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甲斐防衛 肆ー北条氏政ー

 目が覚めた。目に映る天井は知ってるような知らないような。とりあえず立派な天井だ。

 俺は布団に寝かされている。拘束されてはいない。体も特に痛む箇所はない。

 とりあえず起きてみる。拘束されていないし、痛めつけられてもいないのだから、起き上がったくらいで危険なことが起きるとは思えない。

 さて、ここは何処だろう。俺は確かくーちゃんに首の後ろに手刀を入れられてバタンキューとのびてしまっていたはずだ。

 ならばここにはくーちゃんが連れてきたのだろうか? あのくーちゃんがそんなに力持ちだとは思えないが・・・景虎や晴信の例もあるから何とも言えないな。

 移動手段はさておき、結局ここがどこなのかわからない。障子からは白というよりは黄色い感じの光が差し込んできている。外がまだ明るいからそんなに時間は立っていないと思いたいが、夏だから日が出ている時間は長い、気を失ったのがだいたい正午だからもしかしたら6時間近く気を失っていたかもしれない。

 それでも、時間がいくらあってもくーちゃんが俺を連れて長距離の移動ができるとは思えない、ならばここは上野原城だろうか? しかしそれなら隣には景虎が良そうなものだが・・・それは贅沢か。景虎だって暇じゃない。

 そんなわけで、どこだか把握するために外に出てみる。

 目に映ったのは中庭だ。特に豪勢というわけではなく、小さな池と1本の松が植えてあるだけだ。

「おやおや、お目覚めですか?」

 中庭を眺めていたところに少ししわがれた声が聞こえてくる。

 声のした方を見てみれば小柄な老人が立っていた。

「あ、はい、今目が覚めたところです。

 ところで、ここは何処でしょう?」

 さっそく人に会えたので、一番気になっていたことを聞いておく。

「やはり、何もお知りではありませんでしたか」

 老人は顎から延びる長いひげを何度か撫でながら考えていたが、すぐに撫でるのをやめて話し始める。

「詳しくお話ししましょう。まずは中へお戻りください」

 口調は丁寧だが、「お入りください」と言いながら自分が先にはいいって言ってしまうあたり、こちらを見下している節がある。

 しかしこれで1つ分かったことがある。ここは上野原城ではない。

 ここが上野原城なら、俺が景虎と晴信の夫であることはみんな知っているはずだ、そしたらこんな態度はとらないだろう。もし景虎に知れたらただでは済まないだろうからな。

 ならここは何処なのだ? という話に戻るが、それは今からこの老人が説明してくれるようなので、おとなしく付いていこう。

 そんなわけで部屋を出てわずか数秒でまた部屋にとんぼ返りしてきた。

「ではまず、ここがどこかという話から」

 老人の後に続いて俺も部屋に入り、適当に座ったところで老人が話し始める。

「ここは津久井城、この地は甲斐と小田原を結ぶ要所である。まあ今はちょうど相模の北条と甲斐の武田が戦をしている最中であるからして、好き好んで近づくようなもの好きはなかなかいないであろうな」

 ・・・津久井城? マジですか? 津久井城って北条方の城だよね? もしかしなくても俺って敵に捕らえられた? 越後と甲斐滅亡の危機?

 俺がこの上ないほどの危機的状況に戦慄していると、老人が話を続ける。

「続いてなぜそなたがここにいるかだが、これについては詳しいことはわしにもわからん。分かっているのは、そなたを連れてきたのが北条氏政様であるということだけだ」

 俺をここに連れてきたのが北条氏政? てことはまさか・・・。

「お、やっと起きた」

 襖が開いて昨日今日と聞いてきた声が聞こえてくる。

 襖を開いたのはくーちゃんだ。くーちゃんはそのまま中に入ってきて老人に堂々と声をかける。

「内藤、説明してくれていたみたいだね、ありがとう。もう下がっていいよ」

「・・・この者のことは明日の評定でじっくりと話し合いましょう」

「はいはい、わかったよ」

 内藤さんが「お忘れなきよう」と念を押して部屋から出て行く。

「内藤はいつも五月蠅いんだよなー」

 内藤さんが出て行った瞬間にくーちゃんが悪態をつく。

「くーちゃん」

 正直、素性がわかった以上くーちゃんなんて呼んでいいのかかなり悩んでしまうが・・・そこはほら、くーちゃんはくーちゃんだから。

「あっ! ごめんね、ほったらかしにして」

 そういうとくーちゃんは笑顔になって、正座していた俺の膝の上に頭を載せてくる。

「えへへ~」

 くーちゃんは幸せそうだ、そしてくーちゃんは可愛い、なら何の問題もない・・・とはいかないので。

「くーちゃん、君の名前を教えてくれないか?」

 もうわかっているが、それでも聞かずにはいられない。

「あれ? 内藤に聞いたんじゃないの?」

「一応俺をここまで連れてきたのが北条氏政って人だとは聞いた」

「あ、それが私」

 くーちゃんが何でもないことのように言ってくる。

「俺には北条氏政って名前に心当たりがあるんだが・・・たまたま名前が同じってことは・・・」

「いや、私がその北条氏政だよ。父の名前は北条氏康、祖父の名前は北条氏綱、曾祖父の名前は北条早雲だよ」

 困った、本当にくーちゃんは北条氏政のようだ。

「そういえば、まだ君の名前を聞いてなかったね、なんていうの? 二郎?」

 そんなこの時代にありがちな名前ではない。

 が、そんなことをおいそれと言えたものではない。

 くーちゃんはまだ俺が加藤貴久だと、長尾景虎と武田晴信の夫だということは知らないみたいだ。

 何とかしてこのまま名前を知られずに帰らないといけない、名前を知られてしまったら人質になること間違いなしだ。それはつまり景虎と晴信に迷惑をかけるどころか死なせてしまうかもしれない。

「えっと・・・俺の名前は・・・三・・・」

「そういえば結構いい着物着てるね」

 農家の三男という手は使えなくなった。

「上野原城のあたりには商人はあんまり寄り付かないと思ってたんだけど」

 商人というのも厳しくなった。

「あれ? もしかして武家の人だった? でも刀とか槍とか、武具の類は持ってなかったよね?」

 武士って言うのも駄目になった・・・いや武器を持ってなかったくらいなら!

「腕に筋肉はついてるけど・・・刀や槍を振っているようには思えないなー、全身にまんべんなく筋肉がついている、手に豆もないし鍬を振っているわけでもなさそうだ・・・鍛えてはいるのかな?」

 くーちゃんが俺の体中をペタペタと触りながら考えている。

 ・・・どうしよう、元の世界で無駄に部活で鍛えていたのが災いしてしまった。武家で鍛えているにしては弱く、鍬を毎日振っている農民にしては肩周りの筋肉が少ない。俺がいた上野原城周辺には普段こんな着物を着ているような商人はいないときた。

 かなり焦ってます。

 このままだと自分の命は自業自得だから仕方がないが、景虎や晴信たちにも迷惑がかかってしまう。

 俺が正面の壁を穴が開くほど、ではなく「穴よ開け!」みたいな念を込めながら見つつこの場を切り抜ける方法を必死になって考えていると、くーちゃんが先に言葉を発する。

「言えないみたいだね。もしかして結構身分の高い人?」

 そうです、国主の夫です。さらに言うなら今あなたたち北条家が敵対している国の国主の夫です。

「でもいいじゃん、このままいけば君の一族は北条家の一員になれるんだ、文で知らせてあげたらきっと喜んでくれるよ。それとも君のお家は武田を裏切ることは絶対にないくらい武田に忠誠を誓っているのかい?」

 いやそもそも俺が武田家の一員なんですけど!

「・・・私には話せない?」

「・・・ああ」

 さすがに俺が長尾景虎と武田晴信の夫だなんて言えない。というかくーちゃんには余計に言えない。

「私は、口は堅い方だよ。君が言うなって言うなら誰にも言わない。それとも北条氏政の言うことは信用できないかな?」

「信用していないわけではないが・・・それでも、これは言うべきではない、言っていけないことだと思うんだ」

 北条氏政が言わないと言ってくれている。しかしそれでも・・・。

「くーちゃんにも言えない?」

 ・・・くーちゃんに、か。

「約束は守れるかい?」

「どうだろうな? 北条氏政と違って、くーちゃんはこんなんだからな~」

 さっきまでの真剣な空気を崩して、茶屋でのんびりしていた時の落ち着く雰囲気が表に出てきた。

「まず文を出したい、あて先は・・・たぶん上野原城か岩殿城でいいと思う。次に、俺が帰りたいと言ったらすぐに帰れる用意。それが駄目なら自決できる用意かな」

 まずは景虎に無事を知らせておかないといけない。武田の時のように俺が北条にさらわれたってことを知ったら、間違いなく俺を取り戻そうと行動を起こす。それがうまくいくのならまだいいのだが、今回は北条軍2万を相手に景虎の手勢は晴信から借りた2千だけだ。これでうまくいくとは思えない。

「文はいくら出してもらっても構わない、けど帰る用意と自決の用意はどちらもできないな」

 しかしくーちゃんは条件を飲んではくれなかった。

「私は君が欲しい。故郷にどれだけ会いたい人がいても、それは私が未練を断ち切って見せる、だからどれだけ文をしたためても構わない。でも帰るなり死ぬなりされると困る、それじゃあ君と一緒にいられない」

「それじゃあ名前は教えられないな」

 それならこのまま死んだ方がまだ景虎と晴信へ降りかかる危険が少ないはずだ。

「じゃあ名前は教えてくれなくてもいいからここにいて、て言ったらいてくれるのかな?」

 これは譲歩だろうか?

「私は君がどこの誰だって構わない、私が欲しいのは君だ。たとえ君が100年前の世から来ていても、100年先の世から来ていても、出自が陸奥であろうと大隈であろうと、それこそ南蛮だって構わない。私は今ここにいる君が欲しいんだ」

 ・・・ほう、そこまで言ってくれるのか。

「なら、少しだけ俺のことを教えてあげよう」

 少しだけ試してみようか、本当に俺がどんな奴でもいいのかを。

「教えてくれなくても構わないよ」

「俺、500年くらい先の世から来てるけど、本当に大丈夫?」

 くーちゃんが動かなくなる。目を大きく開き、体は力が入っていて強張っている。

「う、うううう嘘ついたって無駄だぞ、そそそそんな嘘通じるのは・・・」

「まあそんなこと言うなよ乙千代丸。どうせ関係ないんだから気にするな、子どもかよ。先の世だとお前結構暗君として有名になってるんだから、そんなくだらないこと気にしてないで、検地して基本台帳をつくりなおす準備しておいたらどうだ?」

 言いながら思ったが、個人的に北条氏政のことは好きなので、のちの歴史家なり一般人などが氏政のことを暗君と評価しているのを思い出したら腹が立ってきた。あーさっき自分で氏政のことを暗君と言ってしまったことにも腹が立ってきた。あー腹が立つ! それが今はくーちゃんのことを指しているのだと思うと余計に腹が立つ!

 俺のいらいらが表に出てしまっていたのかどうかは分からないが。見てみると明らかにくーちゃんがいらだっていた。

「ちょっと今のは怒っちゃったな~」

 くーちゃんの顔はとりあえず笑顔だが、かな~りひきつっている。頬がぴくぴくと痙攣している。

「なんだ、俺が100年先から来ていても気にしないけど500年はさすがに駄目か? それとも一生会わない人が言った一生聞くこともない悪評が気に食わなかったか?」

「そんなの知らないよ」

 その声にははっきりと怒りが感じられた。

「君がたとえ1000年先だろうが10000年先だろうが、どれだけ先の世から来たってそんなことは関係ない。それでも君が欲しいんだ。あと、500年も先の世から来たくせに分かってないね、私は周りが何と言おうと気にしてない。まして見ず知らずの他人の言うことなんてなおさらどうでもいい」

 そこでいったん言葉を区切って、くーちゃんが体を起こす。

「私が怒っているのは・・・私のことを子どもみたいだって言ったことだーーーー!」

 野生のくーちゃんが現れた。くーちゃんののしかかり攻撃。

「げふ!」

 くーちゃんが俺のお腹の上に馬乗りになっている。

「安心していいよ、私が君を欲しいと思う気持ちは全く変わっていない、むしろ強くなっているくらいだ。僕があの時ちょっと焦っていたのは、君が500年先の世から来たことを信じていたからだ。そんな人と出会えて、ちょっと緊張してしまっただけだ」

 そしてくーちゃんが恐ろしいことを告げる。

「君は何か僕に名前を言えない理由がある、500年先の世から来ている事は言っているのにだ。つまりこっちに来てから言えない理由ができた。あと、さっき文を上野原城か岩殿城に出したいって言ってた、つまりそこに名前を言えない理由に関係のある人、もしくはその人につなぎがつけられる人がいるってことだ。上野原城と岩殿城の2択だったことから上野原城と岩殿城に常駐している人物ではないと見た。その2城を行き来している人物なんていないはずだ。つまり今たまたまその2城のうちのどちらかにいる人物か、その2城の中で甲斐の中の誰かとすぐに連絡を取れるくらいに地位が高くて中央とつながりの深い人物を探してその人物をたどってみてたどり着く人物。その2つの条件のどちらかに当てはまる人物を考えてみると・・・君の名前は加藤貴久だな」

 動揺するな、絶対に表に出すんじゃない。ばれたら終わりだ。

 今のくーちゃんの目は危ない。これは俺に敵意を向けているときの景虎と同じ目だ、今のくーちゃんなら非道なことでも何でもやりかねない。

「貴久、笑顔が硬いよ。動揺しないように意識している段階で、すでに動揺しているのがばればれだよ」

 くーちゃんが俺の頬をなでる。俺の頬がくーちゃんの手が撫でた後から順番にひきつり、痙攣していく。

「大丈夫、怯えなくたっていいんだよ」

 だんだんとくーちゃんが景虎や晴信たちと同じ威圧感を放ってくる。

「お、おい、くーちゃん・・・ええ笑顔が怖いぞ」

 何も言えなくなる前に言葉を発する。それと同時に逃げようともがく。

「何度か経験したことがあるみたいだね。どうだい、その人と比べてみて怖いかい?」

「ま・・・ぁ・・・あ・・・」

「答えなくていいよ、どうでもいいことだ。

 それよりも、男である君に聞きたいことがあるんだ」

 そこでくーちゃんが口を俺の耳元に寄せてくる。

「男の子の股間は、こんな時でも・・・元気に反応してくれるのかな?」

 は? くーちゃんは何を言っているんだ?

「まだ長尾にも武田にも、跡取りが生まれたなんた話は聞いていない。まずは先に私と既成事実を作って祝言を挙げる。そしてあとはさっさと跡取りを身ごもってしまったら、晴れて君は私のものだ」

「お、おい・・・そ、そそれは・・・」

 それはいけない。体がさすがに怖いの何の言っていられる状況ではないと理解して声を絞り出す。

「この感覚を経験しているんなら、きっと気絶したこともあるんじゃない?」

「・・・!」

 まずい! 気絶してしまったらあとはもう何をしようがくーちゃんの思いのままだ。

 気絶している間にできなくても、その間に縛るなりなんなりして自由を奪ってしまえばもうお終いだ。

「・・・!」

 俺は必死になって声を出そうと口を開く、くーちゃんから逃げようともがく、しかしどちらも思う通りにはいかなかった。

 何とかしようと何度も試みたが、結局声は出ず、くーちゃんから逃れることもできなかった。

 くーちゃんは俺の頭を押さえて正面を向かせたまま見つめ続けているだけだ。

 最後には、くーちゃんの思惑通り意識を失ってしまった。

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