変わらない・変わる・芽生える
「知りたい、貴久のことなら、何でも」
向日葵の目は真剣だ。しかしその眼には喜び、期待、不安、いろいろなものが混ざっている、それが俺を何とも不安にさせてしまう。
果たしてこの秘密を話すことが本当に正しいことなのか、話しても大丈夫なのか、わからない。それでも、俺は向日葵を信じて言葉を紡いだ。
「俺はこの時代の人間じゃない」
「・・・」
向日葵は何も答えない、最初から変わらず俺の目を見ているだけだ。
「俺が今回あの子に会いに来たのはただの我儘だ。あの子は先に世でとんでもない大仕事を成し遂げた、俺にとっては本当に神様とでも言いたくなる様な人なんだ。その人にどうか、一目でもいいから会いたい。そんな我儘だ」
「・・・」
「あの子に会いに来た最大の理由はこれだ、納得してくれるかな?」
納得なんてできないだろう、真剣な話をしていたのに相手の口から飛び出して来たのは何とも胡散臭い、およそまともな思考な人からは出てこないであろう言葉だ。
「分かった」
しかし向日葵はにっこりと笑うと、短くそれだけを返して俺の胸に顔をうずめてくる。
「自分で言うのも変だが、こんな理由で納得なんてしてもいいのか」
言いながら少し表情が緩んでしまう。
「笑ってる」
ちらりと可愛らしく見上げてくる向日葵も、笑っていた。
「俺が笑ってるのは・・・こう、胸のつっかえが取れたというか・・・そんな感じだ。向日葵こそ、どうして笑ってるんだ」
向日葵が息がかかるくらいに顔を近づけて、おでこを合わせてくる。
向日葵の目が目の前にある。その眼にはもう悲しみも不安もない、俺に見えるのは喜びと嬉しさだ。
「嬉しいから。人は嬉しかったら笑う」
「何がそんなに嬉しいんだ」
「貴久が大切なことを教えてくれた、嬉しい」
「たったあれだけだぞ」
「もっと知りたい、貴久が話してくれるなら。でも、今はこれで満足。知っているのと知らないのとの差は大きい、でも知っている情報量の差は大きくても小さくても知っているのと知らないのとの差に比べたら問題にならない」
考え方の問題か。
俺からしたら知ってもこの程度の情報じゃあ満足できない、だからもっと根掘り葉掘り聞きにいくと思う。教えてくれなかったら「結局その程度か」とか言って相手の信頼に答えるようなことはなかっただろう。
「俺にはできないな」
正直な気持ちだ、向日葵だからできるのか、俺だからできないのか、どちらなのか当事者である俺には判断できない・・・しかし。
「でも、嬉しいものだ」
相手に信じてもらえる、それだけで嬉しいと感じてしまう俺は単純なのだろうか。
「貴久」
向日葵が甘い声で囁いてくる。
「嫁にして」
「それは駄目」
いつものやりとり。しかし今までよりも、向日葵は嬉しそうに、俺は・・・少し違う気持ちで。
「おやおや、やっとお目覚めですか」
昌幸の全く心配が感じられない言葉に出迎えられて、俺と向日葵はみんなのいる部屋にやって来た。
「よ、心配かけて・・・ないよな?」
「はい、全く心配など・・・」
「「兄ちゃん!/久兄様!」」
りょうと長政が勢いよく飛びついてくる、心配しているならこんな殺人タックルはやめてほしい。
「「心配してたんだよ!/心配してたんですからね!」」
「そうか、悪かったな、心配してくれてありがとう」
「貴久様、気にしなくていいですよ」
しかしとらが冷たい目でたんたんと告げた。
「二人とも寝てましたから」
「・・・」
長政がとたんに気まずそうな顔で目をそらす。
「寝てても心配はできるもん!」
りょうはなんか開き直っている。
「お団子~とか言ってよだれ垂らしてたくせに」
本当かどうかは知らないが、なんだかとらが攻撃的だ。
「うぅ~、段蔵~とらが苛める~」
「よしよし」
そしてりょうはなんだかさらに段蔵と仲良しになっている、見た目はそんなに年が違うようには見えないのになんだか親子みたいだ。
呆れるような和むような、そんな目でりょうと段蔵を見ていると視界の端でとらが小さくなっているのが見えた。
「とらは、心配してくれたのか?」
「・・・さい」
小さく何かを呟きながら、とらが涙をこぼし始めてしまう。
「ごめ・・・!」
「違うよ、とらのせいじゃないんだ」
きっととらも向日葵と同じようなことを考えているんだ、だからよく聞こえなかった言おうとした言葉もわかる。
俺はその言葉を聞きたくないし言わせたくないからとらを優しく抱きしめて口をふさぐ。
「・・・」
言葉は何も聞こえなかった、しかし小さな嗚咽が腕の中の小さな体から聞こえてきしまう。
「ありがとう」
とらが心配してくれたことが嬉しくて、それだけ言ってとらが泣き止むまでしばらく優しく背中をなでていた。
「で、ここは何処なんだ?」
向日葵に俺の秘密を話しとらをあやした後、今更になってだがここがどこなのか知らなかった事に気がついた俺はみんなに聞いてみた。
「ここは小寺孝高殿の屋敷です。貴久殿が倒れたので小寺殿が部屋を貸してくれたのです」
「え・・・じゃあもしかしなくてもこの屋敷のどこかに小寺殿がいるのか?」
「います」
小太郎や、もう少し早く言ってくれ。
「ちょっと探してくる」
すでに発言しながら立ち上がっていた俺はそのまま障子に手をかけた・・・ところで向日葵に袖を掴まれた。
「貴久、機嫌がいいから行かせてあげるけど、私は別に貴久が女と仲良くすることを認めた覚えはない」
ふ、向日葵よ今の俺にはその恐ろしい笑顔は通じないぞ、おれは憧れの如水様に会うためなら景虎の笑顔にだって打ち勝って見せるぜ。
しかしそんな俺の覚悟は何のためにあったのか、向日葵はそのまま俺の腕に抱き付いてくる。
「また倒れた時のためについていくので我慢してあげる」
「それは構わんが離れてくれ」
向日葵とこうしているのは一向に構わないのだが、この状態で如水様に会うのはなんだか嫌なので離れてもらいたい。
「わかった」
本当に機嫌がいいからなのか、向日葵はあっさりと俺から離れてくれた。
そうして俺と向日葵は、拗ねて寝てしまったりょうと、泣き疲れて寝てしまったとらを護衛の3人に預けて如水様を探しに屋敷の中をうろつき始めた。
「向日葵、もしまた俺が倒れそうになったら殴るなり蹴るなりして構わないからとにかく起こしてくれ」
まだ俺は如水様とせめて一言会話を交わすという夢を諦めてはいない、絶対に叶えてみせる。
「ちょっと物騒な起こし方ですね」
そんな俺の決意など何の意味もなかった、夢を叶えるのは思いのほか簡単だった・・・のだが。
「・・・」
またも俺の口、もとい体はこの相手がわざわざ話しかけてくれたという絶好の好機を不意にしたいのか何なのか、必死の思いとは裏腹に動いてはくれない。
「えい」
「げふ!」
向日葵大先生様の気合の全く入っていないように思われるとんでもない破壊力のこもった拳が俺の腹にねじ込まれた。
「ええぇー!」
如水様が驚いている、それでも気が引けたのならそれもまたよし。しかし起こしてほしいとは頼んでいたが立ち上がれないほどの一撃を加えろとは言っていない。向日葵先生には加減を覚えていただきたい。
「だ、大丈夫ですか⁉」
「大丈夫です、いつものことなので」
向日葵にこんなふうに殴られたことはないが、景虎たちに稽古でたんまりと峰打ちをくらっているので特に珍しいことではない。
「い、いつもの・・・」
なんとなく見なくても如水様が引いていそうなのが分かる・・・てあれ?
「俺話せてるじゃん!」
気がつけば俺は普通に如水様と話せていた。これは向日葵大先生様に感謝しなくては。
「あ、ああああの!」
「ひゃい!」
俺が振り返りながら緊張をはらんだ大きな声を出すと、如水様がびっくりして噛みながら返事を返してくれた。
「あ、握手してください!」
そう言いながら俺は告白でもしているかのように勢いよく腰を折って手を如水様に向かって差し出した。
「あ・・・握手? 握手って何ですか?」
「・・・」
あれ? 握手ってこの時代にはまだないっけ?
ここで急速に頭が冷えてきた。
よし、冷静になって考えてみるんだ。まず握手は日ノ本発祥の文化ではない。握手は遠い昔、もちろん戦国のこの世にも存在してはいるがまだ伝わって・・・もしくは一般的にはなっていない、日ノ本で握手が一般的になったのはたしか明治時代に入ってからだっただろうか。
まあつまるところ何が言いたいのかというと・・・つまらない失敗をしました。
「えっと、とりあえずこうでしょうか?」
・・・手に何やらやわらかくて温かな感触が・・・。
「とー」
「グベボラ!」
またも意識が飛びかけてところで向日葵先生の蹴りが先ほどの拳と同じところを襲ってくる。おかげで目は覚めたが同じところを狙うのは危険なので止めてほしい。
「すみません見苦しいところをお見せしました、とりえず気にしないでください」
なんとなく握っている如水様の手が強張っているような気がしたのでまた何か言われる前にもう先に言っておく。
「はい、世の中広いですから、いろんな人がいますから」
これはひかれているのか? もしかしなくても気持ち悪い人だとか思われていないか?
「貴久はあんたに会えたのが嬉しすぎて舞い上がってしまっているだけ。普段はどちらかというと怠け者で動かない」
「いや、怠け者というわけではないぞ」
ないよな? 普段特に何もしていないのは何も仕事がないからで・・・あれ、これって何もできないから仕事がないのかな? これはただのひも生活?
「でも実際何もしなくても世の民草が見たら、特に何をするでもなく天下をその手に収めんとしている誰もが羨む存在ですよ」
「・・・」
ここに来て俺は気がついた、向日葵がさっき俺のことを貴久と呼んだ。目の前の如水様は俺のことを知っているような口ぶりだ。
「大丈夫ですよ、あなたが気絶した時に皆さんがあなた様の名前を呼んでいたので名前は知っていました。そして今の反応であなたが本物の加藤貴久であることもわかりました」
さすが如水様! ではなくこれは俺が間抜けなだけだな。
「それに、別にあなたのことを知ったからと言ってどうこうするつもりはありません。これで越後と甲斐を奪ったとしても今の私、ひいては小寺家でもこの乱世の時代を乗り越えることはできないでしょう」
「そんなことはないあなたなら・・・!」
俺は体を起こして勢いよく言葉を発したが、小さな声がそれを遮る。
「加藤殿がなぜ私のことをそれほどまでに評価してくださっているのかはわかりませんが、今の私では無理です」
小寺孝隆、この名前ならすでに文学に耽溺していると思われるが・・・確かこれは1559年に母親が亡くなったことが原因だったような? それと本の中だと名前は小寺孝高を使っていたような、俺はてっきり孝隆だと思っていたが、もしかしてさらにもう一つ改名して孝高だったりするのだろうか?
て、名前のことは今はどうでもいいのですよ、俺が考えたいのは今の如水様が果たして本当に天下を統べることができないかできるかだ。
現実的に考えて見た目幼そうなこの少女がこの乱世を治めるというのもうまく想像できないが、能力に関してはどうだろうか?
よくわからんが名前が小寺孝隆もしくは孝高ならすでにそれなりの頭脳の持ち主になっていると思われる、個人的にはこのまま越後に連れて帰ってご教授願いたいとも思っているくらいだ。
果たしてこの少女はどうなのだろうか、俺のはそうであってほしいと願うだけで力があるかどうかは・・・。
「しかし、誰かに治めさせる自信ならあります」
小鳥の囀りのようなよく通る澄んだ美しい声が、俺の耳に滑り込んできた。
「・・・」
優しく可憐な笑顔をたたえるその少女は言った、天下はとれると。
俺が聞いた問の答えではない、だからというかなんというか、準備なんてしていなかった、とでもいおうか。
とにかく俺は言葉が出なかった。
俺が沈黙している間も変わらずに笑顔をたたえる少女の顔が、初めて恐ろしく見えた。
「どうしますか、天下が欲しいと仰るなら、私がとらせて差し上げますが?」
握ったままの少女の手に力が込められた。
「そんなものは」
「いらない」
先に声を上げたのは向日葵だ、その後に続いたのが俺だ。
「俺は天下なんていらない、みんなとありふれた日常が過ごせればそれでいい」
「しかしそれもこの乱世では叶わぬ夢でしょう。私なら、天下統一を成し遂げ、その夢を叶えて差し上げられますよ」
「そうかもしれない・・・いや、きっとそうなんだろう。でも俺は嫌だ、困難だと、不可能だと言われても、戦なんてしたくない」
「なら家臣だけを戦地に送り出して、あなたは何もせずに城に残ればいい。そうすればあなたは手を汚さずに済む」
「それは違う、俺が殺すように命じたのならそれは俺が殺したのと同じだ。あと、俺はそんな命令ができる人間じゃない、それは景虎の仕事だ」
「それは逃げですか?」
「そうだろうな、でもどちらにしても俺は戦いたくないんだ」
「劉備玄徳でも戦は嫌だ嫌だと言いながらも戦を続け、復讐のための戦も起こしました、この乱世に生きていいて力を持っている以上戦をせずにはいられないでしょう。それにあなたがどう考えていようと、もうすぐ起こるであろう長尾と織田の戦は避けられないでしょう」
俺が今最も危惧している事態、長尾と織田の戦。起こってしまえばあの関ヶ原の戦いよりも大規模な戦になることが予想される、まさに天下分け目、史上最悪の戦になることが予想できる。
「なら、その時君はどうする。日ノ本全土を巻き込むであろう大戦、赤壁のような大戦が起こった時、君はどうしているんだい」
「どうしているでしょうね。自分の真の主と見定めた誰かに忠義を尽くしているのではないでしょうか?」
「それが俺たちの敵ではないことを願っているよ」
「・・・本当に私のことを評価しているのですね」
さっきまでの態度から一変して急にしおらしくなってしまう如水様。
「敵ではないことを願っている。私自身、自らの才を天下に示してみたいと思っていますしその力があると思ってはいます。しかし私はまだ一度も戦場に立ったことはありません・・・あなたはどうして私のことをそれほどまでにできると信じてくれているのですか?」
どうして、か。
みんな明確な理由を欲しがる。それはそうだろう、誰だってなんとなく、なんて理由だけで相手のことを信じるのは難しい、ましてそれが命に関わってくるのだったらそれこそなんとなくなんて理由では信じることなんてできない。
「俺が勝手に思っているだけ、ではいけないかな?」
でも俺の今答えられる答えはこれだ。
明確な理由を答えてあげることはできない、強いて理系よろしく根拠を持たせるのなら『俺の知っている史実ではすごかったから』だろう。感情で言うなら『そうであってほしいから』だ。どちらも自分以外の他者の理解を得る根拠にしてはあまりにも脆弱だ。
「・・・ふふ」
しかしなぜだか如水様はこの時、笑てくれた。




