変化
越後国主長尾景虎、甲斐国主武田晴信、2人が奥さんになってくれて1月。
2人の夫になったため、俺は越後と甲斐を往復することになった。そして俺のいないところで景虎と晴信が話し合って、1月ごとに越後と甲斐を往復することが決まっていた。
各月の初めに俺が越後か甲斐へ、または甲斐から越後へ向かい、移動にどれだけ日数がかかろうと次の月の初めにはまたもう一方の国に向かう。これが景虎と晴信がした約束だ。
そして、これは同時に長尾と武田の間に結ばれた同盟の条件として取り決められている。この同名の条件として他に、越後は甲斐に塩の流通を許可することが甲斐から越後に対して求められ、また越後から甲斐へ、越後から甲斐へ向かって伸びている街道の整理にかかる費用の一部を負担することが約束された。
そして今日は同盟の条件で俺が越後から甲斐へ向かう日だ。
「なのにどうして俺はまだ何の準備もしないで景虎と町を歩いているんだ?」
景虎と2人で城下町を歩く。
2人で歩く城下町は活気にあふれていた。すれ違う人々の顔には笑顔があふれ、喧噪も五月蠅いとは思わない、賑やかというのだ。
「だって、取り決めでは今日中にここを発てばいいのよ。いつここを発つかは決められていないんだから、夕方に春日山城を発って、城下で一泊すればいいのよ」
うわ~ずるい。
確かに同盟の時にかわされた文書には日にちしか明記されていないから、いつ出立してもその日のうちなら文句を言われる筋合いはない、と。
「文句でも言いたそうね、そんなに奥さんと一緒にいたくないの?」
俺の腕を抱いていた景虎が意識して胸を押し付けてくる。
「景虎も晴信も奥さんだ、景虎も晴信も正室だ、優劣なんてない」
景虎が明らかに不満そうな顔をして腕を解く。
「あーあ、つまらない」
景虎が解いた腕を後ろで組む。
そのあとは互いにとくに話すこともなく、目的地へと向かう。
「おばちゃん、団子2本ちょうだい」
景虎があの日の団子屋であの日と同じようにお団子を頼む。
またしばらく何も話さずにただ座って団子が来るのを待つ。
「はい、団子2本ね」
このおばちゃんもわかっていてやっているのか、それとも決まり文句なのか知らないがあの日と同じ言葉を言う。
景虎は一言礼を言って団子を受け取ってさっそく1つの串に3つ刺さっている団子の内の1つを口に入れる。
「はい」
団子が、景虎が1つ食べた後の串が俺に差し出される。
「あーん」
「自然にできる様になったな」
呟きながらもすぐに差し出された団子を口に入れる。
「あんたこそ、何のためらいもなく食べたわね」
景虎は団子を一度皿に戻して皿を俺に渡してくる。俺はそれを受け取る。
「あーん」
景虎に同じように食べさせてやる。
景虎もすぐに食べた。
「美味しいか?」
「美味しいわよ」
景虎が子どもみたいなあどけない笑顔で返してくる。
「帰ってきたら、またよろしくな」
「いかないって言うんなら毎日してあげてもいいわよ」
「それは魅力的な提案だが・・・やめておくよ」
「つまらないわね」
そう言いながらも、景虎は笑顔のまま俺にもたれかかってくる。
「つまらない、結構なことじゃないか。つまらない、やることがない、つまり平和ってことで」
「・・・なら良かったんだけどね」
「・・・そうだな」
景虎が躊躇うことなく俺から離れて店の外に声をかける。
「景綱、何があったの」
景虎が声をかけると景綱さんが茶屋に入ってくる。
「御大将、ただいま春日山城に武田より使者として高坂昌信殿がお越しです」
「また結構な人物が来たわね。それで、いったい何を言ってきたの?」
「ここでは少々言いにくいことです」
景綱さんの顔が事の深刻さを物語っている。
「なら、戻るしかないわね」
景虎が無言で俺に手を差し出してくる。
「まだこうしていてもいいはずよ」
「はいはい」
景虎の手を握ると勢い良く引っ張られる。
「じゃあ景綱、払っておいて」
「はい。昌信殿は評定の間にいるはずです」
すでに景虎は振り返らずに俺の手を握ったまま走り出していた。
「どうか、御大将がこうして笑っていられる時が、ずっと続くことを・・・」
俺と景虎が評定の間に入ると、そこには昌信が作り物のように背筋を伸ばして微動だにせず座って俺たちを待っていた。
「お久しぶりでございます、長尾殿。先の祝言のおりに・・・」
「世事なんていいわ。わざわざこの日に来るなんて、よっぽどのことなんでしょう」
景虎が昌信の挨拶を止めて本代を急がせる。
「はい、ではお言葉に甘えまして。
本日は長尾殿にお伝えしたいことがあってまいりました。
この度駿河の今川義元公が、兵を集めて着々と戦支度をしているとのこと。よって我々武田は今川の侵攻に備えなければならないため、加藤殿にはしばらくの間このまま越後に居ていただきたいとの由にございます」
「待て! 今川が・・・武田に?」
「今川と武田は同盟関係にありますが、その証である定恵院様はすでにこの世にはなく、お屋形様が追放した信虎殿がおられるだけです。まだ甲斐へ向かって兵をすすめたわけではありませんが、いまだに何の連絡もない以上、こちらとしては今川の甲斐侵攻を警戒しないわけにはいきません」
なぜだ? なぜ今川が今動いている?
史実には今川がこの時期に兵を動かした記録はない。
そもそも戦なんて1年に2回も3回も起こせるものじゃない。戦のたびに働き手である農民の多くが駆り出されて領内の開墾が進まないし、兵の食い扶持や、戦功によってそれなりの恩賞も出さないといけない。本来ならどこの国も戦をしなくてすむならしたくないはずだ。財政の面から見てだが。
つまり今戦を起こしてしまったら、今川は2年後に天下に号令をかけるために大軍を要して京に上るなんてことはできなくなってしまう。
「・・・わかったわ、こちらも話し合って決めるから結論は言えないけど、貴久のことは心配しなくてもいいわ。それであなたはどうするの? こんなときだし、すぐに帰るの? それともこっちの結論を聞いてから帰るの?」
「私はすぐに帰ります。できますなら長尾がどう動くのか決まり次第、使者にてお知らせいただければありがたい」
「わかったわ。じゃあ決まったら使者を出すから、晴信にはそう伝えておいて」
「わかりました、それでは私はこれにて」
昌信さんが部屋から出ていった。このまま甲斐に帰って、今川が攻めてきて時に備えるのだろう。
「貴久」
「ああ」
「あなた、今川が動くのは2年後だって言ってなかったかしら?」
景虎がなぜか上機嫌で聞いてくる。
「どうして上機嫌なんだ?」
「だって面白いじゃない。何もかもが自分の思った通りに進んでたらつまらないもの」
「でもどうするよ、これで本当に今川が武田に攻め込んできたりしたら」
「どうでもいいわ。今川が武田に攻め込んでも、たぶん武田が勝つと思うわよ」
そういう景虎の顔話わずかだが誇らしげだった。
どうしてそんな顔をしているのかは、気になったが聞かないでおく。
「それよりも聞いておきたいんだけど、あなたが言ってた今川と織田の戦のきっかけは何だったの?」
「どうしてそんなことを聞くんだ?」
すでに起こる可能性が限りなく低くなった未来だ、今更そんなことを聞いても意味はないのではないだろうか?
「はっきり言うけど、私には今この時に今川が動いた理由がよく分からないわ。だから少しでも判断材料を増やしておきたいの。それが今では考えられない判断だったしてもそれは今川義元の考え方を知るのには役に立つわ」
そんなこと考え付かなかった。俺の頭の中ではすでにこっちの人と俺の知っている史実、本の中の人は別人で俺の歴史と本の知識はほとんど役に立たないと思っていた。しかし景虎はその情報にも価値を見出していた。
「・・・あんまりやりたくなかったが・・・景虎の役に立つなら・・・いるか? 大まかにだが、この先の史実を記してある書物」
その書物とは、今俺のカバンに眠っている、元の世界でなんとなく暇なときに読んでいた日本史の参考書だ。
もちろん俺は読みこんでいて内容は頭にすべて入っている、本に書いていないことも知っているから俺の方が詳しいが、いちいち全部聞くよりある程度目をつけて知りたいことだけ聞いた方が効率がいいし、同じ参考書を読んでも景虎は俺では気がつかなかったことも気がつくかもしれない。
「別にいらないわ、そんな物」
「あっそ」
「そんなもの見たって、今回みたいに外れることだってあるんだから、知ってることが選択肢を狭めてしまうわ。だから、私が聞いたときにあなたの意見を聞かせてくれれば十分よ」
自分の考えは、景虎からしたらどれも良策とは言えない、それどころか愚策のようだ。
「ちょっと、落ち込んだりしないでよ。ほら、早くあなたが知ってる史実の今川義元はどうしたのか、教えてちょうだい。役に立てるわよ」
景虎が頬を膨らませて笑いをこらえている。
むかつくな~。最後の「役に立てるわよ」のところなんて明らかに馬鹿にしているのがわかった。
「俺の知っている史実だと、今から2年後の文禄3年に東海1の弓取り今川義元が天下に号令をかけるために総勢2万から5万の大軍を連れて・・・」
「待ちなさい、2万から5万って差がありすぎよ!」
「知らん、500年も経つとその時生きていた人なんて生き残っていない。残った書物も書いた国や人、時期によってまちまちだから正確なことは分からない。俺はだいたい2万2千程度だと予想している」
ちなみにこれは『甲陽軍鑑』を参考にしている。『甲陽軍鑑』によれば今川軍は2万とされている。俺としては当時の今川の周りには敵がいなかったこと、天下を取ろうと考えている者の見栄などを考慮して2万2千と考えている。
「まあいいわ、とりあえず今川の兵力は2万2千としておきましょう。それで、どうして今川がそれだけの兵を用意できて、その時期に動き出したのか、それを言いなさい」
景虎はもう半分興味をなくしているが、とりあえずといった感じで先を促してくる。
「まず2万2千の大軍をどこから用意したかだが、これは国中の兵を総動員したものだと考えている。そして総動員できた理由が時期と関係していて、天文23年に北条と同盟関係になったことと、この時期に尾張の織田と美濃の斎藤が敵対関係にあったことから、今川と領土を接している国で敵対していたのが織田だけだったからだ」
「ああ、そういえばあなたの知っている史実では今川は武田じゃなくて織田と戦をしたんだったわね」
「・・・だから俺は今回兵を起こしたのは時期が違うだけで、今川は上洛しようとしているんじゃないかと思っている」
俺の考えを聞いて景虎は目を閉じて考え始める。俺も黙って景虎が考え終わるのを待つ。
そして1分ほどたっただろうか、景虎がすっと目を開く。
「恐らく、尾張を通って上洛でしょうね、今川の目的は」
「その根拠は?」
「今武田を攻めるくらいなら1月前に攻めているわ。あのときならまだ考えられたけど、今は私たちと武田は同盟を結んでしまっているわ、武田は北に脅威がないどころか見方を要している。さらに武田は最近はとにかくお金を使っていて余計な出費は控えたいはずだから、武田から今川に攻め込むとは考えにくい。北条とは結んだばかりだし、美濃を通るよりは尾張の方がまだ組しやすそうだから、尾張を通って上洛よ」
そういえばそうか、武田まずは川中島への出兵、俺と晴信の祝言、そして同盟の際にかわした越後と甲斐の間の街道の整備にかかる費用の一部の負担、とここ1月の間になんだかんだとえらい大金を消費している。
「晴信も同じ考えかな?」
「そうでしょうね。でも絶対なんてありはしない、だからあなたを越後に留めて戦支度をしてるのよ」
言い終えた景虎の顔はどこか複雑そうだった。
「私だったら、どうしたのかしらね・・・」
ぽつりと、恐らく本人も意識していないであろう心の声が漏れている。
独り言を漏らした後の景虎は今度は少し悔しそうな、悲しそうな、それでいて嬉しそうな、そんな感情の読めない顔をしていた。
「景虎、声に出てるぞ」
言おうかどうか悩んだが、景虎を見ていたら何となく不安になったから聞いてみた。
「あら、そう・・・ねえ貴久、あなたならどうしてたと思う? 私が今の晴信の立場だったら、あなたを越後に呼んだと思う? それとも甲斐に留めたかしら・・・」
なるほど、その事で悩んでいたのか。
景虎は今の晴信の立場だったら、俺の安全を考えて甲斐に留めておくか、自分のために俺を越後に呼んでしまうかで悩んでいたんだ。
そりゃ俺の安全を考えたら甲斐に留めておいた方が安全だとは思うが・・・。
「呼ぶんじゃないか? 越後に」
今日まで見てきた景虎なら呼ぶと、そう思った。
しかし景虎はの表情は晴れない。
「何か悔しいわね。それってやっぱり、私個人の都合で貴久を危険に巻き込むって、貴久自身に思われてるってことでしょ」
景虎はぱっと見て分かるほどに落ち込んでしまっている。
「そうだな、確かに俺の答えは景虎のそういう人物像から出した答えだ」
俺の言葉を聞いて、景虎はさらに落ち込んでいく。目のはしに涙をため、頭はどんどん項垂れていく。
「でも、俺が越後について景虎に呼んだ理由を尋ねたら、きっと景虎はこんなふうに答えたはずだ」
そこで少し間をとって、景虎がこちらを向くのをまってから告げる。
「『私が守ってあげるわ、だから私の隣が一番安全なの。分かったらあなたは黙って私の隣にいればいいの。だって私が決めたんだから!』ってな」
たぶん・・・いや、絶対に景虎なら言うはずだ。俺が惚れた長尾景虎って言う女の子はそういう子だ。
景虎はぽかんとした顔をで俺を見ている。
「違うか?」
俺が笑みを浮かべたまま、自信ありげに問いかける。
「・・・ぷ!」
景虎が急に吹き出して口を手で押さえる。
「ぷふ!・・・くふふ・・・~~~!!」
今度はおなかを抱えながら笑うのを必死にこらえている。
「はーはー・・・ふーー」
散々笑った後、景虎は最後に大きく息を吐いてこちらを見る。
「そうね、その通りだわ! あ~あ、何してたんだろ私! 呼ぶに決まってるじゃない」
景虎は笑いながら俺に飛びついてくる。
「あなたもやっと私のことがわかってきたみたいね」
本当に、景虎は何とも嬉しそうだ。頬は赤く上気し、俺を見つめている両の目はわずかに潤んでいる。
「景虎の考えていることは俺には難しすぎる、まだわかったとは思えないな」
史実の話をした時もそうだった。俺が不要だと思ったことは必要だったし、必要かもしれないと思ったことは不要だった。
まだまだ景虎のことを分かっていない証拠だ。
「・・・そうみたいね、やっぱり私のことを何もわかっていないみたいね」
だがそれでも景虎は嬉しそうなのは変わらない。
「だからそう言って・・・」
「違うわよ。私の考え全部があなたに理解されてたまるもんですか」
ならさっきわかってきたと言ったのは何のことだったのだろう?
「私が嬉しかったのは、あなたがやっと私が何を言われたら喜ぶのかを分かってきたのかな? と思ったのよ。でも違ったみたいね」
「なら、どうしてまだ嬉しそうなんだ」
景虎の考えは外れていた、なのに景虎の機嫌は悪くなるどころかさらに良くなってきているように見える。
「嬉しくなることを言ってくれたからよ。あとは自分で考えなさい」
「分からないから教えてくれ」
俺は全く考えずに尋ねる。どうして景虎が喜んでいるのかはわからないが、今景虎が喜んでいるんだからそれでいいと思ったし、どうせ考えてもわからないと諦めていた。
しかし景虎様はそれでは満足できなかったようだ。
「今私が喜んでるから理由はどうでもいいとか考えたでしょ」
俺は景虎のことがよくわからないが、景虎は俺のことがよくわかるようだ。
「ちゃんと考えて、あとで教えなさいよ」
「どうしてそこまでしないといけない」
「いいじゃない、どうせしばらくはここにいるんだから。今だけなんだから」
景虎が俺の顔を両手で包み、おでこを合わせる。
「ずっと私のことだけ考えていなさい」
「今だけな」
俺たちは自然と唇を合わせた。
しかしそれから10日後、俺たちのもとに思わぬ知らせが届いた。
『今川が武田に攻めてきた。さらに北条も甲斐に向かって進軍している。
敵軍は今川軍2万2千。北条軍2万』




