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播州へ 陸ー足利義輝・三好長慶ー

 足利義輝、室町幕府の現将軍だ。

 その将軍様が今目の前にいる。しかもここは将軍と敵対していると思われる三好家の屋敷で、将軍の隣には三好家の現当主である三好長慶が立っている。

「どうしても言いたくはないか?」

 将軍が返答を催促してくる。

 どうすればいい、将軍が聞いているのだから俺の身分を考えれば答えないわけにはいかない。しかしこんなところに越後、甲斐、相模の3国に影響を与えることができる人物がいると喋ってしまうのもまずい。

 この頃の将軍は各地の戦の調停を頻繁に行っていたが、あれは幕府の力を復権させるためだ。将軍としてはできるだけ多くの大名と繋がりを造り、できることなら威厳を示しつつ恩を売りたいはずだ。

 そして今、目の前にはまだ将軍が戦の調停をしていない、つまり恩を売っていない、有力大名2人に影響を与えられる人物がいる。

 これを利用しない手はないだろう。

 酷いことをされるかはわからないが、例えば俺たちが播州へ行くことを言ったりしてその間の関所の通行手形を用意されるだけでも俺たちに恩を売ったことになる、これは帰りの手形を用意してもらっても同じことになる。

 恩を売られるとどうなるのか、簡単に言えばお願いを聞かなければならない。

 何もなければ適当な理由をつけて断るともできるが、恩を売られるとそうもいかない。

 力が弱いとは言っても将軍だ、なになにしてあげたんだからこれこれして、と言われて断ったら敵国に国賊なり何なりと攻める理由を与えることになる。

 仮に長尾が国賊になったとして、さらに武田と北条が味方になってくれたとしよう。

 これに対抗しようとしたらどのような戦になるのか考えてみよう。

 まず現状今川の軍は武田が取り込んだとしておこう、あと味方はどこがなってくれるのかだが、関東の諸勢力はおおよそ味方にってくれる・・・というかなってほしいのだが、正直他に味方になってくれそうな勢力はいない。

 わずかに期待するなら四国や九州などの中央とのつながりの薄い天下取りの野望がある勢力が幕府の転覆を狙って参加してくれるかどうかというところだろう。

 逆に敵ならいっぱいだ。

 まず、恐らく浅井は敵になるはずだ。六角氏が将軍家に割と友好的だから、六角に逆らえるほどの力がない浅井は敵か百歩譲って敵だけど攻撃はしない、くらいのことになるだろう。

 そして織田と松平は敵としておこう、そして先ほどの理由から六角も敵、そして浅井と親しい朝倉も恐らく敵となるだろう。安房の里見なんかは表立った行動は地理的な関係からしばらくはないだろうが、ひとたびこちらが不利になれば相模まで一息に攻めのぼれる位置にいるから厄介だ。能登の畠山なんかも恐らくは将軍側だろう。

 しかし幸いと言えば幸いなことに中国地方の毛利は尼子と事を構えていてしばらくは参加できないだろう。尼子も同じ理由でない。

 九州の大友なんかはこちらの戦に参加するとしたら毛利の領内を通らないといけないからどちら側だとしても参加はないだろう。島津は太平洋側を通れば来られるかもしれないが、そんなことをしていたら九州に残っている勢力に攻めて下さいと言っているようなものだ。これは実際に俺が大好きな黒田如水様が使った手だ。

 越後よりも北の勢力と四国については小さな勢力が多くて具体的に何処がどうだとは言いにくいから考えないでおく。

 それでも越後・甲斐・相模の3国にその他の関東の諸勢力の連合軍の兵力は、越後が2万、甲斐4万、相模3万、その他1~3万、総勢約9~12万程度。そして対する敵は尾張・三河・駿河で4~6万、六角から2~3万、里見が2万に北畠が3万、総勢約11~14万。

 三国志なんかになれている人だと「10万対10万程度か」とか思う人がいるかもしれないが、あの有名な関ヶ原の戦いだって西軍約8~9万、東軍約7~8万だ。

 あの関ヶ原の戦いより少なく見積もっても5万近く多いのだ、どれほどの激戦になるのか、多少は想像もできる。

「そうか、答えたくはないか」

 うっかり深刻な事態を想像して思考の海に浸かっていると、将軍様が寂しそうな声を出した。

「将軍の威厳も落ちたものだな」

 そうつぶやく将軍には、自らが将軍であると名乗った時の堂々とした感じはもうない。今の将軍は町の中に立っていたらちょっと美しい町娘と言われてもしっくりくるくらいだ。

「あの・・・そんなに落ち込まなくても」

 目の前の意気消沈している将軍を見ていられなくて声をかけてしまう。

「ふ、なに、気にするでない、しょせんこの程度のことも出来ぬのはすべて我の不徳のいたすところ・・・」

 うわ~、この将軍すごく消極的だ。本当に最初の威厳は何処へ行ったんだ?

「輝ちゃんいじめちゃだめだよ、輝ちゃんすっごく落ち込みやすいから」

 長慶さんが冷静に将軍のあまり知られたくはないであろう性格を告げてくる。

「ふん、長慶のくせに。おぬしの方がよほど落ち込みやすいではないか。我のはただ感情の起伏が激しいだけだ」

 それはそれで十分に面倒くさいからご遠慮願いたい。あと感情の起伏が激しいなら落ち込みやすいのは正しいと言える。

「そ、そんなことないよ・・・ね?」

 長慶さんがこちらに向かって笑顔を向けてくる。

「ね? と言われましても・・・今日会ったばかりですし・・・あーでもこの将軍様を見た後だと、一緒にいるところを見ると・・・」

 類は友を呼ぶと言う、なんとなく同じような人だと思う。

「・・・輝ちゃんのせいで・・・」

 さっきの笑顔は何処へやら、将軍と同じように寂しそうに顔を俯かせた。やっぱり似た者同士のようだ。

「それでは、私たちはこれでおいとまさせていただきます」

 2人が話さないのを見計らってすかさず昌幸が帰ろうとする。

「まて!」

 しかしさっきまで落ち込んでいた将軍様が大きな声で出ていこうとした俺たちを呼び止める。

「我はおぬしたちに名乗れと言ったのだ! 名乗れと言ったら名乗れ!」

 しかも駄々っ子のように駄々をこね始めた。やっぱりこの人は面倒な人のようだ。

「いえね、なんだかあなたが本当の将軍かどうかさえか怪しくなってきたので言いたくなくなりました」

 本当は将軍だと思っているが逃げるためにちょっと嘘を混ぜる。実際少し怪しいと思っていることも事実だし。

「・・・ど」

「ん?」

 将軍が小刻みに体を震わせながら何か小さく言葉を発したが小さすぎて聞き取れなかった。

「どうしたらなにもいわずに我が将軍であると信じるのだ!」

 若干こちらを睨みながら叫ぶ将軍の目にはうっすらと涙が溜まっていた。

「え、そんなこと言われても・・・」

 そんなこと言われてもどうしたら将軍のように見えるか何てわかるわけがない。上等な着物を着て二条館で上座に鎮座でもしていたらそれらしく見えるのだろうか?

「やはり我は・・・」

 もうやだこの将軍。

 勝手なことだが俺の理想の将軍様を返してほしい。まさかこんなにも面倒くさい人だったとは、これなら一生会わずにいて頭の中で理想の将軍様のままでいてほしかった。

 でもこんなにも沈んでいる将軍様を見ていたくもなかったので何とかして元気付けてあげたい。

「あの~将軍様」

「ぐす・・・なんじゃ?」

 あ、この仕草は可愛い。

 目の端にうっすらと涙を溜めてしょぼーんとした感じ、これは可愛い。

「将軍だったら二条館でおとなしくしてろ。外に出てくるな。どうせ何もできない」

 何とここで向日葵大先生が将軍様を容赦なく罵る。

 確かに本物の将軍かどうかまだ確認なんてできていないが、これでもし本物の将軍様だったら俺たちの死は確定だ。

「そうか・・・すまぬな、時間をとらせて。もう帰っても構わぬぞ」

 それだけ言い残すと、なぜだかは知らないが、特に衝撃を受けた様子も怒っているような感じも見せずに将軍は長慶さんをつれて2人で屋敷の中へと入っていった。

 残された俺たちは・・・。

「行くか」

 みんなはなにも言わずに俺に続いて屋敷を出た。


 三好家の屋敷を出てしばらく歩いて閑静な場所に出たところで、本来の目的であった茶屋へ入る。

 俺たちは屋内におかれていた腰掛け2つに別れて座っている。俺の両隣にりょうと向日葵、りょうの隣にはとらが座っている。向かいの腰掛けには俺から見て左から順に昌幸、段蔵、小太郎、長政の順に座っている。

「おかわり!」

 先程の将軍との初対面はつたいめんのことなどりょうには関係ない。

 花より団子、りょうはそれでいいのだ。

 俺も過ぎたことを考えるのも嫌なので、将軍に失礼を働いたことは都合よく忘れることにしよう。

「さて、このまま京にいるのはちょっと危険だと思うんだけど・・・みんなはどう思う?」

 将軍のことを考えるのはやめたが、これからどうするのかは考えておかないといけない。

 将軍の要求を断り、罵ったのだから、実際に将軍が心の中でどう思っているのかは知らないが、万が一にでも怒った時に備えて早めに京を出たほうがよいのではないかと考えている。

「私はもう少し京を見ておきたい気持ちはありますね。もちろん早く離れたほうが安全だという婿殿の考えには同意していますし、それが正しいとは思っていますが」

 昌幸は京を出ることに賛成しているようだ。

「私は団子を食べている今の時間すらも惜しんですぐに京を離れるべきではないかと」

 小太郎は今すぐ離れたいと。

「私はどっちでもいい」

 と、まさかのどっちでもいいと答えたのは向日葵先生だ。

 てっきり向日葵なら将軍と会ってしまった以上は今すぐに京を離れるべきだと主張するものだとばかり思っていたのだが・・・そういえば三好の屋敷を出た時から終始機嫌がいい気がする。この茶屋に入るときも、若い町娘がいるのに何も反対しなかったし。

「どうしたんだ向日葵? なにかいいことでもあったのか?」

 あんまりにも機嫌が良さそうだったので直接聞いてみる。

「貴久が女に会ってもでれでれしてなかった」

「は?」

 それは将軍に会ったときだろうか? まあ確かにでれでれとはしていなかったが、あれは将軍の性格がなんだか面倒くさかったことが大きい。あれで将軍の性格が景虎みたいな性格だったら、それでなくても普通の女の子だったらたぶんこうはならなかったと思う。

「貴久がちょっと成長した」

 言いながら俺にもたれ掛かってくる向日葵、その表情はまさに幸せいっぱいと言わんばかりの笑顔だ。

「成長したって、何が?」

「貴久は今、もう一度将軍に会いたいと思う?」

「会いたくないとは言わないが・・・進んで会いに行きたくはないな」

「それが成長」

 わかりません、何がどう成長したのかわかりません。

 可愛い女性に会いに行きたがらないことだろうか? だが俺はもともと面倒なことにはあまり関わりたくないと思っている。可愛い将軍様に会いたいと言わないのはそれ以上に面倒くさそうだからだ、決して何かが成長したわけではない。

「貴久が女の子に会いたいと言わない、思っていない、相手がとても可愛いのに。私はそれが嬉しくてたまらない」

 向日葵が笑顔で腕に抱き付いてくる。

 なんだかおかしい気がする、今の向日葵は普段甘えてくる時のりょうよりも可愛い気がする。

 だからなのか、俺は反射的に向日葵のことを抱きしめてしまった。

「あ! 兄ちゃん私も!」

 これを見てりょうが自分もとせがんでくる。

「貴久様!」

 しかしここで大きな声を上げて場を沈めた人物がいた、何ととらだった。

「ど、どうしたんだ?」

 ちょっと意外だったので驚いてしまった。

 普段こういうことをするのは向日葵の役目でその向日葵がこんな状態だから油断していた。

「早く次へ! 堺に行きましょう!」

 とらがこんなにも張り切っている理由が分かりました。

 とらは越後にいたときから、景虎に聞いた話だが本当に小さい時から料理が大好きで、堺に行くために必死になってお金をためていたのだ。

 そして今堺は目と鼻の先、越後にいた時とは違いその気になれば今日中に着ける距離にあるのだ、とらの脚で今日中に着けるかと言われるとちょっと疑問だが、それこそ馬でも使えば行けないことはない。

「そっか、とらはそのためについて来たんだもんな」

「はい!」

「なら、行くか、今すぐに」

 ここであれこれ迷っていると今日中に出発できなくなってしまうかもしれない。それにみんな将軍に睨まれていそうな京からはすぐに出た方が良いて言っていたしな。

「あの・・・」

 ここで声を上げたのは長政だった。

 もしかして長政は京を発つのに反対なのだろうか?

 思い出してみれば史実の浅井長政は将軍に忠誠を誓っていたわけでも何でもないが、織田信長という共通の敵がいたために結構友好的だった。

 これはもしかしなくても怒ったりしているのだろうか。

「ずっと気になっていたのですが・・・婿殿とか貴久様と言うのはいったい・・・」

「・・・」

 そうですね、言ってましたね、そんなこと。

 昌幸や小太たちは気を付けていたんだろうと思うが、りょうととらなんかは普段通りに呼んでいた。

 りょうの方はお兄ちゃんだから問題ない、しかしとらの貴久様はちょっとまずかった。もし長政が加藤貴久と言う名前を聞いたことがあったりしたらそりゃあ気にもなるだろう。

「お兄様のお名前は貴久と言うのですか?」

「ああ、そうだよ」

 すでに俺が貴久と呼ばれているのは何度か見られていると思われるので今更誤魔化したり言い訳をしたりはしないでおく。もし言い訳をしたりして長政の心象を悪くしてもいけないし。

 しかしそんな俺の悪い予想とは裏腹に、長政の顔はキラキラと輝いている。

「やっとお兄様のお名前を知ることができました!」

 そういえば長政には偽名すら名乗っていなかった気がする。ずっとお兄様お兄様呼ばれていて俺が満足していたし、長政自身呼び方に特に困っていなかったのではないだろうか。

「これでこれからは貴久様とお呼びできます!」

「いや、それはやめてくれ」

 この時代だから俺の顔を知っている人なんてほとんどいないとは思うが、それでももし俺が長尾景虎の夫の加藤貴久だと知られた時にはかなりの騒ぎになってしまうことが予想される。

「ではたか兄様でいかがでしょうか!」

 それもなんだか恥ずかしいのだが・・・。

「貴の字を使うのは危ないかもしれません、ここはひさ兄様でいきましょう」

 昌幸がそれっぽい提案をしてくるがこれは間違いなく遊んでいる。

「分かりました! これからもよろしくお願いします、久兄様!」

 俺はまだ久兄様も許していないのだが・・・まあいいか。

 俺としては貴兄様でも久兄様でもどちらでも大差ないが、お兄様よりはなんだか親近感がわいていい。家族みたいな感じがする。

「呼び方は決まりましたか? 決まったのなら早く堺に向かいましょうよ!」

 とらが着物を引っ張ってくる。

 とらの必死さはよく伝わってくるのだが、必死すぎてなんだか微笑ましくなってきた。

「さて、今度こそ堺に向けて出発しますか」

「はい!」

 とらの元気な返事を聞いて俺は腰を上げた。

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