顧
播州、播磨国、後の兵庫県のあたりだ。
このころの播磨国の守護は赤松氏だ。嘉吉の乱で一度は没落した赤松氏だが、その後、後を継いだ山名氏が応仁の乱で没落すると、細川勝元に味方した赤松政則がその功績により播磨、備前、美作3ヶ国の守護に返り咲き赤松家再興を果たした。
しかし赤松政則の死後、養子の義村が跡を継いだが、家臣の浦上氏や別所氏が主家である赤松氏をしのぐ勢いをみせ赤松氏の勢力は衰退してしまう。播磨の地は赤松氏、小寺氏、明石氏、櫛橋氏、別所氏などの勢力が乱立してそれぞれ独自の動きをとるようになった。
そして下克上により凋落した赤松家を支えていたのが小寺氏だ。
そして今、この小寺家には俺が戦国の世で最も賢い人だと尊敬している黒田如水様がいる。このころの名前は確かまだ幼名の万吉だっただろうか? それとももう小寺官兵衛だっただろうか? 書物では1562年、永禄5年には既に小寺官兵衛と名乗っていたとのことだが、正確にいつから名乗っていたかなど、日記などが現存しているわけでもないのでわからない。できれば小寺官兵衛と名乗ってもらえるとうれしい、もちろん最高なのは黒田如水の方だが。
「ここにあの人が・・・」
なんだか感動してきた、まだ何をしたわけでもない、ただ播州に来ただけだ。しかし淡い期待だとわかっていてもわずかでもあの黒田如水様に会えるのだと思うと嬉しくてたまらない、わくわくがおさまらない、今すぐにでも国中を駆け回って如水様を探したい衝動に駆られてしまう。
この頃黒田氏がいるのは播州の御着城だったはずだ。如水様がいるかどうかは分からないが、すくなくとも小寺家はここにいるからどこにいるのかの情報くらいは手に入るはずだ、というか手に入ってほしい。
「じゃあ俺はさっそく人探しを・・・」
しようとしたのだが後ろからえらい殺気を感じた。
とうとう俺も殺気とかの気配を感じられるようになったんだなーとか感慨に浸ることもなく、俺はぎこちない動きで後ろを振り向いた。
「貴久」
向日葵先生が笑顔です。
最近ますます景虎に似てきたような気がする。そのうち養子にでもなるのではなかろうか、そうしたら向日葵が史実で言うところの上杉景勝になるのか。
「『あの人』って、誰?」
「まて! 話せばわかる!」
何処か何時かの首相と同じことを言う。
「聞くだけ聞いてはあげる。とにかくまずは正座」
「いや本当に話せば・・・」
「正座」
俺の必死の訴えもむなしく、道端でのお説教が始まった。
「で、まずはあの人って誰?」
「あの人って言うのはだな・・・」
そこで俺は考えてしまった。
黒田如水の今の名前は何だ?
幼名は万吉、後に小寺の姓を与えられて名乗った名前は小寺官兵衛、果たして今の名前はどちらだ。
万吉と答えれば間違いと言うことはないが、これで小寺官兵衛だった場合、どうして名前もろくに把握していないような人にわざわざ会いに来たのか、と言う疑問が残る。かと言って小寺官兵衛だと答えてまだ名乗っていなかった場合、この場でも疑問が残る上に後々どうして万吉が小寺の姓を与えられるのだと分かっていたのか、どうして改名後の名前が分かっていたのか、という二つの疑問が残る。昌幸なんかは絶対に忘れずに何か言ってくる、もしくはいろいろと調べるに違いない。もちろん調べたところで何もわかりはしないのだが、それはそれでなぜ何もわからないのかと言う疑問が残るから怖い。
と、俺は考えてしまい向日葵大先生の質問に答えるのが遅れてしまった。
「答えられないような人なの?」
向日葵大先生の笑顔が嫌な方向に輝きを増した。
「待て、違うんだ!」
「3つ数えてあげる、その間に答えられなかったら・・・ね?」
ね? って何だ!
「1つ」
ここは腹をくくれ、難しいことは考えるな、万吉と答えればたとえ間違っていても俺が馬鹿だったですむ話なのだ!
「2つ」
「ま・・・!」
「そんなところで何をしているのですか?」
万吉、と答えようとした俺の言葉を遮ったのは小鳥の囀りのようなよく通る澄んだ美しい声。
声のする方を見る、そこには美少女がいた。
セミロングと言うのだろうか、肩の下あたりまで伸びたしっとりとした髪。何もかもを見通してしまうのではないかと思わせる大きくて丸い瞳。控えめな胸、細い手足、抱けば折れてしまいそうな腰、低い身長も相まってとても華奢に見える。
「誰だか知らないけど、恋人同士の営みに首を突っ込むのは野暮」
「恋・・・! い、営み⁉」
少女が急に顔を真っ赤にして慌て始めた。
「あ、その! ごめんなさい! いやでも、こ、ここここんな天下の往来でそのようなことは・・・ちょっと・・・」
「分かったならさっさと・・・」
「すまない、こいつが言っている事は気にしないでくれ」
変な勘違いをしている少女をそのまま立ち去らせようとしている向日葵の言葉にかぶせながら同時に向日葵と少女の間に入った。
「最初に行っておくが俺とこの子は恋人でも何でもない」
「貴久、勝手に立たないで、まだお説教は終わってない」
向日葵がぶすっとした顔をしているが、今はちょっと無視させてもらう。
「こんなふうに本人が言っている通りさっきのは恋人同士の営みでも何でもないから」
「そ、そうなんですか」
少女が明らかにほっとする。顔の赤みもみるみる引いていく。
「では、こんなところでお説教とはいったい何をしたのですか?」
「それは・・・ちょっと人を探しているんだが、その人の名前がね・・・」
何というか悩んだ末に濁した。はっきり言ってこの子には悪いが説明する必要もないからこれでさっさと引き上げてほしい。
「人探しですか? ならお役に立てるかもしれません、お名前が分からないようなら特徴だけ教えていただくだけでももしかしたら見つけられるかもしれませんよ」
と、引き上げるどころか積極的にかかわってきたのでちょっと困ってしまった。
なんて返そうか。名前が万吉と小寺官兵衛のどっちだかわからないとは言えまい。かと言ってここでのうまい言い訳が思いつかない。
またも困って言葉に窮していると、今度は意外にもりょうから言葉が発せられた。
「兄ちゃんが会いに来たのって万吉って人じゃないの?」
俺は驚いてりょうのことを見た。確かに旅の途中で播州の賢人だとかなんだとか抜かしてりょうに話していたような気がしないでもない。
「万吉・・・ですか?」
悪気はないのだろう、しかしりょうの発した言葉にはとんでもない爆弾が積載されている。「会いに来た」だ。相手が万吉と言うのが黒田氏の一族だと知っていた場合、この播州でそれなりの力を持っている人物に会うだけの力を持っていることを表している。さらによく考えるとまだ元服してもいない跡取りに会いに行くのが医者でも芸人でも何でもなく見た目ただの旅人であることも不思議な点だと言える。
俺は若干の緊張を帯びながら視線をりょうから少女に戻した。
しかし俺の緊張など何の役には立たず、次に瞬間には俺を行動不能にするのに十分な衝撃を与える言葉が少女から発せられた。
「万吉とは私の幼名ですが? 今は祐隆からさらに孝高と改名していますが」
「・・・」
万吉が幼名、祐隆から孝隆に改名。
「貴久、こんな子にわざわざ会いに来たの?」
向日葵が怪訝そうな顔で聞いてくる。
「兄ちゃん、どうしたの?」
りょうが俺の服をくいくいと引っ張ってくる。
「・・・」
しかし俺は返事をしなかった、いや、できなかった。
目の前に黒田如水がいる。
起きている事象はそれだけだ、他に何も起こってはいない。
言葉もない。今の俺の感情は、残念ながら俺ごときの乏しい語彙力ではとても表現できない。強いて言うなら感動しているのだろう。
この俺が、等ど言うと傲慢だが、それでも普段物事に一番二番と順番をつけない俺が、胸を張って一番だと断言している最高の軍師だ。
「あの、本当にどうしたんですか? 大丈夫ですか?」
黒田如水様が俺に話しかけている! いかん、嬉しすぎて言葉がでない。でも何か、何か言葉を返さなくては! もう二度とないかもしれない如水様と話す機会、せめて一言だけでも!
「・・・!」
しかしどれだけ話そうとしても、話したいと願っても俺の口は動かなかった。
「貴久!」
そして向日葵の驚いたような声を最後に、俺の意識は途絶えた。
「ひっ・・・っう・・・」
誰かが泣いている。
「・・・っ・・・たか、ひさぁ・・・」
誰かが俺の名前を呼んでいる。
「おき・・・ひっく・・・起きて・・・」
起きて? 俺は寝ているのか?
手に力をいれてみた、柔らかい何かをつかんだ。それに反応してつかんだ何かが力を込めて返してくる。
「貴久?」
やっと頭が働いてきた、おかげで声の主もはっきりわかった。
「向日葵?」
うわごとのようにつぶやく。もしかして今手にある柔らかな感触は向日葵の手だろうか。
「貴久!」
向日葵の突然の大きなおさ声にびっくりして目を開ける。
目の前にいる向日葵は泣いていた。どのくらいの間泣いていたのだろう、その目は赤く充血しまわりもひどく腫れている。
「どうしたんだ向日葵?」
「貴久~!」
向日葵が俺に抱きついて涙を流す。
どうして向日葵は泣いているんだ? 俺のことを掴むその力はとても強く掴んでいて白くなってきている。
どうして向日葵が泣いているのかはわからない、とりあえず向日葵が俺の左側から抱きついてきているから左手は使えないが、自由な右手で向日葵の頭を優しく胸に抱く。
「うぅ・・・ぐす」
「どうしたんだ、向日葵。話してくれ」
泣き止むのを待ってあげたいところだが、泣いている理由が下手したら死を目の前にして泣いているみたいな可能性が否定できないので少し急がせてもらう。
死ぬ可能性を考えたのは今俺がなぜだかは分からないが布団に寝かされていることと、寝ていた部屋が随分と立派な部屋だったからだ。
なにも春日山城なんか見たいに立派と言うわけではないが、そんじょそこらの農民では絶対にありえないような立派さだ。天井や柱に染みなどなく、障子や襖に敗れた個所もない、床に敷かれた畳からはいい匂いがするしささくれだった箇所もない。
裕福な商人の家ということも考えられるが、俺個人の見解として商人は利が最優先の生き物だと思っているから、俺がこんなにも力のありそうな有力な商人の家に運び込まれた、もしくは捕らえられたとしたらそれは俺の素性を知っての行動だと予想できる、そうしたらもう後は景虎か晴信に迷惑をかける以外助かる道はないと思う。
「貴久が・・・急に、倒れて・・・」
まだ泣き止んではいないが、それでも向日葵はしっかりとした言葉で話し始めた。
「本当に、ぱたって倒れて・・・呼んでも揺すっても起きてくれないし・・・息してなかったら、本当に死んじゃってるんじゃないかってくらい、全然動かなくって」
向日葵の説明を聞きながら倒れる前のことを思い出していく。確か倒れる直前、俺は誰かに会った、確か名前は・・・!
「如水様は!」
倒れる前のことを思い出した瞬間に俺は向日葵さえも跳ね飛ばして勢い良く起き上がった。
しかし部屋にその如水様はいない、いるのは俺と向日葵だけだった。
「貴久」
「ああ、ごめん」
衝動的に体が動いてしまった。向日葵に悪いことをしたが、相手が向日葵で良かった、これがりょうかとらだったら怪我でもしていたかもしれない。
「ご・・・ごめん、なさい」
「え?」
倒れている向日葵に振り返りながら手を伸ばす、しかし向日葵は手を握るどころか、先ほどとまりかけていた涙をまた盛大に流し始めた。
「ごめん・・・なさい」
そのまま向日葵は土下座をしてくる。
俺は困った。俺が倒れた理由にはおおよそ見当がついたが、いまだに向日葵が泣いている理由と謝っている理由がわからない。
「向日葵」
向日葵の肩をつかんで優しく体を起こす。
向日葵は全く抵抗しなかった。
普段の向日葵からはとても想像できない泣き顔。本当に嬉しいときに見せる花も恥じらう笑顔、怒ったときに見せる恐ろしい笑顔、俺が馬鹿をやらかした時なんかに見せるため息をつきながらの呆れ顔。たくさん向日葵を見てきた、しかし今目の前にいる向日葵は泣いている。泣いている向日葵なんて見たのは初めて会ったあの日以来だ。
そんな向日葵を見ているのがとても辛くて、俺は向日葵を優しく抱き締めた。
「どうして、泣いているんだ?」
人は心臓の鼓動の音を聴くと安心するという。本当か嘘かは知らないが、実際スポーツ選手なんかが試合前とかサッカーのPKやバスケのフリースローなんかの前に胸に手を当てて深呼吸なんかをするのは手で心臓の鼓動を感じるためだとか。胸を叩くのも胸に手をおく時間が短くなったからだとかなんとか言っていた気がする。
とにかく、これで向日葵が少しでも落ち着いてくれるなら本当でも嘘でも文句はない。
「貴久が、倒れたのは・・・私のせい・・・だから」
向日葵のせい? どうしてそうなる?
「私が・・・急かしたから」
「急かした?」
なんとことだろうか、さっきから向日葵の言っていることがよくわからない。
「近江でも、京でも、堺でも・・・私は、いつも早く発つように貴久を急かした」
なるほど、つまり向日葵は俺が倒れたのは旅を急いだ疲れからきていると考えているのか。
「そんなことないだろ、京の時なんてどっちでもいいって言ってたじゃないか」
「でも貴久はそのと時意外そうにした、心の内では私が早く発ちたいと思っているって考えてた」
幸せいっぱいで何も考えていないように見えてもそんなことはなかったのか、向日葵は本当にいつでも俺のことを見てるな。
そしてそれは正しいのでちょっとこの事で向日葵を慰めるのは難しそうだ。
しかし、ならどうやって向日葵を慰めるかだが・・・正直に話すか。
「向日葵、そもそもだが向日葵は勘違いをしている」
「勘違い?」
泣いていた向日葵がおずおずと俺を見上げてくる。なんとか涙はとまってはいるが、いまだにその瞳は不安に揺れている。
「そう勘違いだ。俺が倒れたのは旅の疲れが原因じゃない」
「なら、なに?」
「嬉しかったからだ」
「嬉しい?」
向日葵はまだ不安そうな顔をしている、俺が嘘をついていると思っているのだろうか。
「ああそうだ。俺は倒れる直前に会ったあの子に会いたくて会いたくてわざわざここまで来たんだ。女の子だったのは正直に言うと残念だったけどね」
「残念?」
ここにきて向日葵が心底驚いた顔をする。
「女に会いに来たんじゃないの?」
よっぽど信じられないんだろうな。向日葵の中じゃ俺は女の子大好きな垂らし野郎だろうからな。
「ああ、俺としては男だった方が嬉しかった」
今度は驚きを残したままだんだんと不信の色が混ざってきた。
「貴久、私のためを思って嘘をついてるの?」
「向日葵なら、嘘かどうかくらいわかるんじゃないのか? ちなみに景虎はわかったぞ」
どうやら完全に涙は止まったようなので、雰囲気を軽くするために軽く怒らせてみる。
「・・・どうして」
「ん?」
向日葵が少し俯いて小さな声で何かを呟いた。あまりに小さくてほとんど音になっていなかったので聞き返した。
「どうして、あの子に会いに来たの?」
俺の目をまっすぐに見据えて聞いてくる。
自分で言っておいてなんだが、今の向日葵なら本当にどんなに上手くそれらしい嘘をついても絶対に見破るだろうと感じてしまう。さっきの向日葵からは想像もできないほどにその眼はまっすぐに俺の目を見ている、そしてその眼は、俺の目を通して俺の心の内側をのぞき込んでいるような気がした。
「どうして名前も、男か女かも分からないようのやつに会いに来たの?」
その眼にすでに悲しみも、不安も、驚きもない。あるのは真実が知りたい、そう訴えかける強い思いだけだった。
向日葵、越後の春日山で見つけたぼろぼろだった女の子。
可愛くなんてなかった、見た目はすでに死人。見つけたときは悲しみが、見つけられたときには恐怖が湧いて来た。
数合わせのため、自分で言ったから仕方がなく、そんな理由で町に出て、たまたま見つけた女の子。
礼法を習った。まだ可愛くはない、まだまだ痩せていてどちらかといえば拾ってきた子犬の面倒を見るような感覚が強かった。
あの長屋で一緒に寝て、起きて、ご飯を食べて、そんな毎日の当り前を一緒に過ごしてきた・・・。
そして今回の旅も一緒について来た、身分を隠していくのだから道中には危険が多くなる可能性がある、しかし向日葵はついて来た、道中では自分のことを護衛だと言っていた。
ずっと好きだと言ってくれていた。事あるごとに奥さんにしろと言ってきた。
『まずはもう少し健康的に見えるようになったら』、今の向日葵は健康的だろうか?
『元通りの可愛らしい姿になったらもう一回告白する』、今の向日葵は可愛いだろうか?
向日葵が俺のことを本当に好きで、俺が向日葵のことを奥さんにしたいって本気で考えるようなことがあったらその時・・・。
「向日葵」
向日葵はさっきから微動だにしない。ただ俺のことを見ている、俺のことだけを見ている。
まだわからない、俺には分からない。
だから、この話はまだ早い。
だけど、向日葵になら話してもいい気がした。
「今から言うことを、絶対に誰にも言わないと、約束できるかい?」
俺の秘密。大っぴらにしても信じる人は少ないかもしれないけど、それでもあまり話していいことではない俺の秘密。
どうして黒田如水に会いに来たのかを話すにはこの秘密を言わないと今の段階では説明できない。
嘘をつけば言わなくても済むが、俺はなんとなく向日葵に嘘をつきたくないと、そう思ってしまった。
「貴久が言うなら、絶対に言わない」
この言葉が、この言葉を言っているうちは、まだ・・・。
「なら少しだけ話そう、俺の細かいいろいろを」




