尾張
「活気があるな~」
「人が多い」
「堺よりはさすがに少ないですけどね」
俺のつぶやきに向日葵ととらが返してくれた。
かなり賑わっている。道は人で溢れ、町全体がその人々の楽しそうな喧騒に包まれている感じがする。それでも堺ほどではない。もちろん我らが越後も尾張より賑わっていると言う自信がある。
この時代で賑わっている町っていうのはだいたい大きな港を持っている。堺の港しかり播磨国の兵庫津しかり小田原の小田原港しかり、そして越後には直江津が、尾張には津島港がある。残念ながら甲斐は内陸だから港はないが日ノ本有数の金の産地というのもあって越後に負けず劣らず国力は高い。
まあとにかく尾張まで来ました。
小谷の宿で一泊した俺たちはその後は特に何の問題もなく尾張までやってきていた。
当然と言えば当然のことながら俺はこの景色に見覚えなんてない。しかしいかに知らない景色だとしてもここが尾張、後の愛知県であることに代わりはない。
そして今いるのは寺本城の城下町だ。愛知県の尾張側、知多半島の知多市の辺りだ。
このころの知多市、寺本城周辺は花井氏の勢力圏で、今の城主は花井信忠・・・ではないな、信忠はこの時代だと前の城主かな? 今は誰だったかな・・・わすれた。
まあべつに今の城主なんてわからなくてもいいか。
花井氏は、はじめ織田に従っていたが、桶狭間合戦で今川義元が村木砦を築いた後、今川になびき織田方の緒川城攻めに荷担した。桶狭間合戦で織田信長が勝った後は再び織田氏に従ったらしい。地元とだからしっかり調べてはみたのだが、残念ながら大した情報は見つからなかった。
「貴久殿は尾張になにか特別な思いでもあるのですか?」
唐突に小太郎が問いかけてきた。哀愁かなにかが顔に出ただろうか?
「まあ、故郷だからな」
べつに隠すことでもないと思ったので言っておく。実際景虎と初めて会ったときにも言ったしな。
「初耳」
そりゃそうだ、考えてみたら誰にも聞かれなかったから景虎にしか話してなかったんだから。
「みんな元気にしてるかな~。母さんや父さんも、心配してないといいんだけど」
ここにはいない、言っても何の意味もない、それは分かっているが、どうしても不安な気持ちになってしまい思いが口からこぼれてしまう。
何だろう、なんとなく頭がくらくらする気がする。貧血か何かだろうか? 夏に部活をやっていた時はそれなりによくあった感覚だがこっちに来てからはすっかりご無沙汰だったから油断していた、夏だからな、水分が不足しているのかもしれない。
「そういうことは早く言ってくださらないと困ります」
なぜだか昌幸が目を怪しくと輝かせて俺の手を握ってくる。
少しばかり手が汗ばんでいるから恥ずかしい。そして俺の意志を汲んだのか脚の方も鉛の重りでもくっついているようにまともに動いてはくれない。
「どうした、なんか変だぞ、何を考えている」
「そんなの決まってるでしょう、長尾殿とお屋形様が婿殿に会ってからそれぞれ国本を離れたのは川中島に行ったのと甲斐が攻められてそれぞれ下山城と上野原城に行った二回だけです」
「だから?」
昌幸がなぜそんなことを言っているのかわからない。確かに今昌幸が言ったことは事実ではあるが・・・。
「婿殿のご両親に挨拶をします。先ほどの婿殿の言を考えるに、婿殿のご両親はまだこちらにおいでなのでしょう?」
ドキリと心臓がひときわ大きく跳ねた気がする。今まであえて触れないようにしてきたこと、考えないようにしてきたこと。
俺は今こっちでの暮らしにおおよそ満足している。衣食住に関しては何一つ不自由していない。
俺は苦労なんてしていない。しかし向こうに残された人たちはどうなのだろう。家族や友達は心配してくれただろうか? 警察なんかも動いていたりするのだろうか? そんなことをしているのならお金と時間の無駄になってしまうから一言「俺はこっちで元気にやっている」と伝えたい。
そしてそんなことを考えたからだろうか、手が震えていた。俺自信も自分の手が震えていることに気がついた。
「婿殿?」
昌幸が心配そうに俺の顔を覗き込んでくる。
息が荒くなってきた、心臓が破裂するのではないかというほどに激しく鼓動する。
そしてだんだんと目の前が暗くなっていった。
「婿殿!」
「いや気を失った俺が悪いんだけどさ・・・」
ここは町中の医者のいる家、まあ診療所や病院のようなものだ。
情けないことに家族とか友達のことを思い出したら気を失ってしまった。そして驚いた皆が俺を近くの医者のいるところまでで運んでくれたようだ。そこまではよかったのだが・・・。
「命には変えられません、致し方がないと諦めてください」
何を諦めないといけないのかというとだな・・・。
「言っていることもやったことも正しいのだが・・・でも高い」
すでに見てもらったし小太郎たちはお金を払ってしまったと言うからこれ以上は言わないが、何と小太郎たちはこれから尾張で使う予定だったお金どころか、もしもに備えてとっておいた備えも使ってしまったと言う。
ちなみにどのくらい払ったかというとだな・・・だいたい国民皆保険がある日本で言えば普段病院で払う金額の5~8倍程度だと考えてもらえば近いのではないだろうか。単純に3割負担が10割負担に戻ってこの時代は薬が高価だったことを考えればまだ安い方だったのかもしれないが。
「では、このまま帰りますか」
昌幸が恐らく最善だと思われる行動を示してくる。
何と言ってもこの旅の目的である黒田如水様との接触はもう成った。だからこのまま帰っても何の問題もないどころか今回みたいな余計な危険や面倒事なんかも起きない以上帰らないで寄り道なんかしている方が問題だといえる。
「いいのか? 来たいと言ったのは昌幸だろ?」
「だからこそです、来たいと言った私が帰ると言っているのです、婿殿は迷惑なやつだとでも思いながら嫌嫌でも構いませんから帰ればよいのです」
「こっちでやりたいことがあったんじゃないのか?」
「そんなことよりも婿殿の体の方が大切です」
そう言ってもらえること自体は嬉しいのだが、俺としては俺のせいで女の子に迷惑をかけたり辛い思いをさせたりするのは本意ではない。
ならどうするのかというと・・・。
「・・・金を稼ぐか」
もちろん簡単に稼げるわけではないが、どの道今の手持ちだとちょっと越後まで帰れるのか心もとないのだ。もちろんここからなら一度甲斐を通るから晴信に会うことは決定事項なので、そこでお金を借りることもできなくはないのでが、できることなら自分の問題だけに自分で何とかしたい。
「稼ぐとは言いましても、いったいどうやって稼ぐと言うのですか?」
「ん~それなんだけどな~」
簡単に稼ぐとは言っても俺たちの手元に何か高値で売れるものがあるわけでもなければ数で勝負できるほど売り物があるわけでもない、そして新たに売り物を用意するお金もない、ならどうやってお金を稼ぐかだが。
「何か芸をしておひねりをもらうしかないかな?」
芸と言っても俺には何もできないから皆に頼ってしまうことになるのうえにこれだとよっぽどのことがないとそれなりの額は稼げない。さらに言うと急に道端でやったりすると役人にしょっ引かれる恐れもあるんだよな。
「しかしそれでは大した額は稼げませんよ?」
うん、やっぱりそこだよな。
「でもここまで来て何もしないで帰るのも嫌だしな。せめて何か安くてもいいからお土産を買いたいんだ」
故郷の味を知ってもらいたい気持ちもあるから食べ物を持って帰れたらいいが、クーラーボックスと保冷剤みたいなものもなければ、車や電車などの移動手段があるわけでもないから残念ながら食べ物は諦めざるを得ない。
だから何を買って帰るかは現在決まっていないが、だからこそお金は潤沢にあるに越したことはない。
「婿殿」
昌幸が何か決意したような目をして名前を呼んできた。
「私が稼いできます」
「私がって・・・どうやって?」
昌幸がなぜかすぐには答えずに頬を染めて黙り込んでしまった。なんだか変な答えが返ってきそうだな。
「・・・体で」
「却下」
やっぱり変なこと言い始めたな、どうして体で稼ぐなどと言い出したのかはわからないが、態度からして間違いなくエロい方向での体で稼ぐと言う発言だったのは分かるからとりあえず却下しておく。
「ですが・・・私のせいですし」
「は?」
何が昌幸のせいだと言うのであろうか? 全く心当たりがないのだが?
「婿殿にとってあの言葉がどのような意味を持つのかは知りませんが、やはり私のあの言葉が原因であったことは間違いないと思うので」
そんなことを気にしていたのか。
確かに俺が倒れたのはあの言葉が原因だったとは思われるのだが、だからと言って昌幸はおろか俺自身にだってあれで気絶するだなんて想像もできなかった。だからそれで昌幸が責任を感じる必要もないし、俺だって昌幸のせいだなんて思っていない。
「昌幸、あんまり変なことを言うなよ。たとえ本当にあの気絶が昌幸のせいだったとしても、だからって体を売るなんてことしたら許さないぞ」
「私はお屋形様に婿殿をお守りするようにとの命は受けておりますが、婿殿の命令に従うようにとは言われていないのですが」
昌幸がなんだか拗ねているように見える。なんで拗ねているのかわからない、あと俺は晴信の夫だから一応昌幸は俺の命令に従わなければいけない立場なんだけどな~。
「五月蠅い、夫の命令なんだから一応従うのが普通だろ?」
「・・・」
昌幸が目を見開いて固まった、そしてだんだんと顔が赤くなっている。
「貴久、死ね」
「アンビシャス!」
そして向日葵先生が鬼の形相で背中に蹴りを入れてきた。
「ど、どうして死ななきゃならん!」
最近の向日葵先生は気に入らないことがあるとすぐに手が出ているような気がする、今回は足だったが。
「今言った言葉をゆっくりと冷静になって思い返してみろ」
怖いです向日葵先生、その顔のまま言われると怖すぎて冷静になんて無理です!
「まあまあ向日葵殿、どうせ婿殿は気づいておりませんから」
なぜだか昌幸が顔を赤くしたまま残念そうに向日葵をなだめている。
どうしてこうなったのかはわからないが、このままにしておくとあとあと何かありそうで怖いから冷静になったらちゃんと考えておこう。
「後になるならもう考えないように」
なら考えない方が身のためかな、うん。
「さて、私のことはどうでもいいとして」
「どうでもよくない、大切にしろ」
昌幸がまた拗ねているような顔で睨んできている気がする。体を大切にしろと言っているだけなのにどうしてこうなるのだろうか?
「・・・で、結局これからどうするのかですが、このまま甲斐を通って越後まで帰るか、お金を稼いで尾張で何かするのか、そしてお金を稼ぐと言うのならどうやって稼ぐのか、皆さんはどうしたいとお思いですか?」
「私は帰りたい」
「え?」
何と真っ先に意見を言ったのはりょうだった。
「どうしたんだりょう? 遊んでいかないのか?」
てっきりりょうなら尾張で何かしたいと言うと思っていたのだが? あと向日葵は帰る、とらは食べ歩きがしたいとか言い出して、護衛の三人はついていくだけと答える具合だと考えていただけに真っ先にりょうが帰りたいと言い出したのは意外だった。
「だって、兄ちゃん越後を出てからもう二回も倒れてるんだよ。もう嫌だよ、帰ってのんびりしていたい、長屋でお昼寝しようよ」
言葉が出なかった。まさかりょうがそんなことを考えていたとは。
「兄ちゃん、帰ろ」
りょうの目には涙が溜まっていた。
・・・これはいけないな。
「分かった、帰ろう。みんなもそれでいいよな?」
「分かった」
「それが一番でしょうな」
多少言葉は違うが反対意見はないようだ、みんな賛成してくれた。
「じゃあここまで来ておいて悪いが、さっそく明日にでも甲斐を通って越後まで帰ろう」
「うん! 帰ろ、兄ちゃん!」
りょうが笑顔で抱き付いて来た。やっぱりりょうには笑顔でいてほしい。




