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素直に

「ふふふ! あははは!」

 如水様が笑っている。

「あははは! 何ですか、あれだけ言って勝手に思ってるだけって! あはははは!」

 怒ってくれる方がまだわかるのだが・・・笑うと言うのは割と本とかの中ならある展開だが目の前で笑われるとこちらとしてはどうして笑っているのかわからないものだ。

「そんなにおかしいか?」

 どうにも緊張感が霧散してしまったので、俺も苦笑いを浮かべながら、今にも笑いまくって畳の上をゴロゴロと転がりそうになっている孝高に問いかけた。

「おかしいですよ、そんなこと言う人についてくる人なんてふつういませんよ」

「それがおかしいことは分かってはいるんだが・・・」

「そんなこと言ってついてくるのは、私くらいのものですよ」

 ・・・ついてくるんですか?

「え? あれだけ笑っておいてついてくるんですか?」

 今の俺はたいそう間抜けそうな顔、ではなくひきつったような笑みを浮かべているのではないだろうか。

「はい、世の中広いですから、いろんな人がいますから」

「同じことを言っているのはわざとだよな?」

「気づいていただけて良かったです、つい先ほどのことさえあっさりと忘れてしまうお方だったらどうしようかと」

「忘れてたら?」

 俺としては理由はどうあれ、このまま可愛い女の子を連れて帰ると首が胴体と繋がっているか、手や足が鎖なんかで繋がれていないかとか恐ろしいことが起こりそうで怖いので、まともに疑問を返さずに間違えて忘れたふりとか気がつかなかったふりをした方が良かったんじゃないかって気になるんだが。

「それはやりがいを感じますね! その方が自分の力で主を押し上げたって感じがするじゃないですか!」

 小寺孝高はなんだか意外と熱い人のようだ。

「でも連れて行ったりはしない」

 孝高が若干熱くなりながら話し、俺が驚きながら聞いていると当然と言うかなんというか向日葵先生がたいそうお怒りのご様子で口を挟んできた。

「どうしてですか?」

 孝高が小さく笑みをたたえながら向日葵を見た。

「私が嫌だから」

「へ?」

 何とも間抜けな声が廊下に響いた。

「私が嫌だから連れてはいかない」

 聞き返して来たと思ったのか強調のためなのか向日葵がもう一度同じことを言う。

「い、いえいえいえ! そんな、あなたの都合で主の意向を曲げていいはずが・・・!」

「いい、だって私は貴久の奥さ・・・」

「違うからね~」

 この話はすでに孝高の前で一度している、今更言っても孝高には嘘以外のなんにも思えないだろう。

「でもいずれはそうなるから問題ない」

「・・・」

「え! どうしてそこは反論しないんですか⁉」

「私もちょっと驚いた、どうして反対しないの?」

 孝高の言っていることはもっともなんだが、向日葵はそんなこと言わないでほしい。真剣に考えて悩んでいる俺が馬鹿らしくなってくる。

「いつかなるかもしれないっていうのは否定しない、俺個人としてはそうなった方が嬉しいのも事実だ」

「・・・」

「・・・」

 孝高と向日葵が固まった、2人とも石造か何かのように動かない。驚くのは分かるがそんなに驚かれるのもなんだか複雑だ。まあ孝高から見れば向日葵のようなまだ幼い少女を本気で嫁にしようと考えている俺の思考は危険なものととらえられているのかもしれない。この時代ならあり得ない話でもなさそうな感じだと思うのだが・・・。

 あと向日葵のこの反応は複雑なところだ。

 普段の俺たちのこのやり取りのことを考えれば、俺が本気で向日葵のことを嫁にしようかどうか悩んでいるこの状況なら、向日葵は全力で押してくるものだと思っていたからなんだか思ったよりも喜びが少ないと落胆してしまうが、突然こんなことを言い出した俺に戸惑っているということも考えられるので固まっていることも納得できないことはない。

「おーい、起きろー」

 しかしこのままいてもどちらの話も終わらないので2人には起きてもらう。

「は! あ、えっと、あの、向日葵さんは・・・その・・・本気で言っていたのですか⁉」

 どうやら孝高は向日葵が俺をからかって言っているのではないかという方向に考えることで一時的に驚きを和らげることに成功したようだ。

「・・・」

 しかし孝高よりも先に回復していそうな向日葵はいまだに固まったままだ・・・いや。

「向日葵・・・気絶してないか?」

 試しに目の前で手を振ってみたが開いている目の眼球は俺の手を全く追ってはこない。

「気絶してますね」

 なぜに気絶? 俺なんかしたか? ・・・まさか!

「たぶん違いますよ」

 俺の思考を読んだのか、孝高が優しそうな微笑みをたたえながら向日葵を自分の膝の上に寝かせてあげた。

「嬉しかったんじゃないですか? あなたに好かれていると分かって」

 そんなことで気絶なんてするのか? とも思ったが、俺だって黒田如水様に初めてお会いした時にぽっくりと逝ってしまっているからないこともないと思いなおす。

 それにしてもそんなに嬉しかったのだろうか?

 俺は今までにだって向日葵たちのことは好きだ好きだと・・・言ったこと、あったっけ?

 あれ? なんか記憶にない気がする、みんなに向かって「はいはい好きですよ~」くらいなら言ってこともあった気がするが、面と向かって一人に対して真剣に好きだという気持ちを伝えたのは景虎と晴信とくーちゃんだけのような気がしてきた。

「この子、向日葵さんの気持ちには気づいているのですか?」

 孝高が聞いて来た。

「どうだろうな、分かっているつもりではあるんだけど」

「つもり、とは?」

「誰かの胸の内が完全にわかるわけないだろ」

「では、そのわかっているつもりの部分だけでも聞かせていただけませんか? 好意を伝えられて気絶してしまうほどに嬉しいと思う相手が、いったい自分のことをどう思っているのかを」

「なんであなたに言わないといけない」

「言わないといけないなんてことはありません、ただこの子と話しているあなたはとても複雑そうな顔をしていたので」

 複雑そうな顔、か・・・向日葵にも気づかれただろうか? 気づかれていないといいのだが。

「話してみると、案外楽になるものですよ。それに、話しても相手はこの先一生会わないかもしれない相手ですよ、木かなにかに話しかけているとでも思って気楽に話してみては?」

 それ違くね? 木とか草だとか考えれば確かに話せるかもだが、あって間もない人に話すことでもない気がする・・・あ、懺悔みたいなものか。

 黒田如水様はキリシタン大名としても有名だ。

 たとえば如水様は自分の死後、自分の死骸を博多の神父の所へ持ち運ぶこと。息子の長政が領内において神父たちに好意を寄せること。イエズス会に2000タエス、約320石相当を与え、うち1000タエスを長崎の管区長に、1000タエスを博多に教会を建てるための建築資金に充てること。この3つを遺言している。

「じゃあ、誰にも言わないでくれよ」

「はい」

 孝高の優しい声音の誘われるように、俺はゆっくりと話し出した。

「そもそも俺は向日葵のことが好きだ。子どもが、とか、妹みたいなもの、とかではなくて一人の女の子として俺は向日葵のことが好きなんだ」

 孝高はこちらを見たまま何も言わずに座っている。本当に木や草のようにただそこに座っているだけのつもりなのだろう。

「それで向日葵も俺のことを好きだと、妻にしてくれと言ってくれている。それは嬉しいんだ・・・でも・・・」

 一度話し始めたからだろうか、若干のつまりはあるがそれでも言葉は自然と頭に浮かび口から出て音として響いていく。

「向日葵の『好き』は、依存とかでも何でもなく本当に『好き』何だと思う。だけど、それはまだ何も知らないからなんじゃないかと思うと怖いんだ。こうして越後を出て、いろいろなところへ行ってたくさんの人に会って、そしたら向日葵の気持ちが変わるんじゃないかと思えて怖いんだ」

 言いながら自分のことが嫌になってくる。

 要するに俺は向日葵に嫌われるのが怖いんだ。

 景虎は言っていた、相手が自分以外の誰かを好きになるのは自分が悪い、それが嫌ならそうならないほどに自分のことを好きにさせればいい、と。

 まさにその通りだろう、実際にそれ以外にはどうすることもできない。何より嫌われるのが怖くて恋なんてできるわけがない、この覚悟なしに恋をしているようなやつはよっぽどの自信家か馬鹿だ。

 俺は後者だ。

 そしてこの馬鹿にも2種類ある。

 1つ目の馬鹿はそもそも嫌われた時のことなんて考えもしていないやつだ。こいつらはその時になって初めて自分がどういうことをしていたのかを知って、鬱病になったり自殺してしまったりする。

 2つ目の馬鹿は目をそらすやつだ。分かっていながら徹底的に目をそらし続けて現実から逃げる。遊びで恋をしているようなそれでもいい奴はそれでもいいのかもしれないが、果たしてそれは恋だろうか。そして目をそらし続けた挙句、最後の最後に現実に直面した時にやっぱり1つ目の馬鹿と同じようなことになってしまう。まだこちらの方が分かっている分心の傷は小さいかもしれないが、分かっていてやっているのだから救いようがない。

 そして俺はこの2種類の馬鹿で言うところの・・・後者だ。

 まだ実際にそんなことをしたことなどない、景虎たちの時はこれでもなけなしの勇気を振り絞って覚悟を持って祝言に臨んだ、だが今回はどうやら違うようだ。

 別に景虎たちの時と何が違うわけでもない、強いて違うところを挙げるなら見た目と身分くらい・・・ではないのだ。

 前と同じ、同じことをすればいい・・・そう考えてしまう自分がいた。

 人はすぐに慣れる。

 しかしそれではいけないこともたくさんある。

 たとえば今回のこともそうだ。この覚悟をするということになれてしまったら、そのうち覚悟をすることが目的になり、やがてそれはしたと思い込むだけのただの通過点になってしまう。そうなったらそれは女遊びと変わらなくなってしまうのではないだろうか。

 向日葵に嫌われるのが怖い。

 いつの間にか俺は嫌われることに対する覚悟ができなくなっていたようだ。

「貴久」

 自己嫌悪に陥っていたところに、全く予想していなかった声が聞こえてきた。

「ひ・・・・・・ひま・・・わり」

 いつもは可愛らしく見える黒い瞳は今は怒りの黒い炎が揺らめいているように見えた。

 向日葵が黒い瞳で俺を見たまま立ち上がり、俺に向かって歩いてくる。

 黒い瞳が俺を射抜く。

 向日葵は何をするつもりなのだろう。分からないが、少なくとも殴る蹴るくらいのことはいくらされても甘んじて受け入れる。

 俺はひどいことを言った。好きだ好きだと気持ちを伝えてもらい、やっと今日思いが実ったのだと思わせておいて、その気持ちが信じられないときた。

 死にさえしなければ文句は言わない、抵抗もしない。

 嫌われる覚悟はできなかったのにこんな覚悟はできてしまう、そんな自分がつくづく嫌になる。

 そして向日葵が俺の目の前に立った。

 何も言わずに目の前にかがんだ。

 胸ぐらをつかまれる。

 そして・・・。

「・・・」

「・・・」

 やわらかくて暖かいぬくもりを唇に感じた。

 それが何かを理解するのに時間はかからなかった。

 当たり前だ、俺はずっと向日葵のことを見ていたのだから。

 そして今も俺は向日葵のことを見ている。視界いっぱいに広がる向日葵の顔を。

 だから抱きしめた。できるだけ優しく、綿毛でも抱きしめているかのように。

 怒りの黒い炎が揺らめいていると思った瞳から涙がこぼれていた。

 ・・・向日葵は、泣いていた。

 すぐに唇は離れた。

 涙をこぼしながら向日葵が震える声で聞いて来た。

「どうしたら・・・信じてくれるの?」

 向日葵の顔が悲しみにゆがむ。

「私は違う。他の誰が貴久のことを嫌いになっても、私だけは違う。貴久が私を嫌いになることはあっても、私が貴久のことを嫌いになることなんてない」

 嬉しい、そう感じている。そして同時にそんなことがあるわけがないと心の中で思っている。

「100人の女が100人格好いいという人に出会っても、一生遊んで暮らしても使い切れないような巨万の富を持つ人に出会っても、この気持ちは変わらない。たとえ天皇の寵愛を受けても、変わりはしない」

 この時代で天皇に逆らうのはすなわち死を意味している。

 向日葵はそれほどに本気だと言っている。この気持ちは変わらないと言ってくれている。

「・・・好きなんだ」

 だから、俺も気持ちを素直にぶつけた。

「愛しているんだ」

 素直な気持ちを。

「でも怖いんだ。どれだけ言われても、怖くて仕方がないんだ」

「いい」

 向日葵の手が背中に回された。

「今こうして、真剣に考えて、泣いてくれただけで、私は十分だから」

 こんな俺でも、情けない俺でも、向日葵はいいと言ってくれる。

「・・・向日葵」

 だから素直に。

「俺と・・・夫婦になってくれないか」

 向日葵の小さな体が震えているのが分かった。

 抱きしめている手に力を込めた。折れてしまうのではないかと思える細い体を力強く抱きしめた。

 嫌われるのが怖い。でもそれを乗り越えようと、そんな覚悟を胸に、その覚悟が零れ落ちないように、向日葵を力強く胸に抱きしめた。

「大丈夫」

 向日葵の小さな震える声が、耳元で聞こえた。

「覚悟は、貴久が勝手にすればいい。だから、私も勝手に誓う」

 小さな声、震えている声、どうにも頼りなく感じてしまう。

「私は一生貴久のことを愛し続ける。100年たっても、1000年たっても、10000年たっても貴久のことを愛してる。ずっと」

 しかしその声は強く、確かな力を持って俺の中に響いて来た。

「その言葉を信じたいから、だから・・・」

 情けないと分かっていても、せめて素直に。

「ずっと傍に居て、信じさせてくれ」

 俺と向日葵はもう一度、唇を合わせた。

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