三度目の正直! 今度こそ帰るぞ!
「さあ、優しい私は選ばせてあげる。痛いお仕置きか気持ちいいお仕置き、どっちがいい」
「こんなにべったりくっついているのはお仕置きじゃないのか?」
「これは食事のようなもの、お仕置きじゃない」
朝です。宿屋です。
こっちの明け六つは甲斐や越後に比べて、どうやらかなり遅いようだ。
昨日は結局あのまま信長と寺本城に泊まってしまった。かなり早起きしてしまった俺は、別に何かやましいことがあったわけではないが、今までの経験と信長の状態から考えて何やらまずいと感じて信長たちが起きる前にみんながいる宿屋に帰ってきた。
で、今の状況だが。
「さあ、どっちのお仕置きがいい?」
向日葵が俺の腰にがっちりとつかまっています。
今日は珍しく正座でのお仕置きではない。胡坐をかいて座っていて、向日葵は足の上に陣取っている。
向日葵は重くないからその気になればこのまま立ち上がって動けないこともないのだが・・・。
「さあさあ婿殿、早く選んでくだされ、私の仕事はそれを見ることなので」
それを許さないのがこの女の仕事である・・・わけではないのだが。
「離れろ、昌幸。何度でもいうがお前がやってもあんまり可愛くはない」
昌幸さんは現在俺の背中から抱き付いている。前にも感じていたが、思いのほか大きい胸が悩ましい。これでもしも息子が反応したりしたら向日葵に何をされるかわからない。だから昌幸には迅速かつ速やかに俺から離れてもらいたいのだが・・・。
「婿殿、私は分かっていてやっていますからね。婿殿が向日葵殿にお仕置きをされるまでは離れませんよ」
そしてまた意識して胸を押し付けてくる昌幸。
この性格がなければもう少しコロッとやられていたと思うのだが・・・だって見た目は普通に可愛いし、好みだし。
「じゃあ向日葵、痛いお仕置きで」
「そんなに嫌なんですか? いい加減にしないと本当に泣きますよ?」
たぶん前にも同じこと言っていたから気にしなくてもいいかな。昌幸の扱いはこんな感じで貫こう、うん。
「じゃあまあ痛い方で・・・死ね」
「・・・」
何が来るのかと身構えた・・・が、何も来なかった。
「貴久・・・なんだか臭い」
「え・・・」
本当? いや昨日は湯なんて使っていなかったけど・・・今から使ってこようか。
「あと、いつも思ってたけど・・・その髪型は気持ち悪い」
「・・・」
・・・この髪型ってそんなに駄目ですか? どこにでもいるような髪型じゃありませんか? ゲームや本で言うところのクラスの友達1とか2とかAとかBとかその辺の髪型をワックス使わずに寝かせた感じのこの髪型はこっちの人からしたら気持ち悪いんですか? むしろワックスとかのないこの時代で、男のこれ以外の髪型なんてちょんまげしか見たことないんだけど・・・。
「気持ち悪いって・・・ひま・・・」
「名前呼ばないで、穢れる」
「な・・・ならどうしてこんなふうにくっついているんだ? そんなに俺のことが嫌いなら離れればいいじゃないか」
そうだ、これは演技なんだ、向日葵の言うところの痛いお仕置き、精神的に痛いお仕置きなんだ・・・だから悲観することはない、全部演技だ。
「護衛だから近くにいるのは仕方がない、また勝手に何処かに行かれたら面倒。くっついているのはこうしておけばお前が変な気を起こして私を嫁にしてくれるんじゃないかと思っているから。嫁にしてくれたらあとは用無し、力も金も手に入った後にお前なんかに媚を売ることなんてない」
「・・・」
え、演技なんだよな? なんだか自信がなくなってきたぞ?
「ひま」
「だから、名前を呼ぶな、穢れる」
「・・・」
演技なんだ・・・演技なんだ演技なんだ演技なんだ演技なんだ・・・そう、演技・・・なんだよな?
「あの・・・すみません・・・」
「・・・」
向日葵は返事をしてはくれない、ただ黙ってそこにいるだけって感じだ。
「演技・・・なんですよね? これ以上は本当に辛い・・・立ち直れないような気がするんですが・・・」
そこで、向日葵が何も言わずにすっと俺から離れた。
「やっぱり臭い・・・無理」
「・・・」
演技・・・だとは思えなかった。これで演技だというのなら、見破れなかったとしても仕方がない。
「・・・今まで・・・べたべたして・・・ごめん」
俺は背中の昌幸をできるだけ触らないように剥がして、畳の上を這いながら自分の荷物の元まで体を引きずっていく。
「婿殿?」
「これは相当効いていますね」
「このくらい効かないと意味がない」
「いくら嘘でも、旦那にあれは言い過ぎたんじゃないですか?」
「あとでちょっとくっつけば貴久は大丈夫・・・この単純なところが貴久のいいところ」
みんなが何か話している、でもどうしてだろうか、声がまともに聞こえない・・・と言うかどうでもいい。
ああ、今まで悪いことしたなー、償わずに逝くのは失礼かもしれないが・・・まあいい、俺は今死にたいのだ。
おぼつかない手つきで荷物の中からようやくお目当てのものを見つける。
「・・・」
そして俺は一言も言葉を発することなく、おもむろに小刀を首に当てた。
「兄ちゃん⁉」
気がついたりょうが大声で叫んだ。どうでもいい。
死ぬ間際だからだろうか、やたらと周りのことがよくわかる。さっきまで傍観していた小太郎と段蔵、当事者の向日葵と昌幸の四人が血相を変えて俺を止めようとしている。
その必死さも演技なのではないかと思えてしまう。実にどうでもいい。
みんなの手が俺に向かって伸びてくる、だから俺は皆の手が届く前に刀を引い・・・。
「そんなことしたら許さないよ」
怒りのこもった重たい声が聞こえた。
いつの間にそこにいたのだろうか、気がつくと俺の後ろからくーちゃんが俺の腕をものすごい力でつかんでいた。
「貴久」
つかまれていた腕が離された。聞こえた声音も優しく柔らかいものへと変わっていた。
「辛いことがあったらいつでも私のところにおいで。私は何があっても、永遠に貴久の味方だよ」
くーちゃんが後ろから覆いかぶさるように抱きしめてくれた。
体格差もあって、物理的にはとても包み込むみたいなことはできていない、でも確かに俺の心はくーちゃんに包まれたような感じがした。
「・・・ごめんなさい」
後ろから小さな声が聞こえた。振り返ってみれば、向日葵が呆然と下を向いて立っていた。よほど焦ったのだろう、下を向くその顔は生きているのかわからないくらいに真っ青だ。
「いや、気にしなくても・・・」
気にしなくていい、このくらいで死のうとするなんて、明らかに俺の方がどうかしているのだ。
それに俺が向日葵にしたことを考えればこのくらいで死のうと考えるだなんておこがましい。
だから気にしなくていい、悪いのは俺だ・・・そう言おうとしたのだが・・・。
「出て行け」
いつ振りだろうか、この恐ろしい感じ。
景虎たちの、俺に向けられてはいても本当に殺したりはしないだろうと無意識に思える程度のものではない。内藤康行に対して怒った時の、あの何もかもがくーちゃんの思い通りになるのではないかと思わせる絶対的な恐怖を感じた。
開いた瞳孔、威圧感を感じさせる見下ろす視線、頭の後ろを書いているだけだと信じたい右手、依然あそこに刀が隠されていたのを忘れてはいない。
とにかく、今くーちゃんは恐ろしかった。
「嫌いなんだろう? 死んでほしいんだろう? そんなにいらないのなら私がもらう。だから消えてくれ」
「い、いや・・・だって・・・あれは」
「君がどう考えていたのかなんて知らないよ、結果は貴久に死にたいと思わせるほどに追い詰めた、それだけだよ」
「違う! ・・・わ、私は!」
向日葵の必死そうな叫びが部屋に響く。
違う、向日葵は悪くない。そう言いたいのに声が出ない。出てくれない。
「人を殺す、死ぬように仕向けることが、君の言う痛いお仕置きなんだろ?」
「ちが・・・だって、あれは貴久だって・・・分かって・・・」
さっきのように叫んではいない、こぼれる様に小さく発せられた言葉。震えている唇もだんだんと青くなってきている。
「ああ、わかってはいただろうね。だから最後に聞いていただろう、『演技なんだよな?』て」
くーちゃんが容赦なく向日葵を攻め続ける。
そして今気がついた、いつの間にやらくーちゃんの怒気が薄れて動けるようになっていた。
「くーちゃん、やめろ」
やっとの思いで声を絞り出し、同時にくーちゃんと向日葵の間に入る。
「でもね、貴久」
「いい」
有無を言わせないような、そんな迫力は出せないが、それでもできるだけ迫力を込めて言う。
「俺がいいと言った。だから、いい」
くーちゃんがまだ納得していないのは分かった。それでもこれ以上俺に言うことはない。どうしても納得してもらえないのなら逃げるしかないのだが、俺では向日葵を連れて逃げることはできない。
本当にこの旅では自分の駄目なところがよく見えてしまって辛い。見つけられたから直せるなどと楽観的に捉えられる段階はとうに過ぎ去った。
「・・・貴久がそこまで言うのなら・・・」
くーちゃんの目がいつもの眠たげな感じに戻る。いまだに不満そうではあるが、一応諦めてはくれたようだ。
「ごめんな、向日葵。俺のせいだ」
立ったまま呆然としていた向日葵を抱きしめた。
「・・・ごめんなさい」
弱々しく発せられた言葉が余計に胸をえぐってきているように感じた。本当に向日葵は悪くないのだ、今の一件で悪いのは弱かった俺だけなのだ。だから向日葵を傷つける結果を生んでしまったことを俺の方が謝らなくてはならなのだ。
「ごめんなさい」
でも今は謝らないでおく。今謝ってしまうと向日葵が感じている責任や後悔なんかが行き場をなくして向日葵の中に溜まってしまう。だから今は向日葵の好きなようにさせて、向日葵が落ち着いたらその時に誠心誠意謝らせてもらう。
「貴久」
くーちゃんが優しい声で話しかけてきた。顔にも先ほどまで浮かんでいた不満がうかがえない。
「私は永遠に貴久の味方だから。本当に、何か困ったことがあったらおいで、待ってるから」
先ほどまでの怒りや不満などは全く感じられなかった。俺に優しく話しかけたくーちゃんは、いつもと同じ眠たそうな目を顔に張り付けた、可愛いくーちゃんだった。
「さて、じゃあそろそろ本当に帰ろうか。貴久たちも帰るところなんだろ?」
「ああ、美濃を通って甲斐、越後と抜けていくつもりだ」
ちなみにこの予定には俺の願望がしっかりと入り込んでいる。
当然のことながら美濃を通るのは竹中半兵衛に会いたいからだ。
光秀は男だったしそろそろ可愛いではなく格好いい偉人に会えそうな感じもしていて・・・おらワクワクがとまんねーぞ!
「うーん・・・美濃はやめた方がいいと思うよ」
「どうして?」
半兵衛様に会うなと? 官兵衛様にはお会いできたのだから、どうせなら両兵衛のもう一翼にもお会いしたいじゃないですか。
「今の美濃は荒れているからね。織田とも仲良くなれたみたいだし、どうせなら駿河を通った方が危険は少ないと思うよ」
くそう、もっともだな。これではうまい具合に言い返せない。
「でもその危険な事態に遭遇した時、織田に借りを作るのは問題なんじゃないのか?」
と、ここで無理して言った一言は地雷だった。
「そうだよね~、駿河を通って織田に借りを作るのは問題だよね~、かと言って美濃を通るのはもっと危険だよね~。仕方がない、貴久の安全のためだ、私が甲斐まで連れて行ってあげよう」
「いえいえ結構です、婿殿は私たちが安全に甲斐までお連れするので」
ここで素早く俺とくーちゃんの間に入ってきたのは昌幸だ。
「そうです! 旦那の護衛ははっきり言って私だけでも十分なくらいです。ですから北条殿に御迷惑をおかけすることはありません」
さらに段蔵も体を割り込ませてきた。
「でも、さっき君たちは間に合っていなかったじゃないか」
「・・・」
「ぐっ」
痛いところを突かれて二人が絶句してしまった。どうせ啖呵を切ったおならもう少しねばれよ。
「じゃあそういうことで貴久は私についてきて、駿河を通っておだわ・・・じゃなくて甲斐まで一緒に行くってことでいいね」
今間違いなく小田原って言おうとしていたよな? これはしっかりしていないとちゃっかりしっかり小田原に連行されてしまうかもしれない。
「じゃあさっそく買い物に出かけようか」
「どうして買い物なんですか?」
ここまでただ静観していただけだったとらが買い物と聞いて反応を示した。
「だってせっかく貴久と一緒にこんなところにいるんだもん、敵国だろうとなんだろうとそんなことは関係ない、町歩きくらいしたいじゃないか~」
そう言いながらくーちゃんが背中からベターとくっついてきた。なんだか可愛い。
「貴久は私に何を買ってくれるのかな~」
「無駄」
短く言葉を発したのは俺の腕の中にいる向日葵だった。
「何が無駄なんだい?」
「残念ながら貴久の手元に自由にできるお金はない。たとえどれだけせがまれてもない袖は振れない」
手持ちが全くないわけじゃ・・・あ、お金の管理は皆に任せてあるから確かに俺の手持ちは一銭もないのか。
「ここからの旅は私と一緒なんだ、宿代なんかは全部私が責任を持つ、だからその分のお金を使ってお買い物ができるね」
それだと結局くーちゃんに頼ってしまっているだけだと思うのだが。
「まさか貴久も、愛しい奥さんとの町歩きを嫌だとは言わないと思うしね」
もう強制しているよね? これは間違いなく「断ったら怒るよ?」くらいの意味で言っているよね?
「・・・じゃあ・・・行きますか」
とてもではないが断れるような感じではなかったから行くことにする。
「みんなで」
「え~」
くーちゃんが不満そうな態度を隠そうともしない。分かってはいたが。
「まあそう言うなって。くーちゃんが虐めすぎたから向日葵がまだ俺から離れてくれないんだ」
ちなみに向日葵はすっかり回復してはいる。でもさっきのがよほどこたえたのか何なのか、さっきから俺の腰をがっちりとホールドして離さない。
「そう、悪いのはあんた。私は悪くない、だって貴久がいいって言ったから」
幸せそうな顔でそんなことを言われるとなんだかぎゅっとしたくなってしまう。でも今そんなことをすると向日葵はつけあがるからしない・・・と言うか我慢する。
「じゃあ私とはずっと腕を組んで歩いてね」
「・・・いいけど」
それだとこのまま向日葵を抱っこしていったら俺とくーちゃんが夫婦で向日葵が俺たちの子どもみたいに見えるんじゃないかな?
「では、話が決まったのなら、さっそく出かけましょう。これ以上婿殿が面倒事に巻き込まれないために、できるだけ早く帰るために」
なら町歩き自体を否定するべきではないのだろうか? こんなところで主の顔でも立てたのか?
小太郎の言い方に若干思うところはあったが、すでに二回面倒事に巻き込まれているから何とも言い返せない。
三度目の正直、今度こそ帰るぞ! ・・・でも二度あることは三度あるともいうしな~・・・。
いつの間にやら太陽は真上で輝いている。長屋に帰ってきたときにはまだ日は昇っていなかったのに。この調子で帰ってきたら、越後に帰りつくのは冬になってしまいそうだ。
明日、どこにいるのかな~。




