谷あり山あり
晴信と祝言を挙げて3日が経った。1度も顔を見たこともない甲斐の方々からたくさんのお祝いの言葉をもらった。ほとんど聞き流していたけど。
しかしそんな中でも気になることはあった。
たとえば真田昌幸さんなんかは印象的だった。
素人目に見てまず完璧な礼法で、その所作に見惚れてしまった。しかしそのあと信繁と談笑していた時の昌幸さんの何ともひょうひょうとしたつかみどころがない感じは関わると面倒な人だと直感的に思わせた。
真田昌幸、甲斐の武田信玄の家臣となり信濃先方衆となった地方領主真田氏の出自で、真田幸隆(幸綱)の子。信玄・勝頼の2代に仕え、武田氏が滅亡するまで仕えていた。後に自立して、上田合戦において2度にわたって徳川軍を撃退したことで戦国時代きっての知将・謀将という人物像で現在でもよく知られている。
と、思ってはいるからぜひいろいろと話してみたいな~とは思うのだが、面倒事に巻き込まれるのがごめんなのでこちらからは接触していない。
「いや~いい天気ですね~」
「そうですね」
でも世の中なぜだか悪い方悪い方へ転がっていくものだ。
人生山あり谷あり? だったら人は谷底へ転がっていくしか術はない。人は大人になっていくにつれて丸くなっていくのだから。
「お団子も美味しいですな~」
「そうですね」
今は何処だろう、望んでいなかった真田昌幸と町歩きをしている。ここは谷底か、それともまだ途中なのか。
「おやおや? 婿殿はここのお団子がお気に召しませんでしたかな?」
昌幸が特に何とも思っていなさそうな声音でこちらを見ずに聞いてくる。
「どうでもよさそうだな」
「まさか、恐れ多くもお屋形様の婿殿を連れて街を歩いているのです、不味いものを食べさせるわけにもいきますまい」
恐れ多いなんて絶対に思っていない、なんとなくだがそれは分かった。
「団子は美味しいよ、本当に」
「それは何より」
昌幸がこちらに笑顔を向けてくる。
この人は普段目が開いているのかどうかわからないくらいにしか開いていないから、常に笑顔でいるように見える。
さらに言ってしまうと目が細いからか狐みたいだ。いつか昌幸につままれるに違いない。
「さて、お団子も食べ終わったことですし、帰りますか」
「おや? てっきりもっと引き回されるものだと思っていたけど」
「駄目ですよ婿殿、ただでさえ祝言を挙げて間もない婿殿を無理を言って連れまわしているのです、これ以上連れまわしてしまったらお屋形様に怒られてしまいます」
昌幸は言うだけ言ってさっさと勘定を済ませてしまう。
「それでは婿殿、またいずれ」
昌幸は勘定に席を立ってそのまま茶屋を出ようと暖簾をめくったところでこちらを振り返る。
「婿殿、恋の火というのは常に燃やし続けるのは難しいですよ」
昌幸は今度こそ暖簾をくぐって出て行った。
「・・・だから連れ出したってことか」
越後に帰る前にもう一つ晴信と思い出を作っておけと、そう言いたかったのだろう。
「じゃあ、帰りますか」
晴信と思い出を作ることに異論はない。
昌幸の掌の上で踊るのは嫌だが、今は彼女なりの気遣いに感謝しておこう。
「晴信、いるか?」
部屋の外から声をかけてみる。
「入って」
中から短く返事が返ってくる。
入っていいと言ってきたから遠慮なくはいらせてもらう。
「お邪魔しまーす」
部屋の中に入ってみると、中では晴信が一人座っていた。
そして晴信の前には将棋盤が置かれている。
「将棋をしようと?」
「そう。貴久は、将棋を指したことはある?」
「残念ながらないな。どの駒がどう動くかくらいは知ってるけど、逆に言うとそれしか知らない」
歩が1ます前に進むしかないのは知ってはいるが、なんかひっくり返ったり動きが変わったりするらしいがどんな条件でどう変わるのかは知らない。
「なら、始めよう」
「ならってなんだ、俺は将棋のことは知らないって言ってるんだが」
「だから。一から教えてあげる」
言うが早いか、晴信はすでに駒を並べ始めている。
「それよりも2人で町歩きでもしないか? その方が楽しいんじゃないか?」
しかし晴信は何も言わずにそのまま駒を並べ続ける。
俺は一つ息をついて将棋盤を挟んで晴信の向かいに座る。
晴信が自分側の駒を並べ終える。
「貴久も同じように並べて」
晴信が駒を渡して来たので、それを受け取って同じように並べてみる。
「飛車と角が逆」
晴信が指摘してくる。
「・・・」
俺は黙って飛車と角の位置を入れ替える。
「じゃあまずは・・・」
晴信さんの将棋講座が始まった。
「むうぅぅーー・・・」
俺は腕を組んで唸る。
「むうぅぅぅーーーー!!」
大丈夫だ俺、何も焦ることはない、晴信が先生で俺が生徒なんだ、勝てないのは当たり前なんだ、だから一度も勝てないとか当たり前なんだ・・・。
「貴久の負け」
「・・・わざわざ言わなくてもいいだろ」
「言ったら、貴久は悔しがる」
く、悔しくなんかないぞ、俺が晴信に負けるのは当たり前なんだからな!
「・・・」
「・・・」
もう何局目になるかわからないが、それでも俺たちは飽きもせずまた駒をもとの位置に戻していく。
「貴久」
パチン
「・・・なんだ」
パチン
「悔しい?」
パチン
「・・・・・・少し」
パチン
「なら、もっと続ける」
パチン
「・・・嫌がらせか?」
パチン
「・・・」
・・・
「・・・どうした、晴信」
晴信が打ち返してこなかったので目を将棋盤から晴信に移してみると、晴信も俺のことを見ていた。
「将棋、覚えた?」
「多少は」
「実際に指してみて、どうだった?」
「負けた」
「負けて、どう感じた?」
どう感じたか、か。
「悔しい、かな」
「それを、次に来るまで忘れないで」
「・・・ああ」
「忘れないで、今日覚えたことを、感じたことを」
・・・? 将棋のことだろうか?
「・・・あと、私のこと」
「・・・」
「将棋を教えた私、貴久をたくさん負かした私・・・貴久のことが大好きな私・・・・・・忘れないで」
なるほど、確かに将棋を覚えていなかったのは好都合だったようだ。
すでに知っているもので遊んでもいつものの日常の一瞬になってしまう、町歩きもそうなってしまっていただろう。
それに対して将棋なら俺は初めてやるわけだから今回のことは特別なことで、思い出として鮮明に残ることだろう。
そして今後は将棋を見れば今日のことを思い出すだろう。晴信と2人きりで過ごした平和で何でもない、この幸せな日を。
きっとここは山頂だ。




