは昇ってきた報告書に目を通して認めるか認めないかを決めるだけ。
やること自体は簡単ではあるのだが、たまにとんでもなく判断に困る案件が紛れていることがあるからうかつにホイホイと認めてばかりいることもできず、全部の書類はしっかりと穴の無いように読んでいかなくてはならない。
「・・・」
しばらくただ書類を読むだけの作業が続く。
毎回思うが、こういう仕事はわざわざたくさんの役割を用意しているのだから、全部その役割の者が済ませてくれればいいと思う。私がやるのはその後の簡単な最終確認位でいい。
何もこの仕事をやりたくないというわけではない、ただ不思議なだけだ。
そういえば貴久が言っていた。
「仕事をしている女性は輝いて見える」
本当ならもっと仕事をしてもいいかもしれない。そうすれば貴久がもっと私のことを好きになったかもしれない。
でもそれで一緒にいる時間を減らしていしまっては意味がない。
「・・・」
今どこかで鳥の鳴き声がした気がした。
鳥は空を飛べる。嵐の日なんかはさすがに飛べないと思うけど、普段は自由に飛べる。
人ではわからないような辛いこともたくさんあると思う。だけど、もし鳥になれたら、今すぐにでも貴久のいるところに飛んで行ける。
今やっている文字を読むだけの仕事も、貴久と一緒に生きていくために必要な仕事を貴久と一緒にすることができる。
「・・・」
今日の仕事はそんなに時間がかからないと思う。久しぶりに外に出かけてみようか? 貴久が播州に行ってしまって以来、私用ではほとんど外に出ていなかった気がする。
「・・・」
貴久がいないとつまらなさそうだ。
思っていたよりも時間がかかってしまった。あたりはまだ明るいが、足元から延びる影が朝に比べて随分と長い。
やっと仕事が終わって外に出られた。しかし思っていたよりも時間がかかってしまってこれではせいぜい茶屋でお団子を一本食べるくらいの時間しかないだろう。
「・・・」
そういえば貴久は餡子を載せたお団子が好きだと言っていた。私はみたらし団子の方が好きだ。好物が違って私はなんとなく残念だったが、貴久は笑いながら言ってくれた。
「好きなものが一緒ならそれは嬉しいだろうが、夫婦が長く仲良くしていられるのは、嫌いなものが一緒だった時だ」
だから嫌いなものとして景虎の名前を出してみたら貴久がとっても困っていた。
他の物はと聞かれたから苦い薬が嫌いだといったら、貴久も嫌いではあるけど我慢しなさいと言われたしまった。
でもこれは我慢しよう、嫌いなままでいい。これで貴久と同じ嫌いなものができた。
館に帰ってきた。すでに夕餉の支度が出来ているらしい。正直に言うと今さっきお団子を食べてきたばかりだから少し時間を空けたいのが本音だ。
貴久は痩せすぎていても太っていても好きじゃない、普通が一番と言っていた。でも普通ってどのくらいだろうか?
「・・・」
自分に体を見下ろしてみるといつも思うが、これは痩せすぎているのではないだろうか? 貴久は私の体は少し痩せているかもしれないが、普通だろうと言っていた。つまりもう少したくさん食べて体を大きくした方が貴久の好みに近かったということだろう。
「お屋形様!」
信房が飛んできた。なんだか怒っているように見える。
「また護衛の一人もつけずに出かけられたのですね!」
どうやら夕餉まで時間を空けられそうだ。
随分と長々と叱られてしまった。確かに護衛をつけなかったのは悪かったが、それでもあんなに長々と叱らなくてもよかったはずだ。
貴久曰く、あれも優しさらしい。
分かっていないわけではない。私だって、あれが私のためを思ってのことだと理解している。それでも迷惑だと思ってしまう私は我儘なのだろう。
「・・・」
それにしてもこのみそ汁は味が薄い気がする。今日は誰が作ったのだろう。私が作ったのは辛すぎて飲めたものではなかったが、どっこいどっこいな気がする。
貴久に言わせれば、美味しいか美味しくないか、それ以外は飲めるか飲めないかの判断でいいと言っていたから、これと私のみそ汁は同じ・・・もっと頑張らなくては。
もう夜になってしまった。一日がこうも早く終わってしまうのかと思うと残念でならない。
「・・・」
なんとなくだけど、今日は湯を使おうか? 今更そんなことを言うのは皆に悪いから諦めるべきだろうか?
「・・・」
自分でやればいいのか! そうと決まればさっそく台所へ行こう。
「お屋形様、ちょうどよいところへ」
こんな時に信房に捕まってしまった。この時間に私を探していたのなら、それは急ぎの案件だろう。今日は水で体を拭いて終わりにしよう。
「先ほど昌幸が帰ってまいりました。今こちらに向かっているので、部屋でお待ちいただけないでしょうか」
昌幸が帰ってきた。それが意味することは一つしかない。
私は頷くことで返事をして部屋に戻ろうとした。
「お屋形様、ただいま戻りました」
部屋に戻ろうと後ろを向いたところで、昌幸の声が聞こえた。
貴久と一緒に行った昌幸が帰ってきた。信房からの報告からするに貴久たちが帰りに寄るから先ぶれに来たのだろう。
「婿殿は今頃木曾福島城の辺りでしょう」
なら到着は早くて二日後、遅くても四日後と言ったところだろうか。
「夫殿からの言伝ですが、『よろしくな』とのことです」
たぶんだけど、今のは貴久が言ったことをそのまま言っただけだ。別れ際に何か気に食わないことでもあったのだろう。
「婿殿も、長旅でお疲れでしょうから、二日後からは風呂と婿殿の好物の米とみそ汁を用意しておきます」
信房が提案してくる。でも私は首を振って返事をする。
「分かりました、風呂の準備だけしておきます」
これだけで通じるのはありがたいといえばありがたいが、自分の考えが常に顔に出ているのではないかと心配になったり、隠し事があんまりできないから困ったものでもある。それでも私的なことまでは読まれたことはないからあんまり心配することでもないのだが。
「それではお屋形様、今日も一日お疲れ様でした」
信房が一度頭を下げてから下がっていく。昌幸も他に報告することもなかったのだろうし、疲れていたのだろう、信房と一緒に頭を下げてから下がっていった。
「・・・」
貴久が来るのは早くても二日後。なら無理に今日お湯を使う必要もない。
なんとなく空を見上げてみれば、そこには輝く星々と真ん丸なお月様が浮かんでいる。
「・・・」
祝言を挙げた翌日の夜だった。貴久に七夕と言うものを教えてもらった。確かあの話では、織姫と夏彦は天の川に隔てられて会うことができないとか。年に一度だけ会える7月7日も雨が降ったら会えなくなってしまう。
「・・・」
甲斐、千曲川、越後。
私、千曲川、貴久。
「・・・」
自然と浮かんでしまった。
「・・・やろう」
心に決めた。これが一番いいと思ったから。
私にとってじゃない。私の大切な、大好きな人にとって、一番いいと思ったから。
大丈夫、他の誰かじゃないから。
「・・・信じられる」
そのつぶやきに、私はとても強い自信が持てた。




