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甲斐防衛 弐-出会い-

 岩殿城に入って数日が経った。

 北条軍は津久井城に入ってからまったくと言っていいほどに動いていない。

 俺たちが今いる岩殿城は標高634メートルの岩殿山に築かれた山城。甲斐国都留郡の国衆小山田氏の居城とされ、戦国時代には東国の城郭の中でも屈指の堅固さを持っていたことで知られた。

 北条軍がいる津久井城は後北条氏の時には武田軍への最前線の城として重要視された。筑井城とも呼ばれた。

「本当に北条は動いていないの?」

「はい、攻めてきました北条軍の総大将、北条氏政は津久井城に入城してからまったく動いておりません」

「あなたが見逃しているだけではないの?」

「いえ、北条は本当に動いておりません」

 話しているのは景虎と岩殿城を居城とする小山田氏の小山田信茂おやまだ のぶしげ

 小山田信茂は武田家において信玄の「弓矢の御談合七人衆」に両職の山県・馬場ら重臣と共に名を列ねている。また山県昌景に「若手では小山田信茂、文武相調ひたる人物はほかにいない」と評される。

 何とも有能な人物であったが、最後の最後に織田信長・徳川家康両軍に敗れた武田勝頼を裏切ったことで何とも人気が低い人だ。

 でもこっちでも裏切ると決まっているわけではないから、そんなことを考えても仕方がないか。小山田信茂はとっても優秀な人ってことだけ分かっていればそれでいい。

「あなたが優秀だってことは晴信から聞いているから、あなたの報告を疑っているわけじゃないけど・・・さすがに信じがたいわね」

「はい、こちらも北条が来たと知り、急ぎ戦支度をして上野原城へ向かおうとしたのですが、北条は攻めては来ずに津久井城に入城。そしてそのまま亀のように閉じこもって出てきません。とても甲斐侵略をたくらんでいるようには思えません」

 北条軍2万が本気で甲斐を潰しに来たのなら、すでに上野原城を攻めていそうなものだが・・・。

「ここの小山田氏を警戒したってことはないのか?」

 上野原城はとても要害と言えるような堅城ではないが、仮にも城だ、岩殿城から救援に駆けつけるくらいの時間は耐えて見せるだろう。そうすれば甲斐でも有数の勢力である小山田氏が、城内の兵とで北条を挟める。

「それはないでしょう。残念ながら今この岩殿城にはあまり多くの兵はいません。今この岩殿城は我々小山田一族の居城としていますが、一族は谷村や甲府へ移り住んで散り散りになってしまい、ここに残っている小山田家の血を引く者は私だけです」

「いいじゃない、周りに誰もいないならここはあなたの思い通りにいじくれるわけでしょ」

「いえいえ、寂しい上に辛いものですよ。自分の好きにできる分、責任も全部自分に来ますから。悩みを相談したくても、部下に情けない姿を見せるわけにもいきませんし」

 信茂さんが大げさにため息をついて肩を落とす。

「あら、私たちにはそんな姿を見せてもいいの?」

「構いませんよ、長尾殿に見くびられても何とも思わないどころか歓迎です」

 信繁さんがチクリどころかブスリと嫌味を差し込んでくる。

「私のことなんて別にいいけど、主の夫に情けない姿を見せてもいいの?」

「はい、それでどこか辺境の地に飛ばしていただいた方が気楽に生きられます」

 そんな力は俺にはないと思うけどなー。

 晴信に話すことはできるけど、決めるのは晴信だし。武田の一員に加わったばかりの俺が、あの小山田氏を左遷しろって言っても通らないだろ。

「あなたの将来の展望なんてどうでもいいわ。

 北条の動きがないのは気になるから、私ちょっと上野原城まで行ってくるわ」

「馬鹿野郎止めなさい」

 今更だがアニメや漫画のようなことをしようとしないでほしい。そりゃあ自分の目で見てきた方がいいに決まっているが、時間もかかるし危険も伴うしでわざわざ自分がやることによる利益が少ないと思う。

 でも景虎がこんなふうに考えてるってことは、たぶん北条氏政も似た様に考えて上野原城辺りに来てるんだろう。たぶん氏政に会えると思うけど・・・危ないからあんまりやりたくはない。

「馬鹿野郎って・・・結構傷つくんだけど」

 声が沈んでいる、本当に傷ついて・・・いないな。

「演技はやめろ。それはあんまり可愛くない」

「・・・これ演技じゃないんだけど・・・本当に傷ついてるんだけど・・・それとさっきの可愛くないって言うのは泣くわよ」

 景虎の声がさっきよりも沈んでいる、背中も曲がっていかにも落ち込んでいますって感じだ。

「騙されんぞ」

「・・・」

「・・・」

「つまんないんだけど」

「知らん」

 やっぱり演技だったようだ。

「まあまあ、痴話喧嘩はよしてください」

 信茂が口をはさむ。

「私としては、長尾殿が上野原城に行っていただいても構いません。加藤殿には死んでいただくと私の責任になって困るので、加藤殿だけはしっかりとお守りください」

 なんか信茂って言うことがいちいちきついような。

「あっそ、じゃあさっそく出かけるから」

 景虎がさっさと行ってしまう。

「怒らせてしまったかもしれませんね」

 信茂が嬉しそうにしている。晴れやかな感じがする。

「たぶん怒ってはないと思うんだけど・・・もう少し言い方を考えた方がいいんじゃないか? わざと言っていたと思うけど」

「おやおや、ばれていましたか」

「なんとなく」

 当たっても嬉しくない、できれば外れていた方が良かったのだが。

「大丈夫ですよ、加藤殿のことは嫌ってはいませんから、長尾殿のことを嫌っているだけなので」

 言ったよ、嫌ってるって言っちゃったよ。

「ん~、喧嘩しなければいいけどな」

「お優しいことで」

 信茂は少しだけ嬉しそうに言ってくる。

「・・・一つだけ頼みがあるんだが、いいか?」

「構いませんよ、私にできることなら喜んで」

「言いにくいことなんだが・・・」

 そこで少し言いよどむと、何を思ったのか信繁が顔を赤くして予期せぬことを言ってくる。

「加藤殿、このような時に・・・そのようなことは・・・」

「ん?」

「一夜限りのお付き合いでしたら・・・誰にも言ってはいけませんよ!」

 この人の頭の中は桃色だ。

「信茂、そういう話じゃない」

「え? 違うのですか?」

「違うわ! ・・・俺ってどういう人だって伝わってるの?」

 面識がない人がこう言うってことは、世間が俺のことをそういう人だと認識して、それを広めているってことだ。

「子ども好きの艶福家」

「ぎゃーーーーーーーーーーーー!!!」

 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ! 冗談はよしてくれ! 世間ではそんなふうに思われているのか⁉

「確かお屋形様との祝言の時にも、お気に入りの子を連れて行って甲斐の町を練り歩いていたとか」

 うわ、本当だ! 俺祝言前日に何やってたんだろ!

「言わないでくれー! そ、そんなつもりじゃなかったんだ! ただ、ただちょっと遊んでただけなんだ!」

「子どもと?」

「やめてくれー!」

 何だ、信茂はSなのか⁉

「ふふふ! 楽しいですね、加藤殿は」

「・・・そうかい、それはよかったな」

 こいつ、晴信に言ってもっと面倒な地位に付けてやろうか。

「で、私はこれで満足できたので、加藤殿が言っていたお願いとは何ですかな?」

「・・・呼び方なんだけどさ、なんて呼ぼうかなって」

「? 信茂で良いのでは」

 信茂が不思議そうに聞いてくる。

「武田信繁と字が違うだけで同じ呼び方だからさ、何か違う呼び方をしようかと思ったんだけど、希望とかはあるかなと思って」

 この時代であだ名とか言って通じるのだろうか?

「なら小山田で良いのでは?」

「それだと信茂のお父さんとかお母さんとかも当てはまるだろ。俺は信茂のことだけを指す呼び名が欲しいんだ」

 もちろん役職とかも嫌だ。あれは結構簡単に変わるからな。

「ん~そういわれると困りますね」

「なんかないのか? 昔友達からつけられた変な名前とか?」

「友達はいなかったので」

 聞きたくもない黒歴史を聞いてしまった。

「な、なんかないのか? 信ちゃんとか」

「の! ののののののののの信ちゃんなんて、そ、そそそそんなの・・・ええっと・・・」

 顔が真っ赤だ、言語機能が崩壊している・・・この子可愛い!

「じゃあ今から信ちゃんで」

「ま、待ってください! それはさすがに恥ずかしいです!」

「まあ気にするなよ、信ちゃん」

「お願いします! やめてください!」

 信ちゃんが涙目で懇願してくる。この顔も可愛い気がする。

「貴久! 何してるのよ、早く来なさい」

 景虎がいいところで戻ってきた。

「奥さんが呼んでるから、またな信ちゃん」

 俺が小走りに景虎のもとへ向かうと、後ろから信ちゃんの声が聞こえてくるが全部無視した。


「山だな」

「山ね」

 俺と景虎は2人で、上野原城の前までやってきた。

 あたりには何もない、近くに村はあるようだが、城下町と言えるほどの場所はないようだ。

「どうするよ景虎、とりあえず城に行くか? それとも先に村に行ってみるか?」

「なら先に村へ行くわよ。そのあとに城へ行って、一泊して帰りにもう一度村によるわ」

「了解」

 城へ向かって伸びる道を外れて、森の中に分け入る。

 馬では入れないので、馬を引いて生い茂る草を踏み分けながら進んでいく。

 しばらく進むと急に木がなくなって、開けた場所に出る。

「じゃあ私は適当に聞き込みをしたら勝手に城まで行くから、あなたも自由に見て回りなさい」

 まさかの放置ですか。守ってくれるんじゃなかったのね。

 景虎がスタスタと村の中を歩いていく。

 俺はどうしようか、この村はそんなに広くないからぶらぶらしたら景虎と遭遇してしまう。そしたら絶対になんかからかわれる。

 仕方がないので目の前にあるよくわからん商店っぽい家へ入ってみる。

「おやおや、お客さんかい?」

 入ってみると優しそうなおばちゃんが出てくる。

「なんか食べられるかい?」

「お団子ならすぐに出せるよ」

「ありがたい、では2本もらおう」

 おばちゃんが「ちょっと待ってな」と言いながら奥に下がっていく。

 にしてもここが茶屋だったとは。表に暖簾はかかっていなかったし、入ってみたらいきなり土間だった。軒先に手ぬぐいだか何だか判別できなかったが布がかかっていた、そこにはこれまた文字だか汚れだかわからない黒い染みがあった、だからなんとなく入ってみただけだ。

「はいよ、お団子2本ね」

 本当に早かった、座って文字通り一息ついたらもう持ってきた。

「早いな」

「ちょうど食べようと思って焼いたばかりだったからね」

 これもしかしておばちゃんのおやつか何か? 悪いことしたかな。

「そっちの嬢ちゃんも1本どうだい」

「嬢ちゃん?」

 俺は一人で来たんだが?

 不思議に思いながらおばちゃんの視線の先を見やると、そこには一人の女の子がいた。

 肩の下あたりまで伸びている髪は寝起きなのかあっちこっちにはねている。肌は真っ白だ、白くて綺麗というよりもあまり外に出ていなくて日の光を浴びていないからこその病的な白に見えた。しかしそれとは異なり腕や足には筋肉がついている。何とも不思議だ。

 そして一番気になっているのが目だ。別に左右で色が違うとかそんなんじゃない、ただやる気が微塵も感じられない眠そうな目を見ていると・・・のほほーんとしてくる。

「・・・お金ない」

「あらあら、そうなのかい。悪いけどこっちも余裕はなくてね、1本くらい、ってわけにもいかないんだ。許しておくれ」

 おばちゃんがさっさと奥に引っ込んでしまう。

 本当にただで団子を配るような余裕はないのだろう、だから情がわく前にさっさと奥に引っ込んだのだ。

 でもこの子は本当にお金を持っていないのだろうか? 着ている服は上等なものではないが、それなりにしっかりしている。そして何より見過ごせないのが、背中のふくらみだ。形からして恐らく刀だ。そこらの町娘なんかが刀を背中に隠して出歩いているとは考えにくい。・・・隠せてないけど、猫背にならないように背中に棒入れてるようにしか見えないけど。

 ほら今もなんかうつらうつらしてるけど、背中に刀があるから背中がほとんど曲がってない。

 このまま寝るのかな? 倒れるのかな? ・・・さっきからゆらゆらと前後に揺れて・・・あ、戻らない、倒れる。

「よ」

 このままだと顔から倒れて行きそうだったので首根っこを掴んで倒れるのを防ぐ。

「おい、起きろ」

 首根っこを掴んだまま軽く振りながら声をかける。

「ん?」

「おう、起きたか?」

「・・・何してるの?」

 女の子が前に45度くらい傾きながら聞いてくる。

「君が倒れそうだったから掴んだ」

「ありがと」

 女の子が元の姿勢に戻る。

「・・・」

「・・・」

 女の子が俺・・・ではなく俺が手に持っている団子を見ている。

 食べたそうだったので、女の子の前に団子を差し出す。

 女の子が目で「いいの?」と聞いてきた気がしたので目で「どうぞ」と伝えようとする。

 すると伝わったのか、女の子が団子を受け取って食べる。

 俺も残ったもう1本を食べ始める。

「・・・」

「・・・」

 互いに話すこともないので無言で団子を食べる。

「平和だな~」

 なんとなく外を見ながら言葉を漏らす。

「平和だね~」

 女の子が同調してくれた。

「眠くなってくるな~」

「お休み」

 てっきり返してくれると思っていたが、そんなことはなく女の子が俺の膝の上に頭を載せてくる。俺が女の子に膝枕をする格好だ。

「まあ、いいか」

 急ぎの用もないし、やらなきゃいけないこともないし、なんとなく太ももに感じる女の子の重みは気持ちいいし。しばらくこのままでいよう。


 どのくらいこうしていただろうか。開かれている扉から指す光は橙色に変わり始めている。

「そろそろ城に行かないといけないな~。景虎、心配してないといいけど」

 しかしこの女の子は全く起きないな、起きる気配が全くない。

「まあいいか」

 この子の寝顔を見ているとなんかいろいろとどうでもよくなってくる。

 再び外を眺めてみる。

 いい加減見飽きてしまった。どれだけ見ていても視界を遮る木に穴が開いたりしない。

 仕方がないので女の子の寝顔を眺めてみる。寝ている女の子の顔を眺めるのはいい趣味とは言えないが、他に見る物もないので仕方がないと納得しておく。

 ・・・うん、可愛いです、はい。

 ぴょんぴょんと跳ねている髪も、健康的とは言えない白い肌も、あどけない寝顔も、全部可愛い。あといまだに背中に刀を仕込んでいるのも可愛い。

 どこの誰なのか知らないがとりあえず可愛い。

「そろそろ帰って夕餉の頃合いだな」

「む」

 突然女の子の目が開いた。

「夕餉・・・ご飯」

 どうやらお腹がすいたから起きたようだ。食いしん坊め。

「起きたのならそろそろ帰りな。きっと家の人たちが心配してるぞ」

「そうする」

 女の子はむくりと起き上がるとそのまま立ち上がる。

「今日はありがとう。団子美味しかった。気持ちよく寝られた」

「そりゃ何よりだ」

 声音は嬉しそうだし顔は笑っているように見えるのだが、女の子の目はいまだに眠たそうだ。

「明日も来る?」

「たぶん来られると思うぞ」

「じゃあ待ってて、必ず来る」

 そう言い残して女の子は傾いた夕日とは反対の方向に向かって歩いていく。

「・・・あ、名前聞いてなかった」

 結局名前を聞けなかった。

 そこそこの身分だとは思うが、この辺りのは豪商なんていないし、広い土地を持った地主もいないはずだ。

「あ、もしかして城にいる武士に家の子かな?」

 それだったら城に行ったらまた会えるかな。

 再開をちょっとだけ楽しみに俺は上野原城へ向かった。


 そして城では笑顔の景虎が待ち構えていた。

「遅かったわね」

「えっ・・・だって自由にしろって言ったじゃないか」

「私がいつ城に着いたか知ってる?」

 景虎の笑顔がかなり黒い! かなりお怒りだ!

「いや・・・その・・・」

「あなたと別れてそのまま帰ってきたの。私たちのことを知っている人がほとんどいないここでのんびりと過ごそうと思ってたの」

 ええぇぇぇぇーーー! わかんないよそんなの!

「・・・夕餉にしましょうか」

 え⁉ ど、どうしたんだ景虎⁉

 怒ってないわけがない、絶対に怒ってるはずだ。

「そうそう、時間があったから今日の夕餉は私が作ってあげたのよ」

「そ、そうか。嬉しいなー」

 怖いんですけど! 何をたくらんでいるだ。

 景虎の後をついて廊下を進んでいく。

 そして何事もなく普通の部屋に通される。

 そして部屋には膳が2つ。膳の上にはお椀が2つ。

「早く食べるわよ・・・もう冷めちゃったけど」

 膳の上には、表面が乾いてきているご飯と、すっかり冷えてしまったみそ汁があった。

 俺は何も言えずに膳の前に座る。

 景虎は本当に俺のために、夕餉を自ら用意して待っていてくれた。

 分からなかったのは本当だが、それでもわざわざ景虎が用意してくれた夕餉を温かいうちに食べられなかったのは悔しい。

「「いただきます」」

 表面が乾いているご飯と口に入れる。

「硬いな」

「そうでしょうね」

 景虎は俺が話しかけると返してくれるが、俺に答える以外は黙々とご飯を口に運んでいる。

「このご飯は、景虎が炊いたのか?」

「そうよ」

 景虎が早くもご飯を食べ終えてみそ汁を口に含む。

 俺も合わせてみそ汁を飲む。

「冷たいな」

「これだけ時間が経てばそうなるわ」

「これも景虎が作ってくれたんだよな」

「・・・ええ」

 景虎はもう食べ終わっている。

 それでも席を立たないのは恐らく俺が食べ終わるのを待ってくれているのだろう。

 少しして、俺も食べ終わった。

「食べ終わったなら、早く付いて・・・」

「お替り」

 腰を浮かせた景虎にみそ汁の入っていた椀を差し出す。

「は?」

「だから、お替りだよ。もっと食べたいんだ」

 それを聞いた景虎は一瞬だけ嬉しそうな顔をするが、すぐに消える。

「不味かったでしょ。自分で作ったからよくわかるのよ、とらたちには全然負けてるって」

 景虎が悲しそうな顔をしながら言ってくる。顔はうつむいてしまってよく見えなくなってしまった。

「すまんな、味なんてよくわからなかった」

「素直に不味いって言えばいいのに」

 景虎のがさらに悲しそうな顔をしたように見える。

「本当にわからないんだ。奥さんが初めて作ってくれた手料理だと思うと、緊張してしまってな・・・」

 景虎の顔から悲しみが少しだけ消え、わずかにこちらを向く。

「だから、もっと食べさせてくれ。そうしたらわかるかもしれない」

「で、でも・・・もう冷たくなってるし・・・むしろわからないままの方が幸せかも」

 顔に赤みが差しているのがわかる。すでに悲しみよりも嬉しさが上回っていると見える。

「そんなことはない、初めて奥さんが作ってくれた手料理だ、美味しくても不味くても、ちゃんと覚えておきたいだろ」

「・・・やっぱり不味いんじゃない」

 文句を言いながらも景虎は俺の椀を受け取ると、部屋を出て行く。

 しばらくして景虎が帰ってくる。

「はい」

「ありがとう」

 景虎が持ってきてくれた2杯目のみそ汁を飲んでみる。

「美味しいな」

「嘘ついてもいいことなんてないわよ」

「嘘じゃないさ。俺はみそ汁にはうるさいんだぞ?」

「どうだか」

 景虎がとても嬉しそうに、俺の食事を見守っている。

「なあ、景虎」

「なに」

「また、作ってくれるか?」

「気が向いたらね」

 まんざらでもないって顔をしている。

「景虎、知らないはずだから、1つ教えておいてやろう」

「なによ?」

 このままいい雰囲気でいくのもよかったんだが・・・。

「俺のいた世界では、夫婦になろうと告白するときの言葉に『俺に毎日みそ汁を作ってください』って言葉がある」

「なっ!」

 景虎の顔が部屋を照らす夕日よりも真っ赤に染まる。

「な、何馬鹿なこと言ってるのよ! だいたい、もう夫婦なんだから、いい今更そんなこと言っても意味ないでしょ!」

 景虎がかなり慌てている。

「そうだな。あとお替り」

 そんな景虎のことなどお構いなしに、お替りを頼む。

「覚えてなさいよ!」

 少しだけ怒りながらも怒り1割、嬉しさ9割くらいの表情で、俺の椀をひったくって部屋を後にした。

「覚えておくさ」

 奥さんが作ってくれた、初めての手料理の味を。

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