礼拝堂
「さて、では気合いをいれて帰るとしますか!」
「お~!」とりょうととらが返してくれた、他の四人はなぜだか微笑ましいものを見ているような顔をしている。後の世でののりの大切さを説いてやりたいと本気で思ってしまう。
「待てこの野郎!」
なんか後ろから面倒事が迫ってきている気がする。
「ここは振り返らずに進むべきだよな?」
「いて!」
もう手遅れだったようだ。何かが俺にぶつかった。
もう巻き込まれてしまったようなので後ろを振り返り何が、もしくは誰がぶつかったのかを確認する。
振り替えって足元を見ると、そこには男が、ちゃんと整えられている黒い髪のそれなりに綺麗なな着物を着た年の頃18歳前後と思われる高校生くらいの男がそこにいた。
よし、男だ。男なら安心だ、俺が余計な気を起こすことはないだろう。
「待てー!」
「くそが!」
見た感じこの男が向こうから走ってくる役人に追われてるって感じだな。
「すまん!」
この言葉を聞いて俺は男がぶつかったことを一言詫びて走り去っていくと思ったんだ・・・が、現実そんなに甘くないようで。
「来るな! それ以上近づいたらこの男を殺す!」
人質されちゃいました。首筋に当てられた小刀がひんやりしていて気持ちいい・・・どころか肝が冷えます怖いです、がくがくぶるぶるです。
さてここで問題なんだが、この男は何をしたのだろうか? もしこの男が殿様殺したりしていたら俺のような傍目一般市民の男の命など守ろうとはせずに問答無用で俺ごと男を殺しにくるんじゃないかな? というかこの時代で民草の人質なんて意味があるのかな?
あ、でも役人が止まった、どうやらこっちでも人質は有効のようだ。
「そうだ、そのまま後ろを向け」
おいおい役人たち、そこで素直に後ろを向くな、逃げられるぞ。
そして案の定男は俺をつれて走り出した。
昌幸たちが「どうしますか?」と目で聞いてきているような気がしたので「痛い事されそうだったら助けて」と目で伝えてみる・・・あ、伝わったみたいだ。昌幸が右手をあげて合図してる。あのまま手を振ったりしたらでこぴんの10発や100発くらい食らわせようかな。
で、結局そんなことはなく、俺はしばらく走ったあとに小さな建物の中に入れられた。
「ここは・・・礼拝堂かな?」
なんだかそれっぽい気がする、だって正面に十字架があるもん。
キリスト教は管轄害だから詳しくないんだよな、俺これでも仏教徒だから、色々な欲ありまくりだし念仏もろくに唱えてないし片寄った知識しかないけど一応仏教徒だから。
「すみません、ここまでついてきていただいてしまって」
男が丁寧な口調で謝ってきた。
それなりに走ったと思うが汗をかいていないし息もきれていない、鍛えていることがうかがえた。
「べつに、帰り道を教えてくれれば構わない。あと無理に丁寧な言葉を使う必要はないぞ」
さっき「くそが!」とか言ってたし。
「まあ一応初対面で迷惑かけたからな、最初から砕けた口調っていうのもよくないだろ?」
「それもそうか。
で、なにやったんだ。役人に追われるなんて。あとここで何してるんだ、日ノ本の生まれだろ?」
「おや、ここがどこだかわかるのか?」
「礼拝堂というものではないのか」
礼拝堂でいいのかな? 教会とどう違うんだろう?
「もしかしてお前も天主教の信徒なのか!」
「いや、ただ知識として知っているだけだ」
実際仏教だって熱心に信仰しているわけでもないから名乗るだけならどっちでもいいと言えばとっちでもいい。
「そうか・・・ならこれを機にお前も天主教の信徒にならないか?」
「すまんが俺は天主教の信徒にはならない。気持ちの問題だから諦めてくれ」
宗教やカルトや薬なんかの誘いは嫌なら最初に嫌だとはっきりと意思表示をする、これが大切だ。そうしないと相手はしつこく迫ってくるからな。「ダメ! ゼッタイ!」のあれだ。
「そうか・・・まあデウスは意思のあるものを拒まない、気が変わったらいつでも声をかけてくれ」
「おう」
まあそんな時は一生来ないと思うけどな。
「で、話の内容からしてお前はここの司祭か何かか?」
「いや、俺は毎日ここに来ているし礼拝もしているが司祭ではない、ただの信徒だ」
ただの信徒が勝手に信徒を増やしたりしてもいいのだろうか? 英訳がろくにできていない今ではそんなことを知っている日ノ本の人間はほとんどいないだろうが。
そういえば黒田如水様もキリシタン大名として有名だったけどいつ信徒になったのだろうか? 今となってはあの義高が実際に信徒になるまでわからないが、逆に言うとかなり正確にわかると言ってもいいからちょっと嬉しかったり。
「そうなのか・・・ならあの子達について聞いても無駄か」
そう言って俺は眼球だけを動かして奥の扉からこちらを伺っている数人の子供たちを見た。
「ああ、あの子達はな・・・見てもらった方が早いか。みんな、おいで」
男が手で大きくおいでおいでとやってやると、扉から子供たちが恐る恐ると言った感じでゆっくりとこっちにやって来た。
「こんにちは。ヘロー」
男が膝に手をついて目線を低くして挨拶をした。
というか今のはもしかしなくても「hello」と言いたかったのだろうか? ものすごい日本語の発音だったが。
あのhelloの発音はちょっとわからないが、おかげで一つの疑問に対してかなり有力な推測が立った。
「この子達は日ノ本の子ではないのか」
「ああ、日ノ本の民と異国の者との間にできて捨てられてしまった子だったりこっちで売られていた、もしくは売られた売られそうだった子どもたちだ」
「なるほど、望まない子だったり言葉や見た目の違いを許容できなかったりした捨て子と、見た目の違いから愛玩ようだったりの目的で買ってくれる奴等への売り物としてつれてこられた子か」
やっぱりいつの時代でもこういうことはあるんだな。
自分もこっちで最初に会ったのが景虎ではなくて、労働の素晴らしさを教えてくれたりするとても親切な人たちなんかに会っていたりしたらこの子達と同じような境遇にあっていたんだと思うと他人事とは思えないな。
「理解が早くて助かる。俺が信徒になったのはこの子達を助ける司祭様に胸を打たれたからで、ここに来ているのはこの子達の恐怖や寂しさなんかが少しでも紛れればいいと思ってな」
うわ、こいつめちゃめちゃいいやつっぽい。
「でもお前さっき役人から逃げてたよな、あれは結局どうしてだ?」
「あれはあの役人たちが、子どもたちからぶつかっただけなのに金や物を巻き上げていたから取り返したからだ」
うわー、盗みはいけないことだけど聞いてるだけだとこいつ本当にいいやつ過ぎるんだけど。
いかん、なんかちょっと感動してきた。
「俺もちょっとだけ手伝わせてくれ」
「ん? いやもう取り返してはあるから手伝ってもらうようなことは・・・」
「そっちじゃない」
俺はゆっくりと子どもたちの近くまで歩いていく。
子どもたちが初めて見る大男の俺が怖いのかちょっとだけ後ろに下がった。この辺りが今の限界か。
子どもたちが下がったところで止まり、膝をついてたち膝の姿勢になって子どもたちと目線を合わせる。それでもまだ俺の方がいくらか高かったがこのくらいなら許容範囲だろう。
「Hello」
残念ながら優しい笑顔なんかはうまく作れないが、それなりに異国の人たちが聞き取れるくらいの英語で話しかけてみる。さっきあいつが英語で話しかけていたからたぶん通じると思うのだが。
「Hello」
辛抱強く返してくれるまで待とう。なんとなく子どもたちが驚いているように見えるから通じてはいると思う。
「Hello」
「Hello」
見事三度目にして隅っこに立っていた青い目をした男の子が返事をしてくれた。
「Nice to meet you」
子供たちがびくっと反応した。恐らく俺が自分達のわかる言葉を話したことに驚いたのだろう。
「Nice to meet you too」
さっきの男の子がまたゆっくりと返してくれた。
「My name is Takahisa, what's your name?(俺の名前は貴久だ。君の名前は?)」
「I am Smith(俺はスミス)」
ほう、この男の子はスミスというのか、まさかジョン・スミスという名前だったりしないだろうな? でもこの名前って日本でいうところの山田太郎みたいなもので偽名としてよく使われてるんだよな~、だから俺も将軍様のときに使たんだし。
「Let's get along well from now on.(これからもよろしくね)」
「Me too!(こちらこそ!)」
男の子、スミスが元気に答えてくれた。
そして、これで俺が話せる人だと、怖い人ではないと思えたのか周りの子ども達も元気にあいさつを返してくれて、名前も教えてくれた。
「お前、異国の言葉を話せるのか・・・」
「ああ、少しだけだけどな」
今の会話なんて英語もへったくれもない、「こんにちは」と「よろしく」「私の名前は貴久です」「あなたの名前は何ですか」これだけだ、誰だって理解しようとせずにこの発音を覚えろと言われればすぐに覚えられる。
「 Mister, you weren't born in this country?(お兄さんはここの生まれじゃないの?)」
集まっている子どもは全部で八人、その中で一番背の高い女の子が聞いて来た。
「No, I was born and raised in this country.(いや、俺は生まれも育ちもこの日ノ本だよ)」
「Then why can you talk with us?(ならどうして私たちとお話しできるの?)」
どうしてと言われると学校で習ったからなんだがそんなこと言えないし、学校を私塾や寺子屋なんかに置き換えても絶対に英語の勉強なんてしていないから困ってしまう。
「Because I wanted to be able to talk somehow, I tried so hard so I could talk.(なんとなく話せるようになりたかったから、話せるように頑張ったんだ)」
嘘ではない、なぜだか知らないがあっちの世界では無駄に英語やカタカナを多用する習慣ができている。歌の歌詞やお店の名前なんてまさにそれではないだろうか。どうしてお店の名前に意味の分かりにくい英語を使ったりするのかは本当に理解に苦しむ、もっと万人に分かりやすい言葉を選ぶべきではないのだろうか? 本人にどんな意図があっても他人からしたら、意味が分からなければ英単語なんてただの記号だ、〇や×なんかと変わらない。
とまあとにかく読む機会が多かったからとりあえず覚えてしまったのだ、身の回りで使いそうな最低限の言葉はな。
「なあ、なんて言ってるんだ?」
男が完全に置いてきぼりにされて困っていた。
「挨拶をして、名乗っただけだ。あとどうして自分たちと話せるのかと聞かれたから頑張ったからだと答えた。そういえばまだお前の名前を聞いていなかったな、なんていうんだ?」
「おお、そういえばそうだったな。俺の名前は明智光秀だ」
「・・・」
マジですか? え、嘘だったら殺すよ?
さあ、ここで本当か嘘か知らないが明智光秀こと俺の心の中では藤原道長と同じになってしまうがみっちーと呼ばせていただいている神様的なお方の登場だ。
みんな明智光秀というとどんな印象なのだろうか? 俺の印象は『天才』だ。
だってあれだぜ? 確証がないから俺の主観が多分に混ざってしまっていることは否めないが、金ヶ崎の退口で鎧を全部捨てて極力身軽になって逃げることで見事浅井・朝倉の追撃を振り切ったし、最終的に天下は取れなかったが天王山の戦いもできたことそれ自体がすごい。だって天下を取るまであと一歩だったんだぜ? 誰にだってできることじゃないだろ? わかったらみんなはもっとみっちーのことを崇め奉るべきなのだ! キリシタンだったのは知らなかったからちょっと意外だったが・・・ていうか本当にどっちだっけ? 俺の記憶だと別にキリシタン大名でも何でもなかったはずだが・・・こっちだからかな? なんとなく伝わっていた絵を見ているとみっちーってなんだかキリシタンっぽいけど。
「どうしたんだ? 急に黙って?」
みっちーが俺の目の前で手を振る。
「うん、冷静になって考えてみたらそれほどのことじゃないな」
そうだそうだ、だってこのみっちーはなんだか想像と違い過ぎるもん。
俺の頭の中のみっちーはもっとかっちりした紳士だ、いくら優しくてもこれはみっちーではない。こっちの明智光秀さんだ。
「なんだかよくわからないが、納得したならそれでいい」
「Umm...(あの~)」
俺と光秀の話が一区切りしたところで、服の裾がくいくいと引っ張られた。
「Hmm? Is there something?(ん? 何か用かい?)」
「Mister, what do you do for a job?(お兄さんは何をしてる人なの?)」
やべ、なんて答えようか。
何をしているのかって仕事のことだよな? まず正直に答えたとしても普段何をしているのかと言えばだらだらかいちゃいちゃだ。この旅で自分がいかにだらしがないのかよくよく分かってしまったので、越後に帰るまでに何とかできることを見つけておこうとは考えているが、とんでもなく残念なことにいまだに自分にできることが全く思いつかない。だからというと変かもしれないが、ここでのうまい嘘も全く思いつかない。
子ども、確か名前は「Mike」だったと思われる男の子が澄んだ瞳で俺のことを見つめてくる。
「Do you know "Aoso"? I sell clothes which is made using that.(『青苧』というものを知っているかな? あれを使って作った服を売っているんだ)」
しょうがないのでこの前昌幸が将軍様に使っていた嘘をそのまま使わせてもらった。
だがこの嘘はここではあまりにもふさわしくないと思われる。
「Get out!(出て行け!)」
案の定元気のいい男の子名前は「Kevin」が勢いよく殴りかかってきた。
言わないと不信がられること間違いなしだし、後になって言うのはさらにまずいと思ったから仕方なく商人だと言ったが・・・やはりこの子たちにとっては忌み嫌う存在だったか。
この子たちは全員ではないが売られそうだった、奴隷として売り飛ばされようとしていたか売り飛ばされた子たちなのだ。そしてそれをしたのは間違いなく商人だろう。詳しくはないがもしかしたら向こうの有力貴族や権力者なんかが手を出しているかもしれない。
そんな子たちが目の前に商人だと言っている大男がいたらどんな反応をするか・・・。
「You bastard! Get out!(この野郎! 出て行け!)」
こうして攻撃してくるのは想像に難くはない。
肉体的に痛くはないが、心には随分と痛む攻撃だった。
俺は子供が殴ってくるのを避けない。物理的に痛くないこともあるが、ある意味これこそが俺の本来の目的だろう。こうすることで子の子達の気が少しでも紛れるならそれでいい。
そうしてしばらく殴られていると、疲れたのかケビンが殴るのをやめて距離をとった。
そしてそれと入れ替わるように一人の少女が進み出てきた。
「・・・」
この子の名前は「Iris」だっただろうか。
日ノ本の血から生まれたのではないことを物語る左右二つにくくっている金色の髪と青い瞳。その青い瞳を一瞬たりともそらすことなく向けてくるイリス。
「Are you a bad person?(あなたは悪い人なの?)」
意外なことに罵声を浴びせるなり殴りかかったりしてはこずに、イリスは普通に話しかけてきた。
「What are you saying!? these people are bad person! those kind of people!(なに言ってるんだ! こいつらはみんな悪いやつなんだ! そういうやつらなんだ!)」
ケビンが大声でわめく。
しかしイリスはその言葉に全く反応せずにただ俺のことを見たまま「どうなの?」といっている風に首をかしげてくる。
「No, I am not a bad person.(いや、悪い人ではないよ)」
口で言うだけなら簡単だ、でもこの子達はきっとこんなことを言う商人たちにつれてこられてきたのだろう、だからこんなこと言っても信じてなんてもらえないんだろうな。
「Promise.(約束)」
イリスが小さな手を俺に向かって伸ばす。
「If it is a lie, I'll be angry.(嘘だったら、怒る)」
「・・・」
ちょっと反応に困った。
こんな可愛いことを言っているイリスもだが、この差し出された手もだ。この時代の日ノ本に握手と言う概念がないのは義高の時に確認している。だから握手ではないと思うのだが、イリスがどこの生まれなのかはわからないがイリスの故郷ではすでに握手が習慣として根付いている可能性も零ではない。
ちょっと悩んで俺は結局差し出された手を握った。
「I promise.(約束)」
イリスが笑顔で手を軽く上下に振る。
どうやら握手であっていたようだが、回りから見たらこれは何をやっているのかわからないんだろうな。光秀は言葉もわからないからぽかんとした顔でただこの状態を傍観している。
「Good person.(いい人)」
イリス笑顔で抱き付いて来た。
「Hug me!(抱っこして!)」
「Ok.(いいよ)」
俺はりょうを抱っこするときと同じように高い高いで自分の頭よりも高いところまでイリスを抱き上げる。
「Wow!(わー!)」
イリスが笑顔で楽しそうな悲鳴を上げる。
この時代は天主教などの仏教以外の宗教は邪法として攻撃されていたから外からぱっと見ただけでは礼拝堂なんかにに見えないような建物が多い。したがって外から中が見える様な側面に窓みたいなものが少なく、建物の中は薄暗い。しかしそんな薄暗い中でもイリスの金色の髪は美しく輝いていた。
「Me too me too!(俺も俺も!)」
そんな楽しそうなイリスのおかげで俺のことを再び怖くない人だと認識してくれたのかマイクが自分もと俺の脚に抱き付いて来た。
「OK, OK.(よしよし)」
イリスを降ろしてマイクも同じように高い高いをしてあげる。
「Wow! High!(おおー! 高い高い!)」
マイクがイリスと同じように嬉しそうに笑う。
他の子も嬉しそうにしているイリスとマイクにつられたのか自分もしてほしいと俺の足元に群がってくる。
「Wait wait, turn in line!(待て待て、順番だ!)」
やはり子供の笑顔は素晴らしい。この子たちのためにここに来ている光秀も同じような気持ちなのだろう。
「Get out!(出て行け!)」
しかしケビンだけは態度を変えなかった。
「In that way you deceive us again!(そうやってまた騙すんだろ!)」
ケビンの目には涙が溜まっていた。
「Get away from John!(ジョンを離せ!)」
ケビンが俺に抱き上げられているジョンの脚を掴もうと必死になって飛び跳ねているが、身長180cmの俺に抱き上げられている身長100cm程度だと思われるジョンの脚に同じく身長100cm程度だと思われるケビンの手はわずかに届かない。
俺はケビンが飛んでいるのに合わせてぶつからないようにジョンを降ろした。
「I'm sorry.(悪かったな)」
これ以上ここにいると他のみんなは分からないが、少なくともケビンは辛い思いをするだけだと思った俺は一言謝って礼拝堂を出ようと踵を返した。
「Will you come again tomorrow?(明日も来るの?)」
帰ろうとした俺の耳にイリスの声が届いた。
振り返るとイリスが金色の髪と一緒に青い瞳までもキラキラと輝かせて俺のことを見ている。
「Sorry, I cannot come tomorrow.(ごめんな、明日は来られないんだ)」
俺は今日中に尾張を発って越後へ向かう。だから明日どころか二日後も三日後もここに来ることはないだろう。
「Then, the day after tomorrow?(なら二日後は?)」
嬉しい。イリスは俺が来ることを楽しみにしてくれている。当初の目的であったこの子たちの恐怖や寂しいと思う気持ちを、少なくとも一人、イリスに限っては果たせたことが俺は嬉しい。
「Sorry, I probably cannot come here anymore.(ごめんな、たぶんだがここにはもう来られない)」
ここで具体的に「何日後に来る」とでも言えばイリスは少なくともその日までは俺のことを待ってくれるだろう、それまではここにいる楽しみができるだろう。
しかし俺はイリスに嘘をつきたくないと思ってしまった。きっと嘘をついて怒られるのが嫌なのだろう。
俺が申し訳なさそうな顔をしていると、イリスが唐突に俺に向かって走り出しそのまま俺の脚に抱き付いてくる。
「No! play with us tomorrow!(いや! 明日も遊んで!)」
「Even if you say so...(そう言われてもな~)」
明日も遊んであげたいとは思うのだが、根本的な問題としてこっちにはここに滞在するためのお金がない。りょうとも帰ると約束しているから残念ながらイリスの要望には応えられない。
「う~ん・・・」
一つだけ頭に考えが浮かんだが、これを実行してもイリスは喜ばない可能性が高そうだな~。
俺の思いついた考えというのは、イリスをこのまま越後の長屋まで連れて帰ると言うことだ。これならイリスの要望には応えられる。しかしこれでは他の七人の子ども達はここに残していくことになる。残された皆はもしかしたらまたイリスが攫われた、あいつに買われてしまったなどと考えるのではないだろうか? そしてイリス自身もこんな形でここを離れるのは、皆と離ればなれになることは望んでいないのではないだろうか?
まだ会って半刻もたっていないが、この子たちはこの時代の武士たちなんかに比べてよっぽど家族なのではないかと思えた。扉から覗いていた時、おっかなびっくり出てきた時、俺と話していた時、この子たちはずっとひとまとまりになって動いていた。政略結婚でできた夫婦、お家の存続のためにとりあえず誰でもいいからと産ませた子ども、そんな構成でできた家族なんかよりもこの子たちはよっぽど互いのことを大切にしている家族に見えた。
「Then I'll come with you!(なら私がついていく!)」
「What?(へ?)」
「If Papa can't come here, then I'll go to Papa house! (パパがここに来られないなら私がパパのお家に行く!)」
イリスが俺の足を抱く腕に力を込める。
困った。引き剥がそうと思えば簡単にできてしまう程度の力、しかしイリスの必死さを見ているととてもではないが力にものを言わせた行動は憚られた。
そして更なる問題として、このままイリスを越後まで連れて帰ろうとしている俺がいる。
だって『papa』だぜ? 『father』じゃないんだぜ?
いったいいつからパパ何て言葉ができていたのかは知らないが、とにかく今イリスにパパと呼ばれたことは事実なんだ。
それが間違いであろうとなかろうと、俺の中でイリスに対して決して男女のそれではなく家族愛的な何かが芽生えてしまった。傲慢にも守ってあげたいと思ってしまった。
「Don't do that, Iris!(駄目だイリス!)」
しかしそんな俺のぐらついた心をケビンが立て直してくれる。
「 They are bad people! also, you'll be taken to unknown place!(こいつらは悪いやつなんだ! また知らないところにつれていかれるんだぞ!)」
その通りだ、本当に越後につれていったりしたら異国出身のイリスにとっては知らないところ以外のなにものでもない。
「I don't know here, neither do I know the place I'll go to. But everyone and I become close, and I become close with Papa too. But everyone and I get along well, and I get along well with Papa too. It's the same.(ここも知らないところ、今から行くのも知らないところ。でもみんなとは仲良しになれた、パパとも仲良しになった、同じだよ)」
言っていることは間違っていないと思うのだが、これはイリスは俺について来る意思があり、みんなと離れることになっても構わないということだろうか? いや、もしかしなくてもイリスは俺がこの辺り、少なくとも尾張に住んでいると考えているのではないだろうか。
「Iris」
もしイリスがそんな風に勘違いをしているのなら今のうちに正しておかないといけない。
「We don't live near here. I only dropped here by chance on the long way back trip. Therefore if you come with me, you might not be able to meet again with everyone.(俺が住んでいるのはここの近くではない。ここへは長い旅の帰りにたまたま立ち寄っただけなんだ。だからもし俺について来たりしたらもう二度とみんなと会えなくなってしまうかもしれないよ?)」
「How far is it?(どのくらい遠いの?)」
むむ、まだついて来ることを諦めていないな。
「Well, approximately it takes around 50 days from here.(そうだね、だいたいここから50日くらいかかるところかな)」
正確な距離と時間はわからないが、このくらいと言っておけばとにかくとっても遠いということは伝わるだろう。
「It is not so far! then I come along!(そんなに遠くないね! ならついていく!)」
「・・・」
嘘つけ~、50日だぞ? これでそんなに遠くないとは・・・あかん、どうやって断ろう。
ちょっとどころかとっても困ってしまったので光秀の方を見て助けを求めた。
「いや、そんな助けてほしそうな目をされても俺には何がなんだかさっぱりなんだが」
「イリスがついて来るって言って聞かないんだ」
「すまん、どっちにしても俺はその子とは話せないから力になれない」
くそう、いくらいいやつでも言葉の壁は越えられなかったか。
「じゃあもしもに備えて一応聞いておくが・・・俺がイリスを引き取ったりしても大丈夫なのか?」
いいならいいで困るが、最終手段としてイリスを長屋につれていくこともできる。
「それは司祭様に聞いてもらわないとな。俺としてはお前はいいやつだと思うから、お前がイリスを養っていけるのなら構わないと思うが」
げ、本当ですか? 本当にイリスを連れて帰る選択肢も本気で考えなきゃいけませんかね?
「お! そんなところに司祭様がお帰りになられたぞ」
はてさて、この司祭様は俺にどんな選択をさせるのか、つれていってはいけないと言ってくれればさすがにイリスも納得してくれるだろう。
すべては神のみぞ・・・いや、司祭様のみぞ知るってことか。




