美濃
「で、どうして結局美濃に来ているんだ?」
空は青い、青すぎて幸せっぽい鳥が見つけられない。
べつに幸せの青い鳥なんて探すつもりはないが、とりあえずそのくらい空は青い。
そんな空の下、パカポコと歩くお馬さんに揺られて、のんびりと進んでいたらいつの間にか美濃に来ていた。
くーちゃんと一緒に帰ることになったから道中は馬を使えるようになったのはありがたい。しかし、そのせいもあってかただ馬に乗っているだけで、手綱を引かれていたら知らないうちに美濃へ到着していた。
くーちゃん曰く今の美濃は危険。だからくーちゃんの提案通り駿河を通って甲斐・越後へと帰っていくものだと思っていたのだが。
「だって貴久が来たいって言っていたからね」
まさかそれだけの理由で?
「だって貴久の行きたいところが私の行きたいところなんだもん」
くーちゃんが幸せそうにくっついてくる。
ちなみにくーちゃんは俺の後ろに乗っている。名目は何かあった時、俺を守るのに最も都合がいいとのこと。これについては後ろにいたら前からの攻撃に対処できないとか別の馬にいた方が臨機応変に動けるとか、そもそもこんなふうにくっついていたら護衛どころではないとぼこぼこに言われていたのだが・・・「君たちは私に意見できる立場じゃない。それに私はできるから言っている、貴久が危険な目に合うようなことはしない」と言うくーちゃんの言葉で全て一掃された。
「ところで、貴久は誰が目当てで美濃に来たかったんだい?」
「待て、どうして目当てが人って決まっているんだ」
「だって貴久だし」
「貴久だから仕方がない。けど怒る」
「婿殿ですし」
「旦那ですから」
「貴久殿ですから」
りょうととら以外のみんなが当たり前のことみたいに返して来た。複雑ではあるが今更そんなに気にしない。気にしていたら持たないし、残念ながら事実だから否定できない。
「人が目的だというのなら・・・た・・・」
「ああ、竹中半兵衛か」
「そういえば今回の旅の目的も黒田官兵衛でしたよね」
「つまり貴久の好みは頭のいい女性?」
別にそんなことはないぞ? 俺は津久井城で会った小笠原さんのような脳筋みたいな人でも全然大丈夫だけど。
「帰ったらもっと頑張らないと」
向日葵よ、何を頑張るというんだ。
もし両兵衛並に頭が切れるようになるためにとかだったら止めておきなさい、無理だから。私の頭の中では勝手に補正がかかるから。
「別に俺はうつけでも・・・」
「うわー、もう信長とそういう仲になっちゃったのか」
「なってない。
そういえば俺のことなんてどうでもいいんだ、くーちゃんは何をしに尾張に来ていたんだ? 何かこうして美濃まで来てからなんだけど」
くーちゃんは確か成政と一緒にいた、くーちゃんが個人的に成政とお知り合いでちょっと旅行に来たとかなら知らないが、信長が知っていたんだから多分正式な使者としてきたんじゃないのか? 何の目的なのかかなり気になる。
「織田に宣戦布告をするためにだよ」
「おい、嘘を言うな、そんな物騒な使者がいてたまるか」
そんなことの使者にくーちゃんを使うわけがない、切られたりしたらどうするつもりなんだ。
「いやいや本当だよ。父上に言われて織田に味方するか長尾武田の連合に味方するのかを見極めるために尾張にまで行かされたんだよ」
「だったら宣戦布告なんて関係ないじゃないか」
どうしてそんな挨拶程度の・・・とは言っても一国の命運がかかった大切な挨拶だが、それがくーちゃんに言わせたら宣戦布告となるのか。
「あれ? 貴久は私と戦いたいの?」
そうですね、はい、俺が馬鹿でした。
俺は何を考えていたのだろうか、くーちゃんが織田に味方するわけがない、だって俺とくーちゃんはすでに祝言の約束もしてるし!
「だからこんなところに来る必要なんてないって、私と貴久の関係も父上には話したんだけど、家臣を納得させるためにもとりあえず行ってこいって言われちゃって・・・でもそのおかげでこうして貴久にも会えたし、結果的に来てよかったよ」
そんな嬉しいこと言ってくれながら背中にぎゅーと抱き付いてくるくーちゃん。可愛い。
「ていうか、今の話からすると氏康殿は俺とくーちゃんのことを認めてくれたのか?」
「ああ、出不精で色恋なんかに興味のなかった私が好きな人がいるって言ったら泣いて喜んでたよ。あとね、貴久」
くーちゃんが口を俺の耳元に寄せて小さな声で囁いてきた。
「これからは『氏康殿』じゃなくて、『父上』って呼ぶように」
「・・・」
嬉しいとは思った。だってくーちゃんとめでたく夫婦になれるのだから。だが俺の心はなんだかざわめいていた。
くーちゃんは知っているから、むしろここに家族がいるよと言ってくれているような気もする。
でも、やはり俺はどきりとしてしまった。
家族、父、母、姉弟、なんとなくこんな感じの言葉を聞くと心臓が早鐘を打つ。息が荒くなる。
「大丈夫だよ」
くーちゃんが後ろから優しく抱きしめてくれている。
「ここにいる」
優しい声が体にしみこんできている感じがした。
「ここにいるんだよ」
心地良い。なんとなくくーちゃんの言葉を聞いていると安心してくる。このまま全てをくーちゃんに任せてしまいたいと思ってしまってくる。
「婿殿!」
昌幸の鋭い声で我に返った。なんだか軽く意識が飛んでいた気がする。
「北条殿、婿殿にその話はしないでいただきたい」
昌幸が先日の尾張でのことを危惧したのであろう、くーちゃんに家族の話題を避けるように促す。
「大丈夫だよ、その話は小太郎から聞いてるから」
「なら・・・」
「だから、大丈夫なんだよ。むしろ貴久にはこうしてあげた方がいいはずだ」
振り向いてくーちゃんを見てみれば、くーちゃんが俺を見上げながら「そうでしょ?」と目で語ってきた。
「・・・どういうことでしょうか」
昌幸には意味が分からないだろう。今のくーちゃんの言葉で意味が分かるのは俺のことを知っている景虎と晴信、あとは向日葵と信長だけだ。
向日葵の方を見て見れば、複座つそうな顔をしてはいたが、くーちゃんの言葉の意味は分かったようでとりあえず頷いて返してくれた。
「う~ん、いつかはと思っていたけど、もう嫁になってしまったのか」
くーちゃんが何やら変なことを言っている。
「嫁って、なんのことだ?」
「向日葵、嫁にしたんでしょ?」
今の目だけの会話からそんなことを読み取りましたか、恐ろしいです。こっちの人は目を見たら事の真偽が分かるだけでなく相手の心の中まで見えてしまうのですね。
「まさか私より先に嫁が増えるだなんて・・・さすが旦那様だ」
今のでどうしたらさすがなのかはわからないが、とりあえず怒っているわけではないことに一安心だ。
「羨ましいな~」
くーちゃんが向日葵に目を向ける。本気で羨ましいと思っているようだ。
だがくーちゃんの行動はことごとく向日葵を刺激しているだけだ。
「嫌味かこの野郎、殺り合いたいのならそう言え、今すぐ殺ってやる」
向日葵大明神がメラメラと燃えていました。それはもうメラメラと。怖いですね~、今の向日葵なら本当にくーちゃん殺しちゃいそうだな~。
「あれ? 違ったのかい? 知っているみたいな感じだったけど?」
当然といえば当然かもしれないが、向日葵が俺の秘密を知っていることは目と目の会話から見抜けていたようだが、一度祝言の約束をしながらもすでにそれが反故になっていることまでは見抜けなかったようだ。
「くーちゃん、向日葵と交代」
「嫌だ!」
「代われ!」
気がつくと向日葵が馬を隣に並べてくーちゃんの髪を引っ張っていた。
「離せぺったんこ!」
「五月蠅い、あんたも所詮はあるかどうかもわからない丘ぐらいのもの、どうせ言うならもっと大きくしてから言え」
「目つきが悪いぞ!」
「どうでもいい。貴久が私に見惚れるときはだいたいこの目を見てる、この目が貴久の好みに合っているからむしろ儲け物。あんたこそその目は貴久にとって祝言に踏み切れないような嫌われる要素になってるんじゃないの」
「なっ!」
くーちゃんがギギギとか音がしそうな鈍い動作で俺のことを見上げてきた。
「た、貴久は・・・私の目・・・嫌い?」
「いや、好きだけど?」
聞かれなくても好きだ。と言うか目が嫌いってどんだけ目にこだわってんだよ!
・・・とは言えないか、向日葵みたいな目つきのきつい人が嫌いな人もいれば、ルイスさんのたれ目が馬鹿にしているように見えるとか言って嫌う人もいる。あとくーちゃんや昌幸みたいな変わった目をしている人は実は結構そういう判断で嫌われたりしているかもしれないな。
「ほら見ろ、貴久は私の目の方が好きだって」
満面の笑み・・・ではなく9割の笑みに1割の自慢を込めてくーちゃんが向日葵に言い返している。
「貴久はあんたの方がいいなんて言ってない、そういう思い込み、貴久は結構嫌ってる」
「ふん、もうその手は通じないぞ、もう私は・・・」
「いや、今のはだいたい正しいぞ。俺は変な思い込みをする人はあんまり好きじゃない」
「・・・」
「・・・え、本当にそうだったの?」
どうして最初に言った向日葵が聞き返しているのだろうか。あてずっぽうで当てたのならそれもかなりすごいが、今は狙い通りくーちゃんを行動不能にしたことを誉めるべきであろう。くーちゃんは俺の背中で蒼い顔をしたまま固まって動かなくなってしまっていた。
「くーちゃん?」
とりあえず声をかけてみた。
「・・・」
しかしくーちゃんからの反応はない。
「おーい」
お腹に回されている手をつんつん。しかしやっぱり反応はない。
「起きてないなら向日葵と交代させるぞー」
「嫌だ!」
あ、復活した。
「くーちゃん」
「な、何だい?」
「ちょっと痛いから力を緩めてもらえないかな」
くーちゃんが復活した瞬間からお腹に回されている腕の力がぐっと強くなってさっきから結構苦しい。
「・・・」
「く、くーちゃん」
本当に苦しいから早く力を緩めてもらえないだろうか。
「・・・貴久」
蚊の鳴くような小さな声がくーちゃんから聞こえた。
そして次の言葉を待っていると、くーちゃんがやっと顔を上げた・・・が、その顔には不安がにじみ出ていた。
「大丈夫だよくーちゃん。俺とくーちゃんが初めて会った時にしたこととか、三国回るのは大変だろうなって話をした時のことを思い出してよ、俺は寝ているくーちゃんのこと大好きだよ、眠たそうな目も可愛らしくて大好きだ」
くーちゃんが俺の話を聞きながらだんだんと顔を赤く染めていく。好きか嫌いかと聞かれたから結構勇気を出して言ったのに、言ったこっちも結構恥ずかしかったのに!
「・・・貴久」
またくーちゃんが蚊の鳴くような小さな声で話しかけてきた。
「その・・・寝顔は・・・あんまり見られると・・・ちょっと恥ずかしい」
「いまさら何言っているんだ? 散々人の膝を枕にして寝たじゃないか」
「だ、だって・・・貴久が・・・そんな目で見てたとは思わなかったんだもん」
・・・これは何だ、もしかしなくても今くーちゃんの頭の中では、寝ているくーちゃんを見ながらゲスゲスしている俺がいるのだろうか・・・それは辛い、そんな勘違いは心が三回くらいぽきぽきと折れるくらいには辛い。
「くーちゃん、別に寝顔を見ながらどうこうするってわけでもないから、安心してよ」
「でも前はつんつんして遊んでたよね」
起きておられたのですか! なら早く言ってくださいよ! うわー気づかれていないと思っていたのにー!
「・・・でも」
何だ! まだ追い討ちが必要だというのか!
「貴久が見たいのなら・・・好きなだけ、見ていいよ」
「・・・」
最後の言葉は顔を俺の背中に押し付けながら、顔を俺に見せないようにしていってきた。危うくあまりの可愛さに理性が吹っ飛ぶところだったぜ。
「貴久」
そしてその浮かれた気持ちを吹き飛ばす向日葵大先生の冷めた声音が耳に届いた。
「・・・何か?」
「・・・」
向日葵が俺のことをじっと見つめてくる。
なんだろう、とりあえず意味は分からないが宝石のように輝いている黒い瞳が綺麗だ。もっと近くで、互いの吐息が感じられるくらい近くでしっかりと見つめたい。
「・・・勝った」
何が勝ったというのだろうか?
「貴久!」
今度はなんかくーちゃんが怒っていらっしゃる。
「私の目も見て!」
これはあれか? 俺が向日葵の目に見入ってしまっていたのがいけなかったのかな? つまるところこれは嫉妬みたいなものかな?
「こっちを・・・向け!」
「痛い痛い痛い! くーちゃん痛い! 痛いから! 普通首はこんなに曲がらないと思うから!」
よっぽど俺が向日葵の目を見ていたのが悔しかったのだろう。くーちゃんが無理やり後ろを振り向かせにかかった。
「・・・」
そしてくーちゃんが文字通り吐息が感じられる距離で俺の目をのぞき込んで・・・ではなく、俺に目をのぞき込ませてきた。
無理やり覗き込まされたくーちゃんの目は、大きく見開かれていた。
そういえば怒って瞳孔が開いている時以外でくーちゃんが目をこんなに大きく見開いているのなんて見たことがなかった。
改めてくーちゃんの目を観察してみた。まず思ったのは、俺が思っていたよりもくーちゃんの目はかなり大きかった。普段の眠たそうな目は半分くらいしか開いていないのに普通の大きさに見えていたのだからこうして見開いて見れば大きいと感じるのが当たり前なのかもしれないが、それでも大きく、そして丸い。このまま見つめていたらこの大きくて黒い瞳にすっと仕込まれてしまいそうな錯覚を覚えた。
「・・・よし! 勝った!」
「まだ、引き分け。次は勝つ」
「私も負けないよ」
目なんていくら成長してもそんな劇的に変わるものでもないのだから、今引き分けならこの先もずっと引き分けなのではないのだろうか? と言うか俺は一言たりとも優劣をつける発言はしていないのだが。
「と言うわけで、せいやー」
これは向日葵的には結構気合を入れていたりするのだろうか? どうにも俺には全くやる気のない掛け声にしか聞こえないのだが。
とまあ掛け声のことはともかく、向日葵が俺とくーちゃんの乗っている馬に飛び乗ってきた。向日葵が急に飛び乗ってきた衝撃で馬が暴れた。落ちそうで怖いからやめてほしい。
「おい、向日葵、今のは危険すぎるから次やったら問答無用でお仕置きだからな」
「貴久が? どんなお仕置き?」
いい笑顔だな、俺が向日葵に酷いことができないと分かっているからこその余裕の笑みだな、だが今の俺は命の危機に瀕したせいでいつもより過激だからな。
「向日葵をどっかに縛りつけてその目の前で景虎といちゃいちゃする」
「ごめんなさい。もう二度としませんからそんなことしないでください」
向日葵がぎゅっと抱き付きながら、ついでにカタカタと震えながら謝ってきた。
「分かればよろしい」
俺としてはこうして向日葵にぎゅっとしてもらえてちょっと嬉しかったりする。
「貴久」
後ろからくーちゃんのどうでもよさそうな声が聞こえてきた。どうでもよさそうなのだから羨ましいとかそんなことではないのだろう。それだといったい何の要件なのか全くわからないのだが。
「馬が辛そうだよ」
俺とくーちゃん、そして向日葵の三人の体重を支えられるほどこの時代の馬は強くはなかったようだ。
「じゃあくーちゃん、交代」
「してもいいけど、その代りに何をしてくれるのかな?」
まさかの対価の要求ですか、何をすれば向日葵と交代することにつりあうのかわからないんですけど。
「えっと・・・何かお望みは?」
「自分で考えてよ」
来ると思ってました。
「・・・」
「予想できていたけど、何も思いつかないみたいだね」
情けない、自分の奥さんのされて喜ぶことの一つも提案できないとは。くーちゃんなら膝枕とかでも喜んではくれそうではあるが、それはいつでもできるし俺自身くーちゃんが言って来たらこんな形じゃなくてもしてあげるから却下した。
「じゃあねー、膝枕でいいよ」
ところがくーちゃんはその膝枕でいいようだ。
「くーちゃん、それくらいなら言ってくれればいつでも・・・」
「あの茶屋の時と同じような膝枕でも?」
くーちゃんが背中に軽く爪を立てた。
「もちろん、同じじゃないけどね」
これはちょっと気合を入れないといけないかもしれない。
くーちゃんがいつやるのかと言うことを明言しなかったのはちょっと気になるが、とりあえずこの場は丸く収まった。
とりあえず、景虎や晴信の前じゃないといいのだが。




